いや元祖手越祐也である。
もはや手越は手越でありオリジナルの域に達している。
サッカー史上最高峰の天才とも言われるメッシがかつて「マラドーナ二世」と言われていたが、そこから元祖を超えるレベルに成長した今は「リオネル・メッシ一世」になった。誰かの二世から自分が一世になったのだ。
それと同じように手越祐也はもはや過去と比べるような存在ではなく完全にオリジナルの領域に達している。メッシはむしろ新しいスタンダードを作り上げ独自の存在にまでその存在を確立することに成功した。現代ではマラドーナ二世という言葉は風化し、メッシ二世という枕詞が新世代の選手の前につくようになっている。
そして今手越祐也という存在は過去を超え、今オリジナルの領域を確立しつつある。
火野正平や同じジャニーズの遠い先輩になる元光GENJI諸星和己のように平成版チャラ男として名をはせスキャンダル王子であり、メンタル面の適当さや底抜けの明るさや開き直りっぷりでは高田純次でもある。
彼は一体何者なのか?
答えは手越祐也である。
メッシがもはや有象無象のマラドーナ二世やマラドーナのコピーや亜種ではないように、もはや手越も誰かの平成版ではない。手越には「手越祐也」という独自のキャラが存在する。
これから仮に似たような存在が現れたとき真っ先に例えられるのは手越になってくるはずだ。もはや新時代のチャラ男のイメージは手越祐也として確立されている
手越祐也名言「みなさん僕のことをチャラ男と批判するけどモテなければチャラ男とは言われない。それは喜ばしい事であり恥じる事ではない。」
はちゃめちゃパリピの手越祐也からすればあらゆる言葉さえ彼の脳内で褒め言葉に変換されてしまうのだ。その内皆がんばって手越を批判することが虚しくなりいつの間にかファンになってしまう。
最初は誰もが手越祐也を見たとき強烈な嫌悪感を覚える。
「なんだこいつは・・・ウザイなぁ、グイグイきすぎやねん」
しかし人間とは「慣れ」という習慣を兼ね備えている。
いつの間にかそんなウザい手越が癖になってしまう。
あのウザさやグイグイ感、チャラさが癖になってしまうのだ。
それどころかいつの間にかあの底抜けの明るさの虜になってしまう。果敢なロケに何食わぬ顔で挑み、どんな時も明るく最強にナルシストを貫く。そんなメンタルの強さやキャラとしての徹底ぶりを知ったときいつの間にかその存在を認めてしまっている自分に気付く。
「またおまえか」と思ったとき既にその人はファンになってしまっている。手越のウザさの虜になってしまえばもはやファンである。
「ウザい嫌いカモン」
「俺の事を批判する人は俺の事が好き」
「俺を批判してる奴は楽しんでるんだからありがとうと言え」
「俺は将来辞書に載る」
「鳥になりたい」
「テイ」
「自信しかない」
「年中ホワイトデー」
「俺MAXっす」
「俺は夢の中に生きてる」
「体力はすぐ回復する」
「世界トップ3にはいるレベルでポジティブ」
など数々の名言を残す手越祐也だがそういった開き直り具合やいい意味での図太さというのはこの世の中で現代人が見習うべきものでもある。
疲れたときふと手越祐也を見てください。
あらゆることが馬鹿馬鹿しくなり自分の悩みがくだらなくなります。なぜ自分はこんなことに悩んでいたのだろうかと開き直った気分になれる。
突き抜けていい意味で自己中心的に楽しんで生きる、そんな生き方を手越祐也は示してくれる。誰かに気遣ったり、嫌われることを恐れたり、自分を押さえたり、そして失敗を恐れたり、ネガティブになったり・・・そんな人は多いし自分自身も根はそういう性格をしている。
だけどそんな時に手越祐也の底抜けの明るさを見たい時「おまえそんな小さなことでなやんでんじゃねぇよ」とまるて手越に問いかけられているような気がしてくる。
この金髪野郎は本気で世界中に元気を届けようとしている。
ある意味「誰かを笑顔にする」とう意味では誰よりもアイドルをやっている。本当に小さな子供から大人まで皆が笑顔になる。自分自身手越に笑わせてもらったことは一度や二度ではない。そういう意味では真のアイドルなのだ。
そんな姿を見ていると批判や嫌われることを襲れている自分がちっぽけな存在に思えてくる。手越祐也のようにもっとガンガンその時を楽しんで突き抜けて生きたほうが楽しいし上手く行くんじゃないかという事に気付かされる。メンタルぶっ飛んでることの素晴らしさをテゴさんは教えてくれる。そんな鬼メンタルの持ち主手越に自分は心の底から憧れるのだ。
しかし元々手越祐也は順調なエリートではない。
生まれ持っての天才ではなく、手越祐也のスタイルは誰もが見習うことができる。
生粋の天才やエリートならば誰もがなることを諦めるが、実は自分を改革し生まれ変わったのがこの金髪のメンタル超人なのである。
ああ見えて実は苦労人なのが手越祐也だ。元々NEWSの中では一番下っ端であり、昔の写真を見ても大してかっこよくない。学生時代は今とうって変わってモテておらず元々はエリートではなく非エリートの成り上がりなのが手越である。
全ては自分の努力でなりあがった。自意識を改革し新たな人間に生まれ変わり、そして彼は神を目指した。
手越祐也のジャニーズjr時代の夢は「ゆくゆくは神になること」である。
「新世界の神になる」「俺は海賊王になる」「僕はブリタニアをぶっ壊す」「チャンピオンを超える」というような厨二病名言が世の中には多いが、それらは全て創作上のキャラクターである。
しかし手越祐也というのは実在の人物である。その実在の人物が真剣に神を目指しているのである。まるで創作上のキャラクターのような言動は、かの二宮和也に「手越って実在するの?あれってCGじゃないの?」と言わしめるレベルである。
まさに今手越は神になろうとしている。神の存在に近づきつつある。
自分はそんな手越祐也の崇拝者でもある。
もはやファンではない、もはや崇拝者の領域に達している。手越さんのメンタルや考え方を見習い生き方の参考にしているし、自分の人生の師匠でもある。師匠であり神=手越。
自分だけでなく手越の生き方にヒントをもらったり参考にしている人も多い。
そこまで難しいことを考えなくても、今や子供でさえイッテQなどで手越をみて真似するレベルである。幼稚園児から大人まで今皆が彼の生き方に生きるヒントをもらっている。今まさに手越教という新しい宗教が誕生しつつある。
とにかく明るく楽しそうで、逆境に強く、どんなネガティブなこともポジティブに変えてしまう、そして最後は成功するという姿に今や老若男女問わず多くの人が憧れる。
元々宗教というのは「教えを乞う」行為から始まっている。尊敬する人間に生き方を問うというのが原始時代の宗教の始まりである。そういう意味で様々なストレスや難問と戦う現代人はNEWS手越祐也という存在にこの社会で生きるための方法を見出そうとしている。
大げさな言い方かもしれないがそういう人々にとってまさに「神」になりつつあるのが教祖手越祐也だ。間違いなく誰かにとって神になっているのだ。伝統的宗教や権威にとらわれない現代に適応した形の神になろうとしていることは間違いない。現代の世の中に現れた神であり、プリミティブで純粋な神と言っても過言ではない。
神という概念が誕生した時代に近い形で今手越祐也は神になろうとしている。
伝統的宗教もその時代では最先端の世の中の生き方を示したお手本だった。
今手越教というのはまさに現代に適合した教えともいえる。この今の最先端の世の中に合った生き方を今この金髪の神手越祐也は示しつつある。
誰かが手越祐也の生き方を参考にし現代のちっぽけな悩みから解放され、新しく生きるための原動力にしたときもはや手越は神という概念に到達していると言っても過言ではない。一見無謀で冗談のようなのように思えた「ゆくゆくは神になる」という言葉も、もしかしたら本当に実現してしまうかもしれない。いずれにせよ宗教や神とまでは言わずとも彼の生き方は今を生きる人々にとって大きなヒントになることは間違いない。