elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

なぜ神宮寺勇太は男からモテるのか

Mr.KingとPrinceのメンバー内から一番人望が厚そうなメンバーといえば、誰から見ても満場一致で神宮寺勇太という男が選ばれるのではないだろうかと思う。

例えば平野紫耀が一番好きそうなのも神宮寺勇太で、永瀬廉も神宮寺とこれからも仲間という約束をしており、岸優太も同じPrinceとしてだけでなくそれ以上に信頼しているように見える。

そして岩橋玄樹に関しては言うまでもなく"じぐいわ"としての絆がある。

高橋海人は唯一謎で一番信頼しているキンプリのメンバーは本人しかわからないが、これまた神宮寺とのエピソードは多い。

 

こう考えてみると神宮寺勇太、野郎にモテモテである。

男は神宮寺勇太に惹かれる、あると思います。

 

正直なところ自分も、仲間として一番信頼できそうなのは神宮寺勇太だと思っていて、謎の「男気」みたいなオーラがあることは間違いない。

もちろん自分が神宮寺と仲間になる機会は無いけども、ガチでキンプリの中から「命をかけたバトル」のパートナーとして選べって言われたらそりゃ神宮寺でしょってぐらいの謎の信頼感はある。そういう雰囲気を一番近くで見ているMr.KingやPrinceのメンバーは感じているのかもしれない。

「神宮寺を味方にしたら最後まで本気で戦ってくれそうだな、じゃあ俺も本気出すわ」という雰囲気はあるし、キンプリのメンバーもそう感じているところはあると思う。

男が一目置く、みたいな感じは絶対あると思うし同じキンプリのメンバーから信頼が厚いのもその実例に見える。

 

神宮寺と言えばいわゆる「チャラ男キャラ」として知られているけども、実は男としての責任感やリーダーとしての風格は最近の若手ジャニーズの中でも長けている。

チャラ男でもなんでもなく、むしろ一番男気溢れているのが神宮寺勇太という男なんじゃないだろうか。むしろキンプリで一番真面目疑惑あるのが神宮寺勇太かもしれない。

 

完全に個人的な印象で言えば自分が一番かっこいいと思っているのは平野紫耀、そして頼れる仲間として信頼したいのは神宮寺勇太だと思っていて、リアルに友達になりたいのは岸優太だったりする。

岸君が謎の優しさがあるとしたら、謎の信頼感がありそうなのは神宮寺勇太だと思う。

 

もし男性陣の中で一番キンプリの中で命預けるとしたら誰がいいかと聞かれれば半数以上が神宮寺勇太を選ぶというオーラはある。

それぐらい人間的に大きい存在感があるし、チャラ男というキャラクターよりも「信頼できる男」というイメージのほうが個人的には強い。

「タダモノじゃない」というのが率直なイメージで、いろんな修羅を超えてる風格があある。

そのオーラの重厚さは長年の下積み時代によるところが大きいのかもしれない。

Sexy Zoneのかなり初期のDVDを見たとき、まだ名も無きころの神宮寺勇太がいたり、初期のジャニーズjrの番組にも出ていたりする。

もしかしたらSexy Zoneは6人のグループで、6人目が神宮寺勇太だった可能性も否定はできない。

かなり初期からジュニアとして活動していて、ジャニーズ歴の長さがあの年齢にして風格を生んでいるのかもしれない。

 

とにかく一番キンプリの中で男がついていきたいって思うのは、神宮寺で実際に同じメンバーからの人望も厚い。

パッと見て、チャラ男キャラで女性陣に人気なのかと思いきや実は男にモテてるのが神宮寺勇太という存在でもある。

そもそも本人自体「チャラ男キャラ少し疲れる」と語っているのも聞いたことがあるような気がする。

 

ここまでかっこいいのならば、そんな男にもリスペクトされる「神宮寺勇太」を主人公にしたキンプリ恋愛ゲームを作っても結構いいんじゃないかなと勝手に妄想したりもする。

神宮寺が主人公で最終的にキンプリメンバー5人から告白されるという野郎しか出てこないちょっとヤバいゲームも面白そう。

 

平野「今日はエリンギプールじゃないから、本当のことを言うけどお前が好きなんだ」

永瀬「わかってるで、俺やんな?」

岸「ジン、俺といようぜ」

高橋「僕でいいのかな?」

岩橋「もちろん僕だよね」

 

神宮寺「選べねぇよ」

どうやらチャラ男の神宮寺勇太は野郎さえも翻弄する魅力があるらしい。

 

これはちょっとした冗談だけども、とにかく神宮寺勇太が野郎から見たときに信頼できそうなオーラがあることは間違いない。

もしかしたら今後のジャニーズjr界隈で次なるリーダーになる可能性を秘めているのは神宮寺かもしれないし、天性のリーダーシップのようなものはあるように思う。

とにかく男からモテてやまない男、そんな神宮寺勇太が次世代の若手ジャニーズを牽引していくリーダーかもしれない。

Mr.KingとPrinceはどちらが人気になるだろうか

元々Mr.KingPrinceのライバル競争をコンセプトにジャニーズjr内のユニットとして結成されたのが俗にいうキンプリであり、合わせて6人のメンバーがいる。

ユニット結成当初に比べて最近は両者が分かれてパフォーマンスをする機会が増えているものの、最近「Bounce To Night」や「勝つんだWIN!」を披露する機会があったりと再び6人体制を見せる機会も増えている。

 

そんなキングとプリンスには今にわかに囁かれている格差問題が存在する。

つい最近もHiHi Jetと東京B少年の写真集発売が決定して、「Mr.KIngは真っ先に写真集が出るのにPrinceは後発のグループの後回し」とPrinceファンから不満の声も出ていた。

こういったファン対立も含めてVSなのか、それとも単に事務所がMr.KIngの方を気に入っているだけなのかはわからないがとにかくお互いのカラーが出始めてることは間違いない。

 

凄く個人的なチームカラーの印象として「メンバー仲がぎこちないキング」「メンバー仲めちゃくちゃいいプリンス」という感じがあったりする。

この前の少年倶楽部でジャニーズjr知るために順番通りに並べるという企画があって、その時のメンバー感のぎこちなさというか距離感の遠さは視聴者に結構伝わってきた部分がある。

しょうれんだけでなく、たかいとも含めて3人とも若干距離が遠いのかなとは感じた。

多分もはやキングがあまり仲良くないというのは公然の秘密で誰もが知ってることだと思う。

 

平野紫耀もむしろPrinceメンバーとこの前もハワイに行ったことを話していたり、逆に神宮寺勇太は願い事をいうフレーズで「Princeのメンバーと一緒にこれからもいたい」というようなことを言ったりして雰囲気の良さは凄く感じる。

 

Princeは神宮寺勇太と岩橋玄樹の2人が「じぐいわ」として知られるほど仲が元々良い事と、そこに岸優太という天才的ムードメーカーのいじられ役が入ってることで更にグループとしての面白さに磨きがかかってる。

Mr.KIngは元々平野紫耀と永瀬廉がものすごく相性が良いというわけでもなく、そこに更に歳の離れた高橋海人というある意味でアンバランスなチームにもなっている。

 

ただジャニーズのシンメやグループというのは必ずしも仲が良いことが一番大事なことではなくて、Mr.KIngのスキルは間違いなく高い。

特に平野と永瀬の声質は凄く良くてこの部分ではPrinceを一歩リードしているようにも思う。

またメンバー感のぎこちなさも、本人の意思とは別に結成されることが多いジャニーズではよくありがちなことで、ここからどう変化していくかは楽しみな部分でもある。

シンメの対立してる感やバチバチした雰囲気というのも実は魅力だったりするため、メンバー仲がそれほど深まっていない状態が必ずしも良くないというわけでもない。

 

一方Princeの強みはやはり絶対的なメンバー同士の団結力で、たとえ今不遇だとしても必ずこの逆境を乗り切れる強さがある。

更にPrinceのファンもあえて推されてるキングではなくプリンスを応援しているというところに思い入れの強さがあるかもしれない。

メンバーもファンも絆が強く、長期的に見れば人気が出る可能性は高い。

神宮寺勇太にリーダー的な風格が芽生え始めてるのと、岸優太のいじられセンスが天才的領域に差し掛かろうとしている今ブレイクの可能性はこれから出てくるかもしれない。更にそこに岩橋玄樹という最高のアイドルが加わることでグループとしてバランスが良くなっているように思う。

 

個人の人気やスキルの高いMr.Kingかグループとしての完成度の高いPrinceかというのが大きく見たときの違いかもしれない。

憶測ではあるものの個人ファンが多いのがMr.King、いわゆるグループ担の割合が高いのがPrinceで、この違いが今後どう響くかが両者の命運を左右する可能性はある。

現状キングが人気をリードし、今後プリンスがどう追い上げるかに期待がかかる。

 

ちなみに自分は中立の立場で「キンプリ」全体として好きな立ち位置に近い。

やっぱり6人で出たときは華があるし、それぞれの良さが引き立っているなと感じる。Mr.KingかPrince、そのどちらが優先かというのは今は決められなくなっている。

 

キンプリファンの派閥の中で更にマニアックな立場として、普段それぞれのグループで分かれて行動しているのを見つつ、時々集結したとき「キンプリかっけぇな」と楽しむ立場になる。

キンプリ6人が集まったときのスターが全員集合したオールスター感が一番かっこいいように思っていて、その迫力や華やかさが好きで先日の「Bounce To Night」もかなりクールだった。

 

もしかしたら普段6人で行動しないから、合同チームを組んだ時のプレミア感もあるのかもしれない。

最初の頃は「なんでここまで別れるのかな」と思っていたけども、今では普段違うチームとして頑張っていることでいざ集まったときのかっこよさが際立つなとも思うようになった。

ジャニーさんが狙ったのはもしかしたら通常は別行動にすることでそれぞれの個性やカラーを鮮明にして、その融合がもたらす普段とは違う魅力にあるのかもしれない。実際に今までもグループ内で組み分けをするという事は多く、それがチームとしての成長を促してきたケースは多い。

 

今後おそらく両者の個性は強くなっていくだろうし、そうなれば更に集まったときの魅力も増していくだろう。

きっとこれからもMr.KIngとPrinceは最高のライバル関係を見せてくれるに違いない。

朗報:本田圭佑のツイッター、本田っぽくなる

本田圭佑がこれまで距離を置いてきたツイッターを開始してからしばらく時が過ぎた。

当初は若干イメージと違う雰囲気があったものの、最近は徐々に使い勝手を把握してきていて「本田圭佑らしさ」が垣間見えるようになってきている。

 

本田圭佑のツイートが本田っぽくなってきており、ファンとしてはこういう発言を求めていたという発言が最近は多い。

「本さんはやっぱ関西弁で話してナンボなんだよなぁ」と思いながら自分は本田のツイートを楽しみにしている。

特に本田圭佑の場合ネットニュースにされることが多くツイッターを毎日チェックしていなくとも情報が入ってくるのがありがたい。

自分のツイートが逐一ネットニュースにされるという意味ではある意味で指原莉乃に近づいているかもしれない。

最初はダルビッシュ有のようにツイッター芸人になると思いきや、指原莉乃のようにネットニュースにされるタイプになったのは興味深い。

 

自殺問題から始まり、受動喫煙政策を既得利権ではないかと問題視し、難民問題、そしてサッカーのライセンス制度への問題提起など多岐にわたる発言をしている。

 

こういった発言について「サッカー以外の事に熱心になっている」と揶揄する人も多いが、影響力のある現役選手の内に発言をすることは大きな意味がある。

海外のサッカー選手を見てもフットボーラーとしての社会的責任や役割を考えた行動をしている選手は多く、「スポーツ選手はスポーツだけをしていればいい」という考えは日本的な時代遅れの考えになってきている。

 

「専門外の事を語るな」という風潮は世の中に停滞しかもたらさない。

ある意味で空気を読まずにタブーに切り込む人間というのが、現代の停滞した日本社会に求められているのかもしれない。

そういう人間は変化を嫌う勢力から叩かれる傾向にあるが、打たれても出て行こうとする杭が今最も必要とされている。

日本という国は効率の悪い事や無意味な規制が多く、それが停滞の要因になっているため本田圭佑のように「それ必要なのか」と疑問を呈する人の存在は重要である。

 

またこの社会というのは「誰が言うか」が非常に重視される国であり、同じ発言でも捉え方が変わってくる。

例えばホリエモンが「紙の履歴書は効率が悪い」と言えば反論したがりたい人の批判に晒されるが、厚切りジェイソンが同じことを言えば「外国人が言ってるのだから正しい」と皆が同意をし始める。

誰が言うかで判断している人が多い世の中において、やはり日本代表のサッカー選手である本田圭佑が発言することの意味は大きい。

そんな本田圭佑が呟いたことが新たに物議を醸している。

「本当に学校なんか行かんとあかんのかな?」

 

この問題に関しては自分も全く同じことを思っており、本田圭佑が言ってくれたことに大きな意味を感じずにはいられない。

本田圭佑自身は義務教育を受け、高校も星稜高校に進学しサッカー部に在籍していたため自分が学校に行けなかったから反対しているというわけではない。

また自分自身もいわゆる不登校状態になったというわけでもなく、余程のことが無い限り通い続け卒業している。

そのため「学校が嫌いだから学校廃止すればいい」という理由で学校制度に反対しているわけではない。

 

日本は議論という文化が成熟しておらず、たいてい何らかの議題において「レッテル張り」から入ることが多い。そのため立場を明確にしておく必要があるのだが、この議論においても「学校に反対している人間は学校が嫌いな人」というレッテルが張られてしまう可能性が高い。

 

また特にネットに置いてはとにかく物事を否定から入る人が多く「反論したいだけの人」というのも数多く存在する。

全体の内容に一切触れず重箱の隅だけを突くような反論や指摘をする光景はインターネット上でも散見される。

レッテル張り、揚げ足取り、小さな指摘や内容に関係のない反論、これらが日本における議論の成熟を妨げている。

 

前置きが長くなってしまったが現在の日本の学校制度に関して疑問を持っている人はまだそれほど多くは無い。細部の改革に関しては議論されているが、学校制度そのものが必要なのかという事に関しては疑問すら持たない人が大半だと言える。

基本的に小中高の6・3・3制度に加え、今や大学進学率は50%を超えている。

 

この問題というのは日本においてまだ早い議論であり2,30年後にようやく着手されるテーマだと言える。

現状この問題を理解している人はそれほど多くない。

実際に本田圭佑も「いつも反対される」と言っているが、日本人はもはや学校という物は誰もが行かないといけない物であるという固定観念にとらわれている。

余りにも常識的なこと過ぎるがゆえにそこには疑問が入る余地さえ存在しない。

本田圭佑は常に常識にとらわれないことを主張しているが、日本において常識というのはまだ権威を持つ存在だ。

 

これまでの義務教育というのはいわば「近代国家建設」のために均質な国民を量産するという考え方によって行われてきた側面がある。

近代に入り国民や国家という概念が形成され、西洋列強に対抗するために平均水準の高い国民をそろえる必要があった。またそれはいずれ訪れる徴兵に備えた準備期間としての役割もあったのも事実だろう。

そして戦後昭和の管理教育の時代が作り出した平均的に高水準な国民を擁した日本は先進国として躍進していくことになる。実際に日本の教育レベルや識字率は平均的に非常に高い物があり、それが先進国日本の原動力でもあった。

 

その歴史について否定するつもりはないが、それが今の時代に合うかどうかというのが考えなければいけない事である。

「今の時代に合わないという主張=その時代を否定している」と考える人も多いためこういった問題は複雑なことになりやすい。

 

しかしこのやり方はもはやこれからのグローバル化時代や、ポストモダン時代において徐々に通用しなくなってくるだろう。その限界が見え始めるのが2,30年後でありその時にようやく議論がされるだろう。

現状このことに気付いていない人の方が大半であり、それゆえにこの議論では反対派が多くなる構造がある。

 

まず考えなければならないのがこれからの日本は超少子高齢化社会でありカナダの全人口に匹敵する3500万もの高齢者層が存在する。更に子供の数も少なくなり、「均質な国民の量産」という概念では数を揃えられなくなり衰退を免れることができない。

その文脈においてこれから考えなければならないことは、数少ない子供たちの教育の質を高め多様性を増やしていくことにある。

 

現状でも確かにこれまでの枠組みにとらわれない教育機関は存在するが、それらは基本的に裕福な家庭や教育熱心な家庭に生まれた子のためのものになっている。

そのため新しいタイプの教育は一般的ではなく、やはり全国津々浦々で見た場合昭和の時代から根本の部分では変わり映えの無い教育が行われている。

一部の特例を除いて誰もが当たり前に同じ義務教育を受けて同じ場所で過ごしている。

 

そしてそれが日本人にとっては普通の事であり、むしろそれが異常だと考える人の方が非常識な人間だと見られる。まずこの基本的な常識から変えていくことが必要であり、具体的な議論はさらに先のことになるだろう。

この問題が重要になるのは2,30年後であり今は気づいている人すら少ない。

本当に初歩的な事としてまずは疑問を呈することがスタートになる。

 

「学校を廃止する」「学校に行かなくてもいい」と主張すれば、脊髄反射的に誰もが勉強しなくなり教育水準が下がると反論する人がいる。

既存の学校制度を問題視することを「勉強しなくてもいい」と直結して考える人が必ず出てくる。議論において必ず出てくるのが極端な結論を自分の中で勝手に決めて、それを前提に話を進めていく人である。

実際本田圭佑のこの問題提起に関してもそういう反論が散見された。

 

これからその後の具体策としてどういう物が必要かというのは教育学者も含めて議論を活発にしていかなければならないが、個人的な案としては3つのアイデアを提示したい。

1:教育内容の多様化

2:少数精鋭

3:学年の廃止

 

まず「なぜ日本全国の子供が同じ学年に従って同じ教育を受けないといけないのか」というのが疑問の大前提になる。

例えば図工が好きな子供のために絵や工作が多い学校というのがあってもいいし、体育が得意な子供のために運動を重視した学校があってもいい。

体育が好きで授業中ほとんど話を聞かないような子でも、運動をしながら勉強できるようなシステムがあってもいい。

単に手を挙げさせて答えさせるという画一的な授業だけでなく、答えが分かった生徒が走って番号が書かれた物を取りに行くというようなクイズ番組で見かけるようなアトラクション式のスタイルがあってもいいのではないか。

どれだけ注意をしても落ち着くことができない子供は当然ながらおり、動きたいというエネルギー自体は悪い事ではない。また授業中、話を聞かず絵を描いてばかりいるような子供もいる。

 

しかしそういった生徒の存在が勉強が好きな生徒の迷惑になることも事実としてある。

そういった子供を住み分けさせて得意なスタイルで学習させるということがもっと当たり前になって言っても良いはずだ。勉強をしたい子は勉強に集中できない、体を動かしたい子は押さえつけられて勉強の楽しさに気付けない、お互いにとってこの状況は不幸だ。

多くの子供を同じ型に当てはめるという考え方がいまだに根強い。表面上は多様性や個性を重視しているが、本質の部分では変わっていない。

才能は10代の頃に最も伸びるため、図工が好きなタイプの子には絵や工作をもっと重点的に早い段階から教育してもいいし、体を動かすことが得意な子供は少しでも運動神経が発達するうちに体を動かしたほうがいい。

 

「皆が同じ知識を備えていないといけない」という前提がそもそもおかしいのではないかという疑問が必要になってくる。それぞれ違う一人の人間に全員同じことを同じ空間でやらせるという発想がもはや時代遅れだと言える。

日本人はあまりにも他人と同じことをしていなければならないという強迫観念が強すぎるが、これは子供の頃に受けた教育が自然とそうさせているのかもしれない。

才能を伸ばすことよりも誰かが決めたことを習得することの方が重要視される教育制度の中で育ってきた人々は、自分も含めてそういった発想に陥りやすい。

 

これからはより教育の多様性や選択肢を増やしていくべきだろう。

理科が好きな子供には小学校で教えない宇宙工学やコンピューター科学を教えてもいい。これから宇宙開発が重要になってくる時代において、宇宙に関する教育を重視した学校がもっと全国レベルで増えても良いかもしれない。

 

確かにこういった先端的な教育を行っている教育機関は存在し、企業が出資した次世代リーダーを育成するような制度も存在する。

しかし「こういう学校も実はある」というわずかな例外的な反証を持ちだすのではなく、全国レベルでの普及を考えていかなければならないのではないか。

 

そのために新しい学校を新設することは難しくとも、同じ学校の中でコースを義務教育の段階から複数のタイプに分類し少数精鋭で行っていくことも必要になる。中には生徒数が足りずに学年混同で行われる場合も想定されるが、日本の過度な年齢で区分する文化を変えるためには学年という概念にとらわれない考え方があってもいいかもしれない。

自分のレベルに合わせて自分の適した場所で勉強するということがもっと当たり前になっても良い。小中学生の年齢で大学に進学することが当たり前の光景にする必要があるだろう。

午前中は既存の学校に行き午後は独自の習い事やスクールに行くというスタイルや、義務教育期間中でも一ヶ月海外や国内の別の学校で何かを学ぶオプションなどもあれば多様性は増す。少数精鋭のやり方ならばカリキュラムにも柔軟性をもたらすことができる。

そしてそもそも義務教育が本当に必要なのかという事も含めて議論していかなければならないことは多い。

 

弾前提として教育というのは富裕層だけが独占する物であってはならない。

寺子屋が普及していた日本は例外だが、基本的に近代教育というのは多くの子供に教育を普及させる目的があった。

しかし今の日本はそういった機会均等が崩れつつある。

教育を自由に選べるようにする事は重要であり、当たり前に義務教育を受けるという時代から選択肢の多い時代に変えていかなければならない。

もう子供はそれほど多くないため一人あたりの教育の質を高めていくしかなく、それは不可能なことではない。むしろ数が少ないから一人あたりに充実した教育を施せるとも考えることができる。

 

例えば本田圭佑は「ソル・ティーロ」というサッカースクールを経営しており、なるべくレッスン代のかからない仕組みを取っている。

近年の少年サッカー熱により強気の値段設定でも生徒が集まるようになっているためレッスン代の高いサッカースクールが増えているが、本田は子供が親に気を使わないように抑えた費用設定にしている。

本田圭佑が教育問題についてツイートしたのはそういったことも要因として背景にあるのだろう。

あくまでこれらの事は個人的なアイデアに過ぎず、新世代の教育についてはまだこれから教育学者だけでなく多くの人も参加して多角的に議論していかなければならない。

本田圭佑による問題提起がその一歩になればと願わずにはいられない。

バルセロナはネイマールの後継者を探そうとしてはいけない

巨額のネイマールマネーを手にしたFCバルセロナは現在その代役を探し出そうと躍起になっている。しばらくの間はネイマールの不在を強く感じざるを得ないだろう、それだけセレソンの10番の影響力は絶大だったからだ。

 

しかしバルセロナというチームも、そしてそのサポーターであるバルセロニスタもこれからは"ネイマール基準"から脱却し新しくやってくる選手に同じクオリティを求めてはならない、そして求める事が良い未来を生み出すとも限らないだろう。

 

ネイマールの移籍は単に一人の選手が別のクラブへ移籍することを意味するだけでなく、サポーターにも大きな変化が求められる移籍だと言える。

ある意味でMSNトリオ時代の限界も見えていたのは事実であり、現実に昨シーズンのバルセロナはCLとリーガ・エスパニョーラのタイトルを逃している。このネイマールJR退団は新生バルサ誕生のきっかけになり得る、そのためにこれまで見慣れていた光景を基準にした要求をしないことも必要になっている。

 

これからのバルサは違う事をやろうとしている、その時にネイマールとの比較は二度と訪れることのない前時代への回帰を無意味に求める事に他ならない。

ブラジルの天才がやってたことを再現しようとしたら難しいのは当然であり、なおかつ結果も生み出さない。

チームの戦術自体を変更してネイマールが必要ないサッカーを模索するべきだろう。

クラブとしても完全なる後継者を探し出そうとしても見つかるはずはなく、サーポターとしても同じような選手を期待してはいけない。そして"ネイマール二世"を求めることがバルセロナにとって良いことだとも言えない。

ネイマール

ネイマールという選手は非常に傑出したクラックであり、同じ年齢の時を比較した場合あのロナウジーニョにすら匹敵する存在でもある。

彼にはバルセロナの左サイドとして理想的な三拍子が揃っていた。

 

1:得点力

近年のバルセロナの3トップには欧州の主要リーグで得点王を狙えるクラスの選手が配置されることが多かった。そもそも現代サッカーの潮流がサイドのプレイヤーに得点力を求めるようになっており、ネイマールは類稀なる得点センスがあった。

 

2:突破力

これに関しては言うまでもなくネイマールJR最大の強みである。

リオネル・メッシが以前ほど長距離のドリブル突破を控えるようになった現在において、ネイマールの圧倒的な突破力は大きな武器になっていた。同格クラブとの対戦や守備を固めたチーム相手には欠かせない打開力としてネイマールのドリブルが非常に効いていた。

これからメッシがドリブルをする機会が少なくなり、有力なドリブラーが現れていない中でネイマールの離脱は大きな痛手となる。

 

3:連携力

一見するとネイマールはエゴに走るプレイヤーのように思われがちだが、バルセロナに置いては非常に利他的な面もある選手だった。

突破力があるだけでなく得点力もあり、更に連携力もある選手というのは現代サッカーにおいてほとんど存在しないといっても過言ではない。

メッシ、スアレスという自分以上の存在がいるバルセロナという環境がそうさせていたのかもしれないが、非常に高い連携力を発揮しMSNの3人だけで完全に組織的な守備さえも突き崩す破壊力があった。

 

また連携力の一環としてオフザボールの動きも傑出していたため、自然と味方がパスを出しやすい場所に位置取りすることができていた。

ネイマールのサッカー人生は常に厳しくマークされていたため自然とチェックしている相手のマークをはずすわずかなポジショニング修正を行う。相手の選手が完全には追い切れないわずかなスペースでボールを貰い、そのあと突破していく光景は何度も見られたシーンだ。

 

サイドでの駆け引きが上手いだけでなく中央寄りのスペースにはいってきてプレーするのも上手い。

サイドで突破できない選手が中央に居場所を求めるわけではなく、ライン際とゴール前に近いエリアでも両方プレーできる上に、低い場所からの強力な打開力もあった。

ウィンガー的要素が強いがサイドが専門職という選手ではなく得点力も高く、上手い選手は何でもできるという典型例のような選手がネイマールだ。

更にヒールパスの使い方が絶妙なことも特筆すべきスキルであり、実戦的かつ有効な使い方は密集地帯におけるアクイセントにもなっていた。

 

非常に視野が広く単なるエゴイスティックなドリブラーではなく、空間認識能力の高さが連携力を支えていたと言える。 

ウィンガーともいえない、サイドを主戦場とする現代型のアタッカーという表現が正しいのかもしれない。

「ネイマールというプレースタイル」を確立した唯一無二の名手だったため完全なる代役は間違いなく見つからない。

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更にこの三拍子に加え、ネイマールにしかない要素が他にも存在する。

実質的に三拍子どころか六拍子とも言えるような破格の選手だった。

 

4:コミュニケーション能力

典型的ブラジル人とも言える陽気なネイマール・ジュニオールは多くの同僚から愛される選手であり、特にメッシから非常に気に入られていた。今回の退団に際してもリオネル・メッシが直々にインスタグラムで動画を上げるほど寵愛を受けていた。

FCバルセロナがグアルディオラ以降にもう一度新時代を迎えられたのは間違いなくネイマールの功績によるところが大きく、メッシ不在の時はエースとしてチームを率いていた。ピッチ外でのコミュニケーションに加え、ピッチ上での意思疎通も完璧だった。

 

バルセロナにおいて絶対的な存在であるメッシに気に入られることは実は軽視できない重要な要素であり、これからパスの供給者としての側面が強くなっていくメッシに一目置かれる存在であることは有利に働く。

 

5:相手をイラつかせる能力

冗談に聞こえるかもしれないがこれがネイマール最大の強みの一つであり、相手にフラストレーションを感じさせるスキルというのは非常に重要だと言える。

サッカーとは相手をイライラさせた方が有利であり、その挑発に乗ってしまえば負けるスポーツでもある。

相手をイライラさせること及び、自分はイライラせず何事にも動じないというのはサッカーにおいて欠かせない能力になる。

 

そういう意味でまさにネイマールJRは相手をイラつかせる天才だった。

相手のメンタル面のコンディションを崩すこともサッカーの戦術の一つであり、シミュレーション行為だけでなくありとあらゆる手段で相手を翻弄していた。

スペインリーグで何度かヒールリフトをすることが敬意を欠いていると話題になったが、それも含めてブラジル流のスタイルだったと言える。

 

6:魅せる能力

ネイマールは応援している立場の人間や、味方からすると非常に魅力的な選手であり楽しい存在だった。サッカー選手としてだけでなく人間としても面白く、そしてもちろんピッチ上でも魅力にあふれていた。

 

今回パリ・サンジェルマンがネイマールを獲得した理由としてアイドル的な商業価値を重視しているからだとも言われている。

ネイマールがまだサントスにいた時代に「アイドルであり、アーティストであり、達人である」と評されていたが一人のフットボーラーを超える象徴的人気があったことは間違いない。

実際日本でもネイマールは非常に人気であり、レアル・マドリードの11番とバルセロナの11番では知名度や人気に大きく差がある。

ほぼ同時期に加入した11番の選手の2人を比較するとガレス・ベイルはマドリディスタから一刻も早く退団してほしいと思われているが、ネイマールはバルセロニスタから惜しまれつつ退団した。

 

そういったサッカー選手としての要素以外の人気に加え、ピッチ上でも魅せるプレーは非常に多く見ていて楽しく、遊び心にあふれた選手だったことは事実だ。

現代サッカー界においてこれほど人を沸かせるファンタジスタは存在しないだろう。メッシやイニエスタですらプレーの華麗さや派手さではネイマールに及ばないかもしれない。

 

他にも探せばネイマールにしかない能力はいくらでもあるだろう、それほど才能や魅力にあふれた傑出した天才だった。

そんなもう二度と戻ってこない選手の退団を嘆いても仕方がない。

そしてこれらの要素を高い次元で兼ね備えている選手は移籍市場には見当たらない。

 

しかしそれでも新しいバルセロナの11番候補は存在する。

まず新加入選手に最優先で求めたいのが冒頭の三要素、すなわち得点力、突破力、連携力の3つになる。

具体名を挙げるとするならばユヴェントスのディバラかリヴァプールのコウチーニョが有力候補だろう。

 

コウチーニョに関してはほぼ決まりではないかと言われており、本職ストライカーでないにもかかわらずプレミアリーグで10得点を超えているというのは及第点だと言える。バルセロナの強力なパス供給者との連携を洗練させればその得点力はさらに開花する可能性がある。

 

ディバラに関しては今すぐではなく数年後の移籍が現実的かもしれないが、メッシへの憧れを公言しており実際にアルゼンチン代表でもチームメイトとしてプレーしているため、コミュニケーション能力の部分ではネイマール以上の存在になる可能性もある。

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この2人がやや突出しているが他にも候補は存在する。

1:ウスマン・デンベレ

2:キリアン・ムバッペ

3:マルコ・ロイス

4:エデン・アザール

5:ディ・マリア

 

個人的な見解として最近よく取りざたされているデンベレとムバッペに関しては過大評価であると見ており、バルセロナのスタイルにも合わないため反対している。

ムバッペに関しては熱烈なクリスティアーノ・ロナウドのファンである事に加え、移籍金も高騰しすぎているため現実的ではないだろう。

デンベレに関してはまだ成長段階であり、過大評価の域を抜け出せていない。しかしネイマールもサントス時代は何度も過大評価の典型例だと言われていたため仮に獲得に成功したのであればサプライズを起こす可能性はある。

 

次にドイツ代表マルコ・ロイスは以前実際に獲得に動いた経緯がある。その時はMSNが絶対的であったため"第4のフォワード"になることを拒んだ結果移籍は実現しなかったと言われている。

今回バルセロナの移籍においてロイスに関する報道ほとんど見かけないが、今のタイミングならば悪い移籍ではないのではないだろうか。

 

ベルギー代表エデン・アザールはまさに理想的な補強だと言える。

少し前にレアル・マドリード行きが噂されていたが、ムバッペ獲得に傾いている状況ならばアザールの獲得は今が絶妙なチャンスかもしれない。こちらもチェルシー側が強硬な姿勢を貫いているが、このタイミングを逃せばもう二度とアザールの獲得は実現できないだろう。

得点力に関してもコウチーニョ以上であり、ドリブルはワールドクラス、南米選手でないためMSNの弱点であった移動距離の長さによる疲労も回避できる。

主力3選手が南米予選やコパ・アメリカに参加するということはバルセロナにとって大きな痛手となるため一人ヨーロッパ出身者がいるという事は隠れたメリットになる。

 

最後にアルゼンチン代表ディ・マリアは、以前から幾度となくバルセロナ行きが噂されておりもしかしたら今回のタイミングで遂に実現するかもしれない。

唯一の弱点は得点力不足だがそれはメッシやスアレスが補うはずだ。むしろその献身性や突破力、メッシとの相性の良さは得点力不足を補って余りある。

レアル・マドリードのデシマ達成に最も貢献した選手の一人であり、そのシーズンには欧州ベストイレブンに選ばれた実績がある。

 

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しかしこれまでネイマールの代わりに誰かを補強するという前提で考えてきたが、補強しないという考え方もできるかもしれない。

例えば誰もが存在を忘れつつあるアルダ・トゥランやパコ・アルカセルのように有力な選手は既にバルセロナに存在する。

アルダ・トゥランはアトレティコ・マドリード時代の能力を取り戻すことに成功すれば十分な戦力になり得る。リーガ・エスパニョーラを制覇した全盛期のアトレティコ・マドリードで10番を務めていた選手だと考えればトゥランは過小評価できない。

実際にUEFAチャンピオンズリーグでも鮮烈な活躍をする試合があったため、攻撃的なポジションで継続的に起用すれば才能を開花させる可能性はある。

 

またバルセロニスタがまるで存在しないかのような前提で話しているパコ・アルカセルに関しても何らかの起用法を見つけ出せればブレイクの機会はあるだろう。

案外セルジ・ロベルトラフィーニャのような便利屋選手に地味で献身的なことをやってもらうだけで機能することもあるかもしれない。

 

理想はかつてバルセロナに在籍していたペドロ・ロドリゲスのような選手だ。

時々ペドロがいた時代のバルセロナの映像を見ることがあるのだが、地味ながら非常に良い選手だという印象を感じる。

真にバルセロナに求められているのはMSNのような派手なユニットではなく、ペドロのような選手がチーム全体として連動することなのではないか。

バルセロナというチームは派手な前線を揃えて彼らに勝手に攻撃させて点を取るというチームではない。チーム全体として連動するというクライフが伝えたトータルフットボールの哲学に沿ったチームを作らなければならないはずだ。

 

実際にMSNトリオを中心とした指揮官ルイス・エンリケのスタイルは「前後分断サッカー」と揶揄されていた。徐々にポゼッションサッカーが時代遅れのものとなりつつある時代の変化があったことは事実だが、バルセロナの戦い方を見失っていたことは否めない。

 

そのバルサらしいスタイルの実現のために本当に必要なことは実は中盤の補強なのではないだろうか。

バルセロナの全盛期にはシャビ・エルナンデスアンドレス・イニエスタというスペインサッカー史上最高の2人が存在した。そのシャビとイニエスタのコンビネーションはもはやメッシさえ必要とせずスペイン代表をワールドカップ制覇に導いた。

現代サッカーの潮流は変化していると言ってもやはり中盤がサッカーの核を成すことは変わっていない。

どうしても派手なフォワードにばかり目が行ってしまいがちだが本当に重要な場所は何なのかということも考えなければならないのではないか。

 

既にイニエスタは全盛期の輝きを失いつつあり、後継者の登場が切に求められている。また別のクラブへの挑戦も示唆しておりバルサの中盤は決定的な選手を欠くことになる可能性が高い。

ブスケツやラキティッチも同様の問題を抱えており、アンドレ・ゴメスやデニス・スアレスも期待に応えられていない。

またカンテラと呼ばれる育成組織からも有力な引き上げが実現できておらず、唯一セルジ・ロベルトが少しずつ定着してきているとしか言えない。

この現状に関してシャビ・エルナンデスは「バルサは眠っている、クラブを去ったカンテラーノと再契約する必要はない」と憤っており打開策は見えていない。

 

バルサにおけるシャビとイニエスタ後の時代に、中盤は未だに決定的な形を見つけられておらず迷走している。他のポジションで他のクラブに見劣りしたとしてもこのポジションだけは世界最高レベルの選手を揃えなければもはやそれはバルサではない。

 

その意味でアンドレス・イニエスタが自身の後継者かと聞かれて「そう思う」と答えたイタリア代表マルコ・ヴェラッティの存在は気がかりだ。ヴェラッティの移籍さえ実現すればこの停滞感は晴れていくだろう。

 

真に必要なのはネイマールの後継者ではなく、シャビやイニエスタの後継者なのではないか。次のネイマールを見つけてくればバルサが復活するだろうという幻想は不幸な結末しか生まないだろう。

バルセロナが今最も大きな問題を抱えており、これからよりその問題が深刻化していくのは中盤であるように思えてならない。

その最大のストロングポイントであるはずの中盤が瓦解しようとしている。

トリデンテの補強ばかり取り沙汰される様は見栄えが悪くなった屋根ばかり改築しようとして、腐敗しつつある屋台骨や柱からは目を背けているように映る。

フェルメーレンの退団とイニゴ・マルティネスの補強はその意味で明るい兆しだが、この後に肝心の中盤の大改革に踏み切れるかどうかが新生バルサの行く末を左右するだろう。

いよいよ開幕が8月20日に迫るリーガ・エスパニョーラ、新シーズンがどうなるか見てみよう。

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ネイマール、バルサやめるってよ

ついにネイマールのPSG移籍が決まってしまった。

チームメイトに別れを告げ、リオネル・メッシも自身のインスタグラムで正式に惜別の言葉を綴った。

「友よ、この数年間は最高だった。新たなステージで頑張ってくれ、また会おう」

 

サッカーの面で最高にフィーリングが合う存在だっただけにメッシもこの別れに悲しみを隠すこととができていない。

ブラジル代表のエースとアルゼンチン代表のエースが織りなしたコンビネーションはサッカーの歴史に刻まれるほど華麗でありファンタジーに溢れていた。その後やってくるウルグアイ代表のエースが更にそのクオリティを次の段階に高め史上最高のトリデンテが誕生した。

MSNトリオと言われた南米のエースたちの集まりは見る者を魅了した。しかしもうその甘美な時間は二度と味わうことができない物になる。メッシの全盛期に南米のクラックが揃ったことはまさに奇跡のような組み合わせだったと言っても過言ではない。

もうこれ以上のスリートップは今後存在しえないだろうという程完成度、得点力、そしてファンタジーの面で完璧だった。

 

メッシ「なぜ出ていくんだい?バルサは最高のチームじゃないか」

 

それにしても今回の移籍金はあまりにも異常過ぎる。

ついに100億代に達してインフレが起こっていると思ったらなんと日本円にして約290億円、いくらサッカーに関連するマネーが高騰していると言ってももはやこれは狂気だ。

ネイマールjr「狂気の沙汰ほど面白い」

 

100億超えたと言っていたらもうすぐ300億を超えそうな領域にあるのだからもはや理解の範囲を超えている。

少し前にリオネル・メッシの移籍金が200億越えだと推定されていたが、それは決して起こり得ないものだとの見方をされていた。しかしネイマール・ジュニオールの移籍は本当に実現した。もはやサッカー史に残る最大の移籍でありサッカーの記録ではなく移籍金の記録で歴史に名を残すあたりがネイマール親子らしい。

バルセロニスタ「バロンドールやワールドカップが獲れなくても移籍金記録は作れたから幸せなんだろうな、おめでとう」

ブッフォン「最近の移籍市場はもはや詐欺」

シャビ「マネーゲームはアンチフットボール」

ピケ「タイトルよりお金を選んで食う飯は美味いか?」

モウリーニョ「俺が熱心にユナイテッドに誘ったときは応じなかったのにパリには行くのか」

これからサッカーの世界では移籍金(違約金)が200億越えが当たり前のことになっていくのだろうか。新興国リーグとの競争や多額の資金を味方に付けたチームの台頭も加わり現代サッカーを取り巻くマネーは年々巨大化している。

これらの要因はもはやクラブの歴史や格、チームの実力に問われない新たな移籍を生み出し続けるだろう。もはやスペインリーグの二大巨頭にスター選手が集まる銀河系の時代は終わりを告げるだろう。

レアル・マドリードやバルセロナですら世界的スター選手を長期間チームの一員にすることは難しくなっている。

しかし良い捉え方をするならば戦力が分散していると言うこともできる。

 

バルセロナ:リオネル・メッシ

レアル・マドリード:クリスティアーノ・ロナウド

パリ・サンジェルマン:ネイマール

バイエルン・ミュンヘン:ハメス・ロドリゲス

ユヴェントス:ディバラ

マンチェスター・ユナイテッド:ポール・ポグバ

スター選手がそれぞれに分散する時代になり、今までのようにスペイン二強に集中していた選手が様々なチームで象徴的なエースとなっていく時代が来る。もはやバルセロナとレアル・マドリードが選手としてのゴールになる時代ではなくなりつつある、その最大の実例がまさに今回のネイマールのPSG移籍なのだろう。

 

このネイマールの衝撃的な移籍によって訪れるヨーロッパサッカー新時代は何をもたらすのだろうか。スペイン二強時代が本当に終焉し、パリ・サンジェルマンの時代が訪れるのかそれともネイマールを擁してでもPSGはUEFAチャンピオンズリーグのタイトルに手が届かないのか。

またこの移籍によってFCバルセロナが手にする資金で新たな補強は間違いなく行われるだろう。もしかしたらバルサのヒエラルキーが以前の状態に戻り、新しい補強によってチーム全体は上向き再びバルセロナの時代が訪れる可能性もある。

 

バルセロニスタが期待していることはまさにそのことであり、ネイマールはいわば諸刃の刃でもあった。

ネイマールがいることにチームの戦術は見失われ、財政は圧迫され、いつ移籍するかわからない不安にも苛まれていた。これできっぱりと別れることができるならばバルセロナはここから新時代へと邁進していくことができる。

ネイマール

ネイマール「バルサが求めていたのは所詮メッシのいい弟だったのさ。ヒエラルキーを崩さない範囲でメッシのために頑張ってくれというのが本音。懸命に結果を出しも、良い扱いを希望しただけで傲慢な選手扱い・・・それがバルサだった。」

そんなことを後の自伝で語りそうだ、パリ・サンジェルマンで少し前までエースだったあのポニーテールの男のようにバルサへの不満を後出して語るだろう。

 

今回の移籍はむしろバルセロナとしてもネイマールとしてもお互い幸せな決断なのかもしれない。バルセロナ側も正直扱いに困っていたところがありサポーターの意見も割れていた。

更にネイマールは才能に見合った評価をしてほしいと思っており自分が絶対的なエースになりたいと考えている。

サッカー面での相性は良かったが長期的には求めているものが違った。

バルセロニスタには多少複雑な感情はありルイス・フィーゴの再来とも言われているが、懐かしい事や楽しかったことも多い。

何だかんだで嫌いになることはできないのがネイマールだ。

必ずしもバルサにとってマイナス要因しかない移籍ではなく、ポジティブなことも多々あるため今回の移籍に関しては新天地で頑張ってほしいなという感情のほうが強い。

PSGで真のエースになったときネイマールがどこまで真価を発揮できるかというのは楽しみでもある。CLで南米の両雄が激突したときにどうなるかも期待したいところだ。

ネイマールjr、甘美な日々をオブリガード、ありがとう。

君の輝かしい未来に期待してるよ。

 

バルセロニスタ本音「くぅ~この290億でどんな補強してくれるか楽しみだぜ。まぁせいぜい誰も見てないリーグで頑張ってくれ。」

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