elken’s blog

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なろう作家はなぜ同じ内容ばかり書くのか

小説になろうというサイトがある。自分のオリジナル小説を投稿するサイトであり、ここから出世して実際に小説を出版した作家は多く俗になろう作家と呼ばれる。

そしてこの小説になろう、とにかく同じ内容のものが多い。

どれもこれも異世界物であり、ハーレム物であり、妹ものである。それらはたびたび批判され「悲報:なろう作家さん○○」というようにもはや嘲笑の対象になっている。

 

しかし自分は創作をネットで公開する立場として彼らを擁護したい。自分は小説になろうに投稿しているわけではないが創作をネットで公開している。そこで誰もが現実に直面する。そういった現実を自分が投稿する立場として知るとなろう作家のような心理に陥ってしまう。

自分も何もやってない頃はなろう作家ってなんでこんなオリジナリティがないんだろうなとか、人の真似をして流行に飛びつくことしかできないなとか思っていた。

本当にやりたいことをやって評価されることを目指せよ、と強気に思っていた。

しかし現実そう簡単には上手く行かないのである。

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1:本当に好きなことをやれば評価されるというのは幻想

なろう作家の全員がああいった俗物的な小説を好きで書いているわけではない。誰もが最初は理想にあふれていた。自分はこういう小説を書きたいという哲学がありその道を貫くことを目指していたしアイデンテイティを持っていた。

しかしその現実は過酷な現実につぶされる。

結局自分が好きなことをやってその道で評価されるのは一部の天才だけなのである。スポーツの世界でもそうだが誰もが最初は花形のポジションから始める。地元の天才も子供のころはエースだ。しかし徐々にレベルが上がっていくごとに地味なポジションに移されていく。現在の地味なポジションのプロ選手も子供のころは花形ポジションでエースとして活躍していたという事が多い。そうやって現実に適応していかなければならない。

それと同じで小説を書いていた頃は誰もが自分の好きなものを描いていた。しかしそんなものを投稿しても反応もないし生活費の足しにもならないのである。

ネットというのはとことんマイナーな創作に対して厳しい。検索機能があるサイトではとにかくメジャーなものが目に付く。そしてみんながそこに集まる。

マイナーなことをやっていても誰も来なくて閑古鳥が鳴きひたすらさびしい。とにかく虚しい。そんな極寒を体験すると「好きな物なんてやってもくだらない」という考えになっていく。

そして人気ジャンルをやったほうが効率がいいという判断になっていく。反応も応援もなければ生活費も得られない。マイナーなところで頑張っても無駄、そういった考えが芽生えていく。

 

2:世の中需要が全て

結局世の中需要である。

いくら創作を公開しようがそれを求めている人や検索をしている人がいなければ誰も集まらない。需要以上の人が集まることはないのである。その需要自体が限界。

その限界を超えることはほとんどない。その小さなパイの中でいくらやっても無駄。地方の閑散としたところにお店を開いてもお客さんそのものが来ないのだから仕方がない。それよりはとにかく人通りの多いところにお店を出してとにかく入ってもらうしかない。

ネットの世界に置いては需要が正義だ、その不文律には逆らえない。もとめられていなければどうしようもないのである。検索してる人がいなければどうしようもない、それが真実。

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3:作家にも生活がある

人生はきれいごとではない。どんな文章を書くにもどんな絵を描くにも生活をしながらやっている。当然生活費もかかる。その時間を割いて懸命に創作をしている。

ある意味お金と時間をかけてやっている投資ともいえる。

飲まず食わずでやっているわけじゃなくて日ごろの生活費も必要だし、小説やイラストの執筆だって飲まず食わずでやれるわけじゃない。ちょっとはお菓子でも食べたいし、何かを飲みながらやると効率が上がったりする。でもそれもタダじゃない。

機械がやってるわけじゃないし急にポンと作品が誕生するわけじゃない。人間が作ってるし書いてる。

そしてそうやって懸命に描いた物がマイナージャンルで誰も見てくれない、誰もコメントしてくれない、誰も買ってくれない。

こうなるとやってられないってなるのは仕方がない。

 

4:マイナージャンルなんて誰も認めてくれない

ネットというのはとことんマイナージャンルに厳しい。皆メジャーなところに集まる。これはもう変えようがない事実である。しかしそんな中でもわずかながら集まってくれる人がいる。

中にはそういうマイナーなジャンルを調べてる人もいる。ただその限られた人のほとんどがそれほどマイナージャンルを認めてくれない。

需要を切り捨てて本当にマイナーな事のためにやっているにもかかわらず、それを認めてくれないケースがほとんど。本当は生活や自分の将来のためにもっと人気なことをやった方が良い、でもあえてマイナーに拘ってる。その姿勢自体がもっと評価されてもいいのにそこがあまり認められない。マイナーなことをやってるのはマイナーなことをやってるだけで素晴らしい事。でもそれをなかなか認めてくれる人はいない。まして支援はしてくれないだろうし、閑散としているジャンルではなかなかコメントもしてくれない。結局儲かるのはメジャージャンルじゃん、となってしまう。

反応もなけりゃ支援もねぇ。これがマイナージャンルの現実。

マイナーなことをやってる人を応援したりそれを紹介したりという文化がない。それがマイナーなことをやっている人にとってどれだけ大切でありがたいか。でもそういうことをマイナーなことをやってる人はほとんど言わない。黙っていつか評価されるだろうと黙々と腐らずやってる。

だけど結局評価されない。

書くことについて (小学館文庫)

 

その結果ダークサイドに陥って人気ジャンルばかり書く絵師や作家が誕生する。だれもが最初は純粋な理想家だった。だけどその理想はこの世知辛い世の中では成就しない。

どれだけ美しく文学的素養にあふれた小説を書いても、馬鹿っぽくハーレムやってるものに勝てないんです。いわば小説になろうというのはみんな即自的な欲求を求めにやってきてる。てっとり早く自分のハーレム欲求を満たしたい人しかもはやいない。

 

かといって他のサイトにいってもそもそも見てる人が少ないし、出世ルートが確立されていない。そういう荒波でやっていけるのは一部の天才だけだし生活がある。結局並の人間は俗物的なことをかいて、人が多く見てるなろうで馬鹿っぽいことをやるぐらいしか小説で食っていけない。

それに馬鹿っぽい小説でも書いてそれ名を売って、自分が今までやってきた小説や創作に注目も集まるかもしれないという打算もある。

皆現実的な手段をそうやっていかないといけない。

 

なろう作家も現実の世界で生きてる一人の人間だし、ネットで創作を投稿してる人も食べ物や休息が必要な人間。機械のように作ってるわけじゃない。懸命に働いて、空き時間で創作をして誰からも評価されないしお金も入ってこないじゃどうしようもないしやる気も無くす。

そういった現実の中で苦渋の選択をしているのがなろう作家なんじゃないかなと自分は同じ創作をしている人間として思う。自分自身小説家になろう作家の小説のタイトルをみただけで嫌悪感を催すし読もうとも思わないが、決して批判しようとも思わない。

全員が最初から人気ジャンルに飛びついてるわけじゃないしそんなタイトルで最初からやっていたわけじゃない。

シビアな現実の中でそういうことをするしかなかった。

中にはそういう過去を抱えた作家もいるという事ももっと知られるべきなのかなと思わずにはいられない。彼らの苦労にもう少し光が当たっていいのかもしれない。