いろいろ能力や容姿、スキャンダル後の対応の細かな違いがあるけど
一番の違いは本当はいい奴かそうじゃないかの違い
実際はどうか知りようがないけど
指原莉乃からは本当はいい奴なんだな、ってのが伝わってくる。
本人が言ってるように性格自体はねじ曲がってるけど
そのねじまがりも、可愛げのあるひねくれ、という感じでむしろ好感が持てる
本当はいい奴なんだけど、いろいろあって周りの人たちによって歪められてしまった、というのが指原
なんというか性善説っぽいのが指原。最初はいい奴だった、いくら汚れていこうがその名残が残ってる
逆に峯岸みなみはねじ曲がってしまった、というより最初から陰湿な感じがする。
性悪説というか、最初からそういう性格なんだなというのが透けて見える。
スキャンダル前だと、ファンの見てないところで後輩に偉そうに接してんだろうなぁ、というのが透けて見えていた。
今は坊主にして立場も変わってそういうのは入れ替えたのかもしれないけど
やっぱりどこか性格が悪いんだろうなぁ、というのがある。
オタって多分そういうことに敏感で、さっしー=実はやさしい、みいちゃん=裏では陰湿という構図がある気がする。
AKB48一期生というブランド、先輩という立場で偉そうにしてきたの峯岸と
下っ端から低姿勢で地を這うようなプライドでがんばってきた指原
なんか、こういう違いが、性格の印象を変えてるように思える
大衆はエリートよりも庶民が好き、という非常に世の中にありふれた構図
確かに単なる印象なんだけど、実際世の中というのは簡単な印象の違いが決定的な差になる。
そういうのがこういった差に表れてるんじゃないかなと思う。
リアルな世の中の実体よねこれが。印象で決まる部分が多いのがリアル
あとは指原の成り上がってやろうとか欲望、というのもどこか可愛げがあるけど
峯岸のは本当のエゴ、自分さえよければ、みたいなものを感じる。
2人とも日ごろ自分の欲が大事みたいなイメージがあるけど
なんだかんだて言って情がありそうで仲間思いなのが指原
いざという時には冷徹に仲間を見捨てそうなのが峯岸
単なる印象だし、ファンの想像だけど、結局こういうのも
やっぱり普段の行いとか、実際の人間性がやっぱりどこかで透けて見えてきた結果
火のないところに煙は立たないというけど、峯岸がこう思われてしまうのには原因があると思う。
指原好きな人も、峯岸好きな人も、悪い奴、アイドルっぽくない奴を求めてるんだけど、完全に悪い奴は求めてない。
そして実は良い奴ですよ、っていう救いが欲しい人が多いんだと思う。
指原にはその救いが見える部分があって(orあるように見える)
峯岸にはあんまそういう部分が見えない。
本当に悪い奴、に見えてしまう。
そういう本物の悪を好きな人ってそんなにいない。
漫画とかでもだけど、皆悪役好きにおいてにわかなんだよ。
本物の悪を好きになりきれる人ってそうはいない。
悪い奴が好き、って言ってる人のほとんどが実はやっぱりちょっといい部分がほしいタイプ。
指原ってまさにそれで、絶妙なバランスが指原の人気を支えてるんだと思う。
俺も指原のゲス部分が好き、とか日ごろ言ってるけど、実は指原のいい部分も好き。本当にただゲスいやつだったら多分好きじゃないだろうしね。
なんかこいつ憎めないよな、ってのがあるというかね。
嫌いになったことはあったけど、嫌いになりきれず、なんかいつの間にか大好きになっていた。
それが俺の指原への感情
というか、指原のこと書きすぎて、もはや指原学、指原論の域に達してきた。