elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

帰宅部でも学校内で孤立しない方法

ここに来てようやく日本の部活動が抱える問題点が話し合われる機会が増えてきた。

「ブラック部活動」という言葉が使われるようになったのはこの数年であり、それまである意味で聖域のようにタブーとして扱われてきたのが学校内におけるクラブ活動だ。

 

部活動が日本社会にもたらす影響というのは根深く、日本文化そのものとも切って話すことができないデリケートな問題である。

そんな聖域であり続けた部活動問題に関して、ここ最近ようやく踏み込んだ議論が行われるようになってきた。部活動改革という言葉は最近よくマスメディアを通じて伝わってくる。

 

日本の部活動はとにかく、練習量が多く休みが少なければ少ないほど一生懸命やっていると美化され効果的だとされる傾向がある。そしてその価値観が社会に出ても適応され、サービス残業を強いられたり有給を取ることができなかったりする。

休むことは日本において悪であり、自分を社会のために犠牲にすることは美徳なのだろうか。

 

きっと今でも部活動の理不尽さや闇の深さに悩んでいる生徒たちがいるだろう。

部活を辞めたい、辞めたくて仕方がない、でも辞められない。

そんな人々に自分は元帰宅部として「やめていいんだよ」と後押ししたい思いでいっぱいだ。

 

しかし現実はそう簡単にはいかない。

中には部活動で理不尽な思いをして辞めたいと思い、更に親が辞めることを薦めているにもかかわらず、それが叶わないというケースが存在する。

日本社会において辞めたいのにやめられないという構造的な問題は何も職場に限らず、校内という環境においても起こり得る。

 

なぜそういった問題が起こってしまうのかといえば、部活を辞めてしまえばまるで村八分のごとく校内で居場所を失うのではないかという不安があるというのが大半の理由だ。

部活を辞めることによってコミュニティから排除され、孤立するという心配が今の学生達の大きな悩みとなっている。

途中で辞めたという悪評が今やコミュニケーションツールの発達によって広く伝わるようになり、更にそれが進学や就職に影響するという問題が起きる。

部活動経験が進学や就職に関わったり、その部活動的な慣習が現実社会に今も根強く残っていたりするということも含めれば、この問題は複雑だ。

 

特に最近はスマートフォンの所有率が高まり、通信アプリ内のグループが学校内において必須という時代にもなっているし、部活動ごとにそういったグループが存在し同じ部活動仲間でつるまざるをえない状況も多い。

 

ようするに孤立したくないし、将来のことが心配だから部活動を辞められないというのが真相だ。

逆に言うと孤立せずに居場所があれば、別に部活動なんて必要ないし辞めても良いとも言える。

 

だからこそ帰宅部であっても孤立しない方法というのが今の時代必要とされているのではないか。

自分の経験がその助けになるかどうかは分からない、しかし中高6年間生粋の帰宅部であり続けた自分として、部活動に所属しない学生生活のありかたのヒントとなるものを探っていきたい。

何の役にも立たないかもしれないが、もしどこかに孤独に苦しんでいる学生がいるならば少しでも助けになりたいし、部活動に入っていなければならないという風潮にも疑問を呈したい。

日本社会はこれまであまりにも部活動を神格化し続けてきたのだろうし、部活動前提の社会構造をいよいよ変えていかなければならない時代がやって来た。

 

まず前提として自分は中学、高校とも一切部活に所属せず俗にいう帰宅部であり続けた。

もはや「帰宅部のエース」といっても過言ではなく、帰宅部でエースナンバーの10番を背負い続けたことは誇りとなっている。

授業が終わった後すぐに帰る時のスピードというのはベイルやロッベン、モハメド・サラーですら追い付けない物があり、混雑する廊下を駆け抜けるドリブルのテクニックは誰にも負けない物があった。

スピードとテクニックを兼ね備えた突破力という意味ではメッシに匹敵する才能があったと今でも自負しているし、伊達に帰宅部のエースであったわけではない。

浅野拓磨ごときが日本代表を担うスピードスターだと持てはやされる風潮は疑問であり、帰宅するスピードでは自分に追い付けないのに何を粋がっているのかとやや不満を感じている。

 

更に言えば高校時代、本来はカリキュラムに含まれていない夏休みや冬休みの補習授業が同調圧力によって出席せざるを得ないケースもあった。

そんな場合でも登校したあと秘かに帰るときの裏に抜け出す駆け引きも自信があった。

見つかれば報告される極限の状況下で、教職員というディフェンダーと駆け引きし、いかに家というゴールに帰るか、それは常に勝負の連続だった。

この窓から抜ければ見つからずに済むというわずかなスペースを見つけ裏に抜け出す、そういったディフェンスを欺く悪知恵は無駄に働いた。

インザーギ並のマリーシアを身に着けていなければ帰宅というゴールは得られない。

なお知恵を勉強ではなく帰ることに使い過ぎた結果、受験には失敗した模様

 

俳優の窪田正孝は撮影の後すぐに帰ることで共演者から驚かれるようだが、いつのまにか現場からいなくなっているという「消える動き」、これに関してだけは彼に対抗できる唯一の特技だ。

帰宅日本代表に関しては窪田正孝と自分はポジション争いができると自負している。

 

そんな冗談はともかく、帰宅に情熱をかけていた自分としては放課後どころか休日にまでやりたくない部活動をブラックな環境でせざるを得ない人たちがかわいそうだし、どうしてもやめたいなら「辞めてええんやで」と胸を張って言いたい。

 

そして部活動を辞めれば孤立するのではないかという不安に対しても、それはあり得ないと後押しをしたい。

余りにも長い前置きの後に、簡潔にその孤独にならない方法というのを主に3つ提示してみようと思う。

 

1:帰宅部であることをネタにする

2:オタクや趣味を極めろ

3:学校以外にも居場所がある

 

1つ目はまず帰宅部であることは一切恥ではないし、むしろ笑いにすれば人は案外受け入れてくれるということだ。

変に部活をやっていないことや辞めたことにに後ろめたさを感じることは無い!

自分の中学時代、田舎の学校という事もありまだ部活は実質的に全員入るということが暗黙の了解だった。今でもまだ部活は入らなければならない物だという風潮が根強い校風のところは多いのではないだろうか。

高校では受験勉強に集中するため部活に入らないという選択肢を持つ生徒は多かったが、中学では部活に入らない自分は異端児のような存在だった。

 

なぜ自分が部活動に入らなかったかといえば、それには最大の理由がある。

元々小学生時代に一時習い事をしたのだがこの時の体験が本当につらく、もうこれ以上の事はできないと感じたことが原因だ。更にそのスポーツ少年団の活動は週に2日程度の物でしかなく決して厳しいものではなかったのだが、それにすら耐えられなかった自分は中学の部活など明らかに無理だと悟った。

その結果、自分は帰宅部人生を全うすることになる。

 

現在でも学生時代部活動で何をしていたかという話になることは多く、部活動時代の経験というのは大人になってから話のネタになることは有り触れている。

日本社会において部活動経験というのは大人になってからも付いて回る。

元帰宅部としてはそれは触れて欲しくない黒歴史のような物だが、自分はむしろ積極的にネタにしている。

学生時代も別に部活動に所属していないことに対するコンプレックスはなかったし、帰宅部として堂々としていれば案外上手く行く事は多い。

部活をやっていなかった時期というのはむしろ、話のネタには困らない濃密な時間だったと言える日が来るかもしれない。

 

基本的に自分は前述の小学校時代の経験から、そこまでクラブ活動を熱心にする必要はないと考えていた。楽をしたいしもう二度とあんな経験は嫌だから、どれだけ進学や学校内の関係におけるメリットがあるが面倒で大変な物はもう勘弁だという考えか根底にあった。

人間というのは自分に合わない無理な物はできない、そのことを自分は中学進学した時点でなんとなく理解していた。

仮に自分に本当に合う部活動があったならば入っていたが、どうしても地方の中学では魅力を感じるところが無く、やりたくないのであればやらないという結論に至った。

 

どうしても日本人は何の部活をしていたか、何の仕事を今しているかということで人間のアイデンティティを評価しがちだし自分自身を規定しがちだけれども、肩書でしか判断できない人こそむしろ何もない狭量な人々だと割り切れば話は簡単だと考えることだって出来る。

「俺、私?何もしてないけどね笑」とあっけらかんとしていればいい。

ジャニーズの嵐だってトラブルメーカーで「あっけらかんでいいんじゃない」と歌っている笑

あっけらかんとしていれば意外と行けるし、そもそも部活動なんて文化があるのは世界的に見て少ない。かつての部活や今の職種、国籍、年齢、人種、こういった分かりやすい肩書で人間を判断する風習に日本人は染まり過ぎていて息苦しくなっているように思うのは自分だけだろうか。

理解しやすいものしか受け付けないという考え方の先にあるのは終わりなき対立でしかない。

 

2つ目は「オタク趣味を極めろ」と言う事で、これは今の時代に一番マッチしている手段なのではないかと思う。

自分はクラスの中心人物や人気者というわけでは決してなかった、だけども趣味で会う仲間というのはいて今でもその関係というのは失われていない。

更に言えば今の時代むしろオタクや趣味や面白い事に通じている人というのはリスペクトされ人気者になれる可能性に溢れている。

 

オタクが日陰者だった時代は終わっていて、むしろ今の時代何かしらそういった趣味を持つことが普通な時代になっている。

まだリア充文化の権威がかろうじて残っていた自分の時代ですらわりとゆるく、結構オタク趣味を持っている人が多かった。

それが今では不良が絶滅しむしろオタク文化が分かっていないといけないという時代になって、オタク的な人にとっては行きやすい時代になったし、逆に流行を追いかけるリア充文化が意識高いと思われる時代だ。

 

そういう時代だとむしろ自分の好きなことを真剣に極めている人というのは「アイツすげぇぞ」とリスペクトされる存在になってきているのかもしれない。

何かしらのジャンルに詳しい人はむしろ面白がられて必要とされる。

当時の自分を振り返って「昔の自分だいぶ浅はかだな」と今では反省しているけれども、それでもその田舎の中学の中ではレアな知識を持っている存在として、一目置かれているのか、単純にイカれてる人間と思われていたのか、とにかく良くも悪くも存在は認められていた。

 

運動部に入っている部活生もさすがに部活以外の時は自分の好きなことを息抜きとして話したいわけで、こういうときオタク的なことに詳しい奴は意外とリスペクトされる。

なぜかサッカー部のリア充と小学生時代に好きだったというガンダムの話で盛り上がったり、そもそもサッカー部の中にもオタク的な奴がいて、そいつがその内部活辞めたりなんてこともあった。

 

まして今の時代ネットが普及してむしろオタク文化が主流になっている時代、もはや男子は運動部に入っていないとダサいなんて時代でもなくなってきている。

元AKB48の島崎遥香は「野球部の汗が嫌、サッカー部やバスケ部の汗は爽やかだけど、帰宅部のほうが好き」みたいなことを語っていて、運動部=モテるリア充、という従来の価値観すら崩壊してきている。

それは昨今の俳優に求められる顔の要素の変化にも表れていて、もはや男がイキればモテる時代が終わり、そういうのが暑苦しいと見なされる時代が到来している。

今の時代一番モテるのはダンスで、かつては陰キャの象徴だった将棋が今や市民権を得つつある。

 

ジャニーズの松村北斗というメンバーが、わりとイキってる感じのグループの中で1人だけ友達少ない地味なキャラとして浮いていたら、逆にそれが人気になる時代なのでもは女子の陰キャ化も進んでいる。

汗かかない帰宅部のほうが清潔感があると感じる島崎遥香や、友達少ない方が自分のことに時間を使ってくれるのではないかと考えるジャニーズファンのように、今や女子の好みが変わりつつある。

交友関係広いアピールが逆に嫌われたり疲れたりする時代に、本当に好きな物でしかつるまない濃い人間関係が評価されているのではないか。

 

そもそもジャニオタという言葉のニュアンス時代が変わりつつある。

自分の時代はまだジャニオタといえば侮蔑的で気持ち悪いイメージだったけれども、今ではむしろ自称する人が増えたし結構おしゃれな人も増えてこちらもまた市民権を確立している。

アイドルにしか居場所が無い人という従来の感じから、むしろフツメン化が深刻なジャニーズ以上にイケメンな彼氏なんて余裕で見つけられるだろ、という人がなぜかジャニオタをやっている時代だ。

 

今の時代女子で意識高くテニス部やバレー部のキャプテンしてる人より、ジャニオタ極めてるとか、男性声優とかTWICEのこと詳しいなんて子のほうがクラスの人気者になれるような気がする。

自分の頃はまだジャニオタはガチでヤバイ奴だったし、隠れキリシタンみたいな扱いだった。だからこそあえて世間の風潮に対する反発の意識も高かったし、自分の個性やアイデンティティを強く持とうとしていたのではないかとも思う。

それほどに近づきがたく怖いジャニオタが昔は存在したので、今のジャニーズファンにも見習ってもらいたいところがある。

なおその人が今も八乙女光を応援しているかは消息不明の模様

 

部活動に入っていなければならないという価値観も変わり、これから帰宅部という道を選ぶ人も増えるだろう。

その余暇時間があれば自分の趣味を極めて、面白いことに詳しい人という地位を確立すれば居場所を得ることができる。

そしてその自分を羨ましく感じ、部活を辞めたいと思う人がいるのであれば思い切って辞めてみればいいと相談相手になることだって可能だ。

部活をやっていない自分を見て、ブラックな環境から抜け出すきっかけにしてもらえれば、それは大きな意味を持つ事にもなるかもしれない。

最初は誰もが部活をやっていたとしても、部活を辞める勇気を提示すれば同じような仲間は増えてくる。そういった小さなことから世の中は変わっていくはずだ。

 

そしていよいよ3つ目の「学校以外の居場所がある」という最後のテーマに移る。

そもそも今の時代、もう学生であっても学校以外の居場所がいくらでもあるし、社会人であっても職場以外の居場所は存在する時代になっている。

人間個人が一つの決められたい場所にいなければならないという時代は終わり、自分にあった場所をフレキシブルに柔軟に見つけ出す時代が到来している。

 

自分が帰宅部だった学生時代に起きた最大の問題といえば大きく言えば2つある。

・人間関係の変化

・生活リズムの変化

 

人間関係の変化といえば、これは小学校時代普通に学年関係なく仲良くしていたのに急に中学に入った途端大人ぶって上下関係大事にして言葉使い意識し始めた同級生に対する違和感で、これは知っている人が社会人になった時の変化にも通じるものがある。

 

そういった変貌はともかく、部活動に入っている人とそうでない人で最大に分かれる問題といえば生活スケジュールに顕著に表れる。

端的に言えば放課後や休日の使い方に違いが生じる。

 

自分が帰宅部で、周りが部活をやっているときに一番感じた変化は放課後の違いだ。

小学校まで普通に放課後は遊んでいたのに、中学になると皆部活動に忙しくなる。

ブラック部活動で問題視されているように、夜遅くまで部活動をやり、そして休日も練習に費やすということが日常になる。

 

自分は悠長に放課後も休日も過ごしているのに、かつて親しくしていた仲間は忙しく、結果的に疎遠になる。

そういう時、部活動に入らなかった人間は必然的に疎外感を感じる。

 

しかし自分はこの時一切孤独を感じることなく、むしろ人生の絶頂期とも言える昂揚感を味わうことになる。

なぜならば自分にはインターネットという空間があったからだ。

最大速度で家に帰る理由も全てはネットが目的であり、放課後も休日もネットに入り浸った。当時の自分にとっては全てが刺激的であり、何もかもが面白く見えた。

 

とにかくネットが面白すぎたから、現実の部活動という閉鎖的な社会にこだわっている他の生徒たちのことが自分には意味不明に思えた。

今では部活動での経験が後に役立つことや、それを経験していなかったことに対する後ろめたさも理解できるようにはなったが、当時は楽しくて仕方がなかった。

まして今やネットがこれだけ普及している時代に、現実に固執する必要もないと言えば嘘ではない。

 

更に部活動改革によって、学校外部の習い事なども見直されてきている。

これは地方では難しい問題ではあるし、現に自分の地元の学校では部活に変わる以上の習い事は存在しない。送迎や交通の問題も考えれば、やはり放課後同じ場所で行える部活動というものは現実的な選択肢になり得る。

 

その一方で部活動以外の放課後の過ごし方というものが今後クローズアップされれば、事情は変わってくるかもしれない。

自分のように学校が終わったら部活なんてせず、即座に帰宅してネットしてれば楽しいという生き方は10年経って理解されるようになってきた。

今の学生の中には「部活とか疲れるだけだし、さっさと家に変えてユーチューバー見てる方が面白い」なんて考え方をする層は大勢いるだろう。

 

また特に地方では学校自体が縮小傾向にあり、少子化によって廃部せざるを得ない部活動も増え、選択肢自体が狭まっている。人気スポーツにだけ人員が集中し、他は廃止となればどうしてもやりたい活動自体が無くなる。

こういう事情の中で無理に少ない選択肢に中から、それでも入部しなければならないというのはもう現代の時代に合わない。 

 

部活動以外の外部の習い事が充実していくことは理想だが、これにはまだ時間が必要であると同時にこれからの時代にとっては大きな可能性もある。

今後その形を模索していかなければならないだろうし、新しい時代の未開拓地ともなり得る。

従来の部活動以外の場所が誕生するのであれば、それは新しい人材の育成を実現し得る環境、そして市場としての価値の両方の側面を持っている。

日本のこれまでの文化を見れば、ドラマ、映画、アニメ、漫画などをみても部活動は青春であるという価値観が根強い。

しかしそういった文化面でも新しい価値観が芽生える時代になっていくかもしれない。

もう部活動だけが青春であるという時代ではなくなってきている。

 

新しい時代のクラブやサークルができても良いし、個人がもっと自分の好きな自由時間を有意義に使う事にも可能性は溢れているし、もちろんゆったりと時間を使う事も自由だ。

その個人の時間から何かが生まれるかもしれないし、今までの社会はその可能性に溢れた時間を軽視しすぎてきた。

 

 

部活動をしなければ孤立する、学生らしい生活を送れないというのは一種の強迫観念であるかもしれない。むしろ孤立しても良いし、学生らしくなくても良いけど、楽したいという考え方だってありだ。

そしてそこから新しい可能性が始まることもある。

どうも今の世の中は誰かが決めた理想像に追い付きたどり着けないことを認めない風潮があるように思うし、むしろ世間や周りの視線よりも自分自身が自分を責めてしまっているように見える。

そういったことも含めて部活動だけが問題視されているというよりも、不自由さとか不寛容さとか、その背景にある物への本質的な問題提起がようやく始まろうとしているのかもしれない。

Sexy Zoneイノセントデイズ Mステ出演で様々な反響

先日のMステにSexy Zoneが出演し、イノセントデイズを披露して個人的に大満足な回だった。

率直な感想を言うと「イケメンすぎ吹いた」の一言に尽きる。

さすがに実際には吹いてはいないけども、改めてに見るとセクゾイケメンやなぁ~と衝撃を感じた1時間だった。

 

全員髪型も似合ってたしダンスも冴えてたし歌も良くて、衣装も似合っていて、そしてトークも面白かったからセクシーゾンが好きな人にとっては文句のつけようがない回だったように思う。

 

佐藤勝利→ツッコミよくやってた

中島健人→超絶イケメン化してた

菊池風磨→トーク回しが抜群に良かった

松島聡→画面に映るだけで面白い

マリウス葉→いいゆるキャラになった

 

ざっくりいうと全員こんな感じで、Sexy Zoneのワチャワチャ感も出てたしHKT48のひつじさんヘアーのくだりで佐藤勝利と松島聡が絡んでたところとか、菊池風磨が「昔、松島とマリウスでひつじさんヘアーどっちにするかで喧嘩してた」と更にそのトークを引っ張るところは最高に面白かった!

風磨はいつか、バラエティ番組のMCや司会になること狙ってそうなぐらいしっかりトーク回すのが上手いし、そういうところがSexy Zoneには欠かせない縁の下の力持ちになってる。

 

そして中島健人は黒崎君の頃の髪型に似てるという反響が多く、原点回帰というか一番似合う髪型で出てたし、「イノセント・フィンガー」と相変わらず良くわからない言い回しが意味不明すぎて、これぞケンティーの真骨頂だった。

風磨「びっくりしないで聞いてもらいたいんですけど、彼はイノセント言いたいだけなんです」

 

あとマリウス葉はこういう舞台で見ると良い感じのキャラになってて、マリウスいるだけで雰囲気に癒しがでるというか、大学生の年齢になっていい感じに成長したなぁと誰目線でもないけど思う。そして前髪あるとちょうどいい感じになるのも気づいた。

 

逆に前髪上げてた松島聡は、この感じ凄く良いと思う。

もちろんジャニーズだけあってイケメンであるけど、ちょっと面白い雰囲気があってそのコミカル感も同じくセクシーゾーンに欠かせない。

特に喋らなくても面白いのは一種の才能だといって間違いない笑

聡君の存在感はグループの雰囲気を良くしてると言うか、顔面偏差値がどうのこうのとかだけだと嫌味があるけど、松島がいるとちょっとコミカル感がでてきて良い感じにワイルドがマイルドになって、時代を創ろうSexy Zone!

ちょうどTWICEでいえばダヒョンみたいな存在で、ダヒョンがブサさと可愛さが絶妙にブレンドされているならば、松島聡はブサさとかっこよさが奇跡の融合を果たしているといっても過言ではない笑

とにかく存在が面白い、それは理屈では説明できない。

理論を超えた男=松島聡(静岡出身)、はっきりわかんだね。

 

様々な反響でいえばGENERATIONSとの共演は結構話題になっていて、やっぱいろんな人が「ジェネとセクゾ共演多め」と感じていたらしく、もはやMステにおける謎のセットみたいになって来ている。

今回特にトークで絡むことはなかったけど、Sexy Zoneのトーク中に後ろで笑ってくれて雰囲気良くしてくれてたし、個人的にGENERATIONSがまた一つ好きになった回でもあった。

もうSexy ZoneファンにとってGENERATIONS=優しいあんちゃん達みたいな認識にすらなっているような笑

 

そして中島健人のイケメンっぷりは凄かったけど、同時に痩せてるように見えたのも事実でケンティー疲れてないかなと心配になる部分もあった。

ニセコイの実写映画化が決まってそれに出演することもあるし、初耳学に続き、ぐるナイという活躍の場も広がり、中島健人のスケジュールは今大変なことになってるはずだ。

アイドルと大学生活を両立して、紆余曲折を経て卒業して今に至る中で、むしろハードさは増しているかもしれない。グループに対する使命感もあるだろうし、1人の責任じゃないからこそ背負い過ぎている部分もあるのかなとも心配になったりする。

 

アイドルとしてプロを全力でやることが求められているからこそ、本人はそこに答えようとしているし、その姿勢は本当にかっこいいという言葉以上のものがある。

ただ中島健人が好きなサッカーを見ても分かるように、一流の選手ほど休むことの大切さを理解している。メッシやロナウド、ネイマールのように、実はエースほど休むべきというか手を抜く部分は抜いて体力を温存するテクニックを持っている。

 

それでも本人は男としての覚悟をもって本気でアイドルをやっているだろうから、外野が言う事ではないだろうし、そこは彼は良く考えて選んでいるんじゃないかなと思う。

ただ時として駄目な部分が見えても、自分は一切がっかりすることはないだろうし、王子様としての完璧さだけじゃなくぶっとんだキャラとして人間味があるところも中島健人の魅力なので、これからそういったところももっと見れたらいいなと期待したい。

 

そして肝心のパフォーマンスに関して言えばダンスが凄く良くて揃っていたし、全員表現力に磨きがかかっていた。

足の動きが揃うところは韓流見てるみたいでよかったし、ターンもよかったし、アジアNo1を目指すグループとしてそういうところは裏でしっかり5人で撃ち合わせて練習してるんだろうなということが伝わってきた。

Mステにおけるトークも面白かったし、今やSexy Zoneの武器はトーク力の掛け合いだといっても言い過ぎではない領域にある。

それは菊池風磨がお笑いを研究しているからだろうし、自分たちの強みであり得意なことだと見つけて極めようとしてるように感じるから、ここも今後期待できる要素の一つ。24時間テレビが今から楽しみになる!

 

総評としてはやっぱMステおもしれええというということで、いろいろな界隈で盛り上がるし反響もあって、今の時代に華やかさを残している歌番組としてやはり日本の音楽回に欠かせない番組だなと自分の中で再評価している。

次回はついにKing & Prince単体としての出演らしく、TWICEまで見れるのだからまた楽しみにせずにはいられない!

やっぱりミュージックステーションにジャニーズが出ると、Mステ見てる感みたいなものがあって楽しいなと思う。

王道的なMステらしさがあるのでジャニーズ出るときはついつい見てしまう。

みんな語りたくなるし、時代が変わろうともなんだかんだで反響も大きい。

 

そしてSexy Zoneというグループとしても不思議と縁がある番組であるし、それはセクゾに限らずジャニーズ全体とも縁が深い。

もちろんこの大舞台はそう簡単にたどり着ける場所だというわけではなく、出られないグループもいる中で、この贅沢さをファンとしてはありがたく思うし、出演している本人たちが一番そこを理解して本気で挑んでいるように思う。

少なくとも今回のMステ、Sexy Zoneからはその本気さを感じた。

次回はキンプリ、彼らもまたきっとこの舞台に特別な思いがあるはずだ。

TWICEジョンヨンさん、ノリで髪を緑に染めてしまう

ジョンヨンは迷っていた、そろそろ私の髪色もあらかたやりつくしてファンも飽きているのではないかと。

自分のキャラクターといえばガールクラッシュでボーイッシュであることが求められる。しかしずっと同じことをやっていれば、それはファッショナブルではない。

何か刺激は無いか、どこかに変化はないか。

 

そんな時彼女は一番相談してはいけない人物に相談してしまう。

 

ジョンヨン「次の髪の色何にすればいいっすかね。ちょっと新鮮味欲しいんですよね。」

ナヨン「ユー、緑にしちゃいなyo!」

ジョンヨン「おk」

 

その結果、グリーンジョンヨン爆誕!

 

このノリで決めちゃうあたりの韓国的ケンチャナヨ感いいねと思うというか、それでもう音楽番組にまで普通にでちゃうところがフリーダムで面白い。

緑に染めた理由がただ単にナヨンに適当に相談しただけというところがウケるし、そんな感じのノリでやっちゃうところが大胆でエキセントリックで最高と言わざるを得ない。

 

これぞジョンヨンの生き様であり、だからこそ人々は彼女のスタイルを目標にする。

さすがジョンヨン!おれたちに出来ないことを平然とやってのけるッ!

そこにシビれる、アコがれるゥ!

 

しかしジョンヨンのこの性格面でのぶっ飛んだ感じは中々かっこいいけど、実際にリアルに近くにいるとちょっと疲れそうではある笑

常日頃からいろんなイタズラを試みるらしいので、結構身近にいる人は大変そうでもある。もちろん日本人メンバーもその被害を口にしており、かなりのいたずらっ子のようだ。

 

そういえば弟分のチェヨンもその場のノリで事務所に相談せずにばっさり切ってショートカットにしたことがあるらしいし、いろいろとカオスなのが韓流アイドルの世界だ。

 

この緑色にして後悔しているのかと思いきや、わりと気に入ってそうだし、そもそもジョンヨンはそんな気にするタイプでもないように見える。

なんたってタコヤキにグミ入れるような人なので、そこら辺は常に我流と自分のセンスで生きている。

 

ジョンヨン 緑

結構髪型を大胆に変えると精神的にも気が晴れる部分もあるし、何かの発散として思い切ってチェンジするというのは次のスタートに役に立つこともある。

ちなみに、日本にも元NMB48の木下百花といってチェンジしすぎた人がいる。

木下百花が急に派手に髪色を染め始めたりキャラを変え始めたりしたのは、業界の人と揉めて、それでアイドル業過に対する反発もあって吹っ切れたかららしい。

 

自分はそうやって既存のやり方に反発して新しいことをやろうとする人は結構好きで、それこそ本田圭佑だって海外でプレーし始めたときは黒髪だった。そこからメンタルを一新するために金髪にして、今に至るブレイクを巻き起こした経緯がある。

 

ノリで髪色変えるぐらいの奴の方が行動力があって大胆になれるというのはあるのかもしれない。

逆に最近モモが黒髪になってて、ちょっと金髪の頃も恋しくなるというか、その時のかっこよさもまた見てみたくはある。

モモの金髪も今思えばかなり大胆だし、うわはげで大胆に振り回してた頃は今見てもかなりかっこいい。あの頃のモモは今見ても超かっこいいし、ダンサーとして思う存分に魅力を発揮していたように思う。

 

ジョンヨンは思っているんじゃないか、「最近モモの髪型が大人しくなって、派手なことするのは私しかいなくなって寂しい」と。

もっとONCEははっちゃけろと、そういうジョンヨンの生き様でありメッセージというのは、今の世の中を打開するパワフルな思いに溢れている。

 

ジョンヨンのこの大胆であり奇想天外な発想、自分のその場の感覚を大切にする生き方というのは、いろんなことを気にしすぎてしまっている現代人にとって参考になる部分があるかもしれない。

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本田圭佑とかいうプロフェッショナルのたびに名言を残す男

プロフェッショナルとはケイスケ・ホンダである、これが何を意味するか分かりますか?

じゅんいちダビッドソンの芸人としての伸びしろですねぇ!

 

個人的にめちゃくちゃ楽しみにしていた本田圭佑の、プロフェッショナル仕事の流儀ラスト・ミッション編、これが思わぬ形で話題になってしまった。

この番組内容自体、ここまで本田圭佑の言動や葛藤を追い続けてきた人間にとって見ごたえがある内容だったのだが、関西人の血が騒いだのか最後に自ら壮大なオチをつけてしまった。

 

わりと真剣にこの番組を見ていた自分としては、この発言まで本当に勇気づけられ感銘していたのだが、最後にその感動の全てがずっこけるような展開が待っていた。

 

「プロフェッショナルとはケイスケ・ホンダ」

この男、いちいち面白いことを言わなければ気が済まないのか、毎回プロフェッショナル仕事の流儀の時には必ず意味不明な発言を残して終わる。

そもそも本田圭佑という男自体、以外とお茶目なところがありこの回でも「プロフェッショナルの映像に使えそうなことを言いますよ」とあえて言ってみせたり、過去には「俺のインタビューが一言も無い取材でどんな記事が書けるか楽しみにしているよ」とユーモアを魅せることが多い。

 

しかしこの「プロフェッショナル=ケイスケ・ホンダ」という発言は、これまでの本田圭佑の生き様やこの番組全体を見ていればとても深い言葉だということが分かる。

それはガンダム00における「俺がガンダムだ」が、最初はふざけている迷言なのかと思いきや、ちゃんと全ての話を見ればその意味が分かるかのような物かもしれない。

 

機動戦士ガンダム00といえば、自分はグラハム・エーカーというキャラクターに当時憧れていたのだが、ある意味その憧れの続きが本田圭佑だった。

なぜならばどちらも金髪であり、そして発言センスが抜群に面白い。

自分は何を言い出すかわからない人に惹かれる傾向があり、何を言っているか意味不明な人が大好きだ。

その意味では金髪であり良くわからない発言も多い、それでいてどこか深みがあるような浅いような言葉の多い手越祐也もジャンルは違えど尊敬している人物の一人だ。

本田、グラハム、手越、この3人の共通点は金髪でありキャラがぶっ飛んでいて、言葉選びが面白いところにある。

 

そんな本田圭佑の今回の名言はもう一つある。

「世界中飛びまわり過ぎて出身地がどこかわからない。もはやアース出身ですね。」

21歳の時にVVVフェンロに移籍して以来、その拠点は常に海外にあった。

オランダもロシアも、そしてイタリアもそれぞれ喜怒哀楽に満ちたよき思い出の地だろう。昔居た場所というのは苦悩も含めて、いつしか懐かしい日々として追憶される。

本田圭佑が過去をどう思っているかはわからないが、今ではロシアやイタリアでの苦悩に満ちた日々もファンとしては、そのことも含めてよい思い出だったように感じられる。

 

それにしても本田圭佑という男は何を言い出すかわからないから面白い。

この何を言うかわからないワクワク感、台本にはない想定外のスケール感が自分は一番好きなのかもしれない。決まったことや聞きなれたことしか言わない、社交辞令のようにしか語れない、表面上のコミュニケーションで済ます、自分はそういったことがあまり好きではない。もっと個人的な人間味を持って、アドリブで話す人の方が好きであり、その意味で本田圭佑は規格外だ。

 

その一方で本田圭佑が面白すぎたがゆえに、今後日本のサッカーを担う新世代の選手に物足りなさを感じるのではないかという危惧もある。

良くも悪くも今後サッカー界に本田圭佑を超える強烈なキャラクターは現れないのではないか、そう考えると途端に寂しくもある。

「引退後の方がビッグになる」と公言しているようにきっと本田圭佑なら現役サッカー選手を辞めたも、サッカーに関わり続けるだろうし、意欲的に様々なジャンルに取り組んでいくはずなので追い続けて飽きは来ないだろう。

 

しかしながら、これからの時代、彼のような好き嫌いが分かれる飛び抜けた個人というのは中々現れないのではないか。今の時代、通話アプリ内やSNS内におけるグループやコミュニティの中で、和を乱さないようにすることに神経を集中させる若い世代が増えてきているように思える。

そう考えた時、世界に舞台に打って出て、世間の目を気にせず、むしろ世の中の風潮を変えていこうとする個人が現れる土壌は少なくなりつつある。

 

熱い時代最後の生き証人、それが本田圭佑なのだとしたら、今回のワールドカップはまさにラスト・ミッションだ。

「どん底に追いつめられるほどワクワクする、それが本田圭佑ですから」

本田の覚悟は壮絶な物だ、これまでの過程を見ればそのことは容易に想像がつく。

 

そして「ドリブルやシュートだけを見ていたら本田圭佑という男の生き様は分からない」とも語った。

そのことも良くわかる、どちらかと言え不遇な時の方が多かったのが本田圭佑だ。

「キツいけど、それを乗り越えれば報われるよね、とネガティブな言葉の後に付け加える」

「失敗という言葉は言い換えてしまえばいい、上手く行かないということが分かったという成功みたいにね」

番組全体を通してみればとても印象に残る言葉が多い。

結果がどうあれ、ここまで本田圭佑を見てきた人ならば深く語らずともその意味は感じ取れるだろう。今まで何のために本田圭佑の生きざまを見続けてきたというのか。

 

正直自分は今回のロシアワールドカップ、勝とうが負けようが、ハッピーエンドだろうがバッドエンドだろうが、ここまできたらもうどうでも良いと思っている。

その生き様から何を感じ取るかが全てであって、勝てばそれは言葉には言い表せない程嬉しい。

しかし無慈悲に三連敗したとしても、自分は本田圭佑を批判するつもりは無い。

サッカーとは時として残酷でどんなに懸命に食らいついても努力が報われない事なんて日常茶飯事だ。

その無慈悲で無情な人生をまざまざと目撃することも、またこれからの糧になる。

 

プロフェッショナルとはケイスケ・ホンダ、その真の意味が分かる時がもう少しで訪れようとしている。

朗報:Sexy ZoneとGENERATIONSの謎の友情が成立する

ワイ「さて次回のMステの出演者情報見てみるか・・・」

ファッ!?

またSexy ZoneとGENERATIONSやんけ!

このデジャヴ感、偶然ではない。

 

実はというとセクゾとジェネレーションズはやたら共演しており、自分の記憶の限りで行くと、もはやこれが3回目である。

ジャニーズとLDHという一見するとライバル関係にある事務所でありながら、意外と関係が深い。

詳しくはこちらを参照してもらえればありがたいけれども、Mステで共演して以来秘かにSexy ZoneとGENERATIONSは不思議な縁がある。

一見するとお互いに別世界でまるで違うように見えるこの2つのグループは驚くほど似ているところがある。

だからこそ本人たちの間に謎の友情とも言えるべきものが存在するのかもしれない。

elken.hatenablog.com

 

一回目の時はSexy ZoneにしてもGENERATIONSにしてもまだ世間的にはそこまで知られていない存在だった。

ある意味、ジャニーズ事務所におけるセクシーゾーンの立ち位置と、LDHにおけるGENERATIONSの立ち位置というのは通じるものがあったように思う。

どちらともその事務所内ではそこまで推されていないし一番手ではない、しかし実力はあり個人のメンバーでは知られている人がいる。

例えばSexy Zoneの中島健人、GENERATIONSの関口メンディーはそのグループのファン以外でも知っているグループの顔となる存在かもしれない。

 

正直なところ自分は関口メンディーが結構好きで、わりとマジでメンディー好きだったりする。

LDHに対して自分はツンデレ的なところがあり、本当は結構好きで特に関口メンディーはお気に入りメンバーの一人である。

ちなみに次点で三代目JSBのエリーが好きという隠れた好みがある。

 

自分の記憶の限りで言えばSexy Zone×GENERATIONSは既に過去に2回の例があり、一度目は中島健人がジェネレーションズの間で流行っている挨拶みたいなものを行って溶け込んでいた。

 

次に2回目の時は、これは個人的に超神回でなんとSexy Zone、GENERATIONS、TWICEという自分好みのグループが同時に出演するというナポレオンもびっくりな三帝会戦のような様相を呈していた。

その時に、GENERATIONSのメンバーがマリウス葉の「がんばりマリウス」を言ってくれたことは未だに感謝しているし、凄く嬉しかった。

LDHの連中ってなんか怖いと思ってたけど、結構優しい面白い奴らなんだなとなぜか親近感を抱いたことを覚えている。

 

正直なところ自分は普段ジャニーズ界隈にしかいないので、LDH界隈の方々の意見を目にすることがほとんどない。

GENERATIONSのファンの人たちがどういった人なのか全く想像がつかないし、どういった文化があるかもわからない。

もしかしたら一方的な片思いでしかなく、GENERATIONSファンの人たちはSexy Zoneのことなんてそこまで気にしていないかもしれない。

お互いに全然違うジャンルでしかないし、交流の機会はあまりない。

 

それでも、別世界だからこそ新鮮な感覚がある。

LDHの中で一番好きなグループはGENERATIONSだと思えるのは、Sexy Zoneがきっかけだからだ。

あまりにも異色な関係過ぎて、自分でもよくわからない感覚になってしまうけどなんだかジェネレーションズは不思議と気になってしまう。

本人達の間でも交流があったらなと思うし、食事にでも行って、違う世界だからこそ話せることを持ち寄ったら結構面白そうだ。

異色の組み合わせだからこそ刺激があるだろうし、これからの両者の活動に役立つんじゃないかなとも想像したりする。 

とにかく今からSexy ZoneとGENERATIONSの"再会"が楽しみで仕方がない!