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ソビエト連邦の実態は社会帝国主義であった

ソビエト連邦について再考する動きが最近多くなってきている。

ソ連崩壊から30年ももうすぐ数年後に迫っていてもはや完全に歴史の中の過去の国家になってきている。

今になって考える、ソ連とはなんだったのか。

壮大な実験国家であり社会主義と革命を目指した連邦制国家であったが1991年にその歴史に幕を下ろした。

一体彼らはなんだったのだろうか、何を目指していたのだろうか。

 

1922年にソビエト社会主義共和国連邦として誕生した。レーニンの時代に壮絶な革命を乗り越え歴史は始まり、スターリンの時代に第二次世界大戦を戦い勝利した。

戦後は冷戦時代を迎え一時ではあるが超大国アメリカと対峙しし世界を2つに分けて争ったあと、経済構造の歪みや周辺国への軍事介入の失敗により計画経済は行き詰り最終的に1991年に崩壊した。

歴史にすれば100年も存在していなかった国家である。

しかしその存在感は強烈であり今日も共産趣味ファンとしてソ連ファンが多く存在していたり当時のソ連国民がその時代を懐古してあの時代は良かったと再評価する声もある。また冷戦の崩壊によって今度は難民やテロといった新た問題が現れソ連とプロレスをしていた時代の方がよかったと再評価する西側の人間も少なくはない。

実際なんだかんだでソ連はかっこいいしワクワクするようなことをやっていた。今の時代にあれだけ大正義感ある国を本気で目指す国は少なくなる国際協調の時代になってきている。本気で米ソが覇権を競い合って宇宙開発競争が行われた時代はなんだかんだで時代の進歩をもたらした。社会主義というイデオロギーを掲げアメリカに勝つことを目指した時代があった。

ソビエト連邦

そのためにソ連というのは代理戦争を通じて世界各地に衛星国を増やそうとしていった。その拡大路線はアフリカや中南米にまでおよびアメリカののど元のキューバに一時器は核兵器を配備した。今は中国がアメリカと第二次冷戦に突き進みつつあるという説があるが中国がキューバ核兵器を置くようなことは考えられない。昔のソビエト連邦はそれだけ尖っていたし過激だった。当時の世界における左翼運動も今と比べて非常に過激でありその対立構図は鮮明だった。

しかしこのソ連のやり方を世界革命を目指す社会主義運動ととらえるのではなく一種の帝国主義だととらえる見方もある。まさにそれこそが社会帝国主義である。

社会主義の顔をした帝国主義社会主義国家が行う帝国主義という意味に近い。ソ連の体質はロシア帝国時代に大英帝国グレートゲームを行っていた頃と変わらなかったのだ。最初は帝国主義を批判し領土を手放し新しい時代に進んでいくように見えたが徐々にその本質を現し始める。

主にその変化はスターリン時代から鮮明になっていったと思われる。ヨシフ・スターリンがレーニンの後を継ぎ第二次世界大戦を戦って以降のソ連は世界の超大国としての野心を露骨に持ち始めた。社会主義は一国では成しえないという思想の元世界中に革命を広げていことを標榜するがこの過程はまさに帝国主義そのものであった。

ハンガリー動乱プラハの春におけるチェコ事件、東ドイツでのベルリンの壁建設などはまさに帝国主義的介入であり「衛星国」というのもある種の傀儡国家でありやっていることはかつて批判していた帝国主義と変わらなかった。

 

更にソ連の内部構造すらも帝国的なものであった。明確な皇帝は存在しないが書記長は非常に強力な権力を兼ね備え長くその地位に居座った。スターリンはまさしく赤い皇帝そのものであり、ブレジネフは20年近くその地位にいた。

KGBなどの諜報機関やその前任組織のやっていたことはまさに圧政そのものであり実質的な共産党独裁であった。更にその共産党幹部は共産貴族と言われるほど富を蓄え裕福な暮らしをしており権力を謳歌していた。貴族階級と皇帝が存在し、帝国主義のように海外に干渉しその地図を拡大していく姿は帝国以外何者でもない。まさに社会帝国主義という言葉がふさわしいように社会主義のふりをした帝国主義国家であった。

更に皮肉なことにこの言葉をソ連に対して使った中国もまた実態は社会帝国主義であったことだった。チベットベトナムへの介入は帝国主義そのものであり、今日もその社会帝国主義的路線は継続されている。彼らの真の目的は理想高き社会主義国家の建設と共産主義の実現ではなくただひたすらに権力や利権の拡大でありその装置として社会主義というイデオロギーが使われたにすぎなかった。

 

しかし自分はそのことを必ずしも批判しようとは思わない。非常に矛盾を抱えた国家ではあったが同時にその矛盾ゆえに魅力的なものを残したのも事実だ。

魅力と言ってしまっては浅はかな言い方になってしまうがソ連が作った巨大建造物や巨大兵器、数々の銅像や施設、プロパガンダは独特な者でありその基礎モデルは東側諸国に数多く輸出された。その基礎モデルや共産文化という物を築いたことは歴史における1つの役割であったし今日では見かけないその珍しい光景はどこかノスタルジーや憧憬を誘う。

ソ連軍の軍服デザインにしても、戦車や戦闘機のデザインにしてもそれが一目で東側だとわかるような作りになっている。自分は冷戦に関しては圧倒的な東側ファンだがこういったどこか悪役感ある感じに惹かれる人も多いのではないだろうか。悪役国家、悪役陣営好きにはたまらない魅力がソ連や東側陣営にはある。

アニメとか漫画とかでも正義側陣営を素直に好きになれない人はいないだろうか。自分の場合典型的なそのタイプでむしろそういう意味じゃ独特な雰囲気を持って「社会帝国主義」というわかりやすい悪役スタイルを取るソビエト連邦には魅力を感じずにはいられない。

 

その独特な雰囲気で言えば元々ソビエトというのも会議というロシア語ですべてが学術用語で構成された国名がソビエト社会主義共和国連邦なのだ。無理やり日本語に訳すとするならば会議社会主義共和国連邦でありUSSRという略称は会社共連という事になる。ソビエト連邦というのも会連、会議連邦という言い方がニュアンス的には近く近代学術用語のみで国家の名称を作った先駆性がある。ソビエトのためにという言い方も会議のためにという言い方でありその近代学術用語が一つの新しい概念にもなっていた。そういう雰囲気というのはなかなか西側国家にない物であり、社会主義体制そのものも全員が国家公務員という独特な制度であった。

 

そういう国であるから当然軍隊も独特であり軍事兵器開発に関しても設計局という物が携わっている。それゆえにIS3戦車やMIG25、AK47といった兵器も開発されそれらが壮大な軍事パレードでお披露目されていた。AK74が初めて軍事パレードに使用されたときは西側の軍事評論家の間でもかなり話題になったりMIG25の内部構造は秘密のベールに包まれていたためベレンコ中尉事件までは過剰な程性能が評価されていた。そういった怪しげな雰囲気もあり想像によって実力以上の評価や印象を与えることもあった。

冷戦を1つの文化として考えるならば悪役国家の兵器や装備をさまざまに考察する楽しさや、新しい兵器の登場に一喜一憂する文化もなくはなかっただろう。ある意味今の軍事マニアよりよっぽど当時の軍事マニアは楽しんでいたのではないかと思わずにはいられない。数少ない情報の中でワクワクする楽しさがもしかしたらあったかもしれない。秘密のベールに包まれて外交関係もあまり充実していない対立の時代だっからこそ逆にその想像は掻き立てられたのではないか。

オリンピックに出てくるソ連選手団も普段見かけない光景でありソ連が存在した時代のオリンピックというのはひょっとしたら今よりも面白かったのかもしれない。

普段見かけない非日常の光景や自分たちとは違う陣営というのはどこかエキゾチックに映る物だ。そういう意味でソビエト連邦の社会帝国主義というのは敵対者も作る一方でファンも作っていた。その思想に完全に心酔するものもいれば政治思想というよりも共産趣味のように好きになる人もいる。

もし現代においてソ連を再考するのであれば歴史的な意味よりも、エンタメや文化的な影響の方が大きかったのではないだろうか。これだけソ連マニアのような人が世界中にいるのを見ると壮大なエンタメ国家、国家そのものがエンタメという評価をすることができるかもしれない。彼らがそのソ連邦の69年の歴史において真に残したものは当時の国民による懐古感情とマニアによる憧憬の感情なのかもしれない。

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