elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

哀しい大人「酒を飲めないのは可哀想」

大人でお酒を飲めないことって日本社会では辛いこと上位に入る事であるように思う。西欧諸国はもちろん、実はロシアでも健康意識の高まりで禁酒がある種のスタイリッシュな若者の流行や習慣になっている。ビール大国のドイツは限りなく本物に近いノンアルビールの開発が盛んだし、アメリカでもノンアル志向のカクテルバーが増えており飲酒は見直されている。

 

お酒を飲まないという選択肢が普通に尊重されている。そもそも欧米は昔から人前で泥酔することは恥ずかしい非道徳的なことだと考えていたり、お酒は悪いものでありという価値観は一定の指示を得ていた。

実際公共の場では飲めないし、深夜の酒類販売やお酒に肯定的なコマーシャルは制限されている国が多い。

 

 

ところが日本では「お酒を飲めない人は可哀想」という価値観まであり、芸能人が出演する明るいCMが白昼堂々と流れている。

社会でのコミュニケーションとしても当たり前に根付いている。大人はお酒を飲むものという価値観である。

 

なぜこういうことになっているかというと、それは「本質的に大人は哀しいもの」だからである。結局、大人は哀しいから酒を飲むんだよ笑

哀しくなるのが大人というものさ、とよくおっさんが言うじゃない、あれは事実だと思う。特に日本だと世の中のコンテンツや流行は女子供が中心なので大人の男は酒を飲むぐらいしかやることがない伝統が戦後は特に続いてきたわけだ。

 

女性が人前でお酒を飲むことは恥ずかしいという価値観は昭和まではあったし、韓国でも1980年代には「近頃は女性が人前で堂々とお酒を飲むようになってみっともない」という価値観があったと伝えられている。

実際、韓国焼酎「ソジュ」のイメージキャラクターはアイドルや女優が多いがそういった肯定的な宣伝は規制するべきという議論も存在する。

世界的に見て日本ほど若い女性が明るいイメージでお酒を飲んでいる国も無いのではないか。泥酔する女性はふしだらというか、乱れているというイメージはヨーロッパでも強い。クラブなどで発散しているイメージだ。海外ではそういう明るいイメージお酒を打ち出すのは誤った認識を与えると考えるが、逆にそういう考え方こそ女性差別的で厳しいなぁと日本人は考える。

 

それこそ橋本環奈は酒豪ネタが定番になっているし、アイドルや清楚系の女優も普通にお酒の話をしてお酒を飲む番組に出る。TOKIO松岡と華丸大吉の二軒目どうするでは、声優の花澤香菜が出演してかなりの日本酒好きだったし、あの番組は女性ゲストが多い。

更に最近では納言の薄幸やヒコロヒーのようにやさぐれ芸人も流行っている。

日本における嫌煙の風潮やタバコの扱いとまでは言わないが、イスラム圏でなくともそれに近い国も多い、しかし日本は飲酒に関しては驚くほどオープンだ。

 

コロナ禍にある今でさえ路上飲酒が問題になっており、外国人からすると相当ヤバい国に見えるだろう。日本人、頭おかしくなって精神イカれちまったのか、治安がいい国だと思っていたが、と。

感覚が麻痺しているが確実にアル中大国だ。毎日お酒を飲むだけでアル中の定義に当てはまる。

ちなみにアジアNO1の飲酒大国は韓国で日本と同じく仕事の付き合いで飲むし、日本より更に酔うために飲むという意味合いが強い。

社会がそれだけ疲れておりお酒を飲まずにはやっていられないわけだ。ロシアや中国の場合疲れているから飲むというより、冷戦時代だと交渉のときに飲んで男気を示し合うというスタイルだった。

 

欧米人はそもそも体質的にアルコールに強いので飲酒量自体は日本人より多くても、日本人のような酔い方はしていなかったり、そんな毎日仕事の後に飲むという習慣があるわけではない。そもそも仕事でそこまでストレスが蓄積しない構造があるので、飲む必要がない。仕事終わりはプライベートを優先する。

あるいは昼間から食事のついでにワインやビールを飲むが、それは日本で言うお茶や飲料水のような感覚だ。そもそも西洋料理がワインに合うように作られている。「世界の入りにくい居酒屋」にあるような光景だ。

ストレスで酔うために飲むというよりも、食事の一部として美味しく食べるという文化だ。逆に日本人はそういやって普通に飲んでいることに驚く。彼らからするとワインはお酒ではない。酔うために飲むという認識が西洋人は少ないのではないか。

 

日本の飲酒文化は特殊で、昼間や仕事の間のランチで飲むことはご法度なのに、夜になるとじゃんじゃん飲めとなる。そして路上でも飲んでいい。実際自分も路上で飲んだことはある。コロナがなければ今でもそうしたいぐらいだ笑

 

日本人って酒を良いと思ってるのか悪いと思ってるのか極端で、ちょっと不思議な倫理観を持つ民族ではあるように思う。そもそも戦国時代からお酒は肯定的に扱われてきたし、万葉の時代から神聖なものでもあった。欧米では清くあれという神に逆らう事だと考えられているが、日本は神が酒を飲む(ギリシャ神話には酒の神もいるが)

それこそ特攻隊の出撃時には盃を交わしたし、神事であるとされる相撲でもよく見かける。

 

正直お酒好きの自分からすると今の日本の雰囲気や考え方は好きで、欧米こそ極端だとさえ思わなくもない。そこまで厳しくする必要があるくらい本気で酔うとヤバいのが海外なのだろうか。逆説的に言うと、それだけ治安が良くてお酒に弱いからこそ酔ったらそこまで暴れないというか暴れられない。実際泥酔した外国人が日本では考えられないような事をする話題はある。危険だからこそ本当に規制しなければならない。

とんでもない馬鹿げたニュースは海外に多く、酒によった男が度胸試しで喧嘩したとか、チェーンソーで自分を切ったとか、オートマチック拳銃や全弾入ってるリボルバーロシアン・ルーレットやったとか、信じられないことも多い。

酒によってもある程度規律を守るのでそんな大事にはならない日本だとも言える。

 

そもそも日本では哀しみを癒やすためでもあり、シャイだからこそ親交を深めるためのものだ。

外国人より陰キャでコミュ障が多くて、なおかつキツくなるまで大人は働くしかやることがない、という要素もある。悲しい背景というか、それが日本では大人というものだ。本当はお酒なんて飲まずとも楽しいという事が一番だし幸福なことである。

 

これも「酒なんて飲まずとも楽しいなんて(苦労もなくて)幸せ者だね〜」というある種のマウントというか寝てない自慢のようなイキりではある笑

「まだ大人になってないんだろうな」と。

 

いやいや、下戸の俺らのほうがよほど苦労してるしそういうイキリは聞き飽きたよ、と飲めない人は言いたいだろう。

お酒なんか飲まずとも幸せな人は、異性に困らないとかお金に困らないとか夢実現して人生エンジョイしているみたいな奴だけだ。あるいは意識が本当に高くてストイックなメンタル強者だ。

自然派の生活していたり、健康意識が高くスムージーに拘っていたり、珈琲や紅茶に意識が高い人もいるだろう。酒は害だとちゃんと認識している人々だ。

 

欧米だと割とそういう人は市民権を得ているというか、ハリウッド女優など意識高い事やってるのがオシャレで最先端という認識だ。

でも日本だと自分も含め「あらあら意識高い事しちゃってぇ笑」と思うわけだ。それこそハシカンの酒豪アピールの方が親しみを持てるわけだ。実際自分もお酒好きだというと無条件で好感を抱くし(米津玄師が音楽以外はビール好きで常に冷蔵庫にあると聞いて好きになった)、お酒を飲まないというと冷たく距離を感じてしまう。

あ、飲まないんだ、という。

 

ただ単に体質で飲めず苦労してる人もいるのに、そう思われるというのは可哀想だが、そう思ってしまうのも本音ではある。これも飲めないアピールというか、不幸自慢的な下戸自慢をする人がいて、はいはいそう言うのいいからというのもある。何をどうかまってもらいたいというか聞いてもらいたいのか、というのもあるけど、それだけやはり辛い思いもあるのだろう。本来お酒なんて飲まずに要られる方が凄いし偉いのだが、日本では苦労してお酒飲んでることの方がかっこいいみたいなのはある。

 

ホリエモンに「野菜食べてて偉い」じゃないけど「酒飲まなくてえらい」みたいな笑

本来お酒飲まなくてもいい人の方が素晴らしいし、人生充実しているかもしれない。実際お酒飲めずにはやってられない人生は間違いなく不幸だ。でもこれも「ぐっすり寝られてうらやましいわ〜」みたいなもので「酒飲まないでも楽しい人生羨ましいわ〜」といいつつ内心は俺酒飲まないとやってられない自慢のような、かっこ悪い自己満だ。

 

「まぁでもそれが大人ってもんなんだよなぁ〜まだわからんか〜」クイッと心では泣きながら一杯やるのが乙なのよね。

子供舌を小馬鹿にする嫌な大人になっていくもんよ、人間てのはさ。

このおっさんにもいろんな人生の悲喜交交があるんだな、と居酒屋や立ち飲み屋、バー、あるいは電車や駅で飲んでる人を見ると思うわけだ。

 

まぁでもお酒飲めないって多くのコンテンツを失うわけで可愛そうと言えばかわいそうなことではある。まず気分が盛り上がらないときに強制的に上げることができない。落ち込んでいるときにとりあえず飲むと楽しくなってくる効果は外食や外出のときにも役立つ。

自分は霜降り明星の「せいや型」で、本人も言っているが普段はめっちゃ暗いからこそ飲むの好きやねんというタイプだ。しにたいと思わずに済むのもお酒のおかげではあるというか、良いお酒を飲みたいから生きているわけだ。酒なかったらもう生きる屍状態だろう笑

子供の頃に戻れるといっても、酒飲めないならいいやと断るぐらいだ。この後呑もうとか、二日酔いがなおればまた飲めると思うから生きていける。まぁその悪い状態を作っているのが酒なので、無限の雪だるまや自転車操業のようなものだが。

 

これが人生充実しててお酒なんてなくて全然楽しいと言うのであればいいけど、鬱気味で人間関係も孤独で趣味もなく将来の希望もない状態で更に飲めないというのが重なったら最悪だ。そういう人のために欧米では大麻があるのだが、下戸が多い東アジア程意外と解禁に反対という不思議ではある。そういう快楽に頼ったほうがいい人ほど大麻解禁なんてもっての外、そもそも酒もタバコも禁止にしろと真面目なことを言い始めるのよな。

自分は20歳から飲んだ真面目マンだが、こういう正義マンって有名人が高校の時酒飲んでたみたいな話さえも犯罪自慢乙みたいに悪い奴だとめっちゃ目くじらを立てる。

松本人志の「今の芸能人は深夜の歩道の信号無視までチェックされるようなもの」という例え話に、わりとマジで「信号無視は駄目だろ」とマジレスする奴が結構いるわけだ。

 

ちなみに体質的に完全に飲めない下戸の割合は1割弱で、飲めても弱い、飲めるが楽しくは酔えない、アルコール味が苦手、特定の種類しか飲めないという人まで含めると3割近くなるようだ。特に一度二日酔いや酒席でトラウマになると、もう二度と飲まないという人もいる。お酒というのは徐々に失敗して覚えていくものだが、アルハラも問題なのでそういった学びも少なくなっている。

 

体質的に絶対に生きているうちは改善されないというのは、生きていれば可能性だけはあることと違い絶望的で実質アレルギーのようなものだ。重度の場合消毒用アルコールが肌に触れるだけで真っ赤になって倒れそうになるような人もいる。日本社会は下戸はアレルギーと同じだと考えてもっと配慮するべきなのか、それとも下戸からすればそういう腫れ物扱いは辞めてほしいのか。普通に市民権が欲しい、というのが本音だろう。

 

お酒が飲めないとそこに付随するコンテンツが全て楽しめなくなるというのはキツイ。

居酒屋やバーなど楽しそうな場所も一生行けないというのは辛くはある。ノンアルやソフトドリンクもあるが、種類は格段に落ちるし、頼まなくても行けるが楽しみの半分を得られていないわけだ。

 

自分はお酒好きなので海外の事情もよく調べるが海外は今ノンアルカクテルが盛んで、見た目やバーの雰囲気があれば酔う事並みに楽しめるというデータも出ている。カクテルとは「普通のジュースとは違うなんかオシャレで美味しそうなものを飲みたい」という欲求の体現なので、アルコール味が無い分味自体はむしろ美味しいかもしれない。ただ日本では流行らないというか、あったとしてもそこらの街にあるということはない。田舎はそもそもあったとしてもスナックで、下町の安いバーすらない。あと酔っている人ともテンションが合わなかったり歓迎されないこともある。既存のバーでノンアルが飲めたとしても、ノンアルを求めているお酒飲まない人たちの空間というのは希少だ。

 

あと一人で個人のお店に入る勇気というのはお酒あってこそだ。あるいは入ったあと馴染む。やはり飲むと、おお飲める感じかと歓迎されやすい。初対面同士でもそれで盛り上がる。まぁそんなことなくても全然楽しめるというコミュ強ばかりの国だったら良いのだがそうではない笑

寿司屋なども回らないところであればそこにしかない日本酒や焼酎などもあるので、日本の飲食店は夕方以降だとほとんど酒前提だ。

「学生時代皆でワイワイとマクドナルドやファミレスで食べたようなことがしたい」と言っても案外ないのだ。それはお酒飲まない人の疎外感だろう。

 

ただ逆にいえばそういうお酒コンテンツが楽しくなるということは、皆それだけ哀しいオトナになっているということだ。酒がなければ楽しめない悲しい大人になってるわけだ。

ジュースだけでカラオケを何時間も楽しめたはずなのに、今ではお酒が無きゃ歌えない、あの頃の私達のようには、みたいな大学入ってから再開した高校時代の友人を描いたウェブ漫画をこの前読んだ。天然美人と大学デビューしたちょいブスの話だ。

 

自分の場合そんな青春ねぇけど、ゲームはそうだ。大人になって子供の頃のようにゲームを楽しめない人っていっぱいいるけど、その現象はお酒を飲むと解決する。映画やアニメ、アイドルなどもそう。シラフじゃそんな熱心に何時間も見ていられない。純粋な好奇心を大人は失っていく。一瞬子供に戻るために飲んでいるのだ。酔ってるやつって子供みたいだろ良くも悪くも笑

 

10代の頃は純粋に楽しめたものも楽しめなくなるし、食欲なども落ちる。食べ放題みたいなのも若い頃やっとけよ、と言うじゃない。特に甘いものは昔は好きだったけど本当に興味なくなる。普通に今でも好きだけど、そこまで執着がない。アイス買ったのいつだっけ、みたいな感覚だしソフトドリンクもまずい甲類焼酎をかろうじて飲めるものにするためだ。子供の頃はお菓子コーナーでテンション上がったが、今はとりあえず刺身コーナーと酒売り場にいく。

 

まぁ特番の音楽番組ずっと見られないというのは、むしろSNSやネットの反応、友人とのメッセージや実況なしでは見られず映画もスマホをチェックしないと見てられない今の若者の方が深刻な気はする。今は色んなものをいい部分だけ取らないと間に合わない時代だ。ゲームやアニメも大型タイトルが出たら数年その話で考察するという時代ではなくなり、どれだけ流行り物に乗るかが全てになった。ゲームは特にオンライン人口やネットの流行りの初動が全てだ。

 

若者に人気で若者世代代表のEXIT兼近大樹「1時間で見られるものは10時間かけてみろ。俺は誰も見てないもの見ててみんなが見てる物見てないから知識の偏りがエグい」

意外とかねちが古典的だ。EXIT好きなジッターの方々はそれこそイグジットばかり見ているので実践はしているだろう笑

ちなみにかねちはお酒飲まないタイプだけど、あそこまで突き抜けて陽キャで人生楽しいとお酒は必要ないのだろう。陽キャが酒飲んでうぃ〜は手越祐也の時代で終わった。今はむしろ陰キャの酒飲みの時代である。

 

兼近が言いそうなこと「マクドナルドで何時間もダベれてカラオケでお酒飲まずとも騒いでたあの頃に戻りましょうよ。なんで大人はお酒飲まないといけないものなんですか。それは大人がそれだけつまらないってことでしょ。そんな社会に若者は夢を見ませんよ」

 

薄幸「お酒を飲むことは無駄ではない」

 

この二人バトらせてほしいわ笑

これは幸応援ですわ

10代はかねちの意見賛成しそうだけど、多分その子達も成人すると飲むようになっていくだろう。そもそもAKBクビになった子とか中高生で飲んでるやついるしなぁ

 

せいや「かねちーな、俺もそれはようわかんねん。でも誰しもかねちーみたいに大人になっても明るくおられんねんなぁ」

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今日は昼間から寿司と缶チューハイだった。

三笘薫さん、ネイマールではなく無事宇佐美2世になる

アルゼンチン戦の三笘薫、サッカーファンの間で言われているほど悪くはなかったと思うが、まぁ「期待外れ」というか三笘バブル崩壊といった感は否めない。

 

自分自身評価はしていたが流石に「日本史上最高のドリブラー」は言い過ぎだと思っていた。

まず日本史上最高のドリブラー中島翔哉だ。親善試合とはいえA代表ウルグアイとコロンビアを弄んだ選手は過去に例がない。

U24で通用していない三笘薫はまだ全盛期の中島には追いついていない。無論、怪我して再び中東に舞い戻った現在の中島翔哉よりは上だが、全盛期の中島はFIFA能力値で加速やドリブルでは海外のトップ選手並に評価されていたのも事実だ。ゲームの能力値はデタラメだとよく言われるがある程度の指標ではある。

 

三笘は一戦目序盤にあった自陣でのボールロストで一気に弱点が出てしまった。これは自分も所詮ゲームではあるがドリブラーなのでその心理がわかるのだが、ドリブル自信ニキは今日はやってやるぞという気持ちが強すぎて余計なところでドリブルをしてしまう。

低い位置でドリブルし始める中島翔哉と違って三笘薫は判断がいいという触れ込みだったが、普通に中島と同じことをしていきなりピンチを招いた。

 

自分はあのシーンを見てむしろ宇佐美貴史のキャリアを終わらせた魔のドリブルを彷彿とさせられた。

当時自信満々の10代宇佐美がバイエルンのデビュー戦だかでサイドで必要のないドリブルして失敗し信用を失い懲罰交代されレンタルたらい回しの道を歩むことになったアレだ。

むしろ海外の方が失敗に厳しく、三笘は川崎フロンターレの環境では有能として、まるでチェルシー時代のアザールのように天才として重宝され多少の失敗も大目に見てもらっていたわけだ。

 

Jリーグの間合いやファウルの基準を利用したドリブルという意味でも宇佐美に似ている。

自分は先程FIFAをやっていてまさに自分の自陣でのロストから失点したのだが、これはゲームだから許されることであって、プロでは許されない。

中島翔哉セルジオ・コンセイソン監督に激怒されていたのを見てもわかるように本当に危険な位置でのロストというのはあってはならないことだと考えられている。

 

そもそもドリブルデザイナーの影響で昨今ドリブルが神格化され、かつてのリフティングのようにもてはやされているがドリブルは非常に効率の悪いテクニックだ。

 

4大リーグでは1試合で3回突破すれば一流とされるほど成功回数は少ない。90分もやって3回あれば良いという程機会が少ない。それでいて失ったときのリスクも高く、なおかつ格下にしか通用しない。

ドリブルは基本格上には効かない技術であり、クリスティアーノ・ロナウドはそれを多用しなくなったし、メッシですらインテンシティの高い試合では狩場にされる。

グリーズマンは「ドリブルのやり方がわからない」と言うほどテンポの早いスタイルを好む。

究極パスのほうが早いので無くても良いのだ。

よほど集中して適切な場所で的確な判断を早く行い、なおかつその後のプレーのための視野を確保しておく必要がある。

軽い気持ちでやってはいけないプレーだ。ドリブルの失敗で試合の流れ、自分のリズムが悪くなるどころか試合結果やキャリアまで左右されるほど重いのである。

 

三笘薫も今回のアルゼンチン戦きっかけに代表定着して五輪でブレイクして、華やかなキャリアを切り開くつもりでいたのだろう。

いわば筑波大学に進学して、フロンターレでデビューしてと5年温めていた計画だ。

 

そもそも本来、順当に去年開催されていたのであれば選ばれてすらいないだろう。五輪は18人からオーバーエイジ枠を引いて15しか枠がない。去年の現時点での三苫は有名ではあったがまだ今ほど騒がれてはいなかったし、五輪代表候補としてほとんど語られていなかった。

もしこのような事態になっていなかったらもっと代表戦もあったはずなのでお試しとしてもっと呼ばれていた可能性もあるかもしれないが、1年延期した恩恵を最も受けた選手である事は間違いない。

 

ただそんな5年の積み重ねと運が絶妙に組み合わさったとしても、たった2回のロストで信用を失う。

ドリブルやキープのロストというのはそれほど恐ろしい。だから厳しく言われる。

また、交代で入った相馬が活躍した上に不動のスタメン久保建英と相性がいいというのも持ってない。そもそも東京五輪世代の試合を見ていれば相馬はこれまでもかなり活躍していたので、はいスーパースターの三笘さんどうぞと簡単に譲ってもらえる席ではない。

だからこそ、ただでさえ三笘は年齢も若くはないし海外オファーがそれほど来ていない状況なので五輪でアピールすることは必須だった。

 

正直、自分は三笘が中村憲剛のように生涯フロンターレで良いとも思っていた。日本人選手が評価されにくい海外に行って労働者サイドハーフ魔改造されるより、Jリーグで無双して、それで相手のディフェンスのレベルも向上し、Jリーグの注目度も上がればいいと思っていた。

ただ、ドリブラーは本当に極めようと思ったらやはり海外の間合いを知ることは大事で将来A代表でワールドカップに出たいのであれば海外挑戦は必要だ。

大迫勇也は特に海外挑戦で頼もしくなったし、久保建英や冨安健洋、堂安律なんてすぐ海外行ってA代表でも通用している。

三笘薫が今回の挫折を味わい、そして彼らを見て何を思うか。

 

まぁでもある意味三笘薫の実能力が明らかになったことで、ファンとしても海外挑戦も気軽に見れるというのはある。本人にとってもいい模擬試験となり準備期間を得られた。

「日本史上最高のドリブラー」だの「和製ネイマール、ミトマール」だのと過剰に持ち上げられていただけに、通用しなかったときのショックは大きい。今回の試合でまぁそんなものかと思って気長に見られるようになっただろう。

 

宇佐美も危険な位置での無駄なドリブル挑戦とロストは新人には許されないという事前情報があれば違ったキャリアだったかもしれない。

 

遠藤保仁が言ってた。

「今の子は俺が俺がという選手が多いけど、もっと周りを使えば早いなと思うことはあります」

結局サッカーとは視野だ。視野があれば判断も多彩に、そして早くなる。ドリブルもいいところで使える。雨後の竹の子のように発生するドリブル塾ではそこを教えないというか、視野の訓練というのは難しいのだ。それは遠藤のように常に日常で間接視野を意識するというような習慣から培われる。チャビも幼少期のサッカーからすでにそういう視点を持っていたというし、セスクはスペースを見つける能力を評価され見いだされた。

 

ドリブル塾というのは一対一や集団でコーントレーニングをやらせたり、足技を教えればそれっぽくなるのでかつてのリフティング講座のように作りやすい。

逆に構築された陣形で通用するような視野を養う環境というのは用意しにくい。

弓道居合道のように一つの技術だけを抽出して実戦とは関係ない美術的な物を作り上げるのは日本人が好きなことなのだが、サッカーと武芸は違う。武道と武術、剣道と剣術の違いだ。サッカーは武術や近代戦闘術に近いものであって、ドリブル道などという武芸的な存在はあってはならないのだ。

 

そういった昨今の「ドリブルバブル」というものが三苫の評価をここまで大きくしたとも言える。もちろん彼の場合周囲を使う判断力や得点力といった今までの日本製ドリブラーにはない特徴があり、だからこそ労働者として埋没してきたこれまでの日本人選手とは違う役割を期待されている。今までは日本製ボランチセンターバックが通用しないと言われていたが今では欧州基準の選手が現れ始めている。三笘薫はそれこそF1で日本メーカーやドライバーが通用するような姿を見たいという浪漫を背負っている。日本製ドリブラーがヨーロッパ基準のドリブルを兼ね備えた選手に改造される姿を是非とも見たいものである。

 

自分はドリブルに関して口うるさいので「ドリブル」でも調べて過去記事を読んでもらいたい。ドリブルばかり考察しているからこそのドリブルのデメリットも強く言わなければならない。

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中島翔哉とドリブルデザイナーの功罪

岡部将和と中島翔哉、この二人は今後数10年以上に渡り日本サッカーに影響を与える功罪両面を持つ存在だ。

 

この二人に対してははっきりと批評しなければならない。自分のような末端のサッカーブログであっても、強く声を挙げなければ日本サッカーは道を見誤るだろう。

 

この二人は、功罪が両極端だ。

つまりメリットも大きければ、デメリットも非常に大きい。

良い部分も認め、悪い部分も見つけよう。

彼らは一石を投じるどころか十石投じているので、その破壊のリスクも考えなければならない。

 

まず自分の立場を明らかにしておくと「ドリブル大好き人間」だ。

ドリブラーこそサッカーの華、そう考えている。寝る前には必ずドリブルの妄想をし、サッカーが好きになったきっかけもドリブルの美しさ、更にゲームでも生粋のドリブラーだ。草サッカーレベルではあるがドリブルの練習にも明け暮れたことがある。

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本当に最初に好きになった海外選手は選手はルイス・フィーゴ

バルセロニスタとしてクリスティアーノ・ロナウドは今でも嫌いだがユナイテッド時代は認めるし、フィーゴクアレスマのようにポルトガルのウィンガーは大好物だ。

そんなドリブルマニアからすれば「ドリブルデザイナー」の出現はとても嬉しかった。

 

岡部将和の凄いところは「ドリブルデザイナー」という新しいクリエイター名を創出したところである。最初に名乗ればそれが仕事になる。

ただ、批評も付きまとわなければならない。

 

原口元気「10回やれば1回しか抜かれないがそれがパフォーマンスとして派手に映像化される」

これが対峙した当事者の意見だ。

 

アイマールダービッツのような、彼が憧れる名選手との共演動画でも明らかに相手が手加減していることがわかる。

それどころか南米の旅でもストリートサッカーになんとか入らせてもらって、かろうじて動画を撮っていた。

 

ドリブルデザイナーが日本サッカーを変えなければならないと思ったきっかけは、彼が怪我でプロサッカー選手の夢を諦め少年サッカーを見ていたときだ。

 

当時の教育はとにかくドリブルやキープが禁止で、保護者からも早くパスをしろと責め立てられていた。

 

その時、岡部氏はこの「黄金世代的旧世代のパス信奉スタイル」に一石を投じることを決心する。

それはNHK逆転人生の岡部将和登場回に描かれている。

 

そう、日本サッカーは黄金世代という呪縛によって過度にパスに偏っていた時期がある。

中村俊輔小野伸二小笠原満男らが「ファンタジスタ」だともてはやされていた時代だ。

彼らを未だに思い出補正で「天才」だと称する思い出補正満載の懐古老害サッカーファンがいる。

その忌まわしい弱々しい日本サッカーが終わり、本田圭佑が台頭して以降、自分は本格的にサッカーファンとなる。

南アフリカW杯のために中村俊輔を切り、本田を起用したことで日本サッカーは軟弱な時代に一区切りをつけた。

 

しかし事は単純に進まず、彼もまた「個の力」という曖昧な言葉だけ残し、今もまだその呪縛に日本サッカーは捕らわれつつある。

 

華麗なパスから個の力という時代、その後自分たちのサッカーというこれまた曖昧な言葉が消費され、その後それが何かと突き詰めドリブルに至る。

本田圭佑は「個人の力」とは言っているもののドリブルとは断言していないし、自分の実績でも証明できなかった。

定義がわからず曖昧で空虚ところに、ちょうどドリブルデザイナーと中島翔哉が登場してきたわけだ。

ちょうど耳心地の良い肩書だ。

 

パス信仰時代の反動で2010年代前半は「南米式のドリブル塾」みたいなものが溢れていたし、ネットにも動画が上がっていた。

ピピ君こと中井卓大の動画もその一種、今でも数十匹目のドジョウを狙い「天才少年」という話題は多い。

 

インスタグラムだと謎のサッカースクールや、謎の天才少年、いくらでも見かける笑

過保護な親が、サッカーの実力より先に加工した子供の容姿をアピールしたがるんだよ残念なことに。

 

正確な記事は覚えていないが「日本では特定の能力だけ意図したスクールがあるが、サッカーとはそういうものではない」というような有名スペイン選手のインタビューを見たことがある。

 

おそらくドリブルデザイナーのことだろうなぁ、と思った。

韓国女子リーグでプレーするスペイン語圏選手のインタビューでも「韓国と日本は個人の力重視で、スペインは戦術重視」と語っていた。そう、後進のアジア程かつてのブラジルのように未だに個人の力を推しており、それが逆効果となっている。

このあたりは自分自身曖昧で、明確なソースは出せないのだが最近の記憶ではある。

 

日本代表の10番を背負っていた中島翔哉もこの系統の選手だ。

日本は意外なことにストリート系の選手やフリースタイル、ビーチサッカーの選手だとワールドクラスの選手が多い。

SNSでもそういうパフォーマンス型の選手はまあいくらでも見る。

(これだけワールドクラスの選手がいたらいいのに笑)

 

そういう選手を見ると中田英寿本田圭佑の対談で語っていた「日本人は練習だと上手い」という言葉の意味は響いていなかったのかなと思わずにはいられない。

 

もっとも彼らの場合、プロになれなくても夢を追いかけていたということが多いが。そしてその後日本サッカーの育成や進歩に関わってくれているだけありがたい 

ただああいう目立つだけの面白い技術だけ見て日本人は器用で上手いと錯覚すると永遠に日本人はサッカーが上手くなれない。

 

パスやリフティング神格化時代からようやく進歩して、フィールドプレーのドリブル重視になったものの、ここからドリブルデザイナーと中島翔哉のハイライトプレーの時代が訪れる。

 

親善試合レベルならウルグアイもコロンビアも持て遊べる時代は来た。

今後、そうやって影響されたキッズはいくらでも登場するだろう。

もう局地的な技術では十分に追いついている。

 

「ドリブルで99%抜くには角度が大事」ということは伝わった。ただその後のプラスアルファをドリブルデザイナーは教えてくれない。なぜならドリブルデザイナー自体がプロどころか南米のストリート選手と戦えていないから。ドリブルとはその後の視野があってこそだがそれ以降は専門外、かつて似非ファンタジスタを育てた指導者のように。

イニエスタも幼少期はドリブルだけで満足していた天才少年だった。大人たちが集うバルの椅子の隙間をそうやって遊んでいた。育成とはその後を教えられるかにある。

 

中島翔哉も、あるいは久保建英もドリブル指数という採点競技であればワールドクラスの選手かもしれない。

 

ファンタジスタやパサーというまやかしの言葉に酔って、中村俊輔小野伸二小笠原満男をもてはやしていた時代のように特定の指標のみで祭り上げてはいけない。上述のスペイン選手の「サッカーとは複合能力」という言葉が本質だ。

もし絶対という言葉があるならば唯一の指標とは常に「サッカー」だ。それは常に移ろいゆくようで、移ろわない。

 

サッカーが上手いかそうでないかという曖昧な指標しかない常に。

小難しいサッカー爺さん、例えばビエルサとでも議論したあとに「それは最終的にはサッカーなんだよ」とでも言うように。サッカーだからサッカーで、これ以上の言葉はいらない。

 

そして、それが末端のサッカーファンである自分に解かれば苦労しない。自分ごときがサッカーなんて解読すれば、日本はとっくにビッグクラブの常連でワールドカップも制覇しているだろう笑

 

曖昧な言葉で逃げたいわけではない、ただ愚かな自分自身どころか、人類の叡智さえも及ばなすぎるため、悪気があるわけでもない。

 

わからないものはわからないというように、ただサッカーはサッカーなのだ、それがたとえカルチョフットボールという世界中のあらゆる言語で代替しようがね。

池江璃花子ってアニメキャラだったら絶対叩かれてないよな

池江璃花子ってアニメキャラだったら絶対叩かれてないよな

「努力は必ず報われる発言」で一部の層から顰蹙を買っている池江璃花子だが、ある事に気づいてしまった。

 

この子、アニメキャラだったら絶対叩かれてねぇよな、と。

池江璃花子は本当は発言内容が悪いわけじゃない。同じことを滅茶苦茶強いヒールの格闘家が言ってたら、やっぱ天才すげぇかっけぇわと絶賛されていただろう。

 

まぁ自分もわかるのよ、可愛くて性格も良くて才能もある若い女の子に底辺のおっさんや、何の特技もない陰キャ、夢破れた大人が劣等感を感じるのって。だって勝ち目ないし、縁もなければ話が合わなそうだもん。

所詮才能を持つ成功者の戯言よ、と大人が言いたくなるのも頷ける。自分も感情としてはそういう意見に親近感がある。

 

ただ考えても見てほしい、そういう5ちゃんのおっさんやツイッター陰キャが好きな萌キャラってそんなんばっかだろと笑

むしろキモオタアニメやゲームってそういうキャラばっかじゃん。なぜかというとフィクションの世界って自分もイケメンで才能あるやつになれるので、そういうキャラと「釣り合う」わけだ。これは女性も同じで乙女ゲームって大体美女がヒロインだ。

結局自分と釣り合って劣等感感じなければ許せるのだ。あるいは二次元だと許せることも三次元ではムカつくと言うこともできるが。

 

まずガンダムアムロはうじうじしているが意思が強く最高のニュータイプで全歴代ガンダムで最強キャラだと暗黙の了解がある。キラ・ヤマトもスーパーコーディネーターで「やめてよね本気で喧嘩したら君が僕に叶うはずないだろ」と友人の彼女を寝取った上で言う畜生である。

その上「シードを持つ者」というバリバリの才能要素がある。ナルトも出身の村では疎んじられていたが結局最強の忍者になる話だ。先祖が火影という血筋だ。

 

ソードアート・オンラインもなろうラノベブームの走りで陰キャに人気だが、こいつもゲームうまくてイケメンじゃなければあんなモテてない。

女主人公も同様だ。自分はなぜこの説を考えたかというと、自分が好きなストライクウィッチーズ宮藤芳佳ってバリバリの天才だったなと。宮藤芳佳は突然軍人の坂本美緒に見出されて、いきなり初戦で活躍して原作者に作中最強の魔法力と明言されているキャラだ。sakiの宮永咲も同じく最強キャラで天才だ。

けいおん平沢唯も高校からギター始めてずっと音楽やってた秋山澪と同じレベルになるという。ついでに作詞も。コードギアスルルーシュは作品内で天才と言われているし、デスノの月もそうだろう(まぁこの二人はガチでポンコツ要素あるが)

 

そう考えるとオタクアニメって「天才だけどどこか抜けてるところがかっこいいorかわいい」というキャラばかりだ。

ガチで才能ない普通のやつが主人公のアニメってなくね?カイジも普段はクズだが追い詰められたときのギャンブルの才能だけはエゲツない。ローゼンメイデンのジュンも冴えない引きこもりだが裁縫の腕前だけマエストロ級である。

 

もし萌え豚のための水泳アニメがあって池江璃花子というヒロインが同じ設定でいたら、宮藤芳佳宮永咲のような扱いだったのではないか。スピリチュアルにハマる天然要素と病弱要素という萌え要素の欲張りセットだ。

成績が化け物だと言うことは知っていたが、種目は知らなかったので調べてみたがなんと4種目全て制覇していた笑

てっきり平泳ぎだけの選手だと思っていたが全部で病明けで優勝しているとは。。。

そりゃドン引きする成績過ぎて、天才が凡才を叩き潰しただけと言われますわ

藤井聡太と同じく現実が漫画超えしてるパターンだ。

 

というか藤井聡太もそうだが、男子スポーツだと才能厨が天下とっても文句言われないけど女子スポーツだと言われると言うのは、フェミニストが好きな「ガラスの天井」なのだろうか。女子水泳なんてマイナー競技だからそんなこと言える、みたいな意見まである。前述のように多少劣等感はあるがそこまで癪に障るのはわからない。

 

それと純粋な記録競技というのも、このこの言葉を残酷にしているんだろうなと。水泳や陸上って2位以下にガチで救いのない競技だからなぁ。

 

「2位以下の選手は努力が足りなかったんですか。報われてないからその言葉間違ってますよね、はい論破」みたいに言う人ってひろゆき好きそう。

ひろゆきの論破法ってこの場合「必ずというデータあるんですか。じゃあ努力すればメジャーでホームラン打てるようになりますよね」と突きまくるだけの口喧嘩スタイルだからね。

 

おそらく団体競技の選手が同じこと言ってたら多分こんな挙げ足取りはいなかったように思う。もしサッカー界最高の才能厨(元々は何事も才能だと考える人を指す言葉だったがこの場合才能そのものであるメッシに対して使う)のメッシが同じこと言ってても、世界の100位にも入らない本田圭佑の努力が報われなかったとは誰も言わない。それぞれの範囲内ややり方で十分報われている。メッシより才能ない選手でも例えばチリのビダルバルセロナを追われたサンチェスはメッシを倒してコパ・アメリカ優勝してるし、お世辞にも華麗なうまさがあるわけではないクローゼやミュラーもワールドカップ決勝で勝っている。そもそも日本代表もアルゼンチン代表に勝っている。

 

順位だけが物を言う個人競技かつ記録競技で圧倒的才能によって他者を蹴散らした小娘が言うから、ちょっとキツイ言い方に聞こえるんだろうね。

まぁでも池江璃花子より才能ある水泳やってない選手も世の中にはいるわけで、続けたとか、それだけ水泳を愛しているという努力もあるだろう。女子で水泳する環境や動機がない人も多くいるわけで。思春期で水泳やめたとか、そもそも水泳嫌いという女子も無数にいただろう。

 

つまり才能だけで勝ったわけではないし、マイナー競技の恩恵を受けているというのも、どっちも言える。女子水泳がガチで男子サッカーやアメフト、バスケ、ボクシング並みに儲かって、ジャニーズだろうがKPOPアイドルだろうがイケメン俳優だろうが選びまくれるぐらい花形競技だったら池江璃花子も最下位だったかもしれない。

女子選手の場合実力が収入やモテと直結しないからなぁ

elken.hatenablog.com

それと前にも書いたが「同じ一年でも努力の量や質は違う」ということ。1年少ないのにすぐ追いついた、やっぱり才能だという人がいるが1.5倍の量の努力と1.5倍良いの質の努力をすれば余裕で2倍の努力になる。

1年を2年分の努力にするための2倍の努力量とか2倍の質の努力は難しくても、それぞれ1.5倍ぐらいだとまぁ不可能ではない。だから池江璃花子選手がライバルを超える努力をしたというのも間違いではないと思っている。

 

こういう人たちは努力さえも要領よくて上手い、というか努力の上手さが才能でもあるのでそもそも厳格な区別は難しい。そして量や時間が正義ではなく休むことも大事だ。オーバートレーニングについて調べると休む努力や練習を我慢する努力も難しいとわかる。実際自分はゲームで、調子悪いときに無理やり続けてしまって成績を落とすことがある。この話はオタクはわかってくれるだろう笑

 

池江璃花子と2位以下の選手と完全に同じ内容と量の努力をしていたのであれば安易な才能論で片付けてもよいが、実際に2位以下の選手が質が良くて量の多い練習をしていたとは証明できない。

特にスポーツはある程度基礎が完成していると直前の1年が大事なので「他選手は1年多いのに」というのも違う。そもそも全員が同じ年齢でもない。受験のように1年多ければ物理的に覚える量や習うことも多い、というわけでもない。

 

算数の計算式で言えばまずマイナスXがありました、でもそこから人の1.3倍の努力と1.3倍の質の努力と1.3倍の才能がありました、さて池江璃花子選手は追いつくでしょうか、みたいな問題だ。

この式は才能の質が1.5倍で努力の質が2倍とかであれば努力の量が病上がりで0.7倍とかでもいいし、マイナスが実はそこまで大きくなかったというパターンもあり得る。真相は本人にしかわからないが努力は必ず報われるというからには努力が量と質ともに3倍だった可能性もある。それであれば才能は1.05倍ぐらいでも勝てる。3倍の努力で1年のブランクを取り戻したのであれば十分「努力は必ず報われる」という資格はあるので、何もそこまで目くじら立てることでもない。

 

ただ、4冠しているということは中にはクロールだけ特化の選手もいるわけで、勉強で言えば得意の一教科で五教科全て優等生のやつに負けるようなものだろうか。とはいえ実質自由形(ほとんどクロール)とバタフライだけなので難しくはない。まぁ背泳ぎやバタフライもガチれば余裕そうだが。

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ここからは才能論についての酒飲み雑談

今日は季節物のホタルイカだ。水泳の話だけに魚介類。人間はいくら泳いでもイカより才能ないからそもそも、という笑

 

まず水泳の話で言えばメダルを独占した男子の選手が腕が長くてなおかつ指の間が水かきのように普通の人より広いというまさに魚人レベルだったという話を聞いたことがある。そして珍しく黄色人種が有利な競技でもある。

自分は「才能」という言葉より「適正」という言葉が好きだ。だって水泳の才能なんて現代社会で別にいらないって。欲しいともお思わない。水泳苦手じゃなかったけど得意だったとしてもやりたいと思わない。

 

デュランダル議長「だから遺伝子で適正を判断して適切な役職に全人類をつかせるのだよ。それが恒久平和への道なのだよ」

デスティニープランきたー

 

前述の通り個人の記録競技って本当シビアだなと思う。芸術やエンタメ系って才能なくても需要や時代の流れ次第では受けるわけでお金も場合によっては稼げる。売れていた時代に稼いだビッグマネーで生きている芸人とか多いわけで。作詞作曲や漫画も俗に言う一発屋で生きていける。印税入ってくる職はその点恵まれているし、芸人は今は少ないが営業仕事もある。地方のイベントや講演、ローカル番組は一般人のバイトどころか正社員よりギャラがいい。

 

個人競技で許されるのってテニスやボクシングのようにそもそもメジャースポーツか、敗者の美学を感じさせる印象的な2位以下のキャラクターに限られる。

サッカーなんて日本で言えば300位、世界で言えば1万位ぐらいの無名でも一応どこかしらプロやセミプロとして食っていけるわけだ。

将来的に金を稼げる見込みのある人気競技であれば、コーチ業でも食べていける。まぁ水泳は子供の身体能力発達のための習い事として常に人気1位なので決してマイナーというわけではないが。

スポーツは習い事としてスクールやるのが夢破れた大人にとっての食い扶持で、実際自分もインスタでサッカーゲーム動画上げてると謎のドリブル塾とかサッカースクールからいいねが来るよ笑

 

そういった引退後のキャリアはともかくとして、個人競技かつプレースタイルがわかりにくい記録競技と言うのはどうしても地味だ。

上手く行ってるのはゴルフとか将棋だろう。個人のキャラクター性やスタイルがどれだけ伝わるか、といえば水泳や陸上は厳しい。

将棋やチェスは指し方の棋風があるが、水泳や陸上は速くなること以外の目的がなく、それ以外だと選手のルックスや言動だけだ。だからエンタメにはなれない。

 

逆に格闘技や相撲のようにエンタメになれる要素があるにも関わらず業界が伝統に保守的で上手く行ってないのが武道全般だ。eスポーツに軽く負けようとしている時点で所詮伝統とは脆いもの。そもそも今は伝統である歌舞伎は能や狂言より新興コンテンツだし今若者要素取り入れて漫画をアレンジしているし、ロックミュージックも当初はチャラいだけのものだった。

 

純粋な趣味人として道の世界を追求することも重要で奥深いことではある。金儲けだけが競技の全てではないし自分も純粋にゲーム上手くなりたいと思っているので、それはわかる。

その競技生活で努力が報われずともそこで学んだことも他のことに生きてくることだってある。

 

結局人間は人間に惹かれるので、記録や強さだけになるとAIに代替されて将来性がない。

将棋はソフトの危機を察知して早めにキャラゲーにしたから藤井聡太登場まで時間稼ぎができた。

 

そう、全て「キャラゲー」なの。キャラゲー要素のないスポーツはつまらない。陸上や水泳は選手のルックス以外に語りようがない。ライバル関係のドラマで言えば他競技はもっとある。そういう意味で女子水泳がこれだけ語られたという意味では池江璃花子の存在は大きい。正直、露出度高いはずなのに陸上やバレーよりもそういう需要は無い笑

だって水着だったら海水浴場やプールのインタビューで映ってる素人女子の方が抜けるという完全上位互換があるんだもん。自分、競泳水着フェチ一切ないのよ。陸上は大好きだけど、水泳は興味ない。陸で陸上くらいの露出度は無いけど、水泳だとスク水、海水浴や市営プール、ナイトプール、グラビア、イメージビデオともっとムホホエッチだねぇwなものがありますからねぇ。あとどうしても髪型やメイクが不利だ。

あと競技中に姿がわからないのも欠点中の欠点だ。そして肩幅広くなるので女性にとってはマイナス。男だと逆三角形で超理想的な体型だけど、女子は日焼けしないぐらいのメリットぐらいだ。実際池江選手ちょっとゴツいと感じるので、顔はきれいな造りだとは思うけどときめかない。

 

自分の女子3強は運動部だとサッカー、テニス、陸上だ。文化部は言うほど茶道部とか美術部、吹奏楽部は好きじゃないのでいっそのこと元でも現役でも同じ帰宅部が良いね笑

アイドルのダンスを注目するようになってからはダンス部も好きだ。ダンスうまい子は本当に可愛いというかもはや尊敬の領域だ。

でも結局帰宅部に一番愛着があるというオチね(隙あらば帰宅部トーク

 

才能論であればそもそも男子だと子供の頃から足早かったり女子だとルックスが良かったりで自己肯定感や成功体験があるとか、実家が東京とか私立中学受験させてくれるとかも才能だし、努力できることも究極のところ才能だ。「池江選手みたいな人はそもそも努力がうまい」と上記した。上達の仕方を若い内にわかっている、と言えるだろうか。年取ってわかってからじゃ遅いのもポイント

 

まぁ結局の所なんでも才能でむしろ才能や運じゃないものの方がレアだ。努力が大事という幻想が日本社会は強すぎるんだよな。

それで傷ついてしまう。最初から世の中は才能3割、運(環境や時代)3割、努力3割、あとの1割はプラスαという事をはっきり教えておくべきなんだよ。

 

例えば自分はこの文章をお酒飲みながら書いているが、この冗長な文章と分析と、時にはユーモアを交えて(?)みたいなことは誰でもできるわけじゃない。みんなそんな暇じゃないし、こんなくだらない考察を長々と続けないからね。

酒だって絶対的に遺伝子の問題で努力ではどうにもならない。下戸や飲めても限りなく弱い人が1億払っても無理な才能で整形すら不可能だ、来世で飲んでくださいとしか言いようがない。でも自分だって来世でしなければならないことは多いし、そういう理不尽は誰しもある。酒を飲めても太りやすいから少なくしなければならないのであれば才能はない。まぁ自分の場合もっと二日酔いが楽だったのであれば完璧な天才だったが、そこまではない。最近吐いてないだけマシだが。酒癖がちょっと悪いまではいいが、悪すぎるのも才能がない。

 

人はやりたいことの才能がないときが一番辛いが、才能があるジャンルで上手くいくこともあれば幸福ではある。

 

「努力は所詮3割、されど3割」

これが自分の名言というか人生訓だ。この3割をどう考えるかだ。

これは「努力すれば3割もある」とも言えるし「努力しなければ3割失う」とも言える。人間なんて結局その時やれるだけの努力以外やることないからね。

 

努力だけで人生を左右するほどの割合はないが、ちょっとは影響がある。その影響は普通の人間にとって大きい。例えば大学のランクを1,2ランク上げることは、それ以上では才能が大事だが、努力で可能だ。そもそも大学に行けない環境でも通信や夜間は可能だ。

楽しんで大学行ける環境じゃなきゃ嫌だ、と言っても今度はルックスやコミュ力といった実家の財力以外の問題もある。大学行かずとも就職先やバイト先が面白ければ、大学ごときより余程価値があるしいい人生を送れる。そのように才能というのも複数の要素や組み合わせがあるので単純には言えない。

都会育ちで大学出させてもらっているけど男子校でずっとボッチです、とかより田舎の高卒で青春めっちゃ充実してて、田舎の理不尽耐えられるのでコミュ力でバリバリ出世してます、みたいな方がちょっと頭小賢しいより余程いいよねと思うよ。ネットって前者が多いから、それこそ5ちゃんの底辺のおっさんかツイッター陰キャみたいになるのよ。

 

自分はアイドルやサッカーを長年と言うほどではないが見てきた。

正直駄目になる天才の方が努力が報われなかった奴より多かった。努力報われてないやつはそもそも日の目に立っていないだけでもっといるのだろうが、それでも池江選手に負けた選手たちが全員最高の努力をしたとは思えない。全てを捧げる努力って相当難しいよ。

アイドルやサッカー選手はまだお金を稼げるが、水泳選手なんてまず努力が難しい環境だ。環境を揃える努力も努力と言われればそれまでだが。揃ってても先行きのない水泳で大人になっても努力は難しい。本当に水泳だけの人間にはなれない。

売れているアイドルやサッカーぐらい恵まれていても努力しない人はしない。

 

だから池江選手に負けた選手が全員万全の最大限の努力をしていたという前提が間違いだ。池江は来ないだろうから手抜きでもいいなという選手もいたかもしれないので、勝手に2位以下の選手に同情してはいけない。正直他の選手たちがそこまで水泳をガチでやっているとは思えないし才能云々より負けるべくして負けただけかもしれない。

2位以下の選手が本気で努力して負けたのであれば可哀想で才能の前に理不尽だが、池江選手の努力がもっと理不尽だったと考える方がどちらの選手に対してもリスペクトがある。同じ一年でも質と量が1.5倍ずつだとブランクを取り戻すための2年以上の努力になると書いたように才能だけが化け物だったわけではない。才能が1.2倍ぐらいあれば量と質それぞれの1.3倍でもギリ超えられる。「努力」という言葉だけが曖昧に語られるからこういった両極端の議論になる。

よって、池江璃花子の事例だけで努力と才能の優劣を断定することは人生論として単純すぎるというかナンセンスだと考えるわけだ。

まさかCL決勝がチェルシーVSシティに決まるとは

まさかCL決勝がチェルシーVSシティに決まるとは

まずレアル・マドリードざまぁ

マドリーざっこw

そしてそいつらにダブル食らったバルサざっこ・・・

 

チェルシーはよくやった。最近のマドリーは質は良くないけど、決勝だけはそれでも勝ってしまいそうなオーラはある。ジダンの神通力やラモスの火事場の馬鹿力まだあるんだろうなぁ、という不安はあった。ついでにパリ・サンジェルマンも嫌いだからどっちも消えてくれてまず一安心

韓国ではソン・フンミンだけでなくポッチェティーノにも無冠DNAがあったのね、奇跡の無冠デュオだと言われてて笑う。

 

まず1点目決めたヴェルナーってあの外しまくって叩かれてたお笑いフォワードというのが面白い。チェルシーの白人フォワードは上手く行かないジンクスがあったけど、ヴェルナーもこれでやっと認められるのではないだろうか。

信じたトゥヘルは凄い。

北マケドニア代表相手に外して、名誉市民パスポートまで贈呈されそうになった選手が今では英雄というサッカーの面白さ

article.auone.jp

「練習しすぎるな。女性を食事に誘うようなものなので無理強いしてはいけない」

 

このトゥヘルのアドバイス説得力あるね。外国人監督や選手ってこういう例えオシャレでかっこいいよなぁ。まさにバーに跳ね返ったボールの方から来たわけだ。飼い始めた猫もそうだし、実際ゲームの世界でも無理に取ろうとこだわり過ぎると一切入らないが時間をおいて翌日するとあっさり決まることがある。

もうゴールの決めたかは分かっているのだから時間を待つしかない。

 

それとチェルシーのキーパーってもうケパじゃなくてメンディという黒人GKなのか。もう今ではどのポジションにも有色人種がいるが、キーパーだけはビッグクラブのほとんどが白人GKを起用してる。最近ではケイラー・ナバスぐらいしか印象にないぐらい強豪はどこも白人で、身体能力高くて手足が長く、ジャンプ力のある黒人がなぜかそこまで多くなかった役割だ。ゴールキーパーはそれらの要素は前提として、ポジショニング、読み、安定感、上半身の強さ、そのクラブ内での立ち位置、語学力や指示力、キャプテンシーも大事なので実は白人超有利なのだろう。だからヨーロッパで長年やってる川島永嗣はめっちゃ凄いし、ナバスやメンディも凄い。

 

笑うものあれば泣く者ありという言葉があるが、泣くべきはずのやつが今日は笑っていた。エデン・アザール、ほんと酷いね笑

こいつほんとプロ精神失ってるんだなと。レアル入ったのが本当にサッカー人生の上がりだったんだろうなぁ。嬉しそうにチェルシーのチームメイトと試合後に話すとか、現在いるチームにリスペクトの欠片もない。まだ活躍してる選手だったらいいけど、散々叩かれてるの知ってるはずだろと。

 

まぁバルサファンからすると面白くて仕方がないが笑

自分より酷い境遇の奴を見ると安心するじゃないけど、コウチーニョという歴代最悪の補強失敗を経験した身としてはアザール見るとまだマシだなと思える。

「200億で賞味期限切れの腐った豚を買った」とまで言われていて笑う。

安心してくれズッ友レアル、俺たちは同じくらいの値段でスパイを買ったんだ。

 

しかもそのスパイの資金で、リバプールがファン・ダイクなどを補強して直接バルサに引導を渡して優勝

翌シーズンはなんとバイエルンの選手としてあの8-2の大惨事で傷口に塩を塗って来やがったのがコウチーニョである。サイコパスアザールと違って喜ばないだけマシだが。

おまけにその時の契約でリバプールから補強不可能となり、活躍しても移籍してもお金を払わなければならない。そしてそいつのせいで未だにバルサはろくに補強も行えず苦しんでいる。現在構想外でかと言ってレンタルで借りてくれるクラブもないのでガチの不良債権である笑

 

思えばチェルシーがこれほど強化されたのもアザールマネーのおかげだ。

腐った豚をアホに売りつけて堅実な補強でCL決勝に進むチェルシーの巧妙さは見事。マドリディスタ以外全員面白いからありがたい。

補強禁止期間が終わってコロナ前だけどそれほど高くはない選手を上手く集める。

ネイマールマネーをすぐにドブに捨てて、おまけにそのネイマールを取り返そうと躍起になっているどこかのバカクラブとは大違いだなぁ(白目)

 

そういえばマドリーはソックスが黒でパッと見セビージャのように見えた。マドリーがソックスだけ黒って珍しいね

 

それにしてもまたプレミア対決か。去年はバイエルンとパリでその前がリバプールトッテナムだった。

3年連続決勝にリーガ勢不在というのは時代だ。お笑いスーパーリーグなんてやろうとするからさぁ、そういうところだぜフランコ

自分達を大切にしてきてくれたUEFAを裏切ってもう優遇してもらえなくなったねぇw

疑惑の三連覇だけが語られる。

 

マンチェスター・シティに関しては複雑だ。

自分がファンを辞めた途端リーグを奪還してビッグイヤーまで取りそうだという。高校卒業して一人暮らしで海外サッカー見られるようになった時に数十年ぶりの優勝をした。

自分が応援し始めた時に優勝して、応援やめてCL優勝となったら10年という1つの時代や物語の終わりを感じる。それも人生というもの。

今季のプレシーズンはシティが制裁されるという噂だったし序盤トッテナムが首位で、泥舟降りて良かったと思ってたけどそんなことなかった笑

これじゃまるでチームがキツイときに「俺船降りるわ」と逃げ出す最低なやつじゃねぇかよ。

パリがUEFAと組んでることは明白というか重役にいるのだが、シティが制裁免除されたのもやはりオイルだからだろうか。決勝がまさかの天然資源ダービーとは。

 

ロシアのオイル対UAEのオイル

サッカーも油に汚れちまったねぇ。

嫉妬やこれだけははっきりしとる。まぁグアルディオラバルサ以外でも優勝して真の名将になってくれたら嬉しいけどね。

その師匠をシャビが追って、高度なサッカーの戦いが近い将来見られたら楽しみだ。

そしてグアルディオラが「君は私を追い出すだろう。だが、イニエスタがその君を引退させるだろう」と言ったように、Jリーグからイニエスタが名将になる未来もあるかもしれない。

 

この前チェルシーは地味でベスト4に進んでも誰も興味ないと書いたが、超ビッグネームがいないだけで面白い選手揃っててトゥヘル以降勢いのある洗練されたチームになっている。ランパード名将っぽいと思ったしピルロもだけどレジェンドガチャはやっぱ甘くないね笑

今は若い理論派監督の時代でトゥヘルも元選手とはいえ24歳で引退している。何気にトゥヘルは去年はパリだったので2季連続決勝だ。

最近監督業で目立つドイツ人は真の科学大国、哲学大国、軍事大国(これは過去形だが軍事制度や技術に大きく関与している)だけあってサッカーの監督超適正あるのだろう。

 

精神論やカリスマ性、モチベーターでやっているところはもう時代遅れとして敗退する時代になっていく。いいとこローカル限定の遺物だ。田舎の親族でやってるような地元密着ブラック企業のようなものである。

 

決勝はプレミアの選手を集める経営の凄さ、エンタメとしての魅力、そして監督同士の高度な頭脳戦もある。ジダンは凄いが内容があったわけではない。ここ数年で最も監督同士が豪華で熱いし、戦術的にも見応えがある。戦術オタ垂涎の試合だろう。高度なチェスの試合のように何が起こっているか理解できないこと必至だ。それこそメッシやロナウドネイマールのような理不尽なチート級メガクラックがいないからこそ、現代サッカーの集大成とも言える。ゲームでもとりあえずチート選手ドーンみたいな戦い方は雑で見応えがなかったり哲学を感じない。その選手やキャラ凄い、で終わってしまう。サッカーはそういう個人のひらめきやファンタジーも魅力だが、今回の決勝は今後世界中のサッカーの教科書に乗るような内容という視点で楽しめる。

 

勝者のメンタリティや運、勝負強さ、個人の才能やセンスで勝ちましたというのも魔物が住む説明のつかないドラマで良いのだが、時にはこういうガチガチの理論とトレーニングの頂上決戦も見たい。それぞれ違う美しさがある。

しかもグアルディオラの場合、ただ全員規律あるアスリートというわけではなく美しさもあるので去年のパリ対バイエルンのような試合にはならないはずだ。ようやく数年の積み重ねで決勝にまで来た。チェルシーのトゥヘルも短期間でここまで仕上げたのは見事だ。バルサやマドリーにファンですらちょっとこのレベルは凄すぎて次元が違うと思うくらい完成度に差があるチーム同士の決勝だ。ただのプレミア対決かと思いきや、内容や細部のクオリティの見ごたえはここ数年で一番といっても過言ではない。戦術マニアは少なくとも十数回はみるような試合となるだろう。