elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

ルーカス・ポドルスキさん、無事フォルラン二世になる

今季のJリーグに世界的ビッグネームがやってきたことを知っているだろうか。

ヴィッセル神戸に加入したドイツ出身のルーカス・ポドルスキだ。

とは言ってもサッカーファンやJリーグファンでもなければそれほど関心は無く、世間的にその扱いは大きくないと言っていい。

 

まず直近のワールドカップ優勝国がドイツだという事すら常識として知られていない日本において、ドイツ代表の得点ランクでゲルト・ミュラーやミロスラフ・クローゼに並ぶレジェンドだと言われたところでいまいちピンと来ないという人のほうが大半だろう。

ポドルスキ

そしていまいちピンと来ていないのは実はサッカーファンも同じなのである。

そのルーカス・ポドルスキがいまいちJリーグで振るわない。

デビュー戦こそ圧倒的な活躍を見せ、ワールドクラスの片鱗を感じさせたがここ数試合について報道されることと言えば「活躍できないことにイラだっていてインタビューに答えてくれない」「周りの選手が気を使っている」「シュートチャンスが回ってこない」と言ったことであり、端的に言えば活躍できていないのだ。

 

移籍当初は「中国スーパーリーグのやり方には納得がいかないので、クリーンなJリーグを選んだ」と日本を好意的に捉えてくれており、また神戸の街に適応しようとしたり日本語を少しずつ使うようにしたりと馴染もうという姿勢を見せてくれていた。

トルコリーグのガラタサライでプレーし続ける選択肢や、より高給を選び中国に渡る決断も可能だったはずだが、それでもJリーグを選んでくれた。

 

そんな"ポルディ"がJリーグの新しいスターになるのではないかと誰もが期待したが、今のところ順調には進んでいない。

彷彿とさせられるのは数年前にセレッソ大阪に所属していたウルグアイ代表のディエゴ・フォルランだ。南アフリカワールドカップで大きな活躍を見せたフォルランは近年のJリーグにとって高根の花だったビッグネームとして日本を訪れた。

しかし現実にはセレッソ大阪のチーム事情にかみ合わず結局J2に降格し、その後インパクトを残せず去っていくことになる。

 

Jリーグの興行を成功させるためにもこういったワールドクラスの選手が活躍することは重要なのだが近年そういった例を見かけることは難しくなっている。

ユングベリ、フォルラン、そしてポドルスキの系譜なってしまうのか。

 

特にディエゴ・フォルランの例と共通するところはそもそも彼らに良いシュートチャンスが訪れることが少なく、決定力を発揮できていないというところにある。

両者とも打開力を武器とする選手ではなく、決定力で勝負する選手であるためチーム事情に左右されるという問題がある。

更に古く遡れば元イングランド代表のゲーリー・リネカーのケースが上げられる。現役時代を知るわけではないが、当時の名古屋グランパスの選手たちはリネカーの決定力を生かそうというよりも鹿島アントラーズのジーコのようにあらゆるプレーを担ってもらおうとしていたようだ。

 

現状のルーカス・ポドルスキもチーム戦術の組み立てが上手く行かない中で、自らボールをもらうために下がってくることが多くそれが上手くかみ合わない要因ともなっている。

ポドルスキはリオネル・メッシではなく、組み立てをしつつ決定力も発揮するというタイプの選手ではない。チャンスを得たときに一瞬のゴールハンティング能力を見せるタイプの選手であり、時として味方選手のチャンスメイクに活躍が左右されるタイプでもある。

そのためインテル時代やアーセナル時代はいまいちブレイクすることができなかったという事情も存在する。

欧州でワールドクラスの活躍をしたかのように思われているが実際はブンデスリーガのケルン、そしてトルコリーグのガラタサライで活躍した選手でありビッグクラブでの実績は無い。

 

まだポドルスキの獲得が失敗だったと判断するのはもちろん早計過ぎる。

こういった選手はチーム戦術に適合すると"ケチャップ"が出始めるように得点を量産する。ドイツ代表において10番を背負い歴代トップ3の得点記録を樹立した実力は嘘ではない。

得点やシュートに特化した選手の扱い方という意味ではまさにディエゴ・フォルランの例が参考になるだろう。迫力のあるミドルシュートはこの2人の選手に共通する部分であり、そのストロングポイントが十分に発揮されればそれはJリーグの魅力の一つになるはずだ。

 

日本サッカー選手が海外リーグに挑戦して適応に時間がかかった場合、我々は「もう少し時間が必要だ」と考えるだろう。それと同じでもう少しポドルスキについては様子を見る必要がある。

彼は中国リーグを蹴ってでもJリーグを選んでくれ、日本語を覚え神戸の街に適応してくれようとしている選手でもある。もちろんプロの選手に対して情だけで左右されて評価を変えるということは成熟したサッカー文化とは言えないが、まだ待つ時間はあっても良いのかもしれない。

 

またJリーグというのはその高温多湿な環境や判定の基準も含めて特殊な環境であり、特に欧州選手は適応に苦戦する。

本田圭佑がメキシコの高所に適応する時間を要しているならば、ポドルスキが日本の高温多湿な環境に適応する時間を設けても良いはずだ。

 

逆に同じアジア圏の選手は不思議と適応する傾向があり、例えばコンサドーレ札幌に所属するタイ代表のチャナティップは既にブレイクの予兆を感じさせている。

ポドルスキが活躍するか、チャナティップが適応するか、この2人がどういった動向を見せるかはJリーグのクラブにとって今後の方針を左右する試金石となるかもしれない。

マルアン・フェライニとかいうなぜか生き残るアフロ

サッカー界で「アフロ」と言われればあの男しかいないだろう、ベルギー代表のマルアン・フェライニだ。

その特徴的なヘアスタイルは彼の代名詞であり、もはやアフロと言えば通じる。

 

そんなフェライニだが彼の頭髪の生命力と同じように、サッカーにおいても非常にしぶとく生き残るのだ。マンチェスター・ユナイテッドという有力な選手を豊富な資金力とネームブランドによって次々と補強するクラブにおいても、結局は主力選手として生き残る。

 

プレミアリーグやマンチェスタ・ユナイテッドの事情を常にチェックしているわけではないが、たまに"赤い悪魔"の近況を聞いたときにも相変わらずマルアン・フェライニがいる。

新シーズンを迎えるユナイテッドにおいてポグバ、マティッチと共にフィジカルに長けた中盤を形成しておりこの3人のコンビネーションが醸成されれば今シーズンのプレミアリーグを席巻するのはジョゼ・モウリーニョ率いるマンチェスター・ユナイテッドかもしれない。

 

元々はエバートン時代に本来は守備的中盤の選手だったフェライニを当時の監督デイビッド・モイーズがストライカーの後ろ、いわゆるトップ下で起用し覚醒したことが彼のブレイクの始まりとなる。

その長身から繰り出される圧倒的な空中戦の強さにより、並み居るプレミアリーグの屈強な猛者達を抑え得点を量産し表舞台に名をとどろかせ始める。

 

その後マンチェスター・ユナイテッドの監督に就任したモイーズは散々な数シーズンを送り、香川真司が在籍していたため日本人サッカーファンにとっても非常に印象に残っている。その時に「教え子」として連れてきたのがマルアン・フェライニであり当初は「ただ単にモイーズが気に入っているだけ」と揶揄されていたが、その後に就任するファン・ファールやモウリーニョにも重用されなぜか生き残り今日に至るというわけだ。

 

あの散々なモイーズ政権時代の唯一の遺産がフェライニであり、モウリーニョ体制2年目を迎える今シーズンについに大きな花を咲かせるかもしれない。戦術はセンタリングしかなかったが、フアン・マタを獲得しアンデル・エレーラを熱望し続けていた例を見みるともしかしたらモイーズは選手を見る慧眼だけはあったのかもしれない。

フェライニ

そんなモイーズの最大の弟子とも言えるフェライニは、やや戦術が似ているモウリーニョのスタイルにもフィットし躍動し続けている。

仮に「三大なぜか生き残るサッカー選手」を上げるとするならばカリム・ベンゼマ、長友佑都、マルアン・フェライニの3人を選出したい。地味に息の長い選手であり「まだいたのか」と普段そのクラブを見ていない人でさえも彼らの生命力に驚嘆する。

一時的にブレイクする選手よりもこういった厳しい競争に晒されながらも結局最後は生き残っている選手の方が実は優秀な選手なのかもしれない。

 

この3人を見ても頻繁に監督が変わるという事態に遭遇しているが、いつの間にか監督の信頼を勝ち取っている。

実際にトレーニングをし間近で見た指導者にしかわからないストロングポイントが彼らにはあるのだろう。

フェライニと言えばそのプレースタイルの特徴として「ラフプレー」も挙げられるため嫌いな人も多くいるが、それは別の言い方をすれば味方にとってはタフで心強い選手とも言える。

現代サッカー界においてフィジカル面で傑出した選手の十傑に選ばれても不思議ではないそのタフさは監督から重用される理由だ。

 

このアフロの男、実は相当に凄い選手なのかもしれない。

ところでマンチェスター・ユナイテッドで共闘していたウェイン・ルーニーは彼の独特なヘアスタイルに対して何を思っていたのだろうか。

今季フェライニが大きく活躍した場合、それはもしかしたら自分に対する当て付けではないかと考える先輩に対して気を遣わなくて済むようになったことが隠れた要因だったりするかもしれない。

そんなアフロの男マルアン・フェライニは今季のプレミアリーグで大きく評価を上げる可能性を秘めている。

なぜHey! Say! JUMP伊野尾慧の声は面白いのか

この前何気なくラジオの音声が流れている場所にいて、一切ジャニーズとかHey! Say! JUMPとか関係ない内容を聞いていたら突然「らじらー」の紹介が流れ始めた。

 

「おっ、この音楽らじらーだな!」と思いながら聞いていたらラジオの担当者が紹介し始めて八乙女光が何曜日の何時から放送してますと話し始めて、そのあとあの人が喋り始める。

そう、伊野尾慧だ。

 

「Hey! Say! JUMPの伊野尾慧でぇ~す」

聞きなれた人には脳内再生余裕なぐらい特徴的な声でしゃべり始めて、それを聞いて笑いをこらえきれなった自分がいた。

 

あれ駄目だわ、あの音声ふいに来ると笑うよ。

一切何もその準備してない場所とか雰囲気違う場所で急にあの声聞くと笑いのツボが刺激される。

 

普段聞きなれてると感覚が麻痺してもはやあの声が普通に思えてくるから急に笑うことは無いのに、準備してない時に急に来ると思わず笑ってしまう。

個人的に伊野尾さんのキャラや声が癖になってて定期的にあの人を見ないと落ち着かないという謎の禁断症状があるけども、準備してない時に来るとヤバイ。

 

伊野尾慧ファンの方で、何もジャニーズや平成ジャンプ関係ない脈絡のない場所で急に伊野尾の声が流れ始めるという特殊な経験をした人なら多分わかってくれるかもしれないけど、あの人の声は準備してない時に来ると「フフッ」ってなるのはなぜなんだろうか。

もはや声だけで笑わせる天才が伊野尾という男である。

 

最初自分は伊野尾慧というジャニーズを見たとき、特に声が面白いなとは思わなかった。まだ自分がHey! Say! JUMPのメンバーの名前と顔を覚えようとしてた頃に「この人顔良いのに、なんでジャンプの中で目立たない場所にいるんだろうな」というのが初めの印象だったと思う。

 

そこから急にテレビで"ウザいキャラ"として露出し始めて「キャラがうざい」「髪型もおかしい」「そもそも声が変」とか言われ始めた。良く聞けば確かに不思議な声だなと思うようになって、それがもう今ではあの声を定期的に聞きたくなったりうざいキャラを見たくなるようになった自分がいる。

皆が「変な声」と言うから、いつのまにかその声を聴いてついつい笑ってしまうようになったしあれは唯一無二の面白ボイスだと思う。

しかも変な声で変なことを言うからなおさら面白い。

 

自分は基本的に「うざい奴」とか「しつこい奴」大好きで、むしろ"うざい"は褒め言葉だとさえ思ってたりもする。ポジティブな言葉に言い換えれば「キャラが濃い」かもしれない。そういう意味で伊野尾慧というHey! Say! JUMPのメンバーはまさにキャラも声も全てにおいて完璧なうざさを兼ね備えていた。

勝手な造語で言うと「三大うざ神」というのが自分の基準にあって、遊戯王の神のカードやポケモンの幻の三体みたいなノリで「中島健人」「伊野尾慧」「手越祐也」というのが三神だったりする。

この3人は自分の中で神的な存在。

 

それで言えば全く似てないけども、自分の中で「伊野尾慧の声真似」というのを完全に独り言ですることがあってそれも実は「中島健人がやる伊野尾慧物真似の物真似」という更にマニアックな伝わらな過ぎる物真似が自分の中だけの趣味だったりもする。

 

物真似というのは難しい物で、自分に聞こえている声と第三者が聞いている声は違うから自分が似ていると思っているときほど似てないことが多い。しかも中島健人の物真似レパートリーで難しいところが、若干「重岡大毅物真似」と「伊野尾慧物真似」の境界線が曖昧で、その区別が意外と難しい!

別の言い方をすると伊野尾慧と重岡大毅の声質が似ているため、中島健人がする両者の物真似も若干似てると言う複雑な事情が存在する。

 

そういった個人的な物真似事情はともかく、何か真似したくなる面白い声という意味では間違いなく伊野尾慧は独自の才能があると思う。

アイドルやジャニーズは結構声が重要で、それも一つの才能なのかもしれない。

声はアイドル生命を結構左右するで、最終的には声質に行き着くファンは多い。

 

伊野尾慧の凄いところはあの特殊な声を独自の魅力に昇華させているところで、むしろ変な声が個性にすらなっている。

仮に別のジャニーズメンバーが声だけ伊野尾慧ボイスだったらブレイクできてたかは怪しい。例えば自分が好きなメンバーが声だけ伊野尾だったらと想像したらちょっと笑ってしまうのではないだろうか。

 

もしかしたらハンデになってたかもしれない声をむしろ唯一無二の魅力に変えた伊野尾慧というジャニーズは特殊な才能の持ち主なのかもしれない。

自分の声に自信が持てない人にとってもしかしたら伊野尾慧の姿勢は参考になると思うし、そういう勇気を与えることができたならばそれはきっとアイドルなんじゃないかなとも思う。

声に自信が持てない人は「変な声」だと言われながらもいろんな人を笑顔にしている伊野尾慧を見習ってもよいかもしれない。

ネタにしてるけど自分はあの声が凄く好きだ。

きっとあの声で堂々と話して、むしろそれが唯一無二の魅力になってる姿に元気をもらえるかもしれない。

バルセロナにウスマン・デンベレはやって来るだろうか

もしかしたらウスマン・デンベレはFCバルセロナを新天地として選ぶのではないか、そう囁かれ始めている。

デンベレ自身は現在所属のボルシア・ドルトムントと困難な状況にあり、移籍目的のために練習を拒否し、クラブ側から練習停止処分を下されている。

またバルセロナ側もネイマールを失い、コウチーニョやヴェラッティという有力選手の獲得に苦労しており両者の思惑が一致するのではないかと目されている。

 

この状況から推察するならばもはやデンベレのバルセロナ移籍は既定路線であり、ネイマールの後釜にウスマン・デンベレが座る可能性は高い。

いずれMSNトリオからレオ、ウスマン、ルイスの頭文字を取った「LOLトリオ」が発足するかもしれない。デンベレ本人もSNSでその愛称について触れており、移籍を匂わせている。

ジャニーズが匂わせ彼女ならば、サッカー選手は匂わせ移籍である。

 

しかし今回のウスマン・デンベレ移籍に対する反応はあまり芳しい物ではない。

ドルトムントサポーター側としてみれば、クラブに後ろ足で砂をかけていくような形の移籍となるため当然ながら良い反応ではない。

またバルセロナサポーター側としても正直なところ「第一志望」ではないため、それほど乗り気ではなく個人的にも「時期尚早であり過大評価」だと考えている。

バルセロナフロント「メッシさん、ある方から移籍志願のメッセージです」

メッシ「ディバラかな、コウチーニョかな?」
デンベレ「こんにちは、ドルトムントのウスマン・デンベレです」

メッシ「・・・・」

 

期待の若手選手として相応の移籍金で獲得できるならばバルセロナにとって悪い補強ではないが、100億越えの金額ともなれば本当に実績があり即戦力となる選手に支払われるべきだという意見は多く「過大評価」との見方は非常に強い。

 

また同じ左利きのアタッカーならクロアチア出身のハリロヴィッチという選手が在籍していたため、なぜ彼の育成が順調に進まなかったのかという疑問は残る。

数年前のバルセロナならばこういった下部組織出身の選手や、期待の若手選手を上手く育て上げることができたはずだ。現時点で20歳の選手を100億を超える移籍金で獲得しようという姿勢にバルサらしさは感じられない。

「育成のバルサ」だったはずが今では「獲得のバルサ」になっているのではないか、それも非常に若い選手に対して高額の移籍金を払うようになってきている。

シャビ先生「カンテラが機能していないという私の指摘は間違っていなかった」

 

獲得する選手は以前のようなビッグネームではなく、実績の少ない選手に対して大金をはたかなければなくなっており、育成組織から有力な選手を引き上げる事にも難航している。

もはやバルサの時代は終わってしまったのだろうか。

コウチーニョ、ディバラ、エデン・アザール、ヴェラッティはやって来ずネイマールからは出て行かれデンベレがこっちを意味深な表情で見ている。

今のバルサはそんな状況だ。

本来ならばコウチーニョですら物足りないのにデンベレで妥協するしかなく、それすらまだ不透明という現状のバルサにもはや全盛期の面影を感じることはできず、レアル・マドリードの充実した選手層を指をくわえながら惨めに見つめるしかない。

 

ネイマールマネーを手にした現在でも打開策を見つけられていないため、17/18シーズンについてはもはや開幕前から暗雲が漂っている。

メッシ、イニエスタ、スアレスも全盛期の能力を失いつつあり後継者も育たない。特に深刻なのは若手選手層の差であり、レアル・マドリードの戦力はその部分においても非常に充実している。更にチーム全体の士気やモチベーションもジダンというカリスマの下でまとまっている。
もはやバルセロナはリオネル・メッシがいるということ以外に魅力や価値はないのが実情だ。このまま完全にイニエスタやメッシが衰えればマンチェスター・ユナイテッド、ACミランのような状況に陥る可能性も否定できず、「落ちぶれた名門枠」の仲間入りは不可避だろう。

 

UEFAチャンピオンズリーグに関してもはやアーセナルを笑う事の出来ない状態になる可能性さえあり「数年後そこにはELで元気に戦うバルセロナの姿が!」と揶揄されても不思議ではない。

 

「今シーズンは何も期待できないから早く終わればいい」

「ディバラが来るまで暗黒期」

「バルサはオワコン」

「微妙な奴に大金を払う事はアンドレ・ゴメスで懲りたはずだ」

まことしやかにそんなことさえ囁かれるようになっている。

LOLトリオ

そんな状況でウスマン・デンベレが仲間になりたそうにこちらを見つめても何もときめかないのがバルセロニスタの素直な心情だ。

別の報道によるとレスターFCのリヤド・マフレズが自らをバルセロナに売り込んだものの門前払いにあったと伝えられているが、ネイマールが去った今アルジェリア代表のドリブラーがベストな補強だと思えるのは自分だけだろうか。

また新体制に入ったPSGで路頭に迷いかけてるドイツ代表ドラクスラーになぜ目をつけないのかというのも謎だ。

 

しかし、いずれにせよ所属クラブと揉めていたり居場所なくなったりしている選手ぐらいしか取れないのがこのクラブの現実でもある。

デンベレに関してはもう少しドルトムントで伸び伸びとプレーしたほうが本人の為でもあるが、成長したときには更に資金力のあるチームに獲得されている可能性もある。

そのためバルセロナは彼の獲得に躍起になっているのだろう。

 

また「過大評価」という烙印ほどサッカー界で信用ならない物は無い。

実際にネイマールもサントス時代に何度も過大評価と揶揄されていたがバルセロナへの移籍によって完全にワールドクラスの選手として大成することになる。実際にデンベレのプレースタイルを見てもポテンシャルは非常に高く、"LOLトリオ"の時代を予感させる才能がある事も事実だ。

そんな期待も込めて藁にもすがる思いでウスマン・デンベレには期待したい。

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もしドラ作者「サッカーには心が浄化されるピッチャーがいない」

日本の学生スポーツや部活動は「大人が考える理想の若者像」を投影する場になっている。

例えば夏の風物詩ともいえる甲子園はまさにその典型例だろう。

炎天下でボールを投げるピッチャーを賛美するのはもはや日本の野球文化における伝統であり、数年前にあったハンカチ王子フィーバーはその象徴だ。彼らはあだち充の『タッチ』のような青春像を未だに求めている。

 

そしてその日本の学生スポーツにおける象徴は他の競技にも求められ、そこに甲子園要素が存在しない時には下に見られる傾向がある。

現在問題となっているもしドラ作者の「炎天下で投げ続ける投手を見ると心が浄化されるが、サッカーにはそのような存在がいない」という発言はその典型だと言える。

あとから釈明しているものの、やはりサッカーを引合いに出し野球の優位性を説いているように感じざるを得ない。

なぜわざわざサッカーが引き合いにだされたかは理解に苦しむ。

 

サッカー部や他の部活では心が浄化されないのだろうか。

野球であっても投手以外は主人公ではないのだろうか。

サッカー部に限らず他の競技者や、投手以外の選手も頑張っているはずだがどうやら心は浄化されず"感動"しないらしい。共感できないことは本人の自由だが、わざわざ引き合いに出す必要はなかったのではないか。

この発言を聞いたサッカー部やピッチャー以外の野球部はどう思うだろうか。

彼らの努力を否定する権利などないはずだ。

その配慮が欠けていたにも関わらず苦しい言い訳をしているもしドラ作者の姿勢はまさに典型的な「大人が考える理想の若者像」を強制して押し付ける似非スポーツファンそのものだ。

 

日本という国はこういった似非スポーツファンが非常に多い。

彼らが興味ある事は競技内容ではなく、例えば野球ならば炎天下で懸命に頑張っている高校球児の姿でしかない。

甲子園に盛り上がる人々の半数は野球という競技にそれほど関心は無く、ただそこにある理想の青春像がコンテンツとなっている。

 

日本人は競技内容そのものにそれほど興味がなく、スポーツから発生する感動的なストーリーや純粋な爽やかさなどを強く求める。

それゆえに日本人が考えるスポーツマンシップに相応しくない選手は総叩きに合う。

またサッカーは例外として基本的に日本人選手が関わっている試合以外は他人事でしかなく、スポーツを盛り上げる文化は成熟していない。

共感できない外国人選手などどうでもよく、日本が負ければ決勝であっても録画放送で済まされる。

 

例えば元日の駅伝を見てもストーリー仕立てにしやすいエピソードばかりが話される。スポーツの競技内容そのものではなく、物語として"共感"しやすいかどうかが重視される。

野球のピッチャーを美化することも、ただ単に物語を想像しやすいからという理由に過ぎないのだ。日本のスポーツ観戦はこういった情緒性が重視される。

野球部における実質的な坊主強制も未だに変化が見られないのは、「理想の青春像」として懸命に野球だけを一生懸命頑張る姿を見出したいからでしかない。

人口3500万の高齢者層が自分の青春時代を坊主の球児に重ねたいだけであり、「チャラチャラせずスポーツを真面目に頑張っている爽やかな若者」は最近の若者とは違う、「まだ日本にもこんな純粋な若者がいる」と思いたいだけなのだ。

 

学生競技者に理想の青春像や、スポーツ選手に理想的なスポーツマンシップを過度に求める時代はそろそろ終わりにしても良いのではないだろうか。

学生は大人が考える青春像としての役割を果たすためにスポーツをしているわけではないはずだ。

「最近の野球部は電車の中でスマホばかりいじって野球の話をしない」という記事を読んだことがあるが、スマホをいじっていたら大人が考える理想の青春部活動をやっていないのだろうか。

髪を伸ばしていたら野球部のように真面目にスポーツをやっていないのだろうか。

坊主にすればそれだけで真面目なのだろうか。

 

またもしドラ作者は「ピッチャーが祭りにおける犠牲の役割を担っている」とも説明しているが、いい加減日本社会特有の「自己犠牲美化」も変えていくべきなのかもしれない。

スポーツに限らず日常の生活においても無言で犠牲が強制されることを誰もが経験したことは無いだろうか。

野球漫画の『メジャー』でも主人公がここで辞退したら後悔するから投げ続けるというシーンがあったが、このように日本で犠牲は最も美しい行為だとされている。

村のために生贄になることや聖戦のために命を捧げることは美しいという考えで、炎天下でMLBが問題視するほどの投球を行うピッチャーを美化しているのであれば自分は賛同できない。

 

そもそもサッカーにおいても自己犠牲精神をいとわずチームのために労を惜しまず走る選手はいくらでもいるのだが、そういった努力は彼らには理解されないのだろうか。結局のところスポーツをよく理解していない人間が曖昧なイメージで断定しているだけでしかない。

そういう人間が「炎天下で限度を超えた数のボールを投げる球児は美しい」と礼賛している。

日本では象徴的でわかりやすい事しか共感されないようだ。

若者は大人が考える理想的青春像を満たすために犠牲になる道具ではないはずだ。

 

こういった大人が考える若者像を強制する人々が減らない限り今度も歪んだ構造は変わっていかないだろう。

昭和の時代まで「スポーツの時は水を飲んではいけない」という風潮があったというのはよく言われることだが、前時代的な価値観が廃止されていないという意味ではまだ日本のスポーツ界は変わっていない。

炎天下で投げることが美しい、坊主でスポーツをしていると真面目扱いされる、こういった感情的な迷信が今も多く存在する。

学生のスポーツ大会に盛り上がる文化自体は素晴らしいが、そこに歪んだ目的がある事もまた事実ではある。

大人が考える青春ストーリーを提供できる大会しか盛り上がらず、理解や共感の出来ない競技は排除される風潮はもう終わりにしても良いのではないだろうか。