elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

もしアメリカとソ連がサッカーに本気を出していたら強かったのか?

かつてアメリカとソ連が世界の二大超大国だったように、スポーツの世界でも米ソは激戦を繰り広げていた。現在でも依然としてロシアは特に冬季オリンピックで無類の強さを誇っている。

アイスホッケーにおけるアメリカソビエトの伝統の一戦はスポーツ史に刻まれるほどに歴戦のライバルとして知られている。

サッカーの世界でブラジルとアルゼンチン、ドイツとオランダという構図があるのならばアイスホッケー、そして五輪におけるメダル獲得数争いではアメリカとロシアという構図が存在する。

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願わくばこの米ソの構図をサッカーの世界でも見たかったという思いがある。

歴史を調べたりミリタリーゲームをしたり映画を見たりしていると大抵アメリカとロシアというライバル構図が存在し、自分はいつも悪役風味のロシア側を応援しているのだがサッカーの世界ではいまいちこの構図を見かけない。

 

それもそのはず、アメリカはアメスポと五輪の国であり、ロシアはウィンタースポーツと同じく五輪の国である。

それでもロシアはソ連時代から民間ではサッカーが親しまれており、何度か欧州の大会でも成績を残している。ソ連崩壊後のロシアもサッカーの質としては高く、レフ・ヤシン、モストボイ、アルシャビンなど有名選手は多い、そして2018年にはFIFAワールドカップの開催を控えている。

アメリカも既にワールドカップを開催しており近年ではサッカー人気が高まりを見せ、近い将来米ロの対決がサッカーの世界でも名物になるかもしれない。

 

正直なところ自分はアイスホッケーに興味関心はそれほど無く、冷戦期の米ソ対決の白熱がわからないしそれゆえに見てみたいという感情もある。日本人はオリンピックに冷戦期にも熱狂していたが米ソのホッケー対決についてはあまり知らない人が多いだろう。

東西冷戦真っただ中の国威発揚をかけたメダル争いは凄まじかったと言われている。

 

そんなアイスホッケーやメダルの獲得争いをサッカーやワールドカップで見たかったという思いがある。

なぜオリンピックにおいてアメリカとソ連があれほどしのぎを削っていたかと言えば、それは東西冷戦の代表格としてお互いのイデオロギーの正しさを示す国威発揚の場だったからだ。

 

仮にあれだけの大国が本気でサッカーをやっていたらワールドカップの歴史は今とは異なっていたのだろうか?

サッカーの面白さは必ずしも他のスポーツとは違いアメリカ、ロシア、中国が好成績を残して終わりといういつもの展開にならないところにある。途上国や後進国にもチャンスがあるところが魅力であり、オリンピックでは見る事の出来ない国の活躍に驚かされる。

それでも米ソ、米ロの構図を見てみたかったという思いもある。

 

しかし仮にアメリカ合衆国ソビエト連邦が本気を出したとしてもサッカーで活躍するとは限らない。サッカーはいわゆる大国的な量産では勝ち目がないスポーツでもある。

例えば自動車を見ても分かるようにアメ車、つまりアメリカ車がドイツ車やイタリア車には勝てない。

軍事兵器においてもドイツはティーガーを作り、アメリカはM4シャーマン、ソ連はT34を量産した。確かに戦争には負けたがティーガーの精巧な作りは歴史において語られ第二次世界大戦中最強の戦車だと言われている。

実質的にはソ連のIS3が最強だと自分は考えているが実戦には投入されていない上に、キングタイガーとの直接対決があればどうなっていたかを考えればやはりドイツに軍配が上がる。

 

現在でも戦車や銃においてドイツやイタリアは決してアメリカやロシアに引けを取らない。

ロシアに関してはラーダという自動車があるが、これは粗悪なことで有名で実際ロシア車についてはほとんど悪い評判しか聞かない。T34を量産してドイツに勝つことはできても、彼らにはメルセデスやポルシェを作り輸出大国になる力が無かった。

 

オリンピックが戦争と同じでメダルを量産して国力の大きい方が勝つというジャンルならば、サッカーはそこまで単純ではなくより本質的な文化論にまで発展する要素が求められる分野なのではないか。

中国も一緒であれほどサッカーを強化しているが一向強くならない上に、自然科学の分野ではノーベル賞を取ることができていない。

 

オリンピックに向けて特定の狙い目の競技だけを集中的に4年間強化してメダルを獲得したり、IQテストで良い結果をだしたりできたとしても、文化としての定着が求められるサッカーや基礎研究を長年にわたり続けなければ意味がないノーベル賞では結果を出すことができない。

中国の大学がいくら国際ランキングで数値上において上位に来たとしても、日本の大学のようにノーベル賞受賞者を輩出できないのを見ると世の中そう簡単ではないということがわかる。

 

サッカーもそれと同じで、オリンピックで強い国がそのまま強いとは限らない。

手を使ってはいけないというわけのわからないルールであるがゆえに、通常の強化方法では通用しない理不尽さがある。

チリやクロアチア、ウルグアイ、ナイジェリアが文化、科学、経済、五輪、軍事、全てのジャンルにおいて敵う事のないアメリカ、中国、ロシア、インドに勝つことができるのがサッカーだという不思議な謎がある。

よく人口が多き国がそのままサッカーでは強いとは限らないと言われるが、国力や経済力がそのまま反映されないところもサッカーの面白さである。

 

結局サッカーというのは意味が分からない謎のスポーツであり、ルールからして冷静に考えておかしい。その理不尽さゆえに、その真理や真髄には簡単に国力が大きいからといって迫ることができない。

国際社会において圧倒的な力を持つ超大国の人々よりも、サッカーでしか聞かない国の人々のほうがそのスポーツを理解しているというのは興味深い。

 

米ソという超大国が冷戦期に本気を出していたらどうなっていたかという幻想はあるが、通常の強化方法が通用しないサッカーにおいて結果を出せていたかは未知数だ。

現に実質的に国家予算を投じている中国の様子を見ると、仮にアメリカとソビエトが冷戦期に本気を出していたとしても似たような結果になっていたのではないだろうか。