elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

もしTWICEがなければミサモの3人は今頃何をしていたのだろうか

今でこそ「TWICEの日本人メンバー」という肩書で知られているミナ、サナ、モモの3人も、韓国のアイドルグループが存在しなければ別の人生を送っていたかもしれない。

様々な偶然と必然が複雑に重なり合い融合して今の9人が集まっているTWICEは、それぞれの境遇や生い立ち、そして出身から成り立っていて、その多様性が生み出す面白さに多くの人々惹かれている。

 

TWICEというグループが存在しなければ人生で一生会わなかったであろう仲間たちと一緒に、何が起こるかわからない夢の階段を上っていく、そんな経験をしている彼女たちの挑戦に世界中のファンが何かを感じ取る。

日常の中では絶対に揃うはずのなかった9人が、同時代に奇跡のように出会ったからこそ今のTWICEが存在する。

 

JYPエンターテイメントのパク・ジニョンさんが「ちょっと今度のグループ、韓国人だけだといつもみたいな感じになるし、ちょっと外国人をチームに加えてみようかな」と思いつかなければ、多分ミサモは今頃別の人生を送っていたかもしれない。

 

名井南→神戸の女子大生

湊崎紗夏→無名ユーチューバー

平井もも→ダンスチームを探しながらアパレル店員のアルバイト

 

これは勝手な想像でしかないのは承知で、仮にTWICEが存在しなかったならばこの3人は関西のどこかで一般人として生活を送っていたように思う。

 

ミナは良いところのお嬢様なので結構いい大学に進学して、今頃女子大生としてキャンパスライフを送っていたかもしれない。しかし派手なリア充的大学生活にあまり馴染めず、家に直行で帰ってはゲームとアニメ三昧というよくいる感じのオタク女子として過ごしていたキャリアだってあり得た。

それが今や世界を多忙に飛び回る世界的なアイドルとして成長している。

 

サナは持ち前のキャラの面白さを生かして、ユーチューバーになろうとするものの、あまり知られていない無名な感じになっていそうだ。サナの動画配信は面白いのでいつもTWICEでやっている感じと変わらず、ユーチューバーをしている光景が思い浮かぶ。

パラレルワールドの現代日本、そこにはコテコテの大阪弁を話す無名ユーチューバーとして化粧品をレビューするサナの姿が!笑

 

モモは特技のダンスを生かしてどうにか今後のキャリアに繋げていくことはできないだろうかと将来を模索するも、現実的には生活の事もありアパレル店員としてバイトをしていたかもしれない。

ちなみにモモのお姉さんは京都のアパレル系のところで働いているという風の噂も存在しており、モモ自身もちょっとした運命の違いで今とは違う生き方が存在した。

 

ミサモ

もしかしたら今日の現在、どこかの街で普通に見かけていたかもしれない日本人女性のサナが사나、モモが모모になり、ミナが미나になった、これは一言では説明できないほど様々な過程と経験にあふれている。

そして今、SANA、MOMO、MINAという名詞として世界中に羽ばたこうとしている。

 

そしてもう一つ気になるのが、ミサモの3人はこれからの将来どうしているのかなということ。正直自分の将来すらよく分からないので人の心配までしている場合ではないけど、ちょっとこの3人の将来も気になったりする。

ミサモからすれば「お前の人生をまず心配しろ」という余計なお世話だろう笑

 

一番韓国の芸能界で生き残って行けそうなのはやっぱりサナな気がする。

サユリが切り開き、カンナムが道を整え、そしてサナが韓国芸能界における日本人の活躍を完成させる、そんな将来の光景が見える。

サナは実は賢く地頭が良いので、今頃サユリとカンナムにアイドル引退後の財テクの話を聞こうと企んでいるのではないか?笑

韓流アイドルやタレントというのはソウル市内の一等地に不動産を得て、それで賃貸経営をするというのが一種の成功例になっている。韓国のテレビ番組で「元TWICE」という肩書を生かしつつタレントとしてほどほどに活躍し、サユリとカンナムと韓国芸能界における「在韓日本人会」のようなものを結成して、食後はご飯でも食べながら財テクの話をする、そんな姿が思い浮かぶ。

 

モモはダンスのスキル向上次第では、実はもっと輝かしいキャリアがあるかもしれないぐらい、本物の天才であり努力家だ。

もともとダンス方面で何かできないかという人生キャリアを模索していた時に、ユーチューブで韓国のアイドルをやってみないかというオファーがあって、紆余曲折を経て今TWICEをやっていたら、いつのまにかそのダンススキルが世界中に認められている。

もうこの時点で激動の人生ではあるが、モモはまだ続きがありそうな気がする。

 

もし仮にアメリカの本場洋楽のチームから「うちのアーティストのバックについてくれないか、君はとてもダンスの表現力が凄いよ!」と誘いがあったらモモは応じるのだろうかという興味はある。これからのスキルアップ次第ではアジア出身のダンサーとして世界に評価されていく可能性をモモは秘めている。

 

これも仮に自分がモモの立場として、例えばビ○ンセやレ○ィー・ガガの演出担当者、もしくは本人が偶然TWICEでのパフォーマンスを見て惚れ込んで「うちのところでやってくれないか、もし来てくれたら10倍は報酬を出す」というリアルな話をされたら、断れるだろうか。

偶然も何も今ではTWICEは世界的なトレンドになっており、もはやその当事者だ。本人達が一番自分の人生の変化に戸惑っているのではないか。

つい数年前まで日本の関西で過ごしていたら、いつのまにか世界に名を知られていたというシンデレラストーリーが現実に起きている。

 

モモは何も韓流アイドルになりたいとか、TWICEになりたいと思って最初からダンスに励んでいたわけではない。

なぜならば過去に韓流のK-POPグループで日本人が活躍したことはほぼ例が無く、そもそもTWICEというグループが初めから存在していたわけではない。

憧れて入った時点で既に時代の潮流から遅れており、何も前例がない時に始めるからこそ価値がある。今でこそユーチューバーに憧れて、ヒカキンのようになろうとする人々は多いが、当のヒカキンはユーチューバーという概念が無い時代からやっていた。

もっと言えば大企業に憧れて大企業に入った人間は良くも悪くもエリートであり、本当に開拓精神にあふれた新しいタイプの人間というわけではないというのは昔から繰り返されてきた。

時代を変えようと倒幕を行い始めた明治維新も、いつのまにか官僚的な構造になっていたように、黎明期に始めた人々と組織が出来上がってから入った人材では異なる。

 

ヒカキンがボイスパーカッションの動画を上げて最初は趣味として活動をしていたら、いつの間にか日本ナンバーワンのユーチューバーになっていたように、人生というものは先が読めない水物のようなもので、どうなるかわからないことに溢れている。

 

TWICEモモだってその一人でなんとなくダンスで活躍したいと漠然に思いながら、一生懸命練習して活動を模索していたら、いろいろあって今TWICEのダンス担当になっている。今では地球の裏側でも知られる彼女だって、紙一重の差で今頃違う人生を送っていたかもしれない。

 

TWICEのメンバー全員、自分の人生を自伝にまとめたら現時点でかなり面白いだろう。

日本のトップの芸能界とは無縁だと思っていたのがたった数年前なのに、今ではそこを飛び越えてもはや世界に知られた存在だ。

ミナだって日本でアイドルのオーディションは何回か受けたものの評価されずにいたところに、韓国のスカウトからは認められ、そこからチャンスの列車に飛び乗った本人の努力もあり今の「TWICEのミナ」がある。

パラレルワールドではアイドルになれず、なんとなく女子大生として何気ない日々を今過ごしていたかもしれない名井南さんも、TWICEのMINAとして名をとどろかせている。

 

現代人というのは前例のないことにチャレンジしていかなければならない時代におかれ、才能がいつどこで評価されるかわからない状況にある、その最たる例がまさにミナ、サナ、モモという親しみやすい3人だ。

 

話の確信はここで、ミサモはまさしくこれからの日本人のライフスタイルのヒントになるのではないかと自分は考えている。

「韓国のアイドルグループで日本人メンバーが活躍している」というのはミクロな視点でしかない。より大きなマクロな視点で見れば、それは歌やアイドルを志す個人の問題にとどまらない。

これからの日本人全員にとって彼女らの生き方は参考になるし、人生の多様性を示してくれているように思う。

「生き方」の幅がこれだけ様々な方向に広がっていく時代に、ミナ、サナ、モモが歩んでいる人生というのは参考にもなり、そして勇気づけられる先例にもなる。

 

自分のスキルを磨けば、それは時として海外から求められることだってあり得る。

TWICEはそのほんの一例に過ぎず、 今では世界中のスカウトが様々な人材を求めいろいろな国々を探し回っている。

スポーツの世界などその典型だ。

今でもよく謎だと取り上げられているのが、香川真司のボルシア・ドルトムントへの移籍だ。Jリーグのセレッソ大阪でサッカーに励む青年がいきなりドイツのチームから評価され、その後ヨーロッパの舞台で活躍し一時は名門マンチェスター・ユナイテッドにまで上り詰めた過程というのは激動に満ちている。

 

ドイツのドルトムント、イングランドのレスターにしてもそれまで無名に近かった選手を発掘し、この才能が生かせるのではないかとチームに加え、その人材を見事に世界的なスターへと育て上げた。

もしかしたら今の日本に足りないのはこういった人材発掘能力や才能を見抜く能力なのかもしれないし、アピール次第では日本で埋もれていた原石が海外から評価されるケースも存在する。

画一的な評価基準で、画一的なことを行う人材を求めるということは時代遅れになりつつある。

 

いつどこで評価され見出されるかというのは当然誰にもわからず、まさに人生は水物だ。

それは運による偶然かもしれないし、実はどこかの神様による筋書きかもしれない。

 

自分は最近、これからの若者はどういった人生を送ればいいのかというようなことをよく考える。

TWICEのファン層は10代から20代が中心であり、高くても30代が主力になるだろう。もちろんそれ以上の年代のファンだって存在するし、もしその年代の方でTWICEの魅力を理解できているならば現代的な感覚を持った柔軟な感性を持つ人々だろう。

人生というものをどう思い描けばよいのかという教科書や前例すら存在しなくなっている時代に今の日本人は生きている。

 

そういった激動の時代に本人達だって夢見ていなかった展開に出会っているミナ、サナ、モモ、その3人が今この時リアルタイムで同時代に活躍し続けている。

彼女らの活躍から何を感じ取るか、その感性や感覚に、小さく見えても本当は大きな違いがあるのではないか。

まだ今の段階では理解しきれない大きな意味があるようにさえ思うし、これからの時代を生き抜くヒントや活力の源のような物があるはずだ。

 

ミサモ、きっと本人達だって気づきないぐらいのスピードで世の中に意味のある影響が広がっているし、それぐらい彼女たちは目まぐるしい先の予測のつかない目まぐるしい日々を送っている。

まさに時代を反映した生き方自体のようなものが伝わってくる。

そしてTWICEのストーリーはまだ過程に過ぎず、現実に物語は進んでいる。

先が読めないからこそ人生は楽しい、その期待を捨ててはいけないはずだ。

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お疲れ気味のTWICEミナが地味な腐女子にしか見えない件

今のTWICEめちゃくちゃ忙しいんだろうなというのは嬉しくもあり、同時に疲れてないかという心配もある。

シンガポールやスイス、済州島にロケ行ってた頃とは全てが違うだろうしスケジュールもタイトになっているはずだ。

 

特に韓国のアイドルの場合、海外での活動も多く必然的に空港ファッションショーがK-POPの世界ではそれがファンの一つの楽しみにもなっている。

 

スターとして注目される喜びもあり華やかではあるが、同時に何度も繰り返すとさすがに疲れも見えてくるのかもしれない。

通勤や通学の移動というのは現実的にやっぱり大変なところはあるし、特にアイドルや芸能人の場合毎回同じ場所で仕事というわけにはいかないだろうから、移動というのは結構頻繁に必要となる事情がある。

 

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そんな恒例の空港に先日到着したTWICEのミナ、ややお疲れ気味のようだ。

時系列的には日本で先日のMステの収録が終わった後なので本当に最新のミナの近況ということになる。

ミナの場合普段そこまでハイテンションな感じではないので、これがありのままの姿だし自然体だ。

ステージ上に立つとあれだけ輝いて見える存在も、普段はこうしてよくいそうな日本の腐女子みたいな感じなところも皆の魅力かもしれない。池袋でそういう系の同人誌を探していても違和感がない笑

 

こうしてみると人間味があるというか、1人の日本人女性がこうしてスターになっていることには夢がある。あくまで中身は疲れる時は疲れる人間味に溢れた1人の個人がアイドルだ。

 

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ちなみに同じくTWICEのサナとモモはこんな感じ。

サナはこうして見るとどこかの女性教師にいそうな感じに見えるし、モモも自然体な雰囲気がある。こんな感じの英語の先生いそう笑

ただモモもちょっと疲れている気がするし、特に海を越えて移動する機会が多いというのは実際に体験してみると本当に大変だと思う。

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ちなみにサナがよくかけているこの丸メガネはジョン・レノンがかけていたものらしく、韓流アイドルの間でやたら見かける。今年もまだこの流行は終わっていないようだ。

 

現実的な話としてTWICEは休みどれくらいあるのだろうか。

先日情熱大陸に出た藤田ニコルもかなり忙しそうで、2か月に2日ぐらいしか休みが無かったみたいなことを語っていた。芸能人の場合週休2日というスケジュールが安定して続く世界ではないだろうし、出れる時には出来るだけ出ることが必要になる。

その上、グループでの活動なので1人の都合では動くことができない。

しかもK-POPアイドルの場合、基本的に寮生活ということになるので家でも一人になる機会は多くない。

 

特にミナの場合、1人で部屋にこもってゲームしときたいというタイプの女子なので慣れるまでには相当時間がかかったはずだ。

ジヒョが「こんなに外に出ない子は初めて見た。なかなか外に出ようと誘っても来てくれない。」と語ったり、韓国のゲーム会社の撮影でやったオンラインゲームを簡単にクリアしたりするなどインドア的な人間だ。

 

そう考えると海の向こうでこれだけ全力でやってるミサモの3人は凄いなと改めて思うし、もちろん他の韓国や台湾のメンバー達も日本に来た時の撮影や収録は慣れない物があるはずだ。

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そんなミサモのスリーショット、サナのすっぴんがリアルなところが突っ込みどころだろうか。

ミナは無表情な時があるので怖がられることもあるみたいなことを言ってたけど、確かにこうしてみるとそう見えなくもない。

ただアイドルの場合仕事柄、特に笑いたくない時も笑顔でいなければならない時は多いので笑顔になること自体に疲れることもあるはずだ。移動中ぐらい無表情でいさせてほしいというのも本音かもしれない。

リアルすぎるTWICEメンバーの移動中の雰囲気、そんな姿に人間味のような物を感じた。

マツジュンさん、盆栽に続きイニエスタにはまる

多分嵐の女性ファンの大半が思ってそうな事。

「松潤の趣味の話どうでもよくね?」

 

嵐の松本潤といえばMJとしてカリスマ的な(?)一面があり世間一般にもかっこいいキャラクターとしておなじみの存在だ。

しかしその一方で実は嵐最年少メンバーであり、時にはわがままで自分を貫く末っ子的な一面もある。

 

その松本潤、非常にこだわりやクセが凄いメンバーであり趣味が結構面白いというのが隠れた見どころでもある。

某千鳥「クセが凄い、マツジュンの趣味のクセが強いんじゃ」

 

これまでも盆栽を熱く語ったり、スラムダンクへの愛や自動車免許をマニュアルで獲り華麗な運転テクニックを披露するなど美技を見せてきた。

こういったマツジュンの熱い趣味への傾倒は時としてドン引きされることがあり、逆に同性ファン程に「MJ面白れぇ!」と気づくことがある。

 

そのマツジュンの趣味の癖の強さでいうと、自分がびっくりしたのが、最近何かと話題のアンドレス・イニエスタのヴィッセル移籍の事を先日『VS嵐』で話題にしたことだ。

 

櫻井翔「最近サッカー見てるよね」

松本潤「一番好きな選手が移籍しちゃった。イニエスタ、君の退団は寂しいけどこれからの人生を期待しているよ(海外サッカー選手インタビュー翻訳風)」

 

こういった一連のトークがあり、密かにマツジュンすげぇと喜んでいる自分がいる。

いや、マツジュン、マジでバルサファンだったのかよ!?というのが衝撃で、もう自分の中でMJの好感度が今までの8倍になった(イニエスタの背番号感)

 

マツジュンといえば実はこれまでカンプ・ノウというFCバルセロナのホームスタジアムで現地観戦したことが伝えられており、知られざるスペインサッカーファンとして一部というか自分の中では知られていた。

 

それが今回本物だということが証明され、今回無事松本潤は名誉バルセロニスタという認定を受けることになった。

マツジュンですよ、あの嵐の松本潤が好きなサッカークラブがバルセロナで、そのMJが好きなのがアンドレス・イニエスタ、そしてその選手が日本の神戸にやって来る。

 

カイジの一条「夢じゃありません・・・!現実です・・・!これが現実・・!」

 

ただこのマツジュンの趣味の話のどうでもよさ加減というのは嵐ファンの間では結構有名で、盆栽にはまっている時の謎の盆栽トークなどはほぼ誰も興味が無い笑

同僚櫻井の番組に出演したときも、あまりに話が長すぎてカットされるという事態になり、基本的に嵐ファンの認識として「松潤の話は意味不明」となっている。

 

今回のイニエスタ移籍に松潤がなぜこれほど喜んでいるのかというのも、嵐ファンからすれば完全に謎で仕方がないはずだ。

 

イニエスタ

そんなときのために自分はイニエスタのヴィッセル神戸移籍をジャニーズで例えてみようという企画を考えてみた。共感能力の高い女性ファンなら必ずわかってくれるかもしれないし、男性ファンはむしろマツジュンの興奮を理解しているはずだ。

 

基本的に大前提として「来るはずのないすげぇ奴が来た」というのが今回、アンドレス・イニエスタさんが神戸にやって来るおおまかな背景だ。

しかもヴィッセル神戸というのはまぁJリーグでそんなすごいチームではない。

楽天のオーナーである三木谷浩史が経営しているクラブということ以外に大きな特徴は無い。Jリーグの歴史において語られるチームではないし、優勝したり独自のサッカースタイルでリーグを席巻したりといった華やかな実績に恵まれているわけでもない。

 

だからこそ、そのクラブに大きな投資として行われたのが今回のイニエスタ獲得であり、より長期的な計画で決断したということになり、そのビジョンの面白さはとても興味を惹きつけられる。

 

その「来るはずのないすげぇ奴をマジで連れてきた感」でいうと、これはジャニー社長が「TAKAHIRO君、ユーうちのKAT-TUNに来ちゃいなyo!」といったらマジでエグザイルを抜けてTAKAHIROがKAT-TUNにきた感覚に近い。

亀梨和也も「えっ、マジでTAKAHIROくるの?」となるし、もう田口とか田中とかそういえばいたなぁみたいな奴らの事もどうでもよくなるノリになってるのが今のヴィッセル神戸だ。

ちなみにルーカス・ポドルスキという知っている人の間ではまぁそれなりに凄い奴が先にいて、この時でも結構凄かったんだけど、今回それを上回る展開になっていてガチで三木谷すげぇみたいなことになっている。

 

例えてみるならば、KAT-TUNに既に速水もこみちを連れてきてややオリーブオイルが足りないところに、TAKAHIROが助っ人としてきた感じだ。

これでKAT-TUNも、もこみちとタカヒロ来て行けるやん!みたいなのが今ココ状態。

考えてみてください、3人になった崖っぷちのKAT-TUNにもこみちとTAKAHIROがやってきてここから一生懸命やっていこうぜとなっている光景を、そりゃめっちゃ心強いでしょと、伸びしろやろと。もうみんなでチューチュートレイン踊って、その後オリーブオイル味のサワー飲むレベル(オリーブオイル味のサワーなんてあるか知らんけど)

 

おまけにそのうちJリーグ復帰をもくろむ本田圭佑を獲得するなんて噂もあり、もうこうなるとこれは赤西仁のKAT-TUN復帰並に凄い事でそりゃヤバイでしょと空前絶後の自体にサッカーファンですらビビッってることになっている。

 

もこみちがいて、TAKAHIROをガチで連れてきてもしかしたら赤西仁も復帰するかもしれないKAT-TUN、これが神戸で起きちゃってる、そりゃすごいでしょ、今でしょ!

でも田口と田中は別にいらないよ、みたいなオチもある。

 

そしてもうこの話で自分の中での神戸のイメージが爆上げしている。

自分の中の神戸のイメージ

・イニエスタがいるところ

・TWICEのミナちゃんの地元(の近く)

・神戸牛

 

神戸のオシャンティーなイメージに更に上書きされたというか、もう神戸凄すぎでしょ。空前絶後のオシャレ感半端無さスギィ、イニエスタとミナと神戸牛すげぇええ、ついでにいうと世界最高峰バスケットボール選手コービー・ブライアントの名前の由来は神戸らしいです。

 

そして今を時めくTWICEの日本人メンバーであるミナ、その出身地、実は神戸ではなく西宮市とかいう正直地元民しかよくわからないであろうところ・・・だけどまぁ実質この人も神戸の人やろ!多分神戸市のことも地元的には憧れやろ!という適当感によって、神戸はミナとイニエスタが愛する街という事にする。

御崎公園球技場って大体どの辺ですか?と聞けばミナは答えてくれるはずだ。

 

更に言えばミナとイニエスタの2人、実は意外な共通点がある。

一言で表すならばそれは「静かなる華麗な天才」という言葉に行き着く。

 

ミナといえばTWICEの中でもトップクラスの美貌と繊細な歌声を持ち、そして普段は物静かでありバレリーナだったという教養に溢れた過去がある。

イニエスタがつい最近までいたバルセロナというクラブでの立ち位置、ミナが今TWICEというアイドルグループでの立ち位置、それは凄く似ていて知っている人はそのスキルや魅力に感嘆するという業界内での評価の高さが共通している。

もし違いがあるとするならばそれは性別と、あと毛髪量だろうか。

イニエスタbot「そこ言わんといて、ワイのプライドが傷つくがな。ワイ一時欧州最高選手だったこともあるし、ワールドカップ決勝でゴール決めてスペインに優勝もたらした英雄やぞ」

 

ミナ「あの、変質者はちょっと・・・」

 

このイニエスタのガチで凄いのにいまいち伝わらない感覚もまたファンにとっては魅力というか、この地味なおっさんのどこが凄いねんというところもいろんなひとに感じ取ってもらいところだ。

考えるより感じろ!というブルー・スリーの名台詞のように、イニエスタは心で感じる存在だ。

何度も言うがイニエスタだ、彼の存在は理解を超えている。

 

今即興で気付いた、もし松本潤がアンドレス・イニエスタに魅力を感じた理由は盆栽と共通しているのではないかと。あまりにも何気ない一瞬に、人生の答えのような物がある。考えさせられる存在、言葉では説明できない出来事さえ時にあるという人生の事象が彼の何気ないプレーの一コマにはある。

そのさり気ない優美さ、分かる人にしかわからない真髄・・・そんな静かな魅力があるのではないかと。

そう考えると松潤が盆栽の次にイニエスタに惹かれた理由が分かるような気がした。 

そうか、静かなさりげない魅力か。

ついにMステでKing & Princeとしてデビューしたキンプリ6人に感動

岸優太が「この映像は今後ずっと使われ続けるので緊張してる」と話していたように、ファンもまたキンプリがデビューしていく瞬間に緊張していたのかもしれない。

ジャニーズの歴史がここからまた始まると思うと、歴史的瞬間を見た気がする。

生歌でシンデレラガールを披露して、世間がその顔面偏差値の高さやアイドルオーラにざわついているこの喜び。

 

これがまさにジャニーズファンであったときの最高の喜びかもしれないし、「ワシが育てた」感のような物がある!笑

(※ワシが育てたとは、大して育ててないのに自分が昔から知っていたアピールをするためにしゃしゃり出てくるときに使われるフレーズ)

 

一時はキングとプリンスに分かれて、このままもうデビューすることはないのではないかという時期もあった。

そういう時を乗り越えて今回ミュージックステーションという舞台にちゃんと6人で辿り着いた。この一連の過程を見てきた人は全員「キンプリはワシが育てた」と言っていいし、今が最強で最強のBounce to Nightな気分にならずにはいられない。

 

ピンクの子(岩橋玄樹)が可愛いとか、黒の子(永瀬廉)がかっこいいとか、花晴れの子(平野紫耀)だと知ってもらえていたりとか、そういう嬉しいなぁという思いもあり、消滅する可能性すらあったキンプリがこうして使われていること自体がかけがえのない今だ。

 

ちなみになにきん派と、ボイメン派も未だ根強い勢力としてちょくちょく出てきたりするし、2次元の方のキンプリ派も出てくるのでいろいろ複雑だったりする。

自分はというとこの6人でジャニーズJr.次世代の新星として活動が増え始めた頃から好きで、まだMr.King vs Mr.Princeという言葉が無かった時代を今では懐かしく思う。またジャニーさんが変な名前付けてきたなと思いながら、とにかく名前がついたことが嬉しかったのももう数年前の話だ。

基本的に6人全員好きではあるけども、今自分が一番好きなのは神宮寺勇太で多分変わることも無い。平野紫耀から入って、神宮寺に落ち着いたのが自分のパターン笑

 

そんな神宮寺勇太、今回髪型が面白かったというか、あれはあれでなかなかいいと思う。爽やかな感じに固めてきて、好みは分かれるかもしれないし中には演歌歌手に見えたなんて言う意見もあって、結構美味しいなと。

(歌詞のせいか、なぜか門限気にかけてくれるキャラになってるところも美味しい)

 

あと永瀬廉は大学で友達がTWICEのMVをいつも見てるという話をして、サナにお礼をわざわざ振り向いてもらって言われていたけど、あのシーンに関しては正直その席を変わってもらいたいと思った。

永瀬、ワイと席変わってくれ!笑

自分の人生史上最大級に嫉妬という感情が沸いたのはこの瞬間だった、でもキンプリとTWICEという自分が好きなグループがからんでいることの嬉しさの方が結局は勝った。

 

どうやらTWICEのメンバーは岸優太が出演している『お兄ちゃんガチャ』のことを知っているらしく、今回キンプリのことは知っている状態での共演ということになる。

ミサモの中の誰かがTWICEのメンバーに広めたのか、それとも韓国人メンバーか台湾人メンバーの誰かが実は隠れジャニオタなのかは分からないけど、TWICEに知られてるって凄い事だよねと思う。

一見無表情を貫いていたチェヨンが岸のファンである可能性も否定はできない笑

 

逆に言えばKing & Princeもそれぐらい有名な存在になってほしいし、ジャニーズもこういうMステの映像を世界にもっと発信すれば絶対海外で人気が出ると思う。それぐらい今回のキンプリのパフォーマンスはかっこよかったし、MステにTWICEが出演する時は韓国人や台湾人に日本のアイドルがどう見えているのかと推測しながら見ていたりもする。キンプリを見て日本のアイドルかっこいいなと思って帰ってもらえたら嬉しいななんて淡い期待も抱きながら見ていた。

 

そのTWICEではダヒョン喋らなかったのが地味に惜しいけど、サナとモモの絡みが見れたのでよかった。あとWhat is Love?をまさか披露するとは思っていなかったからこのサプライズは嬉しかったし、ジョンヨンがマジで緑髪で来たのは衝撃。

ミナの髪型が可愛かったし、ダヒョンは日本の番組に出るとブサかわさがいつもより際立つ!ダヒョンは見せ場が無くても、どんな時も絶対に笑顔なんだなというのが改めて伝わってきたし常にアイドルとしての意識が高い。

 

その意味ではまさに最強で最高のアイドル同士が呉越同舟したというのが今回のMステかもしれない。

このアイドル力の高いキラキラ感にあふれたグループが同じ空間にいたこの奇跡の瞬間、そしてそれがKing & Princeにとっても大事な初のグループとしての出演だった。

神、いわゆるゴッド、今回そういうMステだったのではないかと、まさに岸優太がいうように歴史に残る一度しかない時間だった。

 

「安西先生、バスケがしたいです」という言葉があるなら、「ジャニー社長、キンプリという言葉を使い続けたいです」というのがメンバーにとってもファンにとっても本音だった。

直談判してまでこぎつけたKing & Princeの6人としてのデビュー、その姿はまばゆい輝きに満ちていた。

おまえらこれからもこの時の6人でキンプリ続けてくれよな、そんな最高の回だった。

帰宅部でも学校内で孤立しない方法

ここに来てようやく日本の部活動が抱える問題点が話し合われる機会が増えてきた。

「ブラック部活動」という言葉が使われるようになったのはこの数年であり、それまである意味で聖域のようにタブーとして扱われてきたのが学校内におけるクラブ活動だ。

 

部活動が日本社会にもたらす影響というのは根深く、日本文化そのものとも切って話すことができないデリケートな問題である。

そんな聖域であり続けた部活動問題に関して、ここ最近ようやく踏み込んだ議論が行われるようになってきた。部活動改革という言葉は最近よくマスメディアを通じて伝わってくる。

 

日本の部活動はとにかく、練習量が多く休みが少なければ少ないほど一生懸命やっていると美化され効果的だとされる傾向がある。そしてその価値観が社会に出ても適応され、サービス残業を強いられたり有給を取ることができなかったりする。

休むことは日本において悪であり、自分を社会のために犠牲にすることは美徳なのだろうか。

 

きっと今でも部活動の理不尽さや闇の深さに悩んでいる生徒たちがいるだろう。

部活を辞めたい、辞めたくて仕方がない、でも辞められない。

そんな人々に自分は元帰宅部として「やめていいんだよ」と後押ししたい思いでいっぱいだ。

 

しかし現実はそう簡単にはいかない。

中には部活動で理不尽な思いをして辞めたいと思い、更に親が辞めることを薦めているにもかかわらず、それが叶わないというケースが存在する。

日本社会において辞めたいのにやめられないという構造的な問題は何も職場に限らず、校内という環境においても起こり得る。

 

なぜそういった問題が起こってしまうのかといえば、部活を辞めてしまえばまるで村八分のごとく校内で居場所を失うのではないかという不安があるというのが大半の理由だ。

部活を辞めることによってコミュニティから排除され、孤立するという心配が今の学生達の大きな悩みとなっている。

途中で辞めたという悪評が今やコミュニケーションツールの発達によって広く伝わるようになり、更にそれが進学や就職に影響するという問題が起きる。

部活動経験が進学や就職に関わったり、その部活動的な慣習が現実社会に今も根強く残っていたりするということも含めれば、この問題は複雑だ。

 

特に最近はスマートフォンの所有率が高まり、通信アプリ内のグループが学校内において必須という時代にもなっているし、部活動ごとにそういったグループが存在し同じ部活動仲間でつるまざるをえない状況も多い。

 

ようするに孤立したくないし、将来のことが心配だから部活動を辞められないというのが真相だ。

逆に言うと孤立せずに居場所があれば、別に部活動なんて必要ないし辞めても良いとも言える。

 

だからこそ帰宅部であっても孤立しない方法というのが今の時代必要とされているのではないか。

自分の経験がその助けになるかどうかは分からない、しかし中高6年間生粋の帰宅部であり続けた自分として、部活動に所属しない学生生活のありかたのヒントとなるものを探っていきたい。

何の役にも立たないかもしれないが、もしどこかに孤独に苦しんでいる学生がいるならば少しでも助けになりたいし、部活動に入っていなければならないという風潮にも疑問を呈したい。

日本社会はこれまであまりにも部活動を神格化し続けてきたのだろうし、部活動前提の社会構造をいよいよ変えていかなければならない時代がやって来た。

 

まず前提として自分は中学、高校とも一切部活に所属せず俗にいう帰宅部であり続けた。

もはや「帰宅部のエース」といっても過言ではなく、帰宅部でエースナンバーの10番を背負い続けたことは誇りとなっている。

授業が終わった後すぐに帰る時のスピードというのはベイルやロッベン、モハメド・サラーですら追い付けない物があり、混雑する廊下を駆け抜けるドリブルのテクニックは誰にも負けない物があった。

スピードとテクニックを兼ね備えた突破力という意味ではメッシに匹敵する才能があったと今でも自負しているし、伊達に帰宅部のエースであったわけではない。

浅野拓磨ごときが日本代表を担うスピードスターだと持てはやされる風潮は疑問であり、帰宅するスピードでは自分に追い付けないのに何を粋がっているのかとやや不満を感じている。

 

更に言えば高校時代、本来はカリキュラムに含まれていない夏休みや冬休みの補習授業が同調圧力によって出席せざるを得ないケースもあった。

そんな場合でも登校したあと秘かに帰るときの裏に抜け出す駆け引きも自信があった。

見つかれば報告される極限の状況下で、教職員というディフェンダーと駆け引きし、いかに家というゴールに帰るか、それは常に勝負の連続だった。

この窓から抜ければ見つからずに済むというわずかなスペースを見つけ裏に抜け出す、そういったディフェンスを欺く悪知恵は無駄に働いた。

インザーギ並のマリーシアを身に着けていなければ帰宅というゴールは得られない。

なお知恵を勉強ではなく帰ることに使い過ぎた結果、受験には失敗した模様

 

俳優の窪田正孝は撮影の後すぐに帰ることで共演者から驚かれるようだが、いつのまにか現場からいなくなっているという「消える動き」、これに関してだけは彼に対抗できる唯一の特技だ。

帰宅日本代表に関しては窪田正孝と自分はポジション争いができると自負している。

 

そんな冗談はともかく、帰宅に情熱をかけていた自分としては放課後どころか休日にまでやりたくない部活動をブラックな環境でせざるを得ない人たちがかわいそうだし、どうしてもやめたいなら「辞めてええんやで」と胸を張って言いたい。

 

そして部活動を辞めれば孤立するのではないかという不安に対しても、それはあり得ないと後押しをしたい。

余りにも長い前置きの後に、簡潔にその孤独にならない方法というのを主に3つ提示してみようと思う。

 

1:帰宅部であることをネタにする

2:オタクや趣味を極めろ

3:学校以外にも居場所がある

 

1つ目はまず帰宅部であることは一切恥ではないし、むしろ笑いにすれば人は案外受け入れてくれるということだ。

変に部活をやっていないことや辞めたことにに後ろめたさを感じることは無い!

自分の中学時代、田舎の学校という事もありまだ部活は実質的に全員入るということが暗黙の了解だった。今でもまだ部活は入らなければならない物だという風潮が根強い校風のところは多いのではないだろうか。

高校では受験勉強に集中するため部活に入らないという選択肢を持つ生徒は多かったが、中学では部活に入らない自分は異端児のような存在だった。

 

なぜ自分が部活動に入らなかったかといえば、それには最大の理由がある。

元々小学生時代に一時習い事をしたのだがこの時の体験が本当につらく、もうこれ以上の事はできないと感じたことが原因だ。更にそのスポーツ少年団の活動は週に2日程度の物でしかなく決して厳しいものではなかったのだが、それにすら耐えられなかった自分は中学の部活など明らかに無理だと悟った。

その結果、自分は帰宅部人生を全うすることになる。

 

現在でも学生時代部活動で何をしていたかという話になることは多く、部活動時代の経験というのは大人になってから話のネタになることは有り触れている。

日本社会において部活動経験というのは大人になってからも付いて回る。

元帰宅部としてはそれは触れて欲しくない黒歴史のような物だが、自分はむしろ積極的にネタにしている。

学生時代も別に部活動に所属していないことに対するコンプレックスはなかったし、帰宅部として堂々としていれば案外上手く行く事は多い。

部活をやっていなかった時期というのはむしろ、話のネタには困らない濃密な時間だったと言える日が来るかもしれない。

 

基本的に自分は前述の小学校時代の経験から、そこまでクラブ活動を熱心にする必要はないと考えていた。楽をしたいしもう二度とあんな経験は嫌だから、どれだけ進学や学校内の関係におけるメリットがあるが面倒で大変な物はもう勘弁だという考えか根底にあった。

人間というのは自分に合わない無理な物はできない、そのことを自分は中学進学した時点でなんとなく理解していた。

仮に自分に本当に合う部活動があったならば入っていたが、どうしても地方の中学では魅力を感じるところが無く、やりたくないのであればやらないという結論に至った。

 

どうしても日本人は何の部活をしていたか、何の仕事を今しているかということで人間のアイデンティティを評価しがちだし自分自身を規定しがちだけれども、肩書でしか判断できない人こそむしろ何もない狭量な人々だと割り切れば話は簡単だと考えることだって出来る。

「俺、私?何もしてないけどね笑」とあっけらかんとしていればいい。

ジャニーズの嵐だってトラブルメーカーで「あっけらかんでいいんじゃない」と歌っている笑

あっけらかんとしていれば意外と行けるし、そもそも部活動なんて文化があるのは世界的に見て少ない。かつての部活や今の職種、国籍、年齢、人種、こういった分かりやすい肩書で人間を判断する風習に日本人は染まり過ぎていて息苦しくなっているように思うのは自分だけだろうか。

理解しやすいものしか受け付けないという考え方の先にあるのは終わりなき対立でしかない。

 

2つ目は「オタク趣味を極めろ」と言う事で、これは今の時代に一番マッチしている手段なのではないかと思う。

自分はクラスの中心人物や人気者というわけでは決してなかった、だけども趣味で会う仲間というのはいて今でもその関係というのは失われていない。

更に言えば今の時代むしろオタクや趣味や面白い事に通じている人というのはリスペクトされ人気者になれる可能性に溢れている。

 

オタクが日陰者だった時代は終わっていて、むしろ今の時代何かしらそういった趣味を持つことが普通な時代になっている。

まだリア充文化の権威がかろうじて残っていた自分の時代ですらわりとゆるく、結構オタク趣味を持っている人が多かった。

それが今では不良が絶滅しむしろオタク文化が分かっていないといけないという時代になって、オタク的な人にとっては行きやすい時代になったし、逆に流行を追いかけるリア充文化が意識高いと思われる時代だ。

 

そういう時代だとむしろ自分の好きなことを真剣に極めている人というのは「アイツすげぇぞ」とリスペクトされる存在になってきているのかもしれない。

何かしらのジャンルに詳しい人はむしろ面白がられて必要とされる。

当時の自分を振り返って「昔の自分だいぶ浅はかだな」と今では反省しているけれども、それでもその田舎の中学の中ではレアな知識を持っている存在として、一目置かれているのか、単純にイカれてる人間と思われていたのか、とにかく良くも悪くも存在は認められていた。

 

運動部に入っている部活生もさすがに部活以外の時は自分の好きなことを息抜きとして話したいわけで、こういうときオタク的なことに詳しい奴は意外とリスペクトされる。

なぜかサッカー部のリア充と小学生時代に好きだったというガンダムの話で盛り上がったり、そもそもサッカー部の中にもオタク的な奴がいて、そいつがその内部活辞めたりなんてこともあった。

 

まして今の時代ネットが普及してむしろオタク文化が主流になっている時代、もはや男子は運動部に入っていないとダサいなんて時代でもなくなってきている。

元AKB48の島崎遥香は「野球部の汗が嫌、サッカー部やバスケ部の汗は爽やかだけど、帰宅部のほうが好き」みたいなことを語っていて、運動部=モテるリア充、という従来の価値観すら崩壊してきている。

それは昨今の俳優に求められる顔の要素の変化にも表れていて、もはや男がイキればモテる時代が終わり、そういうのが暑苦しいと見なされる時代が到来している。

今の時代一番モテるのはダンスで、かつては陰キャの象徴だった将棋が今や市民権を得つつある。

 

ジャニーズの松村北斗というメンバーが、わりとイキってる感じのグループの中で1人だけ友達少ない地味なキャラとして浮いていたら、逆にそれが人気になる時代なのでもは女子の陰キャ化も進んでいる。

汗かかない帰宅部のほうが清潔感があると感じる島崎遥香や、友達少ない方が自分のことに時間を使ってくれるのではないかと考えるジャニーズファンのように、今や女子の好みが変わりつつある。

交友関係広いアピールが逆に嫌われたり疲れたりする時代に、本当に好きな物でしかつるまない濃い人間関係が評価されているのではないか。

 

そもそもジャニオタという言葉のニュアンス時代が変わりつつある。

自分の時代はまだジャニオタといえば侮蔑的で気持ち悪いイメージだったけれども、今ではむしろ自称する人が増えたし結構おしゃれな人も増えてこちらもまた市民権を確立している。

アイドルにしか居場所が無い人という従来の感じから、むしろフツメン化が深刻なジャニーズ以上にイケメンな彼氏なんて余裕で見つけられるだろ、という人がなぜかジャニオタをやっている時代だ。

 

今の時代女子で意識高くテニス部やバレー部のキャプテンしてる人より、ジャニオタ極めてるとか、男性声優とかTWICEのこと詳しいなんて子のほうがクラスの人気者になれるような気がする。

自分の頃はまだジャニオタはガチでヤバイ奴だったし、隠れキリシタンみたいな扱いだった。だからこそあえて世間の風潮に対する反発の意識も高かったし、自分の個性やアイデンティティを強く持とうとしていたのではないかとも思う。

それほどに近づきがたく怖いジャニオタが昔は存在したので、今のジャニーズファンにも見習ってもらいたいところがある。

なおその人が今も八乙女光を応援しているかは消息不明の模様

 

部活動に入っていなければならないという価値観も変わり、これから帰宅部という道を選ぶ人も増えるだろう。

その余暇時間があれば自分の趣味を極めて、面白いことに詳しい人という地位を確立すれば居場所を得ることができる。

そしてその自分を羨ましく感じ、部活を辞めたいと思う人がいるのであれば思い切って辞めてみればいいと相談相手になることだって可能だ。

部活をやっていない自分を見て、ブラックな環境から抜け出すきっかけにしてもらえれば、それは大きな意味を持つ事にもなるかもしれない。

最初は誰もが部活をやっていたとしても、部活を辞める勇気を提示すれば同じような仲間は増えてくる。そういった小さなことから世の中は変わっていくはずだ。

 

そしていよいよ3つ目の「学校以外の居場所がある」という最後のテーマに移る。

そもそも今の時代、もう学生であっても学校以外の居場所がいくらでもあるし、社会人であっても職場以外の居場所は存在する時代になっている。

人間個人が一つの決められたい場所にいなければならないという時代は終わり、自分にあった場所をフレキシブルに柔軟に見つけ出す時代が到来している。

 

自分が帰宅部だった学生時代に起きた最大の問題といえば大きく言えば2つある。

・人間関係の変化

・生活リズムの変化

 

人間関係の変化といえば、これは小学校時代普通に学年関係なく仲良くしていたのに急に中学に入った途端大人ぶって上下関係大事にして言葉使い意識し始めた同級生に対する違和感で、これは知っている人が社会人になった時の変化にも通じるものがある。

 

そういった変貌はともかく、部活動に入っている人とそうでない人で最大に分かれる問題といえば生活スケジュールに顕著に表れる。

端的に言えば放課後や休日の使い方に違いが生じる。

 

自分が帰宅部で、周りが部活をやっているときに一番感じた変化は放課後の違いだ。

小学校まで普通に放課後は遊んでいたのに、中学になると皆部活動に忙しくなる。

ブラック部活動で問題視されているように、夜遅くまで部活動をやり、そして休日も練習に費やすということが日常になる。

 

自分は悠長に放課後も休日も過ごしているのに、かつて親しくしていた仲間は忙しく、結果的に疎遠になる。

そういう時、部活動に入らなかった人間は必然的に疎外感を感じる。

 

しかし自分はこの時一切孤独を感じることなく、むしろ人生の絶頂期とも言える昂揚感を味わうことになる。

なぜならば自分にはインターネットという空間があったからだ。

最大速度で家に帰る理由も全てはネットが目的であり、放課後も休日もネットに入り浸った。当時の自分にとっては全てが刺激的であり、何もかもが面白く見えた。

 

とにかくネットが面白すぎたから、現実の部活動という閉鎖的な社会にこだわっている他の生徒たちのことが自分には意味不明に思えた。

今では部活動での経験が後に役立つことや、それを経験していなかったことに対する後ろめたさも理解できるようにはなったが、当時は楽しくて仕方がなかった。

まして今やネットがこれだけ普及している時代に、現実に固執する必要もないと言えば嘘ではない。

 

更に部活動改革によって、学校外部の習い事なども見直されてきている。

これは地方では難しい問題ではあるし、現に自分の地元の学校では部活に変わる以上の習い事は存在しない。送迎や交通の問題も考えれば、やはり放課後同じ場所で行える部活動というものは現実的な選択肢になり得る。

 

その一方で部活動以外の放課後の過ごし方というものが今後クローズアップされれば、事情は変わってくるかもしれない。

自分のように学校が終わったら部活なんてせず、即座に帰宅してネットしてれば楽しいという生き方は10年経って理解されるようになってきた。

今の学生の中には「部活とか疲れるだけだし、さっさと家に変えてユーチューバー見てる方が面白い」なんて考え方をする層は大勢いるだろう。

 

また特に地方では学校自体が縮小傾向にあり、少子化によって廃部せざるを得ない部活動も増え、選択肢自体が狭まっている。人気スポーツにだけ人員が集中し、他は廃止となればどうしてもやりたい活動自体が無くなる。

こういう事情の中で無理に少ない選択肢に中から、それでも入部しなければならないというのはもう現代の時代に合わない。 

 

部活動以外の外部の習い事が充実していくことは理想だが、これにはまだ時間が必要であると同時にこれからの時代にとっては大きな可能性もある。

今後その形を模索していかなければならないだろうし、新しい時代の未開拓地ともなり得る。

従来の部活動以外の場所が誕生するのであれば、それは新しい人材の育成を実現し得る環境、そして市場としての価値の両方の側面を持っている。

日本のこれまでの文化を見れば、ドラマ、映画、アニメ、漫画などをみても部活動は青春であるという価値観が根強い。

しかしそういった文化面でも新しい価値観が芽生える時代になっていくかもしれない。

もう部活動だけが青春であるという時代ではなくなってきている。

 

新しい時代のクラブやサークルができても良いし、個人がもっと自分の好きな自由時間を有意義に使う事にも可能性は溢れているし、もちろんゆったりと時間を使う事も自由だ。

その個人の時間から何かが生まれるかもしれないし、今までの社会はその可能性に溢れた時間を軽視しすぎてきた。

 

 

部活動をしなければ孤立する、学生らしい生活を送れないというのは一種の強迫観念であるかもしれない。むしろ孤立しても良いし、学生らしくなくても良いけど、楽したいという考え方だってありだ。

そしてそこから新しい可能性が始まることもある。

どうも今の世の中は誰かが決めた理想像に追い付きたどり着けないことを認めない風潮があるように思うし、むしろ世間や周りの視線よりも自分自身が自分を責めてしまっているように見える。

そういったことも含めて部活動だけが問題視されているというよりも、不自由さとか不寛容さとか、その背景にある物への本質的な問題提起がようやく始まろうとしているのかもしれない。