elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

三大なぜか聞きたくなるラッパー 櫻井翔、エミネム、そしてダヒョン

日本でヒップホップと言われる場合、それは音楽ジャンルであり、ラップは音楽における技能の一種である。

実はこの基本的な分類をよく分かっておらず自分は混同していた。

要するにHIPHOPもラップも、ジャンルか技法かの違いであってよく混同されるし、また別の世界ともコラボレーションすることがある。

 

例えばアニソンにラップが使われることは一昔前は良く批判されていたが、今ではアイドルソング、とりわけK-POPにおいてはもはや「一つのグループに一人ラッパーを加えなければルール違反なのか?」というぐらい必ずラッパー担当のメンバーがいる。

 

ただこれは逆に言えば日本がHIPHOPやラップミュージックについて無関心、無頓着であることの裏返しで世界ではもはやラップを取り入れることは常識となっている。

何も洋楽やK-POPにかぎらず、東欧や東南アジアの音楽を聴いてもラップやHIPHOP要素は取り入れられている。

つまり実はアニソンにラップを使っていたのは最先端の音楽を取り入れていた最先端の試みだった!?

 

その最先端、いや先鋭的なラッパーといえば日本では櫻井翔がその一人なのではないか。

嵐の櫻井翔は一昔前は「サクラップ笑」とネタにされていた感がある物の、今の音楽トレンドをちゃんと聞いていると「いや、櫻井逆にすごくね?」と再評価したくなってくる。

 

正直なところ、櫻井翔という男は時代に登場が早すぎたように思う。

普通に「10年以上も前にこれをやっていたなら凄い」という過去作が無数にあるのだが、当時どうしても日本におけるラップやHIPHOPはちょっとかっこつけた物でしかなかった。

今思えば櫻井翔は先見性があったというか、尖がっていたなと。

なんせKAT-TUNの上田竜也が「金髪時代の兄貴は凄かった」と語るほど、昔の櫻井はヤバかったのだ。

今では迷彩模様の私服から、迷彩模様の私服に着替えるというファッションセンスをとある番組で晒して以来、毎年のように関係者から迷彩模様のグッズをプレゼントされるという迷彩テロを受けている彼も昔はファッションリーダーだった。

「かっこいいけどダサい要素がある」から「ダサいけどたまにかっこいいところもやっぱある」になりつつある現代の櫻井翔さんも、昔はちゃんとかっこよかった。

その実例がまさにラップであり、ガチで作詞していた頃の櫻井は自分の心理状況や意志を投影していて今の若い世代にもぜひ聞いてもらいたい一説が多い。

 

f:id:elken:20181019220307j:plain

エミネム、この男もまた櫻井翔と似たような世間の風潮に立ち向かった反逆児的ラッパーだ。

基本的にラップやHIPHOPというものは白人が作り上げる音楽シーンに対して、地下世界、あるいは郊外的な表には出せないことを歌う音楽ジャンルだった。

そしてその更に逆をやったのがエミネムであり、「白人なのに黒人音楽のラップをやる」という二重の反逆を行った開拓者だ。

ある意味、演歌は日本人が歌う物から黒人も歌うと試したジェロのようのような衝撃度はあったかもしれない。

Lose yourselfという「エミネムさんが教えてくれるシリーズ」で有名な曲も、ちゃんと原曲を聞いてみれば難しい逆境から立ち向かっていくような世界観だ。

初コピペどものコピペにあるように、やはり厨二病ならばエミネムを推していなければならない。

実際英語のリスニングの練習としてもエミネムは聞く価値があり、Rap Godはラップミュージック史上最高難易度の曲と言っても過言ではない。

 

とにかく「アイドルはラップをやらない」を覆した櫻井翔のように、白人はラップをやらないという常識を覆し世界にそれを認めさせたのがエミネムだ。

普通はやらない人がその世界にチャレンジして、新しいジャンルを築き上げる、そのことに大きな意味がある。

 

もう一つ聞きたくなるラッパーに魅力的な要素があるとするならば、それはやはり「聞きたくなるかどうか」だ。

ラップという世界は何も技術だけではない、大切な根幹要素は技能ではなく自分のスタイルを持っているかに他ならない。

櫻井翔がジャニーズ界でラッパーの道を切り開くきっかけとなったのも、思い悩んでいた時期に「好きに自分のことを表現すればいいじゃない、自由なスタイルでやっていいのがラップだよ」とラッパーの先輩に背中を推されたからだ。

 

f:id:elken:20181019222528j:plain

ラップという音楽は自分のスタイルを持っていれば上手いかどうかじゃない、聞きたくなるか、魂がこもっているかどうかだ。

その人が歌う事に意味があるかどうか、その意味ではTWICEのダヒョンはなぜか心を惹きつける。

 

そう考えると自分が自分がなんだかんだで聞いているのはダヒョンのラップで、TWICEの音楽を聴いていれば自然と聞こえてくる。

TWICEのラップ担当といえば相方のチェヨンがいるけれども、技術としては明らかにチェヨンの方がこれぞラップのスペシャリストという感じで抜群に上手い。

チェヨンは本当に歌詞の作詞からデザインセンスにおいて天才肌で他を寄せ付けない才能がある。

 

その一方でダヒョンはどことなく親しみやすいというか、キャラクターも面白く聞いていて楽しい気分になるポジションだ。

しかしながらダヒョンも負けてはおらず、声に関してはチェヨンに対して透き通っているイメージがあり、その両端の違いが上手く聞こえてくるところがTWICEの魅力になっている。やはりパク・ジニョン氏は音楽プロデューサーとしてよく考えているというか、バランスが分かっているから凄い演出家だ。

K-POPはラップの技術をと非常に重要視しており、男女のグループ問わず数え切れないほど上手い人材がいくらでも存在する。

ダヒョンのラップはもちろん音楽で活躍する以上、高いレベルにあるものの本物のトップクラスの中で上位とは言えない。それでも聞きたくなる、それがダヒョンの魅力だ。

 

それぞれの共通点としてやはり「本家」ではない物に対して、違うスタイルを打ち出すというか必ずしもエリートではないところから登場してきた背景がある。

普通ではやらないという異色さ、そして異色だからといって単なる珍しさだけでは終わらない。

むしろ偏見を持たれてからこそがスタート、その逆境からの始まりにラップとしての魂がある。

音楽の成り立ちとして反発から始まっているのだから、同じく反発される運命にあるというラップの宿命、それが世界を惹きつけている。