elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

久保建英VSイ・スンウ バルセロナトップチームにたどり着けるのはどっち?

メッシ、ネイマールら世界的な有名選手を要し世界最高のサッカーチームと謳われるFCバルセロナだが、そのバルセロナも今アジア人にとって雲の上の存在ではなくなっている。漫画の世界では大空翼がエースナンバーの10番を背負っているが、久保建英という存在の登場によってその話は架空の物ではなくなってきている。

バルセロナユースにその才能を認められた久保建英はスペインへその成長機会を求め海を渡った。しかしバルセロナがFIFAの規定に反したため久保建英は実戦機会を求め日本へと帰国。バルセロナユースに留まっていれば試合に出場できないため泣く泣く帰国したのだ。

しかし物語はここでは終わらない。依然として久保の才能を評価するバルセロナは18歳になったときに再び契約する意向を伝え、久保建英は再びバルセロナへと渡る機会を手にした。

将来日本人がバルセロナ所属の選手になるというストーリーはもはや漫画の世界に限ったことではなく早ければ3年後にもそれが実現すると目されている。

 

もちろんすべてが順調に行くとは限らない。

バルセロナというチームは入ってからが勝負であり現実は厳しい。これまでもカンテラという育成組織出身の選手が現れては消え、各国の有名チームから引き入れた有力選手さえも定着せず数年で去っていく光景を何度も目にしてきた。特に攻撃サッカーを標榜するバルセロナではアタッカーの人材には高額な移籍金を投じてでも獲得する為、各国リーグの得点王になる人材との競争が必至となる。

テージョ、ボージャン、ドス・サントスのようにユース年代やトップチーム昇格当初は期待されながらも結局は他チームに移籍するはめになった育成組織出身の選手も多く、悲観的な物事の見方をするならば久保建英も彼らのようなキャリアを歩む可能性が高く、「大空翼」やメッシの後継者になる可能性は現実的には高くない。

久保建英

その一方で久保建英はU20ワールドカップに15歳ながら選出された逸材でもある。既にサッカー脳は非常に高くむしろシンプルなプレーや頭脳プレーを得意とする選手であり、バルセロナが必要とするタイプの選手に育つことも期待される。

 

そんな日本サッカー界の期待の星である久保建英にライバルが存在する。同じアジアのイ・スンウという選手がおり彼もまたバルセロナユース所属であり、今回のU20ワールドカップで韓国代表として選出されている。

将来的には日本の久保建英VS韓国のイ・スンウという新時代が到来する可能性もあるだろう。南米のブラジル人がネイマール、アルゼンチン人がメッシを誇りに思いライバル対決をし切磋琢磨するように日本人は久保、韓国はイ・スンウという時代が到来すればアジアサッカーは一躍進歩を遂げるはずだ。アジアサッカーにおいて日本と韓国がこれだけ突出した存在であることはブラジルとアルゼンチンが競い合ってきたから発展してきたのと同じようにライバル対決という構図があったからである。好きか嫌いかでいうならばむしろ嫌いなぐらいの方が発展の好材料になるともいえる。

 

しかし今そのイ・スンウは急激にその成長にブレーキがかかり始めている。

韓国人サッカーファン曰く「同じ年齢の頃ならパク・チュヨンの方が凄かった」「同じ年齢のころのメッシは既にバルセロナでハットトリックをしていた」と悲観し、直近のKリーグ全北現代との練習試合ではほとんど活躍をみせられなかったようである。

実はイ・スンウはもはやユース年代の選手ではなく今年で19歳を迎える選手であり、いつまでもバルセロナユースという肩書に頼ってはいられない年齢に差し掛かりつつある。つい数年前バルサに凄い韓国人がいると話題になっていたのもはや遠い昔、現実的には伸び悩みという状況に陥っているのだ。

メッシは19歳でレアル・マドリード相手のクラシコでハットトリックを決めているが、イ・スンウはトップチームにたどり着けるかどうかは現状だと厳しい。

 

「久保建英は大したことない、将来イ・スンウがバロンドールを取る」と豪語していた韓国のサッカーファンも現状には一抹の寂寥感を覚えるだろう。実際イ・スンウのプレーは典型的なアタッカーであり「ユース年代なら凄く見える」というタイプのプレースタイルでありバルセロナトップチームが志向するプレースタイルとは異なる。はっきりと断言するのであれば有象無象のバルサユース出身選手の一人にすぎず、現れては消えてゆくタイプの選手に過ぎないというのが個人的なイ・スンウへの評価だ。

ユース年代はフィジカルの成長速度に個人差がありアジア人でも場合によっては欧州の環境でフィジカル差で上回れるパターンが存在する。

 

「アジア人はユース年代の時は欧州人よりもフィジカルで上回る」

「むしろユース年代のほうが欧州人とのフィジカル差が顕著になる」

この2つは俗説のように語られているが実際の所これは成長速度の個人差であり、上回る選手もいれば差をつけられる選手もいる、そして成人するまでそれはわからないというのが実情だ。イ・スンウはもしかしたら典型的なユース年代限定の選手であり、プロのレベルで通用する選手ではないと言える。確かにユース年代では存在感のあるプレーをしていたが技術に関しては南米人ほど規格外ではなく、フィジカルもアフリカ人レベルには育たず、インテリジェンスもそれほど高いとは言えない。

同じ韓国代表ならばソン・フンミンという選手に遠く及ばない選手になるのが現実的なキャリアと言えそうである。ここから大化けしバルセロナのトップチームの主力選手になるイメージはわかない。

 

その一方でひいき目にはなるが久保建英はプロで通用するタイプの技術やインテリジェンスがあるため、もしかしたらバルセロナでも居場所を見つけられる選手になるかもしれない。元々メッシというよりもイニエスタに近いタイプだと言われてきた久保建英が現実的にバルセロナでポジションを見つけようと思えば伝統的な4-3-3システムの前線の3枚ではなく中盤の3枚のポジションが適正だと言える。

特にインサイドハーフ、スペイン語ではインテリオールと呼ばれるポジションがふさわしく仮にバルセロナに定着するならばこのポジションで勝負する方がいいというのが自分の見解だ。

 

各国得点王クラスが務める前線の3枚で勝負するだけの攻撃力は久保建英にはないのが現状である。バルセロナは前線の3枚に強豪リーグで得点王を狙えるだけの選手を集めており、このポジションでアジア人選手が活躍することは難しい。

しかしここから成長を積めばもちろん評価は変わるかもしれない。

なぜならば彼はまだ15歳であり、高校生だ。

どういった選手にあるかはまだ試行錯誤の段階であり現状のプレースタイルや能力が全てとは言えない。そしてその試金石ともいえるのが今回韓国で開かれるU20ワールドカップである。飛び級ともいえる年齢でU20日本代表入りを果たした久保建英、そしてU20韓国代表として選ばれたイ・スンウ、近い将来アジアのサッカーを席巻するであろう2人が同じ大会に出場する姿は後にどのような評価を下されるだろうか。日韓が誇るアジアの至宝の活躍に期待せずにはいられない。

少年サッカーは9割親で決まる [ 島沢優子 ]

ワールドカップ初出場がかかるウズベキスタンが今善戦している件

ここ最近のアジアサッカーは紛れもなく発展している。日本、韓国、イラン、オーストラリアの「アジア四強」に加えその後を追従する第二勢力のレベルも以前では考えられない程進歩しておりこれから右肩上がりで成長していく伸びしろが豊富なサッカー界が存在する。もはやアジアのサッカーは辺境の遅れたサッカーではなく、今確実に世界水準に追い付こうとしているクオリティがあり近代化、現代化を果たそうと邁進している。

 

その中でもウズベキスタン代表は今目覚ましい躍進を遂げており、もしかしたら今回の2018年ロシアワールドカップへ悲願の初出場を実現させる勢いがある。旧ソ連の構成国でありシルクロードのロマンあふれるこの国は今サッカーが非常に熱く、実際前回のワールドカップ予選では日本代表をホームで打ち破り実力を示している。日本代表に豊田スタジアムで勝つアジアのチームだと考えれば軽視できない存在と言える。

 

直近の成績データに関してはこのサイトが非常にわかりやすくまとめられており今アジア最終予選A組で3位につけ、2位の韓国代表にわずか勝ち点1差に迫っている。現在韓国代表が不振に陥り韓国代表の成績次第では2位に入り込みロシアへの切符をつかむ可能性も大いにある。残された試合はA組首位を走るイラン代表、そして苦手とする韓国代表、最後に直近の試合で韓国代表に打ち勝ったリッピ率いる中国代表であり難敵が揃うがサプライズを起こす能力は十分にあると言える。

 

また3位に終わったとしてもB組3位が濃厚とされているオーストラリアとの対戦を制することができれば大陸間プレーオフへの進出を果たし、今回北中米カリブ地区との対戦になるため前回の南米相手程絶望的ではない。ウズベキスタンがロシアワールドカップに出場するという事は十分にあり得るストーリーだ。

ウズベキスタン代表 / サッカー - TSP SPORTS

 

自分自身中央アジアに関して非常に高い関心があり旧ソ連中央アジアのマニアとしてはウズベキスタンにW杯初出場の夢をかなえてもらいたいという願いがある。また今回のワールドカップがロシアでの開催という事を考えたときに旧ソ連構成国であるウズベキスタンから初出場を記念して観戦に訪れる人が増え大会が盛り上がるのではないかという期待もある。

正直な話韓国はもはやワールドカップ出場に慣れており、また現在それほどサッカー熱が高くない状態だ。またロシア西部とは距離が遠く極東の地から観戦に訪れるほど熱心な韓国代表ファンは多くないだろう。韓国サッカーの発展も現状頭打ち状態にあり熱狂は感じられない。

それに対してウズベキスタン代表サポーターは旧ソ連構成国でありロシア語が堪能なサポーターも多く立地的にも近く観戦しやすい立場にある。

また初出場ともなればウズベキスタン国内が熱狂することは想像に難くない。そしてアジア地域から新しい出場国が誕生することはこの地域のサッカーの発展に大きく貢献する。そしてそれはアジアに属する日本代表にとっても将来的に利するだろう。

そういう意味で今回自分は密かにウズベキスタン代表のワールドカップ出場に期待している。

ウズベキスタン代表

まずサッカーウズベキスタン代表がどのようなチームかという概要で言えばアジアの中では比較的欧州に戦術的なチームであると言えるだろう。ロシアリーグでプレーする選手やプレー経験のある選手が多く欧州的なエッセンスがあるのが特徴だ。

特にオディル・アフメドフはロシアリーグのクラスノダールで10番を背負いヨーロッパリーグへの出場経験もある。アジア屈指のボランチであり時にはセンターバックもこなす万能型ミッドフィルダーでありいわばウズベキスタン長谷部誠というイメージに近い。

またウズベキスタン代表で最も有名な選手と言えばジェパロフであり、アジア最優秀選手に2度選ばれた実績を持つ選手でもある。アジアカップやワールドカップ予選でも聞き覚えのある選手であり、ベテランの域に差し掛かりながらも長く代表を支えているという意味では遠藤保仁に近いだろうか。

そして現在10番を背負っているサルドル・ラシドフという選手はまだ若く、左利きのボールコントロールに長けた選手であり試合を見たところウズベキスタンディ・マリアという印象を受けた。個人的にも気に入った選手であり仮にワールドカップに出場した場合ステップアップを遂げるポテンシャルがある選手だと言える。

 

またチームとしても非常に組織化され、日本代表を日本のホームで打ち破った試合は日本サッカーファンの記憶に新しくアジアの新興国として印象付けた。それに加え今回アジア2次予選の北朝鮮戦のフルマッチ映像を観戦しその実態を調べてみたが、私的な意見を言うのであれば「ワールドカップ出場の価値はあるチーム」だという感想を持った。

アジアサッカーは間違いなく発展し欧州や南米からのエッセンスを取りいれつつあり、欧州基準やワールドカップ出場国基準で見ていて面白いチームが増えてきている。

 

ウズベキスタンはまさにその代表格であり、W杯水準になれた日本人が見ても十分に楽しめるチームだと言える。つまらないサッカーや前時代的なサッカーをしているという印象は全く受けなかった。近い将来確実にアジアの強豪国になることは間違いないポテンシャルを感じさせ、日本としてもうかうかしていられない程新興国が誕生しつつある。もし彼らがロシアワールドカップへの切符を手にしたとき「ウズベキスタンサッカーがここまで発展しているとは思わなかった」というサプライズをアジア、そして世界中に与えるだろう。勝ち点1を争うギリギリの最終予選の中でシルクロードの浪漫にあふれたこの国がどういった結末を迎えるか様子を見てみよう。

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ぶっちゃけACミランは中国資本で復活するのか?

最近いろんなごたごたを乗り越えてようやく中国資本への売却が決定したACミランだが、その新生チャイナミランに輝かしい未来は待ち受けているだろうか。

 

この数シーズンのACミランは散々だった。過去の栄光はどこ吹く風、辛酸をひたすら舐めつくしてきたのがここ最近のロッソネリである。欧州での優勝回数はレアル・マドリードに次いで多いクラブがここ数シーズンチャンピオンズリーグはおろかヨーロッパリーグへの出場権すら獲得できていない。

一体なぜここまで落ちぶれたのか、その最大の要因は資金不足だ。イブラヒモビッチチアゴ・シウバを放出したシーズンからこのサイクルは始まった。それまでかつてイタリア首相も務めたメディア王ことシルヴィオ・ベルルスコーニFIFAの規定でかつてほど潤沢な資金を投入できなくなったことにより経営は悪化、有力な選手を次々と手放し連れてこれる選手は2流、3流の選手がほとんどとなり全盛期グランデミランの時期ならばメンバー入りもできないような選手ばかりになった。

もはや完全にセリエAの中堅クラブとして落ちぶれたミランはその旧体質の経営やサポーター文化によって落ちるところまで落ち次々と監督を変えては失敗するという醜態をさらしていた。ヨーロッパの舞台から遠ざかりやることなすこと上手くいかず光が見えてこない日々が続いた。

チャイナミラン

しかしそのACミランについに転機が訪れる。

中国資本による買収である。ここ最近外資による欧州クラブの買収は相次いでおりその成功によって一躍欧州のトップクラブに躍り出たクラブは多い。たとえばオイルマネーで補強しチャンピオンズリーグ常連となり国際的な強豪クラブとして認識されるようになったマンチェスター・シティパリ・サンジェルマンは代表格だろう。

また同じセリエAでもインテル・ナツィオナーレ・ミラノ、通称インテルインドネシア資本に買収され更に中国資本へと渡った。

誇りあるイタリアの名門クラブがアジアの手に渡ることを疑問視する現地イタリア人もいるが、実際にはこれも時代の流れだと受け入れているサポーターも多い。たとえば日本のプロ野球チームが中国企業の傘下に入った場合多くの野球ファンは複雑な心境になるだろう、そして今ミラノを本拠地に置く二大名門クラブが中国資本の手に渡った。

 

今欧州サッカーバブルは最高潮に達しもはや資金力がなければそのトップシーンへついていくことはできない。これも時代の流れでありサッカーが巨大化し、グローバル化をした今悠長なことは言っていられない。

むしろこれでかつての力を取り戻すならば喜ばしい事であり、金の力でもなんでも強くなるACミランが見たい、もう降格圏クラブにすら負けるのはうんざりだというのがミラニスタ偽らざる本音だろう。

 

ではそのACミラン再建計画は上手く行くのだろうか。

現状売却が決まったばかりでその判断は正確に下すことはできない。

まず一番の懸念材料は今回買収した中国資本グループがそれほどサッカーに熱心だとは感じられない点である。あくまで投資として買収しており、中東のオイルマネーによる道楽的な意味合いを持つ投資とは若干異なる。

今回のACミランを売却したチームもそれほど大きなグループとは言えずここ最近成り上がった資本としかいいようがなく長期的な経営に意欲的だとは言えない。現状どうにも軽く参入しているイメージしかなく「見捨てるときはすぐに見捨てる」という短期的なイメージしかわかないのが現状だ。真にACミランというクラブを立て直そうという意欲は感じられずあくまで利害に基づいた表面上の関係に思えてならない。

スタジアムや育成組織を根本から整備し長期的視野で計画的な運営をしているユベントスに比べて内実が伴わないような印象を受けるのも事実だ。その一方で昨今の今サッカー界を席巻するチャイナマネーはそういった計画性や歴史を凌駕するほどの資金力があり、ユベントスが苦労して積み重ねたものを一瞬で追い抜き去るポテンシャルもないわけではない。これが吉と出るか凶と出るかはまだ不透明だ。はたしてアリとキリギリスの寓話のように堅実に運営をするユベントスがこれからも勝利し続けるのか、チャイナマネーですべてを巻き返すミラノ勢が息を吹き返すのか、しばらく様子見が必要だろう。

 

またかつてACミランが欧州を席巻した時代は戦術の革新が伴っていた。戦術大国イタリアからは名将が多く誕生しゾーンプレスを導入したアリゴ・サッキはその代表格だろう。サッキミランはクライフ率いるドリームチームのFCバルセロナを4-0で打ち破りその完成度を示した。

今果してそのような新戦術の誕生がイタリアのミラノから起こり得るのか、今のところ監督を1シーズンごとに変更し続けるACミランからそういった可能性は感じられない。資金だけあっても理念や戦術、一貫性と哲学が伴わなければ進歩を遂げることはできないだろう。そして投資の見返りがないと悟った中国の資本家は去っていく、そういった未来は想像に難くない。

 

しかし今ACミランどん底のスランプに陥り、ミラニスタとしては藁にもすがる思いで中国資本に助けを求めているのが実情だ。長期的な経営改革は現状夢物語であり、外資による強化が現実的な方針となる。そして幸いにもACミランはその外資を惹きつけるだけのブランドイメージがある。むしろここ最近外資で栄光を勝ち取った新興勢力に比べてブランドや実績があるのは事実であり、仮にこの新しいサイクルに乗ることができればそういったクラブ以上の成功を収めることができるかもしれない。

再びACミランが欧州とセリエAを席巻する日がやってくるのか、それとも外資による短絡的な復権計画には限度があるのか、いずれにせよ今後数年セリエAの話題には彼らは再び舞い戻るであろう。

アンチ巨人とレアル・マドリード嫌いがそっくりすぎる件

最近昭和の大衆文化というものに興味があって当時のスポーツ文化としてプロ野球の歴史を調べている。日本が活気があり国民の多くが熱狂していた大衆文化というのは今には多様化が進展した今では見られない光景であり、そのような時代に今どこか憧憬にも似たようなものを感じずにはいられない。

その中で日本人が戦後昭和の時代に特に熱狂したものがプロ野球であり自分自身ギリギリ野球中継の延長によって毎度のごとくテレビ番組がつぶれていた時代を覚えている。

そういう経緯があるため自分は野球ファンではないのだが、ここ最近当時の昭和文化を調べる事で「こうやって国内が一つのもので盛り上がっていた文化も悪くない」といういわばガラパゴス文化容認論者のようになってきている。

 

昔は昭和文化や国内完結型の文化なんて興味がないと思っていたが最近は「この頃の盛り上がりすごいなぁ」と評価し、例えばジャニーズなどではたのきんトリオの時代凄いと思ったりもしている。

日本人が一つのものに盛り上がり皆その話をしていた時代は決して悪くなく、幸せだったなと思うのである。その文脈でスポーツにおいて誰もが野球を語り、その中で全国区的人気を誇り大正義であったのが読売巨人軍である。

「王長嶋の時代」と言われてろ自分自身なんとなく聞いた事があり、どこか懐かしい時代について興味を持ちその時代について最近調べた。当時の子供が好きな物として「巨人・大鵬・卵焼き」という流行語が生み出され、日本高度経済成長期の象徴ともいえる社会現象であったらしく「こういう盛り上がりがあったのが昔の日本なんだよなぁ」とどこか憧れを感じるのである。

 

その全盛期巨人に中心メンバーとして王長嶋の2人が属しON砲と言われていた時代がありV9という9連覇を成し遂げたという歴史を最近学び、これはレアル・マドリードディ・ステファノを中心にスペインサッカーリーグを席巻していた時代に近い物があるなとも感じた。

ブトラゲーニョ、プスカシュ、そしてディ・ステファノのようにスペインでも過去のレジェンドが語られているが、日本野球の王長嶋や張本勲はそういう感覚に近い存在なのかなと逆に日本人がスペインに例えて理解した。なにせ自分はこれまで野球にほとんど興味がなくルールすら把握しておらずむしろ海外のサッカーのほうがよほど知識を得ていた。

しかしここ最近戦後20世紀の文化の魅力に触れるにつけ、そういった戦後の自由主義における大衆文化の萌芽や黎明期にどこか憧憬にも似たものを感じるのである。何もかもが多様化し小粒化し「好きな人だけが知っている状態」になりつつある中で、大衆の共通項となる話題があった時代や本当の意味での流行語があった時代に浪漫を感じる。まさにその象徴が「巨人」であり、スペインではレアル・マドリードということになるだろう。

アンチ巨人狂本

 

そしてそういった時代を支配したスポーツチームには必ず「アンチ」という存在が生まれる。読売巨人軍ならば「アンチ巨人」であり、レアル・マドリードならば「反体制」「独立運動」「反中央集権」というイデオロギーが存在する。

この2つは非常に似ており大まかに言えばレアル・マドリードと巨人に対するアンチ文化には3つの共通点が存在する。

 

1:首都を本拠地に置く大正義チームであること

巨人で言えば日本の東京、レアル・マドリードでいえばスペインのマドリードを本拠地にし、それぞれ全国区の人気を誇る。またそれぞれ「大正義」と言われ絶対的な地位や金満補強、権力を駆使したチーム運営、黒い噂などが付きまとう。そういった悪役的な巨大勢力としての魅力があり「とりあえず巨人応援」「とりあえずレアル・マドリード応援」というわかりやすい構図がある。

「巨人軍は紳士たれ」と標榜し「球界の盟主」を気取る巨人、そして「マドリディスモ」を掲げ「銀河系」を気取るレアル・マドリード、彼らはともにそのリーグの支配者のように振る舞う。橙色の巨人か白い巨人か、いずれにせよ彼らは巨人という虚勢を張りたがる。しかしその名前に恥じず圧倒的な力でねじ伏せる姿はまるで国際社会におけるアメリカのような存在であり「なんだかんだでひれ伏してしまう」というのがこういった大正義勢力の条件である。

 

2:アンチはファンよりも詳しいこと

アンチ巨人は巨人ファンより巨人に詳しい、好きの反対は無関心と言われなぜかアンチはやたらとその勢力や個人について詳しい。例えば自分は「バルセロニスタ」としてレアル・マドリードに対抗するチームのFCバルセロナのファンだがもしかしたらそのバルセロナよりもレアル・マドリードのほうが詳しいかもしれない。

何も知らないものを嫌いになりはしない、その詳細を知っているからより嫌いになるのだ。それゆえにアンチというのはファン以上に詳しいことが多い。アンチ巨人もやたら巨人について知っているし、自分自身アンチマドリーとして日ごろからやたらレアル・マドリードについて語っている。アンチのほうが詳しく語る、そういう意味でこういうアンチ文化は「歪んだ関心」によって支えられている。

例えば芸能人でも「なぜそこまでファンより詳しく監視しているのか」というアンチ活動が多いがレアル・マドリードや巨人を監視しているのは何よりもファンなのである。監視こそがアンチ文化の象徴なのだ。

巨人軍「闇」の深層 (文春新書)

巨人がプロ野球をダメにした (講談社プラスアルファ文庫)

 

3:実は「憎い敵」に強くあってほしいこと

実はこういうアンチファンの深層心理は「強い敵に抗っていたい」という深層心理が存在する。強敵に反抗したい、反体制でいたい、何かに逆らっていたいという何かへの対抗心がこういうアンチ運動の原動力である。

心の底から憎んでいるわけではないが何かへの反対活動をしたい、反対活動をしている時の情熱や昂揚感が欲しいというのがこういった運動を支える原動力である。

それゆえに盟主たる大正義チームにはむしろ強敵であってもらわなければならない、わざわざ弱小チームに対して反対運動などしないのである。野球ならば反西武、反オリックス、反ヤクルトなどあまり聞いたことがないしスペインサッカーでも反エスパニョール、反ベティス、反ソシエダなどもほとんど聞いたことがない。

弱小チームというのはアンチとしてはあまり関心を集めずわざわざ反対するまでもなく、反対されるという事はそれだけ存在感があるという事でもある。そしてその存在感がある「憎い敵」に抵抗しているからファンは高揚し面白くなる。強敵を倒すから面白く、憎らしいほど強く、そして上から目線であってほしいというのがこういったアンチ活動を好むファンの複雑な心理でもある。

 

「あんなチームなくなってほしい」といっておきながらそのチームが本当になくなってしまったらどこか寂しい、実際はそういうツンデレなのである。何も逆らう対象がなくなったらつまらない、そしてライバル対決によって競い合い成長してきた側面もある。興行とはそういった対立構図によって盛り上がり発展するものであり、対立構図が存在しないリーグは盛り上がりに欠ける。倒す理由がなければわざわざ対戦する必要もないのだ。だから人々はわかりやすい対立構図を求める。

巨人対阪神ならば東京と大阪、関東と関西の代理戦争でありレアル・マドリードバルセロナならばカスティージャ地方とカタルーニャ地方の歴史的背景も絡む因縁の争いである。大正義勢力、支配的勢力を応援する楽しみと、二番手勢力としてその中央集権に対抗する楽しみ、そのどちらにも面白みがある。

 

「嫌も嫌よも好きのうち」という言葉があるがまさにこういったアンチ活動とファン活動は表裏一体である。アンチこそが最大のファンとはよく言われるが強いチームがあるからアンチ活動も楽しく、そのチームを反骨心によってより強くなり、アンチ勢力を集めるライバルチームもファンが増えてより強くなり互いに争い全体のレベルが上がる。

日本のプロ野球があれほど昭和史を彩り、リーガ・エスパニョーラが世界最強リーグに上り詰めたのもこういったライバル対決の存在が背景にある。アンチ文化というものは決して悪い物ではなく、むしろヒールもアンチもライバルも発生しないしないコンテンツは面白みに欠け発展しない。コンテンツや興行を盛り上げるためにはわかりやすい構図が必要である、日本とスペインに共通するこのスポーツ文化の構図は文化史として研究しても面白いかもしれない。

レアル・マドリード vs FCバルセロナ 因縁の100年史

白の軍団 ベッカムとレアル・マドリードの真実

悲報、元日本代表司令塔の遠藤保仁さん無事衰える

遠藤保仁といえば「ヤット」として親しまれガンバ大阪でも日本代表でも一時代を築いた選手であるが、いよいよその遠藤保仁にも衰えが見え始めてきている。直近の試合ではベンチ入りしたにもかかわらず出番がないというかつての遠藤からは想像もできない事態に陥って栄枯盛衰を感じさせる。

 

しかしあえて擁護するならばむしろ遠藤保仁はこれまで長くやって来れた方である。ほんの数年前まで日本代表の中核であり、元代表監督ハリルホジッチが就任したときにようやく「遠藤体制」に別れを告げたほどそれまで日本代表は遠藤保仁に頼っていた。

また日本代表における「スター性」という意味では若干KinKi Kids堂本剛の雰囲気を感じさせるところもあり世間的な知名度と人気を誇った。

岡田ジャパンでは日本代表をベスト16に導き、ザッケローニもアギーレも遠藤保仁を中核に据えた。2006年のドイツワールドカップでメンバー入りしながらも出場できなかった時代から上り詰め、JリーグAFCアジアチャンピオンズリーグや数々の代表選で活躍しその後の二度のワールドカップに出場したことは偉業だ。

海外移籍は一度もせず国内に留まりながらも代表の司令塔に君臨したという偉業は今更説明もするほどがないほどレジェンドである。

Jリーグでも日本代表レベルに成長できる」ということを海外移籍が持てはやさせる風潮の中でも示し続けた功績は大きい。

遠藤保仁

だがそんな遠藤保仁にもついに衰えるときがやってきた。選手寿命の短いサッカー選手においてむしろこの年齢までトップレベルでやって来れたことが奇跡であり同世代の黄金世代の選手も続々と新しい移籍先を探し、そして新しいキャリアを歩み始めている。

現にガンバ大阪は勢いのある若手選手が育っており確実に世代交代へと進みつつある。

また遠い海の向こうでも遠藤保仁が愛するバルセロナでもシャビ・エルナンデスカタールに移籍しアンドレス・イニエスタセルヒオ・ブスケツというレジェンド選手にも陰りが見え始めている。「日本のシャビ」はいよいよ第二のキャリアを歩む時期に来たのかもしれない。

かつて同じアンダー世代のワールドカップに出場し好成績を収めたシャビに続き、今遠藤保仁が第二のキャリアを歩み始めようとしている。

 

もちろん「引退」に関してはまだ早い。

同じJリーグなら黄金世代のメンバーは現役であり、三浦知良も現役である。フィジカルではなく頭脳や技術を重視したプレースタイルならばまだ息が長い選手であることは間違いない。

数年後本田圭佑Jリーグに復帰した場合どこかのクラブでザックジャパン時代のコンビを形成してくれれば懐かしく甘美な日々が蘇るだろう。遠藤と本田がタッグを組むのであれば自分自身毎試合現地に見に行きたいほど思い入れがある。

 

しかしもう一つ欲をいうのであれば監督業にも期待したい。眼・術・戦という著書を読んだ時改めて遠藤の物事の見方や発想に胸を打たれた。今の日本にこのような視点で語っている人はなかなかいないというほどの独自の視点が彼にはあり、ある意味欧州基準、いや欧州や南米以上の鋭い視点で見ているのではないかと感じさせられた。

もしかしたら日本のグアルディオラはヤットかもしれない、そう感じさせるほどの戦術眼が彼にはある。各国の理論家や戦術家に匹敵する、いやそれ以上の戦術眼がある。かつて日本がようやく国際的地位を築き始めていた中で先進的な戦術思想である航空主兵論を唱えた山本五十六のような先見性がヤットこと遠藤保仁にはある。

 

プレースタイル上長らく現役で通用する才能はあるのだが細々と現役続けるよりも監督としてもう一度トップクラスの輝かしい実績を作り出せる能力があるだろう。

むしろヨハン・クライフジョゼップ・グアルディオラディエゴ・シメオネは監督業によって現役時代以上の名声を獲得している。こういった例はあくまでスペイン基準の例に過ぎずまだ、日本人に求めるレベルではないのかもしれない。しかしその「スペイン基準」のレベルを求めても答えてくれそうなのが遠藤保仁もである。

日本という国はあらゆるジャンルにおいてブレイクスルーを引き起こす人材が現れそのジャンルのトップを走る国に追い付いてきた国である。今サッカーにおいてもそういった先進国基準の人材が現れる時期に来たのかもしれない。遠藤保仁という「異色の天才」が下す結論にサッカーファンはこれからも注目せずにはいられないだろう。