世の中にはレアル・マドリードという悪の帝国が存在する。
自分たちが財力に任せて世界的なスターをかき集め「バルサはカンテラ(育成組織)、マドリーはカルテラ(スペイン語で財布)」と言われていた時代もあったが、サッカー情勢が激的に進み巨額の資金を持つオイルマネーを背景にするクラブが主流になると「レアル・マドリードは油と違い健全にやっている」と言い出し、自分たちがグアルディオラ時代のバルセロナに勝てないモウリーニョ時代には散々ラフプレーで対抗し暴力団と言われていたにも関わらず、いざ自分たちが同じスペインの首都マドリードを本拠地とするアトレティコ・マドリードに同じことをされればアトレティコを「暴力団」と非難し始める。
まさに「自分がすればロマンス、他人がすれば不倫」というダブスタそのものである狂気の集団だ。
更にはずっとバルサのことを八百長と揶揄し「ヤオサ」と蔑称まで作り強硬に非難し続けてきたが、一番のコメディはレアル・マドリード自体がUEFAチャンピオンズリーグでは最もオフサイド誤審の疑惑に溢れ、スペインリーグではフランコ独裁時代に忖度で優勝させてもらっていたクラブということである。
人は自分が一番言われて嫌なことを先に声高に叫ぶものであり、それこそがまさに急所なのだ。
しかしいくらマドリディスタの前でそんなことを叫ぼうが彼らが気にも止めないことを我々バルセロニスタはわかっている。彼らにまともな理論が通じないともはや諦めているのだ笑
「勝てば官軍」「勝者が歴史は作る」という現実の前では泣き言は無駄である。
獣のように人を喰らう鬼のような存在がまさにレアル・マドリードというクラブである。
アトレティコ・マドリードのように毎度レアルという強者の前に負けて再教育されて泣いて惨めに去るのであれば、結果で土をつけるしかなく直接そのレアルに勝つしかないとバルサは戦前から戦ってきた。
その先人の意志を我々現代クレも継がなければならない。
究極のところレアル・マドリードが大正義アメリカ合衆国であれば、バルサは反抗勢力のソビエト連邦なのだ。
そもそもバルセロナがあるカタルーニャ州からして首都マドリードがあるカスティージャ州に対して独立志向が強く、バルサのレジェンドであるディエゴ・マラドーナもキューバ革命の父であるフィデル・カストロと強い親交がある。
バルサと旧ソ連の共通点
— エルケンティキタカ (@Elkenty11) 2022年6月4日
・共産主義(美しいサッカー)をいう幻想を追っている
・反体制極左である
・経済実態が米国(マドリーのCL)に劣勢
・革命の父レーニン=クライフ
・厨二病的なかっこよさがある
・財政が崩壊しそうである
・アスタラーダ=鎌と槌
・経営が杜撰
・自称市民の国家・球団 pic.twitter.com/Mm4rgSSuHj
日本でもそうだろう、何でも東京が正しい、進んでるという幻想から日本人は縛られている。
中央政府という東京に対する生まれ持っての反発心が田舎の人間にはあるからこそ東京のものは素直に応援できないし、同じ立ち位置のレアル・マドリードも応援はできない。
ガンダムだって連邦よりジオン、そういう意味でバルサは厨二病心をくすぐるしマドリーはそれはそれでいい正義なんだ。
こういう関係性はスポーツ問わず分野であるだろう。歴史の偉人や漫画のキャラクターなどでもある。自分はそういう意味でバルサ贔屓になる厨二病だが、マドリーの大正義感もまたそれはそれで厨二病感がある。まさに好みが露骨に現れるライバル関係である。