elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

自ら先頭に立ってTWICEメンバーを引き立てるジヒョ姉さんをご覧ください

TWICEの音楽番組でのパフォーマンスを見ていると毎回そのレベルの高さに驚かずにはいられない。

そんなTWICEがこの度、韓国ではよく知られているソン・ダムビの「Saturday Night」をカバーして披露したのだが、そのレベルの高さと同時に目につく人がいる。

 

パク・ジヒョ-TWICEのリーダーである。

この映像を見て「あれ、ジヒョってこんな顔だった?」と思う人は多いのではないだろうか。やや失礼なことは承知で「顔パンパンやないか!」とツッコミを入れたくなるほどこの時のジヒョは顔のコンディションが違う。

 

彼女の名誉のために行っておきたいが普段のジヒョは美しく、まるでKARAのギュリの再来を彷彿とさせるような女神である。

しかしこの時のジヒョ姉さんはどこかが違う、もはやTWICEの9人の中で時代が違う人が1人混ざっているかのような違和感すらある。(こんなことを言ったらジヒョに怒られることは間違いない・・・)

 

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きっとジヒョ姉さんは自らを引き立て役にしてTWICEの他のメンバーを輝かせようとしていたんだ、そう解釈すればなんてすばらしいリーダーなんだ・・・・!

そうだ、そうに違いない!きっとジヒョオンニは同じメンバーを引き立てるためにあえてこのお母さん感のあるスタイルで登場したに違いない。

なんと慈悲深いジヒョ姉さん、カムサハムニダ・・・

 

 

実際ジヒョは韓国のファンの間でもちょっと顔が大きいと言われているらしく、時々存在感がある事がある。

ただコンディションが良い時は間違いなく美人でむしろ一番魅力的な事さえある。日によって波が大きいのがパク・ジヒョというメンバーの最大の魅力なのかもしれない。

おそらく韓国のファンの間でも「今日のジヒョは調子いいな」なんて言われているのではないだろうか。

 

ジヒョはTWICE TVなどを見れば見るほど面白いキャラで、とにかくよく喋る印象がある。リーダーとしてチームを牽引して行こうとしているし、頼れるキャプテンというイメージに近い。気が強いと言えば確かにそうだけれども多分これが平均的韓国人女性で、むしろそこが日本人にとっては魅力でさえもある。

やっぱりこの「肝っ玉お母さん感」はチームに安心感を与えているようにさえあるし、かつてのKARAギュリ姉さんに似ている。

 

それにしてもこのパステルカラーの衣装は可愛いし、見たことないようなデザインが見ていて楽しい。

そして韓国歌謡界で人気な過去の曲をカバーする文化は面白い。韓国の音楽界を見ていて思うのがとにかくよくカバーすることが多く、これは日本の音楽界に比べると頻度が高い。

少女時代のIn to the new worldもよくカバーされていて、この曲に関しては男性グループも歌っているのを見たことがある。いい曲はグループや性別の垣根を越えて歌い継ぐ文化がK-POPの世界にはあるのかもしれない。

 

そしてダヒョンは何度見ても可愛い、更にモモはやっぱりダンスが本当に上手い。ジョンヨンもかっこいいけど、クールなダンスだとモモのかっこよさが際立つ。金髪状態のモモは少女時代のジェシカにも似ているしダヒョンはテヨンっぽいところもある。

ある意味最近の韓流ガールズグループの極致と言っても過言ではないほど完成されていて見ていてかっこいいしかわいい。

 

そしてそれを引き立てているのがジヒョ姉さんである。

ジヒョは可愛い時は本当に可愛いし美しいけど、日によっては引き立て役になることもある。

しかもバラエティでのキャラも面白くトーマスの物真似は本当に面白いし、メンバーの物真似も積極的にやったりするのが見ていて笑いを誘う。リーダーはやはりお笑い担当なのか、それは海を越えても共通しているようだ。

ジヒョ姉さんのいろんな活躍からこれからも目が離せない。

ハリルホジッチの言ってることがわからない奴ははっきり言って馬鹿

ここ最近の歴代日本代表監督で一番インテリジェンスがある指揮官が誰と言えば間違いなくヴァイド・ハリルホジッチになるだろう。

東欧バルカン半島のユーゴスラビア紛争を経験したハリルホジッチの考えてることというのは生ぬるい平和主義を謳歌してきた戦後日本人には絶対わからない領域にある視点がある。

彼ほどサッカーの本質を知りつくし、戦いが何か戦争に迫るレベルで知り尽くしている哲学者や戦術家は存在しない。

時に彼の戦術眼は日本人が理解できないレベルにあり、紛争の血生の本質を知り尽くしている彼の話をなぜ真剣に聞かないのか、なぜ吸収できないのかという疑問はある。

 

アルジェリア代表を率いてベスト16を達成しドイツ代表を延長戦で敗戦寸前にまで追いつめた名将を我々日本人は最初歓迎した。これほどの監督を日本代表に就任させれば未来は明るいと誰もが信じた。

ハリルホジッチ

その後のハリルジャパンは決してて順調ではなかった。

インターネットというのは「誰かが叩いている物を叩く」という同調圧力に染まる人が非常に多いため、ネット民がハリルを叩けばそれが最適解なのだと信じて同調する人が急増する構造が存在する。誰もが自分の意見を持たず、周りに流されて個人という概念が消滅しようとしている。

ハリルホジッチがワールドカップ出場を決めるまで解任論が多かったのがその典型例だろう。

現在では本田圭佑が叩かれているから自分も本田圭佑を叩いてやろうという人が多くなっていて、この国のサッカーファンは常に叩く対象を求めその場の雰囲気の"一体感"ばかりを求めている。サッカーに限らず日本人は即自的な一体感しか興味が無く個人の哲学や思想に一切興味を持たない傾向がある。

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そんなヴァイド・ハリルホジッチがこの度アイデンティティの重要性を説いたが、一体日本にどれほど「アイデンテイティ」「哲学」という近代用語を理解している人がいるのだろうかというのは疑問だ。

ハリルはアイデンテイティの重要性を説いているが、そもそも日本の大衆はアイデンテイティという言葉の意味を本質的に理解していない人が大半だろう。要するにそういう国なのだ、という村上龍の言葉が自然と湧き上がってくる。

議論ができない国民性とでもいうべきなのだろうか、誰かが叩いているものをそのまま叩いて一体感を味わえれば即自的な幸福感を抱けるというのが日本のインターネット文化になっている。

 

村上龍が「なぜ日本人は本土決戦を行わなかったのか」という疑問を呈するのであれば、自分は東欧のユーゴスラビア戦争を知りつくしヨシップ・チトーの時代を経験したヴァイド・ハリルホジッチにその時代について詳細にインタビューする記者がいないのか、そしてそのことを理解しようとするフットボールファンがいない事をひたすら虚しく感じる。

 

歴代日本代表監督の中でこれほど歴史を知り知的な本質に迫ることを語る監督ははっきりいってハリルホジッチしかいない。最も日本文化に安易に染まろうとせず良い意味で空気を読まない、それがハリルだ。

日本文化に染まり日本のやり方を継承するのであればわざわざ外国人監督を呼び寄せる必要が無い、日本の既成概念を破壊するために外国人監督を招聘している。

それをわかっていない人があまりにも多すぎる、そのことが日本のサッカー界のレベルを示しているように思う。

 

日本サッカー協会がなぜ外国人監督を招聘するかと言えばそれは先進的なサッカー文明を取り入れようとしているからだ。明治維新の時代に陸軍を近代化させるためにドイツから将校を呼び寄せ、空軍を強化するためにフランスから技術者を呼び寄せたように元来日本人は先進文明を取り入れようとする気概や知的探究心があった。

 

サッカーにおいてもデットマール・クラマーを呼び寄せ、貪欲に先進的なサッカーを吸収していた時期があった。

それが今は「なんとなく外国人監督にしておけば雰囲気が出るだろう」という時代になっている。日本人監督だと批判されるから雰囲気目的で外国人監督にしておけばいい、それがサッカー日本代表の風潮になりつつある。

 

イビチャ・オシム、そしてヴァイド・ハリルホジッチという現代において類稀なる紛争を経験した旧ユーゴスラビア出身の監督を招聘しておきながら、その話に真剣に耳を寄せようとしない国が果たして本当にサッカーにおいて強豪国になれるのかという疑問はある。ヴァイド・ハリルホジッチが主任したことの数年間が無駄になろうとしているように感じる。

ハリルが何か言えばそれを物事を否定や反論から入るような人々が一斉に批判しにかかり、その言葉の本質を考察しようとしない。これがサッカー文化なのかと疑問に思う時がある。

ハリルホジッチの言ってることはとりあえず反論してけばいいと脊髄反射的に指摘しにかかる、これが本当のサッカー文化なのかなとは思う。誰かが批判するものを同じように批判すれば即自的な一体感が味わえる、そういう個人のような個人でないような自我を持たない人が溢れている。

 

ハリルホジッチが「サッカーにおけるアイデンテイティを持て」と言ったり、イビチャ・オシムが「サッカーの日本化」を唱えてその言葉の意味を理解する人がどれだけいるかどうか。その意味が分からないのであればもはや外国人監督を招聘する意味がこれ以上あるのかどうかという思いはあるし、外国人の言う事をただ批判したいだけなのであれば最初から日本人監督を据えていればいい。

 

ヴァイド・ハリルホジッチは度々「日本でサッカーが一番人気の競技になってほしい」と語っているがハリルの発言についてメディア、そして末端のサッカーファンに至るまで詳細に考察し独自の理論を喧々諤々飛ばし合い議論する国にならなければ日本のサッカーは強化されないだろう。

サッカーは闘争だ、なぜその闘争についてこれほど簡単に考えて即自的かつ表面的な話題で済まそうとするのかという疑問を日本代表最高司令官ヴァイド・ハリルホジッチは感じているだろう。競技やスポーツを超えた歴史を含む概念で考えなければならない、その領域にサッカーはある。

文化や歴史と密接に関わりあう問題だという事をこれまでの名将は理解してきた、そのことを理解する必要が迫られる時期に来たのが今の日本サッカー界だと言っても過言ではない。

マジなトーンになってしまったけどもこういうガチなサッカーキチガウィ~wが大量にいる国が強いんだよなぁと思いながらこれからも頭のイカれたサッカートークを続けていきたいと思う。

サッカーが弱い国の特徴とは何か

サッカー強化策を考える上で、強い国が強い理由を考察するというアプローチは多い。

その一方で弱い国が弱い理由をあまり考える事は少ないように思う。なぜ弱いのかという理由の逆を考えれば強化策のヒントが見えてくるのではないか。

 

もちろん全く聞かないわけではなく、そういう考察や理論を見かける事もある。

そういった中で何度か見てきたいくつかの仮説について考えてみたい。

 

1:旧社会主義国弱い理論

これは良く聞く理論で何度か自分も興味を持って考察したり調べたことがあったりする。

旧社会主義国と言えばオリンピックの場では圧倒的に活躍しているが、これは国家政策や国威発揚が目的だったから結果が出せたと言われている。

そしてそういう社会主義国的なエリート教育では自由なサッカーには対応できないという理論だ。

 

ただこれには反論があり例えばソ連は球技のアイスホッケーで強かったが、ホッケーの時だけ自由な発想がありサッカーの時だけ硬直した思考になるというのもおかしな話であると言われていて自分は納得した。

またハンガリーはかつてマジック・マジャールとして知られた強豪国であり、ドイツに決勝で負けていなければワールドカップ優勝経験国だった国でもある。

プスカシュ賞で有名なプスカシュはまさに社会主義時代の選手だ。

 

更にブルガリアもアメリカワールドカップではストイチコフを擁し躍進し、旧ユーゴスラビア代表も全盛期はストイコビッチ、サビチェビッチ、ボバン、プロシネツキのようにタレント軍団だった。

またユーゴ崩壊後においてもクロアチアは最高成績の3位をフランスワールドカップで残しているし現在でも強豪国だ。

旧ユーゴの社会主義はソ連型社会主義とは異なり東側とも距離を置いていたのは事実だが、いずれにせよ社会主義国であったことは間違いない。実際ユーゴスラビアリーグは当時28歳以下の海外移籍を禁止しており、それゆえに優れた選手が育ったとサビチェビッチは語っている。

 

またゲオルグ・ハジを擁したルーマニアも一時は隆盛を誇った時期があり、ウクライナもシェフチェンコを擁し最近ではヤルモレンコがブレイクしている。

一時FIFAランク2位に上り詰めたチェコも実はチェコスロバキア時代は社会主義国だった。そして現代も片割れのスロバキアは近年激戦区のヨーロッパ予選を突破しW杯常連国となっている。現在ナポリで活躍中のハムシクもスロバキア代表であり、地味に凄い国でもある。

ロシアも代表を見る限りテクニカルなサッカーをしており、ロシアリーグもヨーロッパの舞台において一定の地位を誇っている。

 

その一方で飛び抜けた強豪国が無いのも事実で、西欧や南欧に比べると格が落ちることは否めない。更にハンガリーやルーマニア、ブルガリアは現在それほど高い実力を誇っておらずバルト三国やベラルーシ、ジョージアもそれほどの存在ではない。

また西ドイツと東ドイツの比較は最もわかりやすく、ドイツ代表のワールドカップ優勝はほとんど西ドイツ時代の物であり、旧東ドイツ地区に本拠地を置くブンデスリーガのクラブは少ない。東西ドイツ統一以降の優勝はブラジルワールドカップまで待たなければならなかった。

社会主義の優等生と言われた東ドイツはむしろオリンピックにおいてドーピングでメダルを荒稼ぎしていた闇の時代がある。

 

アジアの旧社会主義国で言えば中華人民共和国が代表格であり、実際彼らは現在「屋根から作ろうとしている」と度々その強化策を批判されている。

メダルを獲得して国威発揚を実現するという考え方で、先に結果が目標に来てしまっていて大切な本質を見ていないことも事実だ。

社会主義的なやり方で失敗している実例はまさに中国だろう。

ただアジアの社会主義国では北朝鮮代表が実は過去に1966年ワールドカップでベスト8に進出しており、純粋な成績で見た場合アジア最高成績だと言える。

 

社会主義国の欠点が政治に左右されやすいところで、国家予算が下りなかったり政治的な問題が起きた場合にダイレクトにその影響を受けてしまうところにある。

政治とは無関係にサッカーが定着して本当に親しまれているかのほうが重要なのかもしれない。

 

2:北国や寒い地域弱い理論

広義の意味で南と北どちらがサッカーが強いかと言われれば圧倒的に南の国が強いだろう。

ロシア、カナダは典型例でウィンタースポーツの時のような圧倒的な強さは誇っていない。カナダ人は「アイスホッケーだけは絶対に負けるな」という自負があるらしく、雪国ではウィンタースポーツが国技のような位置づけになっているところが多い。

 

スウェーデンとデンマークはそれなりに強いが、実際2010年南アフリカワールドカップでは日本が圧勝しており日本より絶対強いと言い切れる国は存在しない。

フィンランドとノルウェーはサッカーではそれほど存在感が無く、北欧に強豪国は不在だ。

また北欧には裕福な国が多く、レジャーが充実しているというのも大きいのではないか。そして冬場は雪が降りサッカーどころではないというイメージもある。北欧はヘヴィメタルが人気だとも聞くが、それは雪に包まれた冬のストレスを発散する目的らしく彼らの文化は積雪と深いかかわりがある。

 

南北問題でいえば裕福な国かそうでない国かという問題もかかわってくるのも事実であり、南米が強いのは貧困の中でサッカーしかすることが無いという理由もあるだろう。

いずれにせよ北国でサッカーが強いケースはあまり見かけないことは間違いない。この仮説に関しては一定の法則があることは確かだと言えそうだ。

 

3:農耕民族弱い理論

サッカーは狩猟であり、ゴールという獲物を狩るスポーツでもある。

イブラヒモビッチやルイス・スアレス、サミュエル・エトーを見ていてもまさに彼らはハンターであり狩猟本能を全開にして戦っているからゴールを奪い取れる。

 

逆にアジアの国々がそれほど活躍できていないというのはフィジカルの問題よりも温厚な農耕民族だからという理由もあるだろう。

血気盛んなバルカン半島系の選手やその移民が世界中で活躍している姿を見ると、大人しい民族よりは間違いなく血の気の多い民族のほうがサッカーに向いていることがわかる。

スペインは南米を徹底的に植民地化させた歴史上最大級の侵略国家であり、真面目で実直に見られているドイツも二度の世界大戦を引き起こしている国である。

 

日本は一見すると鎌倉武士や戦国時代の島津家などを見ると戦闘民族であるように思えてくるが、大部分は農民で戦後は平和主義を掲げている優しい国でもある。

太平洋戦争においても結局ドイツと違い本土決戦を回避しており、日本最大級の戦いと言われる関ヶ原の戦いも規模としてはそれほど大きくはない。

 

荒々しい民族になってまでサッカーを強くするべきだとは思わないが、荒れた国や狩猟民族の国が強いというのは一理あるだろう。

ラテン系の人々を見ればわかるように彼らはとにかく感情的でエゴが強い。

サッカーというのはそういう人たちが向いているスポーツであるのは事実だと言える。

日本でもサッカー部は基本的に他の部活動に比べて大人しくない人たちの集まりであり、狩猟本能や攻撃本能の高い血気盛んな人が向いていることは間違いない。

 

そしてその日本のサッカー選手ですら海外に行けば大人しくなる程もっと陽気で血気盛んな選手がたくさんいるのが世界のサッカーでもある。

端的に言えば更にイキるぐらいじゃないと世界に対抗できないし、狩猟本能や闘争本能を全力で引き出すぐらいにならないと紛争や内紛を経験してきた国には敵わない部分はあるのではないかも思う。

 

4:サッカー熱が無い国弱い論

一番の理由は正直その国がサッカーを本気で好きかどうか、それに尽きるのではないか。

例えばエチオピアやケニアというのは陸上を見ても分かるようにフィジカル的には間違いなく優れている。マサイ族という勇敢な戦士がいるケニア、アフリカが続々と植民地化される中で独立を保ち続けたエチオピアは間違いなくサッカーの才能があると言える国だ。

南方でありフィジカルは申し分ない、そして狩猟本能を兼ね備えている。

そんな国がなぜサッカーで弱いかといえば、簡単な理由でサッカーがそれほど好きではなく本気でやっていないからだろう。

仮にエチオピアやケニアにサッカーが定着すればガーナ、カメルーン、コートジボワール、ナイジェリアに迫るアフリカの強豪国になってもおかしくはない。

 

また騎馬民族でありかつて世界最大級の領土を誇ったモンゴルも、日本の大相撲を見ればフィジカル的に優れている国だと考えられる。

朝青竜がサッカーをやっている姿を見て、中田英寿は「彼がセンターフォワードならポストプレーが上手そう」と語っている。

エチオピア人やケニア人は陸上選手を目指したほうが稼げるし、モンゴル人は相撲力士を目指したほうが出世できるという経済的でリアルな事情もある。サッカーに向いている要素が揃っていてもサッカー熱が無ければあまり強い国にはなれないと考えることができる。

 

逆にウルグアイやクロアチアのように領土も人口も経済規模もそれほど大きくない国であっても、サッカー熱が高ければそれらを覆して強豪国になれる。

サッカーは金でも国力でもない競技だ、日本はもう一度そのことを考え直すべきなのかもしれない。

サッカースクールが続々登場して習い事として人気になり、今ではスポーツの中でも特にお金がかかる部類になっている。競技人口で見ても日本は世界屈指の登録人数を誇り、世界3位の経済大国で1,2を争う人気スポーツとして力を入れている。

それにもかかわらず大きな結果が出ていないというのは何かが間違っているのかもしれない。

 

www.eloratings.net

ただ悲観しすぎることもない、なぜなら日本はそこまで弱い国でもないからだ。

日本サッカーは弱いとよく言われるが、FIFAランクより信憑性が高いと言われるイロレーティングでは実は29位と健闘している。これだけ広いサッカーの世界で30位前後というのは決して悪い数字ではない。

学校のテストで200人の学年があって30位だったらまぁまぁ優秀な方である。100人の学年だったら15位というのは中々勉強ができる部類だ。

更に世界にワールドカップでベスト16を2回達成した国があるかと言われればそんなに多くは無い。

これだけ欧州に選手を送り込んでいるアジアの国は日本しか存在しない。イランや韓国も一部の突出した選手を除いて欧州に万遍なく選手が在籍しているという状況を創り出すことはできていない。

 

正直なところ裕福な国でサッカーを真剣にする必要が無く、サッカーが圧倒的に一番人気というわけでもなくそして農耕民族でありフィジカル的には黄色人種というサッカーに向いてない要素がオンパレードにもかかわらずこれだけ健闘している国というのは非常に珍しい。

 

冷静に考えればサッカーここまで向いていない国も無いにもかかわらず、それなりに強い日本はそれほど悲観すべきではないようにも思う。

欠点が多い選手ほどその欠点を補う長所や工夫によって活躍しているように、サッカーに向いてない要素を逆にチャンスに変えれば日本という国はまだもっとサッカーにおいて発展していけるのではないのだろうかと自分は思う。

note.mu

TOKIOって蛇喰うんだなっていう衝撃

鉄腕ダッシュって結構エグいことやるなぁというか、よく地上波で流せるなということをやるから凄い。

逆に言えばそれだけレアな映像を流すから昨今の番組の中では珍しい立ち位置を気づいて家族で見る番組として定着しているのかもしれない。

 

驚いたのが「蛇の喰い方」を普通にテレビで流して、がっつり地上波で蛇の捕獲シーンを流すんだなという事。

 

今回TOKIOの国分太一がナイナイ岡村と挑んだのは害獣となっているタイワンスジオという大蛇の捕獲とその調理で、これが結構エグい映像だった。

 

個人的に外来種を食べて駆除しようとか、蛇の食べ方を調べたことがあってそういう映像に対する耐性はあったから何ともなかったけどゴールデンタイムでは結構エグいシーンが多かった。

蛇というだけで苦手な人もいたりましてその捕獲シーンや皮をはいで肉の状態にした姿は慣れていなければ結構衝撃である。

岡村が普通の蛇を捕まえていたり、グローブながらも噛まれたりこれ結構チャンネル変えた人多そうではあるけども自分は真剣に見ていた。

TOKIOファン「鉄腕ダッシュじゃそういうの日常だからへーきへーき」

 

そのタイワンスジオを凄腕のイタリア料理シェフが調理して美味しい料理に仕立てるというのが今回のテーマで、しかもこれが結構おいしそうだった。蛇ってここまで美味しそうに調理できるんだなぁ。

自分がネットで見た蛇の食べ方は、そのままバーベキューのノリで焼いて食べるという物ばかりで、あそこまで本格的に調理してるのは「蛇料理の革新」といっても過言ではなく結構真似する人が多いのではないだろうか。

 

ネットって面白いのが結構変な生き物の食べ方を掲載している人が多くて、意外とワクワクする記事が多い。

最近では動画もあって調理方法とかも投稿されていて見ごたえがある。

 

自衛隊のレンジャー部隊なんかではむしろ貴重なタンパク源の補給として蛇を捕獲して食べるというのは訓練でやるぐらいに定着しているらしく、調理方法によって本当に地鶏のような美味しさにもなるようだ。

 

今回TOKIO国分太一がナイナイ岡村と調理された蛇料理を食べていたけども実際かなり美味しそうに見えた。3番目ぐらいに登場した一回すりつぶしてもう一回肉を固めるような料理は調理方法としても面白く、工夫次第で結構周りに食べられそうな食材は多い。

例えば有名なアカミミガメやウシガエル、アメリカザリガニ、ジャンボタニシなんかも実は外来種だったりするし食べられるという話も聞く。

 

あのシェフが凄かったのはとにかく食材を無駄にしないという姿勢で、しかもアドリブで蛇料理を作っていたというのが凄かった!

調べれば結構いろんな調理方法がネットでも出てくるけど、シェフが本格的に作ったような料理はあまり見かけたことが無かったので、さすが鉄腕DASH!の力は凄い。

 

外来種問題については本当に考えないといけなくて、こういった有名番組で取り上げられたのはいいことだとも思う。

自分が小学生だったらもっとエキサイトしてこのシーンを見ていたかもしれないし、これは絶対小学生喜ぶはず。鉄腕ダッシュが人気な理由もわかるし、映像としてあそこまでチャレンジする姿勢は凄い!

 

ただタイワンスジオは沖縄の話なので、日本で見つけようとすると無毒ではシマヘビ、アオダイショウがサイズもありメジャー、ヤマカガシとマムシは毒蛇なので結構危険。

ヤマカガシはその辺の田園にも生息しているにもかかわらず、血清が中々揃っていないから噛まれるとガチで危険なので湿地帯は本当に気を付けたほうがいいらしい。

ヤマカガシはわりと毒蛇として軽視されてるけど危険度ではガチでヤバイ部類に入る。

マムシは日本でも蝮酒として有名で栄養ドリンクとして販売されていたりもするけども、それもやはり危険。

ネット上の記事でよく食用として見かけるのはシマヘビとマムシでバーベキューやうな重的なノリで蒲焼スタイルも多い。これらは在来種なので駆除する必要はないけれども、日本にも外来種は本当に増えていてヘビだけの問題でもなくなってきている。

 

最近ジャニーズの体張る現象が進んでいるけども、こういう企画をもっと乗り気でチャレンジするジャニーズが出てくれば新しい一般人気や男子人気も獲得できそうだと感じた。

お茶の間で何気なくジャニーズを見られる、それって凄く楽しい日常だなと改めて思った。普段かっこいいから時にこういうワイワイ感も面白く感じる、そのギャップがジャニーズの魅力なんだと思う。

もしアメリカとソ連がサッカーに本気を出していたら強かったのか?

かつてアメリカとソ連が世界の二大超大国だったように、スポーツの世界でも米ソは激戦を繰り広げていた。現在でも依然としてロシアは特に冬季オリンピックで無類の強さを誇っている。

アイスホッケーにおけるアメリカソビエトの伝統の一戦はスポーツ史に刻まれるほどに歴戦のライバルとして知られている。

サッカーの世界でブラジルとアルゼンチン、ドイツとオランダという構図があるのならばアイスホッケー、そして五輪におけるメダル獲得数争いではアメリカとロシアという構図が存在する。

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願わくばこの米ソの構図をサッカーの世界でも見たかったという思いがある。

歴史を調べたりミリタリーゲームをしたり映画を見たりしていると大抵アメリカとロシアというライバル構図が存在し、自分はいつも悪役風味のロシア側を応援しているのだがサッカーの世界ではいまいちこの構図を見かけない。

 

それもそのはず、アメリカはアメスポと五輪の国であり、ロシアはウィンタースポーツと同じく五輪の国である。

それでもロシアはソ連時代から民間ではサッカーが親しまれており、何度か欧州の大会でも成績を残している。ソ連崩壊後のロシアもサッカーの質としては高く、レフ・ヤシン、モストボイ、アルシャビンなど有名選手は多い、そして2018年にはFIFAワールドカップの開催を控えている。

アメリカも既にワールドカップを開催しており近年ではサッカー人気が高まりを見せ、近い将来米ロの対決がサッカーの世界でも名物になるかもしれない。

 

正直なところ自分はアイスホッケーに興味関心はそれほど無く、冷戦期の米ソ対決の白熱がわからないしそれゆえに見てみたいという感情もある。日本人はオリンピックに冷戦期にも熱狂していたが米ソのホッケー対決についてはあまり知らない人が多いだろう。

東西冷戦真っただ中の国威発揚をかけたメダル争いは凄まじかったと言われている。

 

そんなアイスホッケーやメダルの獲得争いをサッカーやワールドカップで見たかったという思いがある。

なぜオリンピックにおいてアメリカとソ連があれほどしのぎを削っていたかと言えば、それは東西冷戦の代表格としてお互いのイデオロギーの正しさを示す国威発揚の場だったからだ。

 

仮にあれだけの大国が本気でサッカーをやっていたらワールドカップの歴史は今とは異なっていたのだろうか?

サッカーの面白さは必ずしも他のスポーツとは違いアメリカ、ロシア、中国が好成績を残して終わりといういつもの展開にならないところにある。途上国や後進国にもチャンスがあるところが魅力であり、オリンピックでは見る事の出来ない国の活躍に驚かされる。

それでも米ソ、米ロの構図を見てみたかったという思いもある。

 

しかし仮にアメリカ合衆国ソビエト連邦が本気を出したとしてもサッカーで活躍するとは限らない。サッカーはいわゆる大国的な量産では勝ち目がないスポーツでもある。

例えば自動車を見ても分かるようにアメ車、つまりアメリカ車がドイツ車やイタリア車には勝てない。

軍事兵器においてもドイツはティーガーを作り、アメリカはM4シャーマン、ソ連はT34を量産した。確かに戦争には負けたがティーガーの精巧な作りは歴史において語られ第二次世界大戦中最強の戦車だと言われている。

実質的にはソ連のIS3が最強だと自分は考えているが実戦には投入されていない上に、キングタイガーとの直接対決があればどうなっていたかを考えればやはりドイツに軍配が上がる。

 

現在でも戦車や銃においてドイツやイタリアは決してアメリカやロシアに引けを取らない。

ロシアに関してはラーダという自動車があるが、これは粗悪なことで有名で実際ロシア車についてはほとんど悪い評判しか聞かない。T34を量産してドイツに勝つことはできても、彼らにはメルセデスやポルシェを作り輸出大国になる力が無かった。

 

オリンピックが戦争と同じでメダルを量産して国力の大きい方が勝つというジャンルならば、サッカーはそこまで単純ではなくより本質的な文化論にまで発展する要素が求められる分野なのではないか。

中国も一緒であれほどサッカーを強化しているが一向強くならない上に、自然科学の分野ではノーベル賞を取ることができていない。

 

オリンピックに向けて特定の狙い目の競技だけを集中的に4年間強化してメダルを獲得したり、IQテストで良い結果をだしたりできたとしても、文化としての定着が求められるサッカーや基礎研究を長年にわたり続けなければ意味がないノーベル賞では結果を出すことができない。

中国の大学がいくら国際ランキングで数値上において上位に来たとしても、日本の大学のようにノーベル賞受賞者を輩出できないのを見ると世の中そう簡単ではないということがわかる。

 

サッカーもそれと同じで、オリンピックで強い国がそのまま強いとは限らない。

手を使ってはいけないというわけのわからないルールであるがゆえに、通常の強化方法では通用しない理不尽さがある。

チリやクロアチア、ウルグアイ、ナイジェリアが文化、科学、経済、五輪、軍事、全てのジャンルにおいて敵う事のないアメリカ、中国、ロシア、インドに勝つことができるのがサッカーだという不思議な謎がある。

よく人口が多き国がそのままサッカーでは強いとは限らないと言われるが、国力や経済力がそのまま反映されないところもサッカーの面白さである。

 

結局サッカーというのは意味が分からない謎のスポーツであり、ルールからして冷静に考えておかしい。その理不尽さゆえに、その真理や真髄には簡単に国力が大きいからといって迫ることができない。

国際社会において圧倒的な力を持つ超大国の人々よりも、サッカーでしか聞かない国の人々のほうがそのスポーツを理解しているというのは興味深い。

 

米ソという超大国が冷戦期に本気を出していたらどうなっていたかという幻想はあるが、通常の強化方法が通用しないサッカーにおいて結果を出せていたかは未知数だ。

現に実質的に国家予算を投じている中国の様子を見ると、仮にアメリカとソビエトが冷戦期に本気を出していたとしても似たような結果になっていたのではないだろうか。