その男はクラブの命運や自分の人生さえ左右するゴールを、まるで練習で決めただけであるかのように反応した。
スペインのカナリア諸島に本拠地を置くCDテネリフェで奮闘する柴崎岳はこの日、クラブの1部昇格を目指すプレーオフに挑んでいた。3位から6位までのチームの中で1チームだけがプリメーラディビシオン、すなわちスペインリーグの1部への昇格を決めるこのシステムにおいて柴崎岳は過酷な生存競争に挑んでいる。
「プリメーラ」として羨望の眼差しを集めるリーガ・エスパニョーラの1部は2部で昇格を争うチームにとってその到達が悲願だと考えられている。たどり着けばFCバルセロナやレアル・マドリードのような世界トップクラスのスターを要するチームと試合をすることができ、それ以外のチームも非常にレベルが高くサッカー選手なら誰もが憧れる世界である。
テネリフェというクラブにとっても、そして柴崎岳にとってもこのデッドレースはその場所へたどり着くための命運を左右する重要な試合続きであり、テネリフェはプレーオフ進出権を獲得しプリメーラ昇格のチャンスを維持している。
そのプレーオフの一戦において柴崎岳は決勝進出を決める値千金のゴールを決め、今現在カナリア諸島の小さなクラブは熱狂の渦に包まれている。
日本でもこの報道は大きく話題になり柴崎岳の「大舞台」における強さがクラブワールドカップ以来再び証明される形になった。
第一戦を0-1でカディス相手に落としていたテネリフェは第二戦において確実に勝利が必要だった。スペイン2部のチーム同士が残された一つの椅子を奪い合うこの過酷な争奪戦はまさにサッカーの難しさを凝縮したような試合が続く。
その重要局面で柴崎岳はゴールを決め、この柴崎のゴールを守りきり1-0にしたテネリフェはトータルスコアがドローの場合2部リーグの成績を重視するというルールによって決勝進出を決めた。
この勝利はテネリフェの選手にとって次なる望みを繋いだ奇跡の勝利であり、ロッカールームの熱狂の様子も伝えられている。
しかしこの狂騒を「まだ喜ぶような段階ではない」という雰囲気で見つめる男がいる。
ゴールを決めた当事者、そう柴崎岳だ。
そもそも勝利が最低条件として求められるこの重要な第二戦目を前にして「プレッシャーは感じていないし落ち着いている」と語っていたのが"レアル・マドリードを追いつめた男"である。
まるで柴崎は彼自身のプレースタイルと同じように、全てを俯瞰して見ることができている。
彼は決して一喜一憂しない。
良いときもあれば悪いときもある、サッカーだけでなく人生全般において共通するその不変の真理を本能として心得ている。
サッカーというのは最も一喜一憂が危険なスポーツの一つだ。
束の間のゴールや勝利に喜べば次の瞬間には奈落の底に突き落とされている。逆に涙を流した後に、喜びを爆発させるような勝利が訪れることもある。
芝の上をボールが行き来し飛び交うこの空間ではあらゆることが移ろいゆく。そんなサッカーというものの本質を、柴崎岳の研ぎ澄まされた冷静なメンタルは理解している。青森山田のサッカー部時代にそんなことは嫌という程経験したのだろう。
それゆえに柴崎岳は簡単な事では喜ばず、喜んだとしてもすぐに我に返る。
「まだ何が起こるかわからない、試合終了の笛が吹かれるまでは何かが起こり得る」ということを自分に言い聞かせるかのように冷静な振る舞いをする。感情を最大限に表現するラテン諸国の人々からすればその姿は異質にも映るが、彼は実力を証明することによって徐々にその地位を築きつつありチームメイトからも認められ始めている。
試合が終了したとしてもそのシーズン全体としてどうなるかはわからない。より俯瞰して長期的に見るならば、このプレーオフ決勝進出もまだ喜ぶものではない。
決勝で対戦するヘタフェに敗戦すればその勝利が全て無に帰す。
柴崎岳はおそらくこれまでの努力が簡単に水泡のように消えてしまう事を経験したことがあるのだろう。これまで真剣に積み重ねてきたものが簡単に消えてしまい、虚無感だけが支配するような空間を体験したような冷徹さにも似たようなものを感じさせる。
事実、柴崎岳は青森山田時代の高校サッカー選手権において決勝で勝利を逃すという事を味わっている。
最後逃せば何の意味もなくなる、その原体験があるから今回の勝利に一喜一憂しないのだろう。
人は一度虚空に包まれるような敗戦を経験しなければ成長しない。
その敗戦からどう立ち直れるかがその人間の今後を左右する。
本当の重要な一戦とは何か、そのことを知っている柴崎岳は決して安易な局面で一喜一憂しない。
そして時に冷徹にさえ見えるほどの落ち着きを持つ柴崎岳の力はいずれ日本代表に必要とされる時期が来るだろう。
「サッカーにはそういう時間もある」と冷静に構えられる気概を持った柴崎は、重要な試合での勝負弱さが指摘される現在のサッカー日本代表においてラストピースとなるかもしれない。練習の時や特に意味もない試合では良いパフォーマンスを発揮する選手が多い日本代表において、大舞台に強い柴崎岳のような選手はその雰囲気すらも変えてしまうメンタリティがある。
日本人選手が上手い事はもう分かった、ボールの扱い方は世界的に見ても遜色はない。
しかし中田英寿が指摘したようにサッカーは練習で使える技術の上手さを競う競技ではない。重要なことはその練習で使える技術を本番に発揮できるか否かである。
楽しく乗れている試合の時に上手いのは日本代表レベルの選手なら当たり前、ワールドカップに出場する国の代表に求められるのは楽しくない嫌な試合をしている時に調子の良い練習の時に発揮できる才能や技術、そしてメンタルである。
柴崎岳はまるで練習であるかのように本番でゴールを決めた、そして練習であるかのように振る舞った。日本代表や日本人選手に欠けている本番の勝負強さのようなものが柴崎岳にはある。
そのメンタルや振る舞いが研ぎ澄まされたのは青森山田高校、そして鹿島アントラーズだろう。
柴崎の中で決勝で山梨学院とレアル・マドリードに負けたことは間違いなく重要な経験になっている。クラブワールドカップの世紀の一戦においてレアル・マドリードに鹿島アントラーズの一員として臨んだ柴崎岳は、そのスペインのチームが押されている時間帯の時の"不気味な冷静さ"を目の当たりにしている。クリスティアーノ・ロナウドやセルヒオ・ラモス、モドリッチがあの時何をしていたか、同じピッチに立っていた柴崎岳は目撃していた。
最後に優勝し栄光を勝ち取るチームや選手のメンタリティを間近くで見たことは精神的に大きな影響を与えたのだろう。それが今回のプレーオフ決勝進出をかけた試合における反応の要因になっているのではないか。
「決勝で対戦する相手」の基準が柴崎岳の中ではすでに山梨学院からレアル・マドリードになっている。
テネリフェの選手の中でもレアル・マドリードとの決勝戦に挑んだ選手は柴崎岳だけあり、白い巨人に本気で勝とうとしているメンタリティを持った選手はサッカーの本場スペインですらそれほど多くは無い。いや、レアル・マドリードの恐ろしさを熟知しているが故にそういった思いを持とうとすらしていないのかもしれない。
ある意味でよそ者や異分子である柴崎岳だから「ここで満足していてはリーガ1部では戦えない」という考えを持つ事ができており、その雰囲気を彼らに伝えようとしている部分もあるのではないか。
そしてそのメンタリティは再び日本代表に呼ばれたとき大きな影響力を持つはずだ。
万が一にもワールドカップ決勝に進んだ時どう試合に挑むか、そのことを本気で考え想定できているのは日本人サッカー選手の中でもしかしたら柴崎岳だけかもしれない。
ブラジルワールドカップの惨敗によってワールドカップに対して大きなことを口にしてはいけないという雰囲気になっているが、虎視耽々とその一瞬を待ち構えている準備しているのが柴崎岳なのだろう。
その時がやってくる確率は少なくても、その時のために準備しているかどうかでは大きく異なる。
サッカーというスポーツは元々それほどチャンスが多くやってくるようなスポーツではなく、ゴールもそれほど多くは無い。
わずかなチャンスの中でどれだけ狙うかということを競う世界であり、ほんの一試合や一瞬のためにあらゆる準備をしなければならない。
サッカーにおいてチャンスが少ないのは当たり前であり、そもそもチャンスが必ずやってくる保証はない。そのためには90分や120分の時間で試合を俯瞰的に見つめ、「サッカーには様々な時間帯がある」と一喜一憂せずにいられるプレイヤーが必要となる。その世界において求められるのは極限の状況下で獲物を仕留めることができる狩人だ。柴崎岳はもはやその領域を熟知し、その為に備えつつある。
2018年にいよいよロシアワールドカップが始まろうとしている。
もしかしたらそのサプライズ選考は、寡黙でそして誰よりも冷静なこの青森県出身の青年かもしれない。