今、原作ファンVS未読実写ファンで分断されて揉めているドラマがある。
菅田将暉主演の『ミステリと言う勿れ』だ。
特に批判されているところが「原作に有りもしない恋愛要素を入れようとしている点」であり、この時点で「うわぁこれぞよくある実写化だなぁこれだから嫌なんだよ」と感じる方も多いだろう。
次にキャラの再現が甘いところで「主人公はこんなオシャレな最新式スマホ使わない」とか「この女性キャラはストレートなのにウェーブがかかっている」と妙なツッコミを受けている。
原作ファン曰く、ハリウッドの実写化ぐらい違和感あるらしく、恒例の見ないアピール、見るの辞めたアピールを始めておりミステリと言う勿れは特にこの傾向が強いという。
少女漫画コミックとしては相当売り上げが良いらしいが、実際この作品を知っていた人がどれだけいるだろうか。
こういったメジャー過ぎない作品のファンほど原作の時から見ていると選民意識があるというのはどのジャンルにも言える。
鬼滅の刃のようにアニメが原作超えしてきて原作に対するリスペクトも感じる場合ファンが満足していることが多い。
あとけいおんやらき☆すたのようないわゆるきらら系アニメだろうか、それらは原作が恐ろしいほどつまらないし元々超絶マイナー作品なのでオタもそこまで批判しないどころか大成功に感謝するし原作ファン自体が希少勢力だ。
ジャニーズではデビューできるかも怪しかったSnow Manがテコ入れ改革でブレイクに成功した部類に当てはまるだろう。
ただスノーマンの場合6人制時代のオタも根強く、今も結構争っているイメージはある。
というか古参アピールしたがるのが人間の性質で、原作厨というより懐古厨に近いものもあるかもしれない。
ところで昔から見ているというだけのファンにそんな権利あるのだろうかということである。
老人の昔は良かったアピールがうざいことと同様に、実写化ファンだって原作ファンに叩かれるのは気分が良くないことなのである。
原作厨が実写化に反対する権利や叩く権利は当然のこととしてあるのに、なぜその逆は許されないのだろうかとも考えられる。
実際、ジャニーズファンやアイドルファン、若手俳優や女優ファンは少なからずそんな嫌な思いを経験してきただろう。
それに悪の権化のように扱われている実写化だが、実際面白くて成功している作品も多くある。
自分はドラマを見て原作を買った作品はいくつかあるが、つまらなくて数巻で読むのやめた事は何度かある。
全巻読んだしドラマも見たのはドラゴン桜一期だ。
ドラゴン桜原作は本来山Pと長澤まさみのキャラだけで恋愛要素もないし、小池徹平、ガッキー、紗栄子は登場していないのだがこの追加キャラがいい味を出していて両方に魅力がある。原作は原作でより受験に焦点を当てているのだが、地上波のドラマでそこまでガチに受験を描くよりは人気の若手出演者らで華やかなドラマにすることは間違っていない名実写化だった。
受験生でもなかったら原作は最後まで見ようとは思わないだろう。
山下智久でいえば、自分は当時クロサギ原作はよくわからなかったし山Pがはまり役だったので実写化ファンだ。今見たら内容わかるかもしれないが、いろんな世代にニッチな作品をわかりやすくするのも実写化の役割だ。
例えば自分はミステリと言う勿れを菅田将暉目的で見始めたし「伊藤沙莉ええ女やわ〜徐々に色気がある女に見えてきた」と恋愛要素に賛成的である。本来風呂光さんはちょい役で恋愛描写はないようだ。
「きっと原作ファン、特に女性層は自分のような人種が大嫌いだろうな笑」と思っているが、自分が楽しければそれでいい。
そういう層には兄のオズワルド伊藤の「幽体離脱で見てみたい、沙莉で抜いている自分の姿」の面白さなんてわからず気持ち悪いだけなんだろうなと。
「そのネタ込みで伊藤沙莉が女刑事役を演じているところがおもしれぇんだよなぁっていうのは絶対に伝わらない男の感覚やろなぁコレ」ってのも「原作久能くんはこういうとこが可愛いのに」という女性層同様に選民意識、みんな選民意識を持つものなのである。
伊藤沙莉がB級映画で胸を晒しているところを家族で見に行って泣いたみたいなエピソードもあるとなおのこと面白いギャップがあるのだが、少女漫画コミックファンの女性層はそんな下ネタ何も面白くない、てか気持ち悪いと言うだろう。「女性の原作厨が多い作品はこれだから面倒だけど、俺はがっつり男的な楽しみ方して何が悪い」っていう選民意識だろうなこれも笑
あと刑事役のおっさんかっこいいし実写にも良さがある。
原作ファンが「これだから邦ドラマの実写化は」と思うことが自由なのと同様に、実写ファンが「これだから繊細で面倒な原作女ファンは(しかも文句言ってるのはおばはん多め)」と思うのも自由だ、というミラーリング。
大体原作者が、菅田将暉は久能整そのものですと言って感動してるのだからそれでいいだろう。
でも自分は同時に、ガロくんとの絡みを早く見たいしかっこいいという女性的な楽しみ方もしている。
原作のガロくんはかなりかっこいいらしいし見てみたい。原作ガロくんめっちゃカッコいいよという勧誘は素直に興味持つ。どうしてもドラマで描ききれないキャラもいるからだ。
実写を貶すのではなく、原作の良さをそうやって伝えて「読んでみたら原作の方が面白かった」というファンを増やすことこそ原作のためになるのではないだろうか?
ケンコバがプロレスの衰退をお笑いに重ねるように、選民意識持たれて扉閉ざされたら原作に行く気を無くすものだ。
わざわざ貶して叩いてまで実写版見るのやめたアピールは原作厨の悪癖であり原作のためになることはない自己満足です。それは原作ではなくあなたがあなた自身を好きなんです(菅田将暉版久能整っぽく)
まあよくある萌アニメの低予算実写化でよくわからないB級アイドル連れてきて、オタクが「なんやコイツラぶっさ」って思うのは分からなくもないけど学芸会として見れば面白いので割と自分は寛容だ。
「クソ映画に必ず出てる橋本環奈とかいう女」って書かれていたときは笑ってしまった。
なんでや、かぐや様は告らせたいは良かったやろ!
逆に主人公が原作と違い平野紫耀でイケメン化しすぎてるまである。実写がかっこよすぎて原作に違和感があるパターンは稀によくある。
その理論でいけば涼宮ハルヒ実写化を今やるとキョン、くっそイケメンにされそう笑
松坂桃李をキョンの髪型にしたら身長的にも雰囲気的にも似合う説
そしてハルヒはベタだけど広瀬すずはガチハマりしそう(この二人だとちょっと年齢差あるし30代のおっさんに高校生は違和感あるが)
まあ実写化のせいで普段みたいな落ち着いた話ができなくなって、原作ファン身内同士がこの状況が早く終わって前みたいな雰囲気にならないかなというのはわからないことはない。
鬼滅みたいに原作と大きな違いが無いと共存できるのだが。
でも鬼滅でさえアニオリに文句つける選民ファンがいてちょっと面倒だった。
煉獄さんが無限列車乗り込むまでのアニオリめっちゃ好きなのに「HDDの無駄だから削除しといた」とかわざわざアピらんでも...と。そういうところやぞ、お前が原作を前から見てたとて別に偉くはないしお前に興味はない、と。
まあそういう自分も2000代のネットは懐かしいんじゃ、というのが口癖だけど笑(それは自分が老害という自虐で言っているところもある)
みんな老害になっていくんだな。
鬼滅原作ファンの椿鬼奴は「実写化の妄想もあり」と寛容で、全員が実写アレルギーあるわけではもちろんないが。
というか「ハリウッド版にありがちなこと」みたいにいっそのことむちゃくちゃになったバカ映画のほうが中途半端な再現より面白い説
そもそも実写化というのは「原作通り再現すること」が目標ではない。ミステリと言う勿れであれば月曜夜ドラマに合う作品を原作を題材にして作ることが目的だ。
カイジの藤原竜也映画なんて、もはやいい味してるおっさんキャラの性別ごと変えられて天海祐希にされてたけどそれでも楽しんで見られた。
ただ、思い出補正かもしれないが花男、ごくせん、ドラゴン桜、クロサギ、野ブタ。をプロデュースみたいにゼロ年代は真面目にかっこよく実写を制作していたが、あるときぐらいからバカ実写化路線に邦画がなってきた気もしなくはない。
そういう意味ではミステリ実写化はちゃんとかっこよく作っているし悪くはないと思うのだが。
そして若干性格が違うのはよくあることで、灼眼のシャナはラノベとアニメで主人公の性格が全然違うしゲーム原作だと更にそういう脚色はある。
歴史上人物など解釈分かれるしなおのこと作品ごとに違う。
麻雀アニメの咲−saki−はアニメで面白くなったパターンだ。原作だと麻雀の戦い方がありえない上に絵柄が地味になりがちなのでアニメの派手なアクションで良かった。実写版はみていない。
ミステリはもっと人気出たらアニメ化可能性あるし、実写苦手だったらアニメ期待したほうが良いんじゃないかなというのが提案だ。
アニメ化のためにも実写からのファンを快く歓迎すべきではと。叩かれて嫌なのは実写ファンも同じですよと。
久能くんがそんな原作狂信者を見たら快く思わないだろう。
又吉直樹が言ってたけど結局原作とアレンジは別物でポケモンなんてゲームとアニメが完全に別世界として独立している。
年頃になってくると「アニポケは子どもっぽい、原作ゲームとポケスペが最高ゥ」という厨二病ルートを経験するものだがそのうちアニポケも再評価するようになる。
今はミステリと言う勿れの実写きついって言ってる原作ファンもそのうち実写の良さがわかるようになるし、3次元アレルギーになる時期ってオタクだったら誰しもあるのよね。神聖な二次元の世界に現実を持ち込まないで欲しいっていう謎の敵対意識に染まる厨二時期が。
あと二次元作品の実写化を嫌う勢力と同様に厄介なのが韓流の日本版化にアレルギーを発症する人々だ。
昨年『彼女はキレイだった』のときはこれがマジでウザかった被害者です自分は笑
自分が前から好きだったものが、自分のものじゃなくなっていく反抗期や寂しさみたいなものなんだろうな。
弟や妹ができると子どもが嫉妬するみたいなもんよ。
海外に原作があるときの日本版というのは弟や妹みたいなものだ。
そういうときに兄や姉の懐の深さを見せてくれれば良いが幼いので駄々をこねて弟や妹をいじめるのが子どもあるあるだ。
あるいは地下バンドやアイドル応援していてメジャーデビューすると喪失感があるみたいなあるある。
二次元や海外に非日常の美しい世界を投影していると、安っぽい国産実写化が入ってくることに嫌悪感があるのはどの国でも共通している(ミステリは一年前から制作していて丁寧に作られている)
日本アニメの吹き替えに文句言う海外オタクみたいな逆パターンもいるわけで。
日本の実写化で悪いところは安易に美男美女を使いがちというところだろうか。
まだ見てないけど、韓国のイカゲームはイケメン無しであそこまでヒットさせられたのは凄いと言われている。
かのキレも韓ドラ版はイケメン赤楚衛二の役がおっさんだったし、中島健人の役も本家はハンサムではあるけどアイドルっぽい感じではなかった。ただ個人的には日本版が好みなので、現地にあったローカライズと改悪の境目は難しい。
上述したように日本の漫画でドラマ化が行われる場合はその時間帯にあったもので、ある種のローカライズの亜種だ。客層に合わせてローカライズしているわけだ。
つい先日エジプトでヨーロッパウナギを使った寿司を見たが、日本食が全世界でいろんなアレンジされるように日本産のものがそこにある素材や需要で、外国人が好む感じに作られるのは自然なことだし、花男だって韓国版と台湾版がある(ちなみに自分は花男韓国版の配役も好み)
もう実写化は「海外版」みたいなものだと思ったほうが精神衛生上良いのではないだろうか。海外版だとこんなもんかとバカ実写化路線で楽しめるしそもそも見ないのだから、日本でのドラマや映画化もそういう感覚に思えばいい。
アメリカ人はアメリカっぽい日本食楽しんでるんだし、ドラマ民はドラマっぽい実写化を楽しんでるのよ。
カリフォルニアロールうめぇ~で何が悪い、実写版ミステリ最高ゥで何が悪い。
そのうち本場の寿司や原作に来てもらえればいいじゃん。今まで原作に興味どころか存在も知らなかった人たちの入門なんだから。
実写版にケチをつけるというのはわざわざエジプトまで飛んでって、「砂漠の泥にいるような巨大ウナギじゃなくて本場の寿司はアナゴ使うんだよ」というぐらい野暮な行為だ。
エジプト人もアメリカ人も現地版楽しんでるし、その中でハマった奴はちゃんと本格寿司を食べに行くから。
ドラマ民も同じこと。原作ファンは原作という最高のものが既にあるんだから。
そしてその江戸前寿司を食べているような本格原作ファンに、無理矢理ドラマ版というパックや回転寿司だったり海外のローカライズ版を食べさせているわけじゃない。
地上波でタダで幅広い層が楽しむドラマを強制的に視聴させているわけじゃない。
言ってみれば「こんなの久能くんじゃないよぉぉ」と言ってるおばはんは回転寿司にやってきてこれは本物のマグロじゃないと知識披露してる偏屈おじさんと同類だ。
又吉直樹みたいな漫画でないガチのミステリーまで読んでるというか芥川賞作家は「本格寿司も美味しいし、回転寿司やカリフォルニアロールにも良さがあるよね」と原作と実写を別物として楽しんでいる。更に本格ミステリー小説の古典まで読んでいるだろう。
もはや漫画でイキったり気取ったりする原作ファンって、B級グルメのラーメンでイキるような面倒ささえあるよなと。
自分はそういう偏屈なおばさんと意見が合わずに嫌いな人種と思われるのであれば、それでいいです(菅田将暉版久能整っぽく)