elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

三大なぜか聞きたくなるラッパー 櫻井翔、エミネム、そしてダヒョン

日本でヒップホップと言われる場合、それは音楽ジャンルであり、ラップは音楽における技能の一種である。

実はこの基本的な分類をよく分かっておらず自分は混同していた。

要するにHIPHOPもラップも、ジャンルか技法かの違いであってよく混同されるし、また別の世界ともコラボレーションすることがある。

 

例えばアニソンにラップが使われることは一昔前は良く批判されていたが、今ではアイドルソング、とりわけK-POPにおいてはもはや「一つのグループに一人ラッパーを加えなければルール違反なのか?」というぐらい必ずラッパー担当のメンバーがいる。

 

ただこれは逆に言えば日本がHIPHOPやラップミュージックについて無関心、無頓着であることの裏返しで世界ではもはやラップを取り入れることは常識となっている。

何も洋楽やK-POPにかぎらず、東欧や東南アジアの音楽を聴いてもラップやHIPHOP要素は取り入れられている。

つまり実はアニソンにラップを使っていたのは最先端の音楽を取り入れていた最先端の試みだった!?

 

その最先端、いや先鋭的なラッパーといえば日本では櫻井翔がその一人なのではないか。

嵐の櫻井翔は一昔前は「サクラップ笑」とネタにされていた感がある物の、今の音楽トレンドをちゃんと聞いていると「いや、櫻井逆にすごくね?」と再評価したくなってくる。

 

正直なところ、櫻井翔という男は時代に登場が早すぎたように思う。

普通に「10年以上も前にこれをやっていたなら凄い」という過去作が無数にあるのだが、当時どうしても日本におけるラップやHIPHOPはちょっとかっこつけた物でしかなかった。

今思えば櫻井翔は先見性があったというか、尖がっていたなと。

なんせKAT-TUNの上田竜也が「金髪時代の兄貴は凄かった」と語るほど、昔の櫻井はヤバかったのだ。

今では迷彩模様の私服から、迷彩模様の私服に着替えるというファッションセンスをとある番組で晒して以来、毎年のように関係者から迷彩模様のグッズをプレゼントされるという迷彩テロを受けている彼も昔はファッションリーダーだった。

「かっこいいけどダサい要素がある」から「ダサいけどたまにかっこいいところもやっぱある」になりつつある現代の櫻井翔さんも、昔はちゃんとかっこよかった。

その実例がまさにラップであり、ガチで作詞していた頃の櫻井は自分の心理状況や意志を投影していて今の若い世代にもぜひ聞いてもらいたい一説が多い。

 

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エミネム、この男もまた櫻井翔と似たような世間の風潮に立ち向かった反逆児的ラッパーだ。

基本的にラップやHIPHOPというものは白人が作り上げる音楽シーンに対して、地下世界、あるいは郊外的な表には出せないことを歌う音楽ジャンルだった。

そしてその更に逆をやったのがエミネムであり、「白人なのに黒人音楽のラップをやる」という二重の反逆を行った開拓者だ。

ある意味、演歌は日本人が歌う物から黒人も歌うと試したジェロのようのような衝撃度はあったかもしれない。

Lose yourselfという「エミネムさんが教えてくれるシリーズ」で有名な曲も、ちゃんと原曲を聞いてみれば難しい逆境から立ち向かっていくような世界観だ。

初コピペどものコピペにあるように、やはり厨二病ならばエミネムを推していなければならない。

実際英語のリスニングの練習としてもエミネムは聞く価値があり、Rap Godはラップミュージック史上最高難易度の曲と言っても過言ではない。

 

とにかく「アイドルはラップをやらない」を覆した櫻井翔のように、白人はラップをやらないという常識を覆し世界にそれを認めさせたのがエミネムだ。

普通はやらない人がその世界にチャレンジして、新しいジャンルを築き上げる、そのことに大きな意味がある。

 

もう一つ聞きたくなるラッパーに魅力的な要素があるとするならば、それはやはり「聞きたくなるかどうか」だ。

ラップという世界は何も技術だけではない、大切な根幹要素は技能ではなく自分のスタイルを持っているかに他ならない。

櫻井翔がジャニーズ界でラッパーの道を切り開くきっかけとなったのも、思い悩んでいた時期に「好きに自分のことを表現すればいいじゃない、自由なスタイルでやっていいのがラップだよ」とラッパーの先輩に背中を推されたからだ。

 

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ラップという音楽は自分のスタイルを持っていれば上手いかどうかじゃない、聞きたくなるか、魂がこもっているかどうかだ。

その人が歌う事に意味があるかどうか、その意味ではTWICEのダヒョンはなぜか心を惹きつける。

 

そう考えると自分が自分がなんだかんだで聞いているのはダヒョンのラップで、TWICEの音楽を聴いていれば自然と聞こえてくる。

TWICEのラップ担当といえば相方のチェヨンがいるけれども、技術としては明らかにチェヨンの方がこれぞラップのスペシャリストという感じで抜群に上手い。

チェヨンは本当に歌詞の作詞からデザインセンスにおいて天才肌で他を寄せ付けない才能がある。

 

その一方でダヒョンはどことなく親しみやすいというか、キャラクターも面白く聞いていて楽しい気分になるポジションだ。

しかしながらダヒョンも負けてはおらず、声に関してはチェヨンに対して透き通っているイメージがあり、その両端の違いが上手く聞こえてくるところがTWICEの魅力になっている。やはりパク・ジニョン氏は音楽プロデューサーとしてよく考えているというか、バランスが分かっているから凄い演出家だ。

K-POPはラップの技術をと非常に重要視しており、男女のグループ問わず数え切れないほど上手い人材がいくらでも存在する。

ダヒョンのラップはもちろん音楽で活躍する以上、高いレベルにあるものの本物のトップクラスの中で上位とは言えない。それでも聞きたくなる、それがダヒョンの魅力だ。

 

それぞれの共通点としてやはり「本家」ではない物に対して、違うスタイルを打ち出すというか必ずしもエリートではないところから登場してきた背景がある。

普通ではやらないという異色さ、そして異色だからといって単なる珍しさだけでは終わらない。

むしろ偏見を持たれてからこそがスタート、その逆境からの始まりにラップとしての魂がある。

音楽の成り立ちとして反発から始まっているのだから、同じく反発される運命にあるというラップの宿命、それが世界を惹きつけている。 

新星日本代表 無事ウルグアイを撃破、もしかして歴代最強じゃね?

世間的にはそれほど注目を集めず、地味だと思われてきたワールドカップ後の日本代表が、この度南米の強豪ウルグアイと対戦した。

結果は4-3というスコアで勝ちきったものの、その内容は公平な視点で見ても圧勝の一言に尽きる。

 

正直なところこれが東アジアの国と南米の国の試合とは思えない程、日本がウルグアイを圧倒しておりもしかしたら更なる追加点もあり得る試合だった。

更に言えばウルグアイも決して手を抜いていたわけではなく、エースのカバーニはシュートを決められなければ地面を激しく叩き、ゴールを決めれば闘志と喜びを露わにしていた。

 

素直に言えば単純に「アジアと南米の力量の差が縮まった」という事に他ならない。

かつてアジアといえば南米を大の苦手としており、むしろ欧州の国々に比較的善戦するという傾向があった。狡猾でずる賢い南米の巧さに翻弄され、スタミナやアジリティで欧州には善戦するという構図から、むしろ南米の方がアジアにとって戦いやすい相手になろうとしている。

 

事実としてここ最近、日本と韓国が南米相手に勝利を収め続けており、もはやかつてほど南米への苦手意識は無くなってきている。

これまでは南米と言えば雲の上の存在だったが、今ではもはや追い付こうとしている印象の方が強い。信じられないことにもはや南米がアジアのお得意先となっているのだ。

もちろん南米ホームで戦った場合には違う結果になるかもしれないが、着実にその差は近づこうとしている。

 

大体この流れは日本の鹿島アントラーズがクラブワールドカップでコロンビアのインテル・ナシオナルに勝利し、韓国代表がコロンビア代表に親善試合で勝利を収めた頃ぐらいから始まっており、南米相手にもアジアは十分に戦えるという機運が醸成され始めている。

 

その後、ワールドカップで日本代表が公式戦でコロンビアに勝利を収め、ワールドカップの舞台でも勝ち目があるという可能性を示した。

コロンビア、ウルグアイ共に立て続けに日本と韓国に敗れ去り、ブラジルやアルゼンチンもかつてほど圧倒的な存在ではなくなりつつある。

 

個人の技術の差が戦術や育成の成長によって狭まり、なおかつビデオ判定によって以前ほど南米の狡猾さが発揮しにくくなってきているというのが大まかな流れなのではないかと自分は見ている。

 

これから南米の国々が強みとするのは試合運びの巧さといったサッカー的な経験に限定されるようになり、技術とフィジカルの差はかつてほど大きくはなくなろうとしている。

現に今回のウルグアイ戦を見ても、むしろ日本代表選手の方が華麗な南米人らしい技術を披露しており、特に中島翔哉のシザースは見事だった。

堂安律のドリブルも迫力があり、南野拓実の得点力も光った。

 

逆にウルグアイ代表はこれと言った見せ所も無く、得意のカウンター攻撃は迫力を欠き、要所では南米人らしいセンスを感じさせるものの全体の攻撃としては上手く機能していなかった。

さすがにウルグアイもアジアに二連敗となれば国民も許しはしないだろうはずで、この試合に勝つモチベーションは高かったはずだ。

しかし現実の結果として内容でも得点でも日本に圧倒され、このアジア遠征は二連敗で去っていくことになった。

サッカーファンならば南米人のアジアに対する差別的行為を嫌という程見てきた経験があるだろう。そういった過去を考えると、いよいよ南米がサッカーでもアジアに勝てなくなったという事実は感慨深い物がある。

 

むしろアジアにとってこれから難しい相手となるのは欧州であり、アフリカ系の選手を高度に教育して無尽蔵に投入できる西欧の国は今後強敵になっていくだろう。

南米に以前ほど苦手意識を持つ必要はなくなっているが、同時に欧州の壁も厚くなってきている。

 

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それにしても今回二得点を決めた南野拓実は、笑ってしまうぐらいの超絶イケメンだ。

攻撃参加の意識も高くなおかつ見栄えがいいので、男女ともに見ていて楽しい選手だ。9番というストライカーの背番号がとてもよく似合う。

自分は以前から南野拓実は山崎賢人に似ていて、喋り方も顔も永瀬廉に似ていると思っていたのだが、まさかこれだけ代表で見た時が華があるとは思わなかった。

今の日本代表はとにかくギラギラ感があり、スピード感のある連携が非常に見ていて楽しい。

個人技でも連携面でも前に進む速さが特徴であり、アグレッシブな爽快感がある。

 

これほど攻撃的かつ野心的なサッカーをしている代表はこれまでなかったのではないか。

いよいよサッカーにもアジアの時代が来たか、そう思わせてくれる代表になろうとしている。

どうやら韓国のサッカー熱がガチで復活してるらしい

ワールドカップ後の世界のサッカー情勢を見ていると、今回の大会で各国の風向きがだいぶ変わってきているという印象を受ける。

特に韓国代表の復活は日本のサッカーファンの間でも話題になっていて、ドイツを公式戦で撃破してからの勢いはすさまじい物がある。

 

それまでの韓国サッカーは、若者は野球で足球(チュック)はちょっと古いという認識をされていたところから、代表が結果を出して盛り上がってきてイケメン選手も多くちょっとしたアイドル化の傾向にあるようだ。

 

実際ロシアワールドカップでもソウル市内のライブビューイングがかなり盛り上がり、K-POPのアーティストが出演するなどの盛り上がりを見せていた。

少女時代が2010年に南ア大会の時、講演したこともある場所で今回はOH MY GIRLが公演していたのでアイドルファンとしても見どころがあった。

その模様をネットで配信したり、防弾少年団やRed Velvetともコラボして韓国サッカーは若者向けにシフトしようとしている感じは伝わってくる。

 

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ユーチューブなどで韓国系の動画めぐりをしていても、結構サッカー関連の動画が再生数がありネットで上手く行きつつあるなというのが韓国サッカーの現状だ。

先日のアジア大会で日本に決勝で勝って、ソン・フンミンやイ・スンウらの徴兵が免除されたことも韓国サッカーの未来を明るくさせている。

韓国人の立場としてはこれで思う存分ソン・フンミンが活躍してくれて、「2022年のカタール大会マジで凄いことになるんじゃないか」という期待感が漂っているようにも見える。

 

ドイツとスペインが弱体化して、イングランドが躍進、そして今大会に出場できなかったオランダとイタリアがやや盛り返しつつある。

世界のサッカーの傾向としてポゼッションの時代が終わり、フィジカルやセットプレーの時代になってきているのも韓国サッカーにとっては追い風となっているのかもしれない。

 

逆に日本代表はある意味ワールドカップで燃え尽きた感があるというか、自分自身一つ区切りがついたような感覚になっている。

むしろ敗退したり出場できなかった国の方が、それを糧にして次の大会に向かって行こうという空気感になって、ベスト16で日本は中途に燃え尽きた感があることも否めない。

 

ソン・フンミンが南ア大会後の本田圭佑ポジションで、イ・スンウが新星の香川真司のような感覚だとすればちょうどザッケローニ体制発足後に近い雰囲気だろうか。

若手が主力で未来は明るく、アイドル的な選手もいる、それは盛り上がらないはずがない。

女性人気はやはりサッカーは軽視してはいけないというか、日本もサッカーが一番盛り上がりのピークにあった頃は最近だとやはり内田篤人が代表にいたころだ。

サッカーにそれほど詳しくない人も「うっちーはかっこいいね」と言っていた時代を思えば、男しか盛り上がらないというのは興行としては物足りない。

「セレ女」だとか言っていたいて、柿谷曜一朗が篠田麻里子と年賀状を好感していたコマーシャルが流れていた時代の方がやはり活気はあった。もっとさかのぼれば宮本恒靖がツネ様だと言われ、ベッカムがイケメンの代名詞だった時代はサッカー熱が非常に高かった。

 

韓国サッカーの象徴という意味ではパク・チソンからソン・フンミンの時代になったというのもファン層の違いを表しているかもしれない。

御世辞にもパク・チソンはイケメンだとは言えないどころか、はっきりいってブサメンである。しかしソン・フンミンは韓国人好みの雰囲気イケメンと言えなくはないし、実際女性ファンはかなり多いようだ。

日本だと柴崎岳や南野拓実が正統派のイケメンで、もう少しキャラクターが面白ければファンも増えていくかもしれない。

中島翔哉はイケメンではない物の、なんだかんだでモテる感じのジャニーズでいうところの増田貴久のような雰囲気があるので、これからの活躍に期待したい。

 

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それにしてもOH MY GIRLがワールドカップ期間中にライブビューイングで出演していた時は、韓国サッカーもそろそろ斜陽感があったように見えたのだが大会が終わってみれば「次は行けるぞ感」みたいなものが出てきて盛り上がり始めている。

 

結果自体はグループリーグ敗退なものの、やはりドイツ代表に勝ったことは自身をつけた要因だろうし、その後アジア大会で優勝したというのは、ちょうど日本が2011年のアジアカップで優勝したときのような雰囲気に近い。

先日ウルグアイを撃破したことは、ちょうど日本が南ア大会後の初陣でアルゼンチンを撃破したときのような感覚だろう。

2019年のアジアカップで韓国が優勝すればさらに盛り上がりは加速するかもしれないし、今の韓国代表にはその力がある。

 

正直今の日本代表が韓国と対戦したとき、韓国に勝つイメージは湧いてこないのも現実だ。

久しぶりに強い韓国が戻ってきたというか、やはり韓国はそう簡単には倒せないライバルであったほうが対抗心も湧いてくる。

この前久しぶりにザック時代の時、札幌の試合で3-0で圧勝した試合の映像を見たのだが、この頃は日本が華麗なパスサッカーで韓国を圧倒していたんだなと驚いた。

日韓のサッカーの歴史においてパスサッカーが隆盛を極めているときは日本が強い傾向にあり、フィジカル寄りになってくると韓国が上回ってくる。

現にハリル時代に0-4で圧倒された際はその典型で、ユーチューブではこの試合のハイライト映像が「日本を倒した試合」として高い再生数を誇っている。

 

そういうところを見るともちろん悔しいなと思うと同時に、こうして愛憎のライバル関係が続くのは悪い事ではない。

一時、「日本のライバルは勝っても負けても後味が悪い韓国ではなくオーストラリア」なんて意見もあったものの結局定着せずあまりこの関係は盛り上がっていかない。

腐れ縁という言葉が相応しい程に、なんだかんだでレアル・マドリードとバルセロナの関係にも近くライバルは韓国だ。

 

しかも最近欧州がネーションズリーグというのをやり出してますます内輪に閉じ、ブロック経済を作り出そうとしている。

移民系の選手がヨーロッパの国々では代表になり、中々アフリカの国々も強くなっていかない。

「ヨーロッパが権益を独占している」という批判の声もあり、これからのサッカーは欧州一驚状態になっていく可能性が高い。

そう考えたときに、かつてアジアの連帯だとか大東亜主義と言われたように、結局のところ日本が協力する相手は韓国しかないようにも思う。

 

現実問題として韓国以外に日本の良い競争相手になる存在はいないし、現にTWICEの成功を見ても分かるように日韓はなんだかんだで相性がいい。

三浦知良なども近場の国で交流戦を増やしてもいいのではないかと語っているし、言う程韓国は敵視する存在ではない。

確かに2002年の日韓共催の頃は後に遺恨を残す問題がいくつかあったものの、その頃と韓国もだいぶ違う国になってきているというか、素直に先進国になったとところがある。

悪い面ばかりどうしてもお互いに取りざたするようなところがあるものの、ちゃんとしたところはお互いにあるし、逆に韓国でも一部の嫌韓的な行為がまるで日本人の全体であるように報道されることがある。

それで困るのは結局普通の人々であって、悪い対立はお互い利にならない。

 

その意味で韓国サッカーがこれだけ盛り上がってき始めているのならば、よい競争関係を構築する機会になるのではないか。

現実問題として日本と韓国、どちらも単独でワールドカップを開催することは不可能だが、あと一か国加えて共催という形にすればまたできなくもないし、後から問題になっただけで日韓W杯はポジティブな盛り上がりがあったのも事実だ。

それと何より韓国のサッカーファンは日本にも詳しく、驚くほど冷静な分析をしている。

ならば日本側もより韓国サッカーについて冷静な視点で見るべきなのではないか。国際的な情勢を真摯に見定めなければ、時代はあっという間に変わってしまうものなのだから。

中島健人の華麗なる生き様 その光と影

中島健人とはSexy Zoneに所属する、日本の学年制度で言えば93-94学年生まれのがっつりゆとり世代のジャニーズである。

元々、同じジャニーズであるHey! Say! JUMPの山田涼介に「なぜ同じ世代の人がこれだけキラキラしているのだろう」と憧れて事務所に入った経歴があり、それまでは遊戯王のブルーアイズホワイトドラゴンと海馬瀬人が好きな普通の少年だった。

 

また青春アミーゴや『野ブタ。をプロデュース』がリアルタイムで放映されていた時に、クラスメイトに山下智久演じる彰の「コンコン」という仕草を物真似されてジャニーズに興味を持っていったというのが彼の現在を作り上げるきっかけだ。

 

そんな中島健人は誕生日で言えば3月13日で、元々ジャニーズファンにはメンバーの誕生日を祝う文化があるがこれを「セクシー節」として今後盛り上げていけば中々楽しそうではあると考えると同時に、日本の文化で言えば「早生まれ」ということになる。

 

実は中島健人さんはゆとり世代の星であると同時に、早生まれという逆境にも立ち向かっていった過去を持っている。早生まれは年を取るのがちょっとだけ遅いメリット以外にはこれといった利点が無く、基本的に日本社会の中では不利になることが多い。

またクラスメイトと上手くいかなかった時期も中学時代には存在していたり、グループ自体がメンバーの分裂に合い相方の菊池風磨と対立したりと不遇な時代も経験している。

 

一見華麗に見えるセクシー王子の人生にも上手くいかない時期はあり、雑誌に思わず「いつまでもラブホリ王子を続けていい物だろうか」と心境を吐露していた時代さえある。

 

しかしそこで彼はめげずに自分のキャラクターと哲学を貫いた。

これは『林先生が驚く初耳学』という実質的にケンティー師匠がレギュラー出演者になっている番組でも林修が解説していたように、「同じことを続ければ道は開ける」という実例であり代名詞であるセクシーをやり続けた。

 

常識的に考えてジャニー社長の突拍子もないひらめきで作られたセクシーゾーンというグループ、普通ならどう考えても恥ずかしい!

散々ネタにされ時としてファンからも「グループ名が足を引っ張っているのではないか」と言われていた時期さえあった。

しかし中島健人師匠の発想は違う、「なぜ笑うんだい?セクシーという言葉はカッコイイじゃないか!」と自分のキャラに生かす。

決して自分のいる環境という物をマイナスに考えず、その利点を最大限に活用する、これこそ中島師匠の教えである。

 

当時の本人の本心はどうだったかはわからないが、もう決まったことなのでどうしようもないならば思う存分その境遇をポジティブにとらえる、これが中島健人という男の生き様だ。

 

中島健人の「影」という意味では、彼は今でも学校の音楽祭でピアノの演奏ができなかったことを後悔している。

家庭の教えでピアノを習っていた中島健人は一度はピアノを合唱で披露しようと思い立ったが、結局勇気が出ず自分を出せなかったという過去がある。

 

しかしそれを反骨心に彼はジャニーズでデビューしてから、自分のキャラはピアノだと考えより一層練習に打ち込むようになった。

同じジャニーズJr.のあまりの技能レベルの高さに圧倒され「ジャニーズ界No1のピアニストになりたい」と奮起し、そして花言葉やスペイン語といった自分のキャラクターを作り上げる事にも努力するようになっていく。

 

その意味で中島健人は自分というキャラクターを客観的に見ているところがあり、これは現代を生きる我々にも役立つ発想なのではないか。

元々日本人がキャラクターが好きだということに加え、現代は日本人総クリエイター時代になろうとしている。人工知能が将来普及していく時代に、いかに自分というキャラクターを育てるか、つまり漫画やドラマの登場人物として自分を見た時どれだけ面白いか。

 

『大河ドラマ中島健人』という作品があった時、間違いなく面白いだろう。

むしろそれは現在進行形であり、我々は大河ドラマ中島健人を現在進行形でリアルタイムに見ている。むしろまだその物語は始まったばかりであり、当然これからの壮大な計画も考えているだろう。

 

本人は元々典型的なゆとり世代だったが、ジャニーズ事務所に入って予想以上の練習の厳しさに直面しそれまでの自分が成長したとも語っている。

これもまた彼の人生における逆境であり、今ではそのコーチにとても感謝しているようだ。

中島健人が舞台で披露するあのキレキレな動きも、そうして厳しい練習によって作り上げられているのだ。

それにしてもKing&Queen&Jorker、俗にKQJの時の中島健人の動きは本当にキレがありかっこいい笑

 

なぜ中島健人がこれだけ個性が面白いのかと言えば、それはブレずに自分を続けて自分の世界観を確立しているからという一点に尽きる。

自分独自の世界観でありセンスありをしっかり持っていて、マニュアル通りに教えられるだけではなく自分を出すことができる。

簡単に「自分を出す」といっても「出す自分」が無ければ、自分を出すことはできない。

中島健人師匠が好きな画家はスペインのサルバドール・ダリでありピアノで得意とする楽曲は『美しく青きドナウ』、こういったところで自分のセンスを吸収している。また母親のレデューファーストを大切にする教えも現在の彼を作り上げている。

 

芸術や教養に普段から趣味として触れており、薔薇を代表に美しい花々を愛する。

もはややりすぎなぐらいナルシストなのだが、これも「面白ナルシスト」の領域に達すれば嫌味が無い。

本気でウザがられない範囲内で程よくウザいのが面白いキャラクターの特徴であり、例えば歌舞伎町ホストのローランドなども似たようなキャラだ。

突き抜ければキャラは面白い、そのキャラクターをどう磨いていくか、これが彼の教えてくれる人生訓なのかもしれない。

自分が登場する漫画やアニメを客観的に見たときに面白いか、そう考える視点というのは今後大事になって来るのではないか。

 

続けることに挫折するという経験は誰にでもある。

中々クリアできないゲームを投げ出すことだってそうだし、伸び悩みに直面することもある。

「本当は伸びて成長しているけど、その実感が無い」というのは何事にも共通している。しかし鳥の羽が大きくなって飛べるようになるには時間がかかるし、木の年輪だって1年でようやく数ミリ積み重なるだけでしかない。しかしすぐに伸びる木の方がもろく、薄く重なる年輪ほど丈夫なように、地味な成長の方が人生には役立つときがある。

 

中島健人はその地味な成長を決して軽視することが無かった。

本田圭佑が「成功に囚われるな、成長に囚われろ」と語ったようにやる意味が無いような事でも自分を成長させていることがある。

人生やるしかない、そのことをケンティーはどれだけ考えただろうか。

華やかに見えるセクシー王子の人生にも挫折は無数にあった、そしてこれからもあるだろう。

 

そんな中島健人、個人的には「ゆとり男子三傑」の一人として推している。

フィギュアスケートの羽生結弦、ボクシングの井上尚弥と並んでジャニーズの中島健人はゆとり世代の傑作の一人だ。

ちなみに「ゆとり女子三人衆」は自分としては指原莉乃、きゃりーぱみゅぱみゅ、藤田ニコルを推したい。ミサモ三連星に関しては海外組の別枠としてカウントしたいが、とにかくゆとり女子のポテンシャルは凄まじい物がある。

 

今の時代ゆとり男子が参考にするべきは中島健人の生き様であり、それは別にイケメンであるかどうかに限らない。最近では「男子がなりたいと思う顔ランキング」にも徐々にランクインするようになってきていて、かつて亀梨和也や山下智久が同性の憧れだった時代に似てきている。

山田涼介と中島健人は男子がなりたい顔という意味では、ジャニーズの代表格だ。

ただ顔に限らず、自分をブレずに続けるという意味では現代の若い世代にとっても参考になるのではないか。

 

自分をブレずに続けるという意味では、最近そのゆとり女子三人衆の藤田ニコルが「自分に飽きちゃだめだよと尊敬する先輩に言われた」と語っていたのを見たことがある。

原宿系のカリスマとされる藤田ニコルも思いつめる時があるようで、そんなときに「自分に飽きちゃいけない」という言葉を振り返るようだ。

 

これは中島健人にも言えることで、彼はまさに続けたことの代名詞だと言える。

皆自分のキャラに飽きる時はあるし自分もいつまで厨二病だとか言っていられないなと思う時もある。

ただそれは誰の人生にも共通していることで、自分に飽きてはいけない。

アニメで途中でキャラクターがブレたら面白くないでしょと笑

登場人物が途中で普通のキャラになったら面白くないんですよ、それと一緒でキャラはやり通さないといけない。

 

教育評論家の尾木ママが「ゆとり教育世代は自分の得意なことを本当に伸ばしている人が多い」と分析していたように、得意なことを伸ばせる人というのは現代型の新しい人材になり得る。

指原や藤田ニコルにしろきゃりーぱみゅぱみゅにしろ、そして中島健人にしろ自分のセンスや世界観をしっかりと持っている。

スポーツでいえば羽生結弦や井上尚弥が自分のストロングポイントを磨き上げ世界で活躍している。

そして華麗なる中島健人の生き様は数多くの光の栄光と影の挫折に満ちている。

自分のやり方を持つ、それがこれからの激動を生きる時代の哲学なのかもしれない。

2026年アメリカ・カナダ・メキシコ共催W杯←今から8年後

いつの間にかロシアW杯くらいの頃に決まっていた2026年のワールドカップの開催地はアメリカ・カナダ・メキシコの共同開催となっている。

漢字にすると「米加墨共催」になるので、墨に米を加えると例えるとなかなか覚えやすい。

 

正直なところ2022年のカタールワールドカップに自分はそれほどワクワクしていない。

カタールの場合、結局暑さの問題が解決できそうになかったことで史上初の冬季開催と決まり、日本の季節で言えば11月から12月ということになっている。中東のカタールと言われても正直地味なところがある印象は否めず、実際カタールリーグなどの試合もそれほど盛り上がっていないのが現実だ。

カタールという国は中東アラブ諸国の中では比較的西洋化の路線を取っているので外国人労働者や観光客も多い。しかしそれでもスタジアム内でアルコールが禁止されるという話もあり、世界がサッカーで盛り上がるというイメージがあまり湧いてこない。

「産油国がオイルマネーを投資し華やかな大会が開催される」という期待は抱けそうにもないのが現状だ。

 

2026年

しかし次の2026年のワールドカップは、アメリカ、カナダ、メキシコと北中米を縦断するだけでなく出場国が48か国に拡大されまさに世界が盛り上がるビッグイベントだ。

今までワールドカップに出られなかった国が、初出場国になることでどのような影響があるのかという事も含めて新しい見どころは多い。

ワールドカップに世界最高峰のサッカーの試合という競技性を求めている人はもしかしたら反発するかもしれないが、グローバル経済やインターネットによって世界中がつながるフェスティバルだと考えた場合非常に面白そうだと自分は考えている。

 

2018年現在の今から8年後だと考えれば、英語を学んで観戦のための資金を作っていけば現地で旅行ついでに試合を見ることも可能になる。最近の日本人は海外旅行にそれほど夢を見なくなっているが、このビッグイベントに8年後参加できれば面白そうだと考えるだけでもワクワクしてくる。

サッカーファンの人生においてワールドカップは4年周期のある種の指標になっているので8年後の人生設計も含めて想像は膨らむ。

 

特にアメリカのMLSは発展が目覚ましく、もしかしたら8年後にはサッカーが四大スポーツの一角を占めているか五大スポーツという呼ばれ方をされているかもしれない。

メキシコは伝統的にサッカーが根付いており、実質的に三度目の開催という事にもなる。メキシコの人口は1億3000万人と日本と互角で、更に新興国だと考えれば日本がJリーグ開幕から日韓ワールドカップに向かっていくまでの熱狂に似たような物が起こり得るかもしれない。

アメリカ社会におけるスペイン語の浸透と、メキシコの発展を考えれば英語に続きスペイン語もサッカーファンにとっては必要な言語だろう。南米からの観客も当然多く参加することが予想されるのでスペイン語も現地での観戦を充実する手段になり得る。

カナダはこれまでサッカーの世界ではアウトサイダーであったが、事実上初の開催を迎えることでサッカー面のインフラも充実していく可能性がある。

 

とにかくこの大会、参加国と開催国、両面において過去最大規模のワールドカップであるどころか、人類がこれまで経験したことがない規模の壮大なイベントになるポテンシャルを持っている。

縮小傾向にある日本社会に生きていると、どうしても小さな日常にばかり視野が狭まり夢や希望にワクワクするということが少なくなってくる。

そうしたときに華やかな未来を想像することは人生を生きる上でも一つのモチベーションになる。その意味で自分は8年後、このワールドカップを現地観戦するというのが人生の夢でもあり、その時には今の自分より大きく成長していられればという思いもある。

 

昔の日本にはそうして何かに向かっていくエネルギーというものがあった。

東京五輪が終わってからの日本はもうそうして何かに盛り上がっていく国ではなくなるだろうし、その東京五輪ですらこれだけ揉めている。東京五輪が決まった頃や、二度目のワールドカップの開催に向かっていた頃は「日本のハイテク技術で次世代のスポーツイベントを盛り上げる」という前向きな機運があったが、もう今は技術だけでなく文化や制度の面でも遅れているのが現実だ。

そうして後ろ向きで下降気味の国になっていくのだと思うと、どうしてもワクワクすることは外にある時代だ。

 

ただしサッカーに関してはこれから新しい時代を迎える可能性がある。

日本サッカーの育成改革も、草の根の活動によって現場に携わる人々が本当に一生懸命やってくれているしサッカーは数少ない日本に情熱が残された分野だ。

比較的に外に目を向けている人がや世界に前向きな人が多く「伸びしろ」がある。

 

久保建英が26歳ほどで、堂安律が28歳だと考えればちょうど今の若い世代の選手が良い時期に開催されるのもこの2026年米加墨共催W杯の見どころだ。

また近年アンダー世代の大会でも結果を出しており、着実に現場に積み重ねられている育成ノウハウが花開けばさらに上の年代でも結果を出す可能性がある。

 

また現在では決まっておらず未定であるものの、中国がワールドカップを自国で開催するというのはほぼ既定事項だ。サッカー好きの習近平が長期政権を敷いており、これからもサッカーへの投資は続いていく物と思われる。

「中国は中々進歩しない国」だというのがかつての日本人の感覚だったが、もはや今では先進的な物の多くが中国で実験開発されている時代だ。

確かに粗はある物の国策で何かを大々的にできる国は、考えもしなかったような非日常的なものを作ることをやる。

電子化やインフラ整備に関してはもう完全に中国が世界をリードしており、サッカーファンが夢見る新時代のワールドカップはもしかしたら中国が成し遂げるのではないか。

 

仮に2030年に中国開催となれば、二大会連続超大国で開催されるということになる。

その時に日本が内向きの小さな日常さえあればよく、世界のことは関係ないという国になっているのか、それとももう一度夢に向かっていく国になっているのか。

本田圭佑が「世界は中間層が増えている」と語っているように、むしろ世界はこれから始まっていく。