elken’s blog

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シャビ・エルナンデスVSアンドレア・ピルロ 世界最高の司令塔はどちらか?

サッカーの歴史上に名を残すパサーや司令塔と言えば元スペイン代表のシャビ・エルンナンデスと元イタリア代表のアンドレア・ピルロを語らずにはいられない存在だ。

ともにワールドカップ優勝を経験しておりチャンピオンズリーグの優勝も経験している。そのチームにおいてまさに核となる存在であり真にチームに影響を与えていた重要な存在だった。サッカーというのはどうしてもゴール数の多いフォワードが注目されるが良いフォワードがいるだけではワールドカップでは優勝できない。

逆にワールドカップ優勝チームには必ずと言っていいほど名司令塔が存在する。

2010年大会スペイン代表で優勝したシャビ

2006年大会イタリア代表で優勝したピルロ

ワールドカップ優勝チームに世界最高の司令塔が在籍していたことは偶然ではない。

そうパサーやゲームメイカー、プレイメイカーこそがサッカーを左右しチームの成績を左右するのだ。現代サッカーにおいてその戦術の構造を根底から創造するパサーの存在は欠かすことができない。90分間にわたり常に影響力を発揮しその勝敗を左右する。一見すると彼らのスタイルは派手ではない。

ワンタッチパスでさばくことや2タッチ、3タッチで少しキープするだけで強烈な打開力もなければゴール数もそれほど多くない。サッカーを見始めたときにはなかなか気づきにくいが、サッカーに詳しくなれば彼らの存在価値の大きさが理解できるようになる。全てを根底から創造すると言っても過言ではない。

 

しかし彼らのキャリアを振り返ってみればそこには無数の実績がある。数えきれないほどのタイトルやトロフィーがありこの2人の在籍していたチームの黄金期はまさ彼らの全盛期と完璧なほど一致する。

スペイン代表やバルセロナの全盛期はシャビと共にあった。

イタリア代表やACミランユヴェントスの全盛期はピルロと共にあった。

この2人の特徴はその頭脳にある。考えてプレーする頭脳明晰な司令塔としての能力が非常に高いため広範囲、そして長期間にわたってチームに影響を与えた。屋台骨、扇の鼎としての役割が彼らにはある。サッカーにおける司令塔とはそのような存在だ。さりげなく、そして重大にチームに影響を与える。

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そして歴史上最高との司令塔もいえるシャビとピルロ

この2人のどちらがパサーや司令塔として上なのかという比較が存在する。

その比較は個人のサッカー観が大きく現れ似ているようで似てない選手ともいえる。

この2人最大の違いはやはり試合中のパスの本数の違いであろう。明確にデータとして違うのはパス本数だ。シャビのほうがよりパス本数が多く、ピルロのほうが少ないという特徴がある。そしてこの違いこそ彼らのプレースタイルはチームの違いを示している。

シャビはバルセロナやスペイン代表でよりポゼッション志向のチームを作り上げていたがピルロはよりダイレクトなロングボールの供給を主眼に置いていた選手だった。

つまりピルロは一本のパスで局面を打開することが多く、シャビは手数をかけて局面を打開することを狙う選手である。この2つのプレースタイルの特徴を言うならば未来予測能力のシャビ、空間認識能力のピルロということになる。

シャビは数本のパスをかわし3,4手先を読みプレーすることが絶妙に上手い。

そしてピルロはピッチ全体の空間認識能力を把握するプレーが絶妙に上手い。

そのプレー状況の未来を想像するシャビと、空間を把握するピルロという最大の違いがある。もちろんシャビにも高い空間認識能力がありピルロにも高い未来予測能力が存在するが得意分野は違ってくる。シャビの本職は未来を予測することであり、ピルロの本職は空間を認識することだ。シャビは計算型、ピルロは想像型と言えるかもしれない。頭の回転が速いシャビと、空間のイメージを得意とするピルロ

当然ながらシャビにもイメージ力があるし、ピルロにも計算力がある。しかし僅差でシャビがピルロの未来予測能力を上回り、ピルロがシャビの空間認識能力を上回る。それらはスペインサッカーイタリアサッカーの違いを表している。近年のスペインサッカーはポゼッションや連携による局面打開、そしてイタリアは伝統的に得点能力やカウンターを重視した1点の重みを重視するサッカーをしている。スペインとイタリアそれぞれの風土から事なったタイプの司令塔が同時期に現れたことは時代の幸運だった。この2人の司令塔対決は有名なフォワードのゴール数争いより注目度は低いがしかし彼らの場合そのタイトル数やトロフィーの実績を競い合っている。ミッドフィルダー対決というのはフォワードのゴール数対決以上に重要で価値があると言えるかもしれない。