岩橋玄樹、中島健人チルドレンだった
1月11日の少年倶楽部で「新成人にQ」というコーナーがあったけど、岩橋君もう成人なのかぁ~勝利も成人だし時の流れって早い!
そして面白かったのが岩橋が「大人だと思う先輩」が中島健人だったこと。
ちなみにジェシーが大人だと思う先輩が北山宏光で、萩谷慧悟が大人だと思う先輩が中間淳太らしい。
河合郁人「アイツに騙されてるんだよ!」
ジェシー「河合君は一番悪い先輩ですよ笑」
このくだりは面白かったし、萩谷慧悟は「他のメンバーがすごいボケるじゃないですか、それを一気にまとめるのが凄い」と言ってた。自分もジャニストで一番好きなのは中間淳太なんだよね。なんか本当に大人っぽくて博識だし突っ込み能力とかまとめる能力もすごいし、常にジャニストのキャラの濃い強烈なメンバーたちをうまくまとめてるよね。
そしてその淳太君がさらに尊敬してるのが櫻井翔。櫻井すげええ
そして岩橋玄樹への質問
河合「岩橋はどんな大人になりたいですか?」
岩橋「僕はですね、ずっとピュアな心を持っていたいです。大人の礼儀とかもあるとおもうんですけど、いつまでも子供の夢のようなファンタジーの気持ちを忘れないでいたいです。」
河合「大人だなって思う先輩っていますか?」
岩橋「そうですね、僕の中では健人君ですね。アイドルらしさというか子供より本当にピュアな心を持っているというのが画面からも伝わってくるので本当にああいう存在になりたいなって」
河合「いくつになってもキラキラを忘れずにね」
岩橋「そうですね、生涯アイドルって決めてるのでその気持ちを忘れずに新成人を迎えたいです。」
中島健人、子供よりピュアだと言われる笑
たしかにケンティはそういうところがある気がする。いい意味で子供っぽいシーンがあるよね。遊戯王カード好きだし、ラジオでもポケモンの話題ちらっと出したりアニメ口調みたいなのでしゃべる時とかほんと面白い。よく演技が大げさだからドラマより舞台向きって言われるけど、それもある意味子供よりピュアだから!?
そして岩橋君のケンティへの心酔っぷりがここまで高かったとは!大人だなと思う先輩で真っ先に中島健人を上げるっめっちゃ尊敬してるじゃん。同じセクゾメンバーの松島聡も「行動すべてがかっこいい、なんでそんなかっこいいの?」ってガチ憧れモードで聞いてたし普段から何気ない行動で示してるのがそういう評価の要因なのかな。
そしてその中島健人がさらに尊敬してるのが東山紀之らしい。
東山さんから脈々と受け継がれるアイドルとしての哲学や立ち居振る舞い、それが現代のジャニーズに受け継がれて更にジュニアにも受け継がれてるってすごいよね
そしてこのコーナーでちょくちょくジュニア見るけど、そのジュニアたちも結構中島健人への憧れを公言してることが多い。本髙克樹君とかも健人君かっこいいって言ってたのを見た覚えがある。
ある意味今の少年倶楽部界隈でジュニアたちにとって一番身近な憧れは中島なのかもしれない。そういう中島健人チルドレンみたいなジュニアがいっぱいいる印象
自分個人の意見でいえばこれってすごくいいことだと思う。
アイドルとは何かという事をこれだけ体現している中島健人が少年倶楽部にいることってジュニアの育成という意味じゃ本当にいい。アイドルとしての自覚やプロ意識が尋常じゃないからそういった先輩を見習う子が多いのはファンにとっても絶対いことだし、数年後そういう中島健人チルドレンみたいな子たちが主力になったときジャニーズというのは新しい時代を迎えるかもしれない。
なんでかといったら今って赤西仁チルドレンの時代なんだよね。
赤西仁のカリスマ性に憧れた世代が今の主力になってる。それぐらい赤西の当時の男子への影響力は凄かった。
ただこれも自分の意見なんだけども赤西仁って目指してなれる物じゃないし、真似して何とかなる存在じゃないと思ってる。あのスタイルは唯一無二だしジャニーズ的にはあまり真似をしない方がいい部分がある。結局本人がジャニーズからいなくなったわけだし・・・
赤西だからそのよくない部分さえ自分のスタイルに昇華させることができてたけど、他の人が真似するとよくない部分のほうが出てくるのかなぁと。自分も赤西に憧れておいて言うのもなんだけど、赤西って真似しちゃ駄目だよね笑
正直自分も赤西に憧れてたし今でも赤西仁は凄いと思ってる。でも真似してもできないんだよね。神みたいな存在だから、神の真似をしても絶対に再現不可能。赤西にしかできない離れ業だった。
サッカーでイブラヒモビッチの俺様スタイルを真似してもサッカー選手としては絶対よくないのと同じで、赤西スタイルはアイドルとして真似しない方がいいのも事実。悪い部分のコピーにしかならない。イブラヒモビッチだからあの言動や性格、プレースタイルは許されるのと同じで、赤西だからあの言動やスタイルはかっこよかったし様になってた。
逆に中島健人はどんどん真似したほうがいいと思う。
ジュニアたちにとってまさにケンティーはお手本となる存在でジャニーズとしてもアイドルとしても凄い。そんな最高のお手本と少年倶楽部でジュニアたちは共演で来てる。そうやって中島健人の影響を受けた中島チルドレン世代が新しいジャニーズのスタイルを作っていけば本当にジャニーズにとって好影響だと思う。
そしてそれはたどっていけば東山紀之という真のプロフェッショナルの存在に行き着く。中島健人本人は東山の領域に近づこうとするし、ジュニアたちはその中島健人のスタイルを参考にしてアイドルとして成長していく。その憧れの連鎖ってすごくジャニーズの伝統にとってはいいことだと思う。
正直一部のネット探せばすぐスキャンダルって見つかるでしょ。
インスタでジュニアがAKBとつながってました、みたいなこととかそういうプロ意識に欠けることが最近は目立つのも事実。自分は別に野郎だからジャニーズと付き合いたいと思ってるわけじゃないしそこまでそれを悪くは言わないんだけど、悲しむファンがいるというのもやっぱり事実。それは今の時代特に気を付けないといけない事なのかなと感じさせられる、とくにショックを受けてるファンの書き込みとかを見るとそういうのは見ていて悲しい。
それでジャニーズが盛り下がることになるのであればそれはちょっと反対かな。夢を売る仕事なんだからプロ意識はもってたほうがいいし、本当にデビューしたいならそこはきっちりしたほうがいいと思う。
ファンを喜ばせるからジャニーズはカッコいいわけで、ファンを失望させるジャニーズはかっこよくない。そんな風に自分は思う。
そういう意味で中島健人のアイドルとして振り切っている部分やプロ意識が今のジュニアたちの憧れになるということは素晴らしいことだと思う。中島健人チルドレンの世代が主力になったときはこういうスキャンダルも今より少なくなって、よりプロ意識の高い集団になってるんじゃないかなぁと。
今の少年倶楽部や若手ジャニーズも勿論好きだけど中島健人を憧れとして見ている21世紀生まれのメンバーが育った時どうなってるのかなっていう楽しみがある。
とにかく自分は赤西を悪く言うつもりもないし、そもそも自分が赤西リスペクト人間だけども、アイドルとしてはやっぱり中島健人を見習ったほうがいいしジュニアたちにとって最高のお手本。
そういう意味で岩橋玄樹をはじめ、中島健人チルドレン、別の言い方をすれば東山チルドレンがジュニア界隈にいっぱいいることは凄くいいことだし将来のジャニーズが楽しみだなと思う。
ジャニオタVS声優オタ、ガチでヤバイのはどっち?
どの世界にもヤバいオタクというものはいるもので、そういうヤバイオタクの行動はたびたびニュースになることがある。
そのヤバイオタクの代名詞と言えば我らがジャニオタだろう。
1960年代からヤバイオタクとしての伝統があるジャニオタを差し置いて更にヤバイ奴らはなかなかいない。
ジャニオタ=ヤバイ奴らという図式が成り立つほど世間では危険集団として扱われている。
「アラシックにだけは喧嘩を売るな」「ジャニオタを敵にしたら命はない」と言われるほどの過激派狂信集団である。
しかし自分はそんなジャニオタやジャニーズ文化が嫌いではない。
いろんなオタク文化がカジュアル化してきてにわかっぽくなってきたなかで、未だにジャニオタはコアなオタクとして君臨している。そういう時代にこれだけコアなオタクが存在するジャンルというのは貴重だ。
今の時代腐女子やアニメオタクよりよっぽど濃い存在がジャニオタなのではないだろうか。かつてもっとも危険集団だと思われていた腐女子がファッションオタク化した今ではむしろジャニオタのほうが本物である。
そういうヤバイオタクをリスペクトしているから自分自身ジャニーズファンでもあるし、本来のコアな意味でのオタクというヤバさを持っているから自分はこの世界にも惹かれる部分はある。ジャニオタはいいオタク文化を残しているなとも思うし今一番濃度の高いジャンルと言っても過言ではない。
元々ジャニーズというのは初代ジャニーズにさかのぼり1962年からの伝統があり一朝一夕に誕生したものではない。ジャニー喜多川率いるジャニーズ事務所には昭和の時代から脈々と引き継がれる文化があり、それだけ魅力がある。
この事務所はもうトップからしてヤバイのである。
トップもヤバイし、メンバーもヤバイし、ファンもヤバい。そう簡単に他のジャンルがジャニーズに対抗できるわけがない(褒め言葉)
例えば昔ジャニーズと共演した女性アイドルが当時で言うところの親衛隊にカミソリの刃を封筒に詰めたものを送り付けられるというような過激なエピソードがある。そういうとんでもないエピソードがあるぐらい昭和芸能界の熱狂があった。
その一方で時代というのは変化していく。
昔の典型的なオタクというものは少なくなり、カジュアル化してどの世界も良くも悪くも入りやすくなり、それと同時に広く浅くなってきたのが現代の潮流でもある。
そういう時代にジャニーズというのはある意味昭和の香りを残しているともいえる。
事務所自体が未だに昭和っぽくアナログな文化を残しているし、提供するエンターテイメントもどこか昔ながら物を感じさせる。今韓流が勢力を伸ばしているのはひょっとしたらそういう昔の日本芸能界的な典型的なアイドルの雰囲気を持っているからかもしれない。
結局のところ手軽に見れて「会いに行ける」とか「親近感」というものが重視されて何でもかんでも身近な物が求められる時代に「やはり芸能界だけは特別な手の届かない物であってほしい」という思いも存在するのではないだろうか。いろんなコンテンツのありがたみや貴重性がなくなってきている時代に実は多くの人が飽きていて、昔ながらの貴重なものを求めているのではないか。
少々話が飛躍したが、とにかくそういったコアな文化が今の時代は少なくなり何もかもがカジュアルで身近なものになりつつある。
ファン文化というものがだんだんとカジュアルで一般化してきている。
そういう時代にクラシカルなオタク文化はなくなりつつある。
そう考えたときにジャニーズというのは本来の意味でのオタクっぽさがあり他の追従を許さない。今一番濃い存在として自分はそんなジャニオタ文化が好きであり、ジャニーズを応援したり語ることが楽しかったりもする。
しかしそんなオタク文化ウォッチャーの自分でもジャニーズファンと比類するぐらいにヤバイ奴らがいる。そう、声優オタクだ。
アニメオタクやアイドル文化自体はにわか化してきた一方で今声優文化は非常にコアになりつつある。
むしろかつてアイドルに熱狂していたようコア層が今声優にうつりつつある。
例えばかつてのアニオタと言えば萌えキャラに萌えているオタクが多く電車男のような典型的なオタクが秋葉原に存在する時代があった。しかしそういう電車男や秋葉原的なオタクは徐々に消滅していく。そしてそのアングラから消えたオタクが今は声優へと移りつつあるのだ。今ある意味オタクの中で最も過激な人々が声優へと移りつつある。
その声優オタクのエピソードはとにかぶっ飛んでいてかつてのオタク的熱狂を感じさせる。
・声優のスケジュールを完全に把握しそのスケジュールと言動の矛盾から嘘を見抜く
・過去にSNSに投稿された私服をすべて調べ上げ、私服に欠けてきた値段を調べ上げる
・バスツアーに落選したファンが痛車でバスを追いかける
・クリスマスの予定表を調べ上げて監視する
などとさまざまなヤバイエピソードがあり、外部にも伝わってくるエピソードだけでヤバい物がある。
そしてこれらのコア度はまさにジャニオタに匹敵するものがある。
私服をすべて調べ上げるどころかむしろジャニオタはプライベートの写真やSNSの裏アカウントを徹底的に調べ上げそれを拡散する。
いっそのことジャニオタの調査力VS声優オタの調査力でバトルをしたらどちらが勝利するのかという世紀の一戦もみて見たい。
アメリカのCIAとソ連のKGBの諜報組織頂上決戦と同じようにジャニオタ対声優オタで戦った場合どちらかが勝つのかというドリームマッチを期待したい。
個人的にはジャニオタサイドに属しているため、ジャニオタの「恐ろしさ」はよく知っている。彼女らの情報網や捜査力は高度に組織化されており、専らスパイ映画のような成果観である。さすがの声優オタでもそう簡単にジャニオタに勝つことはできないだろう。声優オタの間で過激とされる行動=ジャニオタの世界では日常茶飯事であり基本スキル、それぐらいの差があるように思う。
しかし声優オタの行動力や過激さもやはり強力であり侮れない。
どちらが勝つかは非常に興味深く予測ができない。
仮に両者激突する日が来れば、どちらが勝利するだろうか。
日本の二大諜報機関の勝敗は誰にも予想がつかない事である。
エンゴロ・カンテとかいう謎の小さい超人
チェルシーに所属するエンゴロ・カンテの評価がうなぎ上りだ。
レスターをチームの中核として歴史的なプレミアリーグ優勝に導き、更に移籍したチェルシーもまたプレミアリーグを独走し優勝へと迫っている。
一方でカンテの抜けたレスターは驚異的な不振に陥り降格の危機がささやかれている。
もはや戦術カンテ、カンテが優勝させたと言っても過言ではないぐらい重要な選手でありその縦横無尽に動き回りどこにでも顔を出すスタイルは5人カンテがいると言われるほどだ。カンテがいるチームは数人多く選手を使っているに等しいのだから勝つに決まってる、それぐらいの表現ができてしまう程カンテの存在感は大きい。
もはや現代のボランチで最も優れた選手の1人なのではないだろうか。いやボランチやセントラルミッドフィルダーの概念を変えるレベルかもしれない。ボール奪取能力に置いてはマケレレを彷彿とさせ、その能力はもはや現代サッカー界No1の選手だ。更にいつの間にかロングパスやドリブルの攻撃センスも開花し攻撃面守備面でチームに多大な影響をもたらす。やはりチームに一番得強をもたらすのは中盤の選手だ。このポジションの選手がよければサッカーは激変する。
しかしその容姿はその選手が世界最高クラスの選手だという印象を与えない。
その身長は169cmだと言われているが実際の所もっと小さいようにすら思える。ボランチには身長が必要、プレミアリーグには身長が必要だと言われている中でこのサイズ驚異的だ。更に顔はどちらかというと可愛い系統の顔をしており物優しげな青年の印象を与える。この選手が世界の名だたる選手からボールを刈り取っている選手だとは想像もつかない。
しかもこの選手昔から注目されていたわけではない。2016年に初めてフランス代表に招集されたレベルでありレスター・シティの快進撃の前は完全に無名の選手だった。レスター・シティのあの優勝の時も1シーズン目であり長らく在籍していた選手ではなかった。実はレスターに1シーズンしかいないのだ。
そして現在在籍するチェルシーはレスターが優勝したシーズンボロボロであり10位でフィニッシュした。そのチェルシーにカンテがやってきた途端優勝街道まっしぐらである。確かにコンテが監督に就任したことも影響として大きいが実際の所戦術カンテが実行できただけ説も考えられなくはない程カンテの影響力は大きい。
しかも年齢も若く1991年生まれの選手だ。まだ伸びしろは大きく残されておりひょっとしたらサッカーの歴史に最高の中盤の選手として名前を残す可能性さえある。フランス代表にも本格的にフィットし始めたらタイトルをもたらす可能性もなくはない。グリーズマンやポグバ、ヴァラヌという同性代の若手選手にも恵まれておりカンテを中心としたレ・ブルーが世界を制覇する可能性もなくはないだろう。
将来的にはより巨大なメガクラブへの移籍も実現するかもしれない。現状のボール奪取能力に更にこう磨き上げられた攻撃センスが加われば世界最高の中盤選手になることは確実だ。1人の選手で3人分活躍する、そんな選手はどのクラブも欲しがる。90分試合を見れば数人カンテが存在するのかと錯覚するレベルだ。
そしてそのプレースタイルを支えるのは彼の献身性や人格にあるのかもしれない。決してサボらず味方のために守備をしボールを刈り取り前線に供給する。的確なポジショニングと豊富な運動量で中盤を制圧する。身長が決して大きくなくてもサッカーはボールが地上にあることが多いスポーツなのだからその地上戦を狙えばボールを刈り取れる。そういったサッカーという球技の特徴を最大限に活用しているのがンゴロ・カンテという選手だ。ボールは地上にあるのだからそこで勝負すればいい、それはもしかしたら小柄な日本人選手にとっても大きな参考になるかもしれない。
個人的な印象を言うのであればフィジカル要素では長友佑都に非常に近いものを感じる。体型に関してはそっくりであるし、スタミナが売りというのも特徴だ。長友のような選手が中盤に現れれば、日本代表にも和製カンテのような存在を起用できるかもしれない。
サッカーは中盤を核にして成り立つスポーツなのでカンテのような選手を発掘することは日本サッカー躍進のカギになるかもしれない。
実際コパアメリカを二連覇したチリ代表も中盤をアグレッシブなハードワークで制圧することで南米の強豪を打ち破っている。現代サッカーにおいて中盤の支配という事は重要なコンセプトになってきている。
カンテのような選手はまさにその現代サッカーの申し子のような存在であり現代サッカーを革新させる選手と言っても過言ではない。この小さな超人が現代サッカーにもたらす影響は今後より大きなものになるだろう。
そしてサッカーはボールが地上にあるという事を最大限に利用したカンテの活躍は日本人サッカー選手にとっても大きな参考になるに違いない。
手越祐也「だって俺B型だもん」←これ好きw
手越祐也といえばたびたびそのポジティブな言動が話題になり、ある意味その発言に勇気づけられる人も多い。手越が言っていることを聞くと小さな悩みがどうでもよくなるほどに彼の発言はスーパーポジティブである。
とにかく見ていて元気が出るしあのわけのわからなさを見ていると自然に元気が湧いてくる。そういう意味では本当にアイドルでありスター手越でもある。
そしてそんな大スターNEWS手越祐也と言えば血液型はB型である。今の時代に血液型占いの科学的根拠が否定されていたり、偏見を生んだりすることもありこういった話題は避けられる傾向にある。特にこの血液型占いにおいていつも悪役のようにされているのがB型である。
まさにそのB型なのが手越祐也で、それを聞くとあながち血液型占いも当たってなくはないのかなという程に典型的なB型のイメージをしている。
普通であれば「いつもB型ばかり悪く言われる」と言いたくもなるだろうし、血液型占いの話題になると実際B型の人からはそういう批判が出てくることが多い。
しかし手越祐也は違う。
「だって俺B型だもん」と開き直るのである。さすがスーパーポジティブの手越先生、普通ならば卑屈になるところであえて自分のキャラにする。こんなB型見たいことがない、とむしろB型の人が驚くような逆転の発想である。いい意味での開き直りや逆転の発想はまさに手越祐也の特技である
チャラ男と言われても「むしろモテていなければチャラ男と言われない」と自分の誇りに変え、批判されたときは「自分のことが好き」と発想の大転換を行う。こういったメンタルの強さが手越祐也の真骨頂である。
B型批判が何だ、むしろ「だって俺B型だもん」とキャラに変えてポジティブに振る舞う、そんな姿を見ているといつの間にかあのうざいキャラクターも許せてしまいいつのまにか癖になっていく。「癖になるうざさ」が手越祐也にはあるし、ある意味で生きるヒントにもなるポジティブさがある。逆にB型でなければ手越はああいったキャラにもなっていなかったのかもしれない。B型に生まれてよかったのが手越ともいえるし、そういう性格だからジャニーズという競争社会で生き残ってこれたのかもしれない。
イッテQのナレーションで「もはや顔がいいだけの高田純次」と言われたようにその底抜けの明るさは見ていて楽しい。何を人生を不安になって悩んでいるんだと思わせるようなエネルギーが手越にはある。
手越を見ているときだけでも誰かがポジティブになれるのなら、手越のあのうざさは誰かの役に立っているともいえるし、自分もそんな手越のうざさに元気づけられている一人だ。
ポジティブになれと言われるよりも実際にポジティブな姿をお手本として見せているから説得力があるのも魅力だ。「世界でトップ3にはいるほどポジティブ」と自称するがまさにその言葉が過言ではない程に底抜けの明るさや前向きさがある。
あれくらいのメンタルの持ち主じゃなきゃ芸能界はやっていけないだろうし成功することもできないだろう。芸能界やジャニーズの荒波を潜り抜けてきた手越のスタイルはまさに実践に基づいた理論だともいえる。リアルな人生論や哲学が彼の一見するとよくわからない言葉には詰まっている。「今テンションマックスっす」も実際彼を真似して使ってみると辛いときに勇気が湧いてくる。もはや意味や中身などない、しかし意味や中身がないことが素晴らしいのが手越語録だ。
そして手越は辛いときは上手くいかない時もそれで乗り越えるという実例を示してくれている、それゆえに説得力がある。ただのうわべだけのポジティブさではなく実際のリアルな局面で役に立つポジティブさでもある。
スター手越の生き方は生きるヒントも喜びも楽しさも教えてくれる。そしてストレスの多い現代人に希望の光を照らしてくれている。かつて光を目指していると言っていたけどもその意味では有言実行できているともいえる。光り輝く金髪のスーパーポジティブな男にこれからも多くの人が勇気づけられていくだろう。
指原莉乃ってゆとり世代希望の星だよな
指原莉乃と言えば1992年11月21日生まれでありもろにゆとり教育世代である。世間的にゆとり女子と言われる存在であり「これだからゆとってる」と言われる世代である。
しかしそんな指原莉乃、その年齢にもかかわらず次々と仕事を増やす上の世代からの評価がすこぶる高い。むしろ同世代の方が過小評価しており、上の世代には認められている。特におじさん層のファンが多く年末のディナーショーの出席者のほとんどがおじさんばかりで政党のパーティと言われるほどだった。
本人も「驚くほどおじさんばかり」と発言し、ファンもむしろそれを喜ぶ。
ただ指原莉乃の場合おじさん好みの可愛さや女性の魅力としてこれだけ人気があるわけではない。おじさん好みで言えば壇蜜さん的なエロスのほうがうけるだろう。
しかし指原にそういうエロスはない。
自分自身指原ファンではあるがそういった魅力を感じたことはほぼない。
むしろ指原莉乃の場合その賢さや有能さ、そして良い意味での図太さやずる賢さ、エゴが現代の若者にはない強さを感じさせる。それゆえに上の世代からは評価されある意味上の世代と同じステージに立っている人間ともいえる。
アイドルに熱狂することをやめて落ち着いて物事を見るような中年男性世代がむしろハマるのが指原莉乃だ。
しかし現在のゆとり世代はこれまた「これだからゆとりは」と批判されるような若者が多く、恐らく自分もこれだからゆとりはと言われる存在だろう。特にネットではゆとり叩きが流行っておりどこを見てもゆとり叩きを見て個人的にもうんざりしているが、叩かれるのには原因があることも一理あるだろう。
また他のAKBメンバーも「いかにもゆとりという感じ」という批判をされることがある。その中で指原はそういう批判をされるどころか上の世代に認められその能力が評価され様々な局面で活躍している。
そんな中で我々ゆとり世代は指原莉乃を見習うべきなのではないか。なぜ指原はゆとりだと叩かれないどころか、むしろその能力が認められ上の世代ともあれほど上手くやれるのだろうか。
資金や権力を持っている上の世代に気に入られることは今のゆとり世代の将来にとっても必要な事である。そんなことを言えば上を利用していると言われるが、指原自身も上を利用して成り上がっているから総選挙1位にまで上り詰めた。
選挙システムを緻密に分析し計算に基づいた行動をする、それがまた受けて更に票をもらう。
あのギラギラ感、出世したい、成り上がりたいというのが顔に現れるほどの下品さは今のゆとり世代にはない。
ゆとりでもそういう人はいるにはいるけど、世代の全体的な雰囲気はそこまで感じない。やはりどうしてもやる気がなく自分たちだけで固まっていて夢や野心の無い存在だと批判されがちである。
自分たちは貧乏から這い上がってきた、自分たちの若いころにはギラギラした野心があった、そういう事も言われる。
自分自身一人のゆとり世代としてその野心が足りないなとは思うし、同世代を見渡してもそこまでガツガツしていないなとも感じる。
ゆとり世代は生まれたときから周りに物があふれ、与えられる中で過ごし自分から何かを得ようとしなければならないという認識が足りない。
ギブアンドテイクという発想がなくもらって当たり前であり、まるでバブル時代の女性の考え方が世代全体に根付いている感覚に近い。
その上、世の中の風潮としてこれから日本が成長していくぞ!という雰囲気もなく競争するのではなく、それぞれが個性あってナンバー1にならなくてもいいよ無条件に褒められてきたゆとり世代。
成長が終わって停滞している雰囲気の中で過ごしたゆとり世代にとって何かを勝ち取ってやろう、なりあがってやろう!といったギラギラさを手に入れるのは難しい。
そういったことがゆとり世代への批判として挙げられている。ゆとり世代としてそう言った批判に対して思う事はいろいろとあるが、同時に事実な部分もある。
そこで無理に自分たちも苦労していると言ったところで永久にこの状況は変わらない。競争して地位を勝ち取らなければいつまでもゆとり世代は不遇で馬鹿にされ続ける。
だから戦って勝ち取っていかなければならない。
ゆとり世代の未来はこのままいけばお先真っ暗である。自分たちがこれから何とかしなければ必ず苦労する羽目になる。
そういう時にまさに同世代で頑張っている希望の星として指原莉乃がいる。
彼女はスキャンダルすらおいしいと考え未だにネタにし、自分のゲスい欲望を隠さずむしろそれをネタにする。そしてその状況から更に何かを得る逆転力がある。
あのギラギラさを女性が持っていて男性と対等に渡り合っている、そんな存在はゆとり世代として育ってきた中であまり見たことがない。女性としての可愛さを武器としてではなく、したたかさを武器として活躍している。
劇場支配人やプロデューサーになったりバラエティでAKBメンバーで唯一単体で活躍していることは間違いなく能力が評価されている証だ。
計算ができる上に同時にいろんな配慮もできる賢さがあり、単にガツガツしているだけでなく冷静さもある。
どこかでもしかしたらゆとり世代というのは綺麗にやろうとしている雰囲気があるのかもしれない。成り上がりたいというギラギラさは下品なもので、そういう雰囲気よりももっときれいな夢や自己実現を追いかけるほうが美徳なのがゆとりスタイル。個性を追求することを目指すように教えられてきた。
しかし綺麗なやり方だけではこれからの世の中通用せず淘汰されていく。
若者の貧困と言われる時代に直面し、多くの若者が苦しんでいる。
そんな中大分県の引きこもりやAKB内の低い序列からAKB48で最も人気なメンバーになり、都内の高級マンション住まいにまで成り上がった指原莉乃の生き方はとても参考になる。
あの図太さ、ゲスさは欲を持つことの大事さや餓えにも近い貪欲さを持つことの大切さを教えてくれる。
今の時代ゆとり世代が見習うべきなのはまさに指原莉乃であるように思う。