ガンダムも仮面ライダーも古くからあるシリーズで少し大人っぽい内容で戦いをテーマにしている。
初代のガンダムとライダーが伝説的な存在であり、昭和と平成で区分されるところも似ている。平成ガンダム、平成ライダーという言われ方をすることがあるように時代をまたいだ昭和から存在する歴史あるコンテンツだ。仮面ライダーは1971年スタート、ガンダムは1979年スタートであり世代的にも似ている。
しかし現代になってその明暗が分かれている。
本来ガンダムより古いはずの仮面ライダーは今も子供受けしており古いイメージがほとんどない。子供にも人気で客観的にも古いというイメージはない。しかしガンダムはもはや閉じコンのイメージがあり昔からのファンしか見ていない印象がある。
この背景には仮面ライダーが大胆な改革を行い、初代からの根本的な内容を変えていったことにあると指摘されている。
例えばガンダムにおいて敵のモビルスーツを撃墜したらほぼそのパイロットは命を落とす。稀に生きていましたというパターンはあるがそれらは優遇された主人公や主要キャラがほとんどであり基本は戦争なので当たり前の人が死んでいく。
中には大量破壊兵器を使うシーンもあり数十万単位での人命が失われ、都市化が壊滅する。
しかし今の仮面ライダーは敵を倒すことがむしろ敵の救済になる。相手を倒すことに罪悪感がなく、葛藤するようなシーンもない。戦う事や相手を倒すことは悪い事でありガンダムはそこに葛藤するシーンがあるが仮面ライダーはそもそも戦うことが悪であるという認識自体を設定を変えることによってそもそも存在しないことに成功させた。
敵を助けるために倒す、殺しても罪にはならない展開で敵を倒すことが今の子供たちにとっては見ていて楽しい物であり、主人公が葛藤する陰気なシーンは見ていて楽しくない。
これは大河にも同じことが言える。真田丸のようにいわば爽やかに戦をしていたフィクション寄りの作品は視聴率が高く、戦の世の中で相手の命を奪う事に葛藤する雰囲気が全体的に漂って陰気な作品は視聴率が低い。
子供だけでなく大人もどこかで戦いが悪いことだという認識があるために、「これは良い戦いなんだ」と思って見ることができる作品は爽快感がありカタルシスを得られる。
戦争が悪いという事は誰もがわかっていることであって、バトル物でそんな葛藤を延々と見せられたら爽快感がない。それならば戦いが悪い物だという世界観自体を崩して「このルールやこの世界の中では倒していいんだな」という認識にすることで見ていて楽しいものになる。
ガンダムは本来そういう戦争の中での葛藤や大きな戦争の中の1人の人間ということを描く作品としてスタートした。富野由悠季はまさにそういう事を描くのが得意な監督でありそれが当時の時代では受けた。
しかし今の時代バトル物で爽快感を得たい視聴者にとってそれはむしろ面倒な要素になっているという指摘がある。要するに今の子供たちや若いアニメファンは主人公が陰気に戦いに葛藤するのを見るのが好きではなく俺つえええというゲーム感覚を満たすためにアニメを見ている。小難しいことを考えるは面倒な事であり主人公が戦って勝てば皆ハッピーじゃないか!ヒロインも喜んでくれる!それでどんどんモテる!ということに喜びを感じて物語を見る。
ガンダムに足りない要素はもしかしたらその爽快感なのかもしれない。
ガンダムで相手を倒しまくって犠牲者が出ると、必ず相手の犠牲者側にも家族がいるんだよ的な描写がされてこの戦いで悲しむ人もいるんだなという描写が出てくる。
勝てば皆ハッピーでモテまくって俺ハーレム!みたいな展開はない。
むしろガンダムでは寄ってきた女キャラがその後死ぬ。
ガンダムSEEDではフレイは死んだ、DESTINYではステラも死んだ。
まだ一応ちょっとはモテてただけそれはマシである。
それどころかモテない作品も存在する。
ガンダム00の刹那・F・セイエイの場合一瞬女にからかわれただけで、基本は男にモテるかそもそも主人公自体が女に興味がなくガンダムラブである。
一体この作品のどこに爽快感があるのだろうか?
ガンダムファンとしてはこの独特な世界観が好きではあるが、自己願望や幸せを満たすため、そしててっとり早い爽快感を得るためにアニメを見ている今のアニオタ層にとってガンダムはひたすら陰気で悲しい作品である。
戦ってハーレムを形成できるという見返りもなけりゃ、英雄にもなれないしむしろ英雄になる系の主人公はガノタから総叩きを食らう。戦う事に見返りがないどころかむしろ主人公はどんどん不幸になっていく。ガンダム主人公で幸せになったキャラがほとんどいないのが現実だ。
しかしアニメを見て擬似的な幸せを得たいから見ている今の若いアニメファンや子供たちにとって、アニメをみて逆に不幸になることはあってはならない事なのだ。
子供ファンは戦って英雄になりたい、中高生ファンは戦ってモテたい。
子供が英雄になった気分を味わうには仮面ライダー、中高生がモテた気分を味わうにはラノベアニメ。今はこの構図になっている。ガンダムの出る幕はなくなってきている。
戦う事の喜びや見返りを提供するのが現代のアニメや特撮であり、ガンダムはそれを提供してくれないどころかむしろ不幸になったり戦いが悪いことだと教えられる。
仮面ライダーは改造人間という設定を時代に合わないという理由で廃止し作品全体を明るい雰囲気にした。ときどきシリアスな話が出てくるという内容にして前述のように戦う事は誰かを救うという構造に変えた。
そしてこれが見事に子供たちに受けて、最新の物として受け入れられている。
ラノベアニメにしても戦う事でかっこよくなれるし、女性キャラにモテまくりハーレムを形成できるという欲求を満たすことに特化し中高生ファンに受けている。
日常アニメ的な明るい雰囲気という基盤の上で、戦う事で誰かを助けて役に立てる、戦うことに悩まずに済む、そういう理想世界がある。
今のアニメにはそういう現実には存在しない理想の世界が必要になっている。
現実の残酷な部分も描こうとするガンダムだが、そういったところは見せないでほしいというのが今のアニファンになっているためにその試みは受けない。
何か難しい物や過酷な現実を見るために見たいわけではなくて楽しみたいからアニメを見る。勝って喜びたいし、勝ってモテたい、それが正直な感情なのである。
シン・アスカがフリーダムを撃墜して喜んでドヤ顔をしてたらいきなりアスラン・ザラに逆ギレされて殴られて険悪な雰囲気になる作品はそれとは対極だ。
キラ・ヤマトが相手を倒した後に「僕は殺したくなんかないのに」とむせび泣きながらエンディングに入る作品はとにかく陰気である。
「あれこれ悪いことしたのかな?」「やっちゃいけないことやっちゃったの?」という雰囲気になってどこか爽快感がない。ガノタ的にはこれがいいんだけども今の時代ちょっとそれが受けない時代になってきているのは事実。
じゃあとにかく戦争を美化しよう、戦争で勝つことはその国の英雄になることでありその国の人の多くの人命が守られるという内容にしたらどうだろうか。
しかしこれはもしかしたら反戦団体からクレームを受けるかもしれない。
ひたすら楽しい戦争をやりますという作品、それもどうなのかなというのはある。でも前線の人間からしたらうれしいわけで、ドイツ軍も快進撃を続けてる時は楽しくて仕方がなかっただろうし、ソ連軍がベルリンを陥落させたときや、アメリカ軍がパリを解放したときはうれしくて仕方がなかったに違いない。
戦争にもやっぱり楽しい部分はあるわけで、それを無いものだと否定することは歴史を見誤ることにもなる。ガンダムはあまりにも戦争の負の側面を伝えることに執着しすぎてきた。
「戦争には楽しいときもある」これは紛れもない現実で、いう事には勇気がいるけど事実は事実。
その代りものすごく辛い事や大きな悲しみもある。
その両面を描くのはどうだろうか。
嬉しいときはうれしい物として描けば仮面ライダーやライトノベルのように楽しい作品になるし、もちろんそれだけじゃないよという事も描けば戦争美化アニメとは言われない。ちょっとガンダムを振り返ってみたときにあまり喜んでいるシーンに覚えがない。陰気と言えば陰気な作品だよなとは確かに思う。
仮に喜んでるキャラがいたとしてもそいつは何か悪役であることが多い。たいてい勝って喜んで戦争楽しんでる奴は小物キャラで後に退場する。
今風にガンダムを作りかえるならば、フリーダムを撃墜した後シン・アスカがレイやルナマリアと喜ぶ描写にもう少し時間を使ってもよいのかもしれない。
自分の持論、解決策をまとめるとするならばバランスを大事にして両方の要素を配合するべきではないかということになる。完全に仮面ライダーやライトノベルのようになる必要もないが、今までのやり方に固執することなく爽快感も入れていくべき。
例えるならばスパークリングワインを作るべきという事である。
若者がワイン離れをしてきているというときに、炭酸を加えたワイン作ってみようという発想。別にワイン自体を変える必要はない。ガンダムはワインのように味わい深いものであるべきだが、それだけでは若者に通用しない。
そういうときに若者が好きな炭酸要素を取り入れてスパークリングワインにしようということだ。ワインに炭酸はありえないだろと当初は批判もあったかもしれないが現代でスパークリングワインは定着している。
伝統的なものに固執することもないが、かといって伝統を捨てるというわけでもない。そういうバランスのいい解決策を今ガンダムは必要としているのかもしれない。