スナイパーとは狩人である。獲物を静かに仕留めることに特化したプロフェッショナル集団がスナイパーである。その職業はまさにシビアだ。
狙撃において「待つ」「耐える」という事は必須スキル。獲物がやってこない時間をどれだけ待ち続けられるか。ただ一回のチャンスのために膨大に時間を費やすことできるか、そして待ち続けた末にワンチャンスをしっかり決めることができるか。
チャンスはそれほど多くないしその一回のチャンスを作り出すことに膨大な時間を要する。何度も何度も無駄に見えることをやり続け耐え続ける。その精神的な強さがスナイパーには必要である。映画や漫画ではとても派手に描かれていてスナイパーかっこいいが現実はそうではない。ひたすら地味に耐え続けチャンスを待つことがスナイパーの基本的な日常である。
その末にやっと訪れるチャンスだがそのチャンスを一回でも逃してはいけない。一度逃せば終わりだ、チャンスは一回、ワンショットワンキル。
極度の緊張に耐えることができる者のみがこの世界を制することを出来る。その銃弾の一発が政治や歴史、世界史や世界情勢をも変える。Responsibility-責任-がこのSniper-狙撃手-という役割には問われる。外してはいけないというプレッシャーに耐えうるメンタルが必要になる。チャンスは一回、決められるか。
その世界観はまさにエミネムのLose yourselfのようだ。全てをつかみ取るチャンスがあったらそれをつかみ取るか?英雄か戦犯かその二択しかない、そしてそれは銃弾一発、引き金の一回にすべてが懸っている。
チャンスを外すかあてるかで天国と地獄が入れ替わる世界を体験したことがある人はいるだろうか。あの極度の緊張で通常のメンタルを保てる人間はなかなかいない。いつもできることがその時はできなくなり正常な判断を失う。人生が変わる勝負と人生に影響をもたらさない勝負には雲泥の差がある。
スナイパーはカッコいい、その言葉はすごく簡単だ。しかしその憧れや憧憬とは裏腹に現実はシビアである。「いつもできていたことが極限の状況ではできなくなる」これがまさに本質、サッカーのPKを見たことがあるだろうか。そして外す選手を見て思うに違いない、「プロのサッカー選手がなんでこんな近距離の物を外すんだ」と。しかしそれは極限の状況で失敗してはいけないという事態を体験したことが無い者の意見だ。緊張やプレッシャーは人を変えてしまう。何百回何千回何万回とやってきたことができなくなりパニックになり間違った判断をする。プロが素人のようになってしまう。
ましてそれが自分以外の人々の人生さえも大きく左右し何時間も何日も待ち続けるスナイパーの世界となればなおさらだ。人命と歴史を背負う覚悟がある人間でなければ精神をやられてしまう。よくスポーツはメンタルだと言われるが軍事の世界では命さえも預かる、それはもはやスポーツを超えた精神力を要する。スナイパーとはまさにメンタル、単なる射撃技術だけが問われる世界ではない。
仮にスナイパーの精神状態を体験したいならば一発外したら終わりというラストチャンスを経験してみるのもいいかもしれない。そのワンチャンスで人生が変わる成功によって天国、失敗によって地獄。日本の日常でそういう事はあまりない。最低限の安全が保障されているからだ。かつて「ギリギリでいつも生きていたい」と歌っている人々がいた。ギリギリでいつも生きる、その真の意味は責任を背負った人間にしかわからない。安全圏で勝負するだけではわからない世界がそこにはあ
しかしその天国と地獄こそが人間のアドレナリンを刺激する。イブラヒモビッチは「プレッシャーを愛せよ」と言った。メディアや世間が俺にかけるプレッシャーは俺が俺にかけるプレッシャーに比べればショボい、イブラはそう言った。プレッシャーを乗り越えなければ戦えない。極限の状況を乗り越えたとき人間は最高の喜びを得る、しかし失敗したときそのリスクは大きい。最高の喜びがあると同時に最悪の悲しみもある。それ故に人々はこの極限の世界を愛する。しかし現実はその憧れだけでは乗り越えられない。
リスクを取る、その言葉はカッコいい、しかしリスクを実際に経験したときに同じ考え方でいられるか。「リスクはかっこいい」という上辺だけのイメージでは勝てない。世間にはそういう生き方やスタイルを持てはやす意見があるがそのイメージに憧れてリスクを取ったときにリスクの恐ろしさと責任の重要性を痛感する。
そしてそれは狙撃手も同じである。うわべだけのイメージでかっこよく華やかなポジションだと見なされているがそこには究極のメンタルの世界がある。成功するか失敗するかですべてが変わる状況を体験しなければそのスナイパーという責任の重さは理解できない。安全圏の中だけで勝負する人間にはわからない世界がそこにはある。
もちろん自分自身は実際に歴史や人命を左右する狙撃の世界を体験したわけではない。現実問題としてフランス外人部隊に行かない限り日本人でその状況を体験する人はいないだろう。日本でも自衛隊の狙撃部門があるが実戦経験はほとんどやってこない。
しかしそれでも責任やリスクのある勝負を体験することは日本でも可能だ。その戦いを体験したとき、少しでもスナイパーという極限の世界の重みを理解できると思っている。単なる射撃技術の世界ではないんだなと初めてその時分かる。ただ単に射撃が上手ければ狙撃手になれるわけではない、メンタルが問われる。当たり前にできることができなくなる極限の状況にワンショットワンキルを決めることができるか、そういう世界にスナイパーは生きているのだ。