elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

あの外山恒一、元気に反自粛闘争をしていた

ゼロ年代ネットの歴史の1ページとに残る男がいる。ゼロ年代ネットオールスターがあったら確実に入るだろう。

 

外山恒一

その人だ

 

自分は時々、懐古と生存確認も兼ねて彼の活動を見るのだが最近は反自粛闘争を行っているようだ。

 

最新のツイートでは「私は何度も過去の人扱いされた。まるで鄧小平のようだ」とオワコンからの復活をアピール

 

鄧小平は父親の政争に巻き込まれ農村で長期間隔離されていたところから、中国の改革開放の立役者となった現代中国で一番まとも(?)な政治家だ。

外山自身も福岡のアングラバーで政治犯(?)として左遷の時を過ごしていたこともある。

 

また彼はこうも語る「2007年の都知事選のときですら、私は今更外山恒一かという過去の人扱いだった」

自分は80年代の反管理教育闘争からスタートし18歳で著書を出した当時の雰囲気に憧れるが、処女作はどこかの図書館に置いてあるぐらいでしか読めないレア物ということ。

 

ちなみに最新の著書「正しいテロリストの育て方」は数年前に読んだのだが、反原発運動や戦後の左翼運動史について説明されていた。

 

そんな彼のツイートでバズっているのがこちら。

 

「思想は大いに偏ってよいが、決して知識が偏ってはならない。」

 

そして1年前給付金で騒がれている頃に書かれた反自粛ツイート

 

 

 

「Fラン人民」というワードチョイスが面白い笑

要するに国民がその程度だから政府も舐めている、という主張である。

結局、給付金おかわりくれないですからね笑

 

最近、東京で百合子がいくらお願いしても自粛せず「路上飲酒」している若者が話題になっているがわりとこういうネットでの扇動の影響もあるのではないか。

彼らもこの1年自粛していたがいよいよ我慢の限界が来た人たちかもしれない。

 

「欲しがりません勝つまでは」とか「クリスマスまでに戦争は終わる」と言っていたら一向にコロナ禍は終わらないし、有名人続々回復しまくってるしで意外と雑魚なんじゃねと思われ始めている。

 

実際死んだの志村けんだけだし、ジジィでもトランプやサッカーの田嶋会長は生きてるし、クリロナ広瀬すずは元気に生きてるからなぁ。体脂肪率低いアスリートなんて風邪に弱いはずなのに、ネイマールもイブラもすぐに復帰した。

 

ジャニーズも千賀健永と宮舘涼太がコロナだった事なんてもうジャニオタですら覚えてない。実は田嶋会長が日本の有名人第一号だったという。

 

正直コロナはそこまで気にしなくてもいいんだろうなと。

自分は潔癖症だから気分の問題で外出時はマスクどころかキャップ(髪を無意識に触る事が多い女性は特に使ったほうがいい)まで使って露出を少なくしてるし、服も必ず帰ってきたら着替えてるけどほんと気分の問題だと思う。この1年外食は時々ではあるが普通に行っている。

 

まぁ自分も今絶賛感染増加中のテパンミングク(大阪民国)なのだが、正直トンギョン(東京)がどうなろうが勝手にしやがれと他人事だ。

この前どうしても用事があってついでにイオン行ったけど、大阪人ほんと自粛する気ないで。家族連れがどこも元気にはしゃぎすぎ。まぁマスクは結構つけてるが。

逆に路上喫煙少なくなってマシになったまである(コロナ前の大阪の路上喫煙はヤバかった)

 

路上喫煙、インフルエンザ、無駄な飲み会、出勤、通学、不衛生、イベントを無くしてくれるコロナ、あなたは一体・・・

 

居酒屋で気軽に話せなくなったのは残念で憂鬱だけどね。その分ネットの交流が大事になってきているのかもしれない。

もちろんそういうストレスをバッシングに使うようであれば問題だ。木下優樹菜がバーベキューしてるのをROM専アカで叩きまくるのはフェアじゃないというかコロナヒスだよなぁと。

遵法意識の高さが健全化ファシズムとして悪い意味で作用してる。

近所の地区内のルールを監視することぐらいしか社会に参加しているという実感が得られないおばちゃんみたいなものだ。

 

反自粛活動はタフな奴がやってくれと。路上飲酒は傍から見てる分には面白いし、自分もコロナ前はやってた。

飲み歩き番組でいちいちアクリル板の仕切りつけてると興醒めするけど、つけてないと不安になる自分がいるのも事実

関西では馴染みの「おとな旅あるき旅」で三田村邦彦のおっさんがマスクなのはちょっと寂しいんだよなぁ笑

あのおっさん昼から飲みまくるのが面白いのにさ

 

自粛に関する自分の考えはここまでとして、外山恒一の酒と革命にを愛する姿勢は憧れるというかそういった趣向に共感する。結局酒よ。

今、自分が語りたいことはまさにこういうアングラ的な(?)雰囲気だ。酒と革命である。もちろん外山恒一はかなりの知識量と経験、独自の哲学があるから支持される。ネットにもネタとして受け入れられているが、過激派だと思ったら意外とまともな人だというギャップもある。

 

自分は信奉者ではないし、思想的に異なったり反したりする同意できない部分もある。

でも人間としては面白く魅力的だ。

「デモの狂乱のあと人は終わりなき日常に戻っていかなければならないというがそれは違う」みたいに語っていた記事も読んだことがある。

 

自分にとってはまさにリアル厨二病時代の憧れというか面白ネタだった人だし、今そういう外山チルドレンもいい大人になってきている。外山界隈の人、面白そうだし、例えば自分は「だめ連」とかも好きだ。キャラが濃いというか。端的に言って厨二病。上の世代が厨二病やっててくれれば自分もしやすいし、自分より若い世代もしやすくなる。それがいいカウンターカルチャーの原動力になると思うわけだ。

世間がなぜゆたぼんを叩くかわからない

不登校ユーチューバーとして活動する少年革命家ゆたぼんだが、最近有名人がいろいろ苦言を呈している。

そもそもゆたぼんは父親の操り人形っぽいところが批判されている要因ではあるし、自分も全面的に擁護したいわけではない。

ただ社会に一石を投じるというか、そろそろ義務教育以外での教育も議論される時期に来ているという意味では意義がある。

 

義務教育反対派は自分の知っている限りだと本田圭佑、落合陽一だ。本田は「嫌だったら学校行かなくても宿題しなくてもいい」と言っており、ツイッター慶應卒の武藤嘉紀に論破されて熱くなっていたのが数年前

 

逆にひろゆきやシバターは学校行け派で、ひろゆきはやたらこの話題に執着している。ちなみに喧嘩別れしたホリエモンも義務教育反対派で、メンタリストダイゴや中田敦彦あたりも反対寄りではあるように思う。

 

ただネット世論は概ね義務教育擁護派で、ゆたぼん批判派が多い印象を受ける。ネット世論も今やリアルの延長なので割と常識的な意見が大半になりやすい時代だ。

父親に操られてるゆたぼんが可愛そうという善意から、いつの間にか常識外れな行動に対する嫌悪感になっているよなぁと思えなくもない。

新しい教育システムという発展的な議論なされずに「どうせまともな大人にならない」みたいな批判が多い。タトゥーや生活保護夫婦別姓叩きに似たものを感じるというか。大麻解禁論とかもだけど、いきなり日本が薬物大国になっていて治安が悪化する、迷惑で面倒なことが増える!みたいなアレルギー反応が起こるわけだ。

ゆたぼんに影響されてろくでもない大人になる子が増える!という拒否反応だ。

学校行きたくない=甘え、馴染めない可愛そうな奴というわかりやすい構図である。

 

もちろん自分もゆたぼん家庭のやり方が正しいとは言えないし、ひろゆきも「アメリカのホームスクールのやり方はしっかりと制度が定められている」と指摘している。

そもそも自分はゆたぼんの動画見ていないのでわからないのだが、多様な教育は必要だと考える。

日本の義務教育に問題がないといえばそうではないだろう。義務教育推進論者も、今の学校教育が完全に正しいとまでは考えてないはずだ。

 

「友達を作って同年代の人と集団生活をする社会性を磨く」みたいな反論が一番多いけど、学校行かない選択肢に社会がもっと寛容だったらこういういじめはなかったのかなという事も多い。それにむしろ社会では違う年代の人と接することのほうが圧倒的に多いので、ほとんど飛び級が存在せず同じ年代の人と固定化された学校生活を送るというのは実は異質だ。

 

自分の今も続いている友人はなんだかんだ義務教育時代だし、田舎すぎてクラス替えがなかった小学校時代の級友は絆という程ではないが連帯意識があって懐かしい。

ただそういうのをもってして「そういう体験がないと駄目だぞ」みたいに大人たちがうるさくいうのも違うよなぁと。

ゆたぼんが今はネットがあると主張していたが、実際自分も小中時代ポケモンチャットやミリタリーサイトにいた同年代の常連仲間は同じくらい懐かしく感じるわけで。

 

正直、学校行かない選択肢やホームスクーリングの手段がもっと充実してたら自分は学校いってなかったと思う。現実問題、田舎の両親共働きで、共に低学歴だった親から教育を受けられないから学校行っていただけだ。あと田舎なので地域の噂になるし、特に父親が昭和の考え方だったのでそういう選択肢はPCとネット環境があったとはいえ現実的ではなかった。まぁ自分もネットサーフィンやゲームばかりしていただろう。

 

日本の家庭事情ではホームスクーリングが難しいというだけで、これからどう制度を整えていくかという議論が必要だ。「まともな大人にならないぞ」「普通の学校生活がなくて可愛そう」みたいな意見って見飽きたというのが正直な感想だ。もうそういうのいいから、という。

 

学校に懐かしさがないといえば嘘になるが、自分の適性上まともなホームスクーリングの環境があったらなぁという思いはある。

別に自分も学生時代の思い出を否定しているわけではないし、その普通の懐かしさこそかけがえの無いものだという主張もわかる。

でも、皆何にもなれないつまらない大人になったから昔を美化しがちなのよこういうのって。学校合わないやつに美学を押し付けるべきじゃない、それはありがた迷惑だ。

 

部活動も問題だ。

日本人の考え方「学校や部活で厳しい上下関係や理不尽になれないと社会ではやっていけない」

わりと日本人ってこういう考え方しがちだが、「そういう理不尽がない社会にしていくべきでは」という発想は欠けている。

もっと不登校帰宅部、休職、ブランク期間等に寛容になった方がこの生きづらさは解消されるのになぁと思って見ている。

近代化や高度経済成長で均質な労働力が必要だった時代の発想が未だに日本社会の根幹をなしている。まぁだからといって北欧のやり方が凄いとか言いたいわけではなく、もっと日本流を考えていくべきだと思っている。

 

教育は多様になるべきと言っても現実問題日本人が結局根っからの横並び好き民族なので、どうしようもないといえばどうしようもない。苦労をなくして幸福になろうという議論が苦手なのだ。それよりも「自分も苦労しているのだから、してきたのだからあなたもしなさい。それはいいものだから」という話の方が圧倒的に得意なのである。

 

というかひろゆきって「レアケースの成功例」をやたら敵視してるけど、イノベーションやブレイクスルーのためにはそういう人材こそ必要だとは考えていないのだろうか。

言うほど義務教育が優れた人材を作り出しているかといえばそうでもないから日本は停滞しているわけで。時として少数の天才が社会を前に進めることもあるし、明治維新は私塾から始まっている。

全国で同じ教育しかしていない状態というのも危険な状態で、それは国民意識というものを形成する必要があった近代化時代の発想だ。

 

もっと独自の教育があってもいいよなぁ、とは思うわけだ。ゆたぼんがろくな大人にならなかったとして、義務教育でろくな大人になってない奴も大勢いるわけで前者だけ異様に責立てる社会も不健全だ。いや、あんたらもろくな大人じゃねぇだろと笑

義務教育に失敗作がいて、ホームスクーリングにも失敗作がいるだけのこと。ゆたぼんを真似てろくでもない大人が増えるというのもそれこそヒステリーだ。

わりとこういう潜在的なヒステリー感情が日本の古い制度を改革する邪魔になっているよなぁと。

 

義務教育を受けさせない→ろくな大人にならない、子供の思い出や青春はどうする、友達できないよ、と直結して考えて、結局今の教育制度は続いていく。ただでさえ少子化時代なので、もうクラスに40人も集めて毎日同じ教育をする時代でもない。

 

妥協案としては義務教育内にもっと充実した選択肢やコースを作る、週5日登校で夕方まで帰らせず、部活も事実上強制みたいなことを辞めさせる。

それすらも難しいだろう。

どうしても集団行動が苦手な人はいるので、やたら張り切った体育祭や式典の練習を学校の見栄で強制するのとかああいう伝統は確実に日本の生産性下げている前時代的文化だ。

そういうのが社会で無駄な朝礼だの定時で自分だけ帰れないみたいなことにもなっていく。学校教育が培う社会に必要なことなんてむしろなくなったほうがよほど良いことも多い。それで、それが日本だから嫌なら出ていけという思考停止が続く。

 

ただ、本田圭佑みたいなバリバリの体育会系が義務教育や宿題に疑問呈しているというのはいい傾向だ。本田は高卒だが、教育論に熱心だし大人になってからの学び直しを自分で実践している。

 

日本の大人が大人になってから全然勉強しないのって、結局義務教育がつまらなくて学習にいいイメージを持てないからでもあるのではないか。当の義務教育推進派が学校の勉強は嫌だったと証明して曖昧な根性論で擁護しているから、日本の大人は先進国で最低クラスの勉強時間なわけで。

日本の教育は学びの楽しさを教えるというより、やはり均質な社会の構成員を作ることが目的だ。

林修もそのことに関しては苦言を呈していた。体育のときの陣形は軍隊の訓練と同じ、というように。

 

自分の高校時代は酷かった。男子だけめちゃくちゃキツイ組体操でやたら練習量が長時間で、夏休みも強制参加の補修、そして式典の練習にやたら本気。

そういうところで無駄な時間を削っているから、夏休みや冬休みを削って受験の実績を上げようとする。それも形式上受けているようなものだ。

これは義務教育ではない私立だが、もう日本の教育現場全体の風土だ。おまけに最近では不祥事や隠蔽が多すぎる。可視化されたとも言えるが。

 

多分この問題はそんな大事にならずどの家庭も普通に義務教育受けさせるだけで終わるだろう。

結局ホームスクーリングの難易度が高すぎて既存の教育インフラに頼らざるを得ない。

もし自分が現代中高生だったらオリラジ中田のユーチューバー大学見て勉強した気になっていただけだろう笑

 

日本も貧しく今は共働きがデフォなので管理のしようがない。課題をやってたとか親がチェックするとしてもそれは抑圧するだけだと今度は虐待になってしまう。通信アプリで時間ごとに報告するという工夫も毎日となると負担だ。

 

学校ってある意味家庭から自由になる時間でもあるので、学校ばかりと同様に家庭ばかりという環境も問題がある。

今はリモート授業があるとしても、地域での差はある。田舎は徒歩圏内に塾すらなく、親が送迎可能でなければ義務教育以外の選択肢がないというところが珍しくはない。

 

義務教育の内容やカリキュラムを追加しようとしても人材や教室の確保が難しいので結局田舎では特に進まないだろう。

そういう意味でゆたぼんの家庭のような新しいパターンが試行錯誤されるといういうのは重要ではある。ただ、どちらかというと不登校で自力でいい大学行ったとかそういう成功体験のほうがもっと知られるべきではあるし、中学卒業と同時に働き出したとか、高校中退でバイトして本当に社会で必要なスキル学んだとかの方がリアリティはある。

 

実際今でも中学卒業と同時に、都会を出て漁師になってそこらの大卒よりバリバリの稼いでいる10代とかいるので高学歴ニートにするよりは若いうちにバイトの給料で働く喜びを知るとかの方が実は大事だったりする。

特殊な例ではあるが芸能人は中卒や高校中退が多い。

ひろゆきは「普通の生活では素因数分解を学ばない」みたいなことを言っていたが、そもそも義務教育や普通科行ってもそんなものを実質学んでいないような人は多い。

 

頭が柔軟なうちにやれといっても、嫌いになれば一生やらない。

ひろゆきは「満遍なくいろんなことに触れることが大事」というのが主な主張だが、学校教育の内容も割と偏っていて満遍でもない。

本田圭佑は「経済やお金について教えるべき」と言っており、義務教育も大事なことは教えてくれないのが問題だ。

好奇心の多い子であれば自分で学ぶ方が良いとは思う。学校自体が嫌いで、本人が楽しいと感じられないカリキュラムやイベント、部活をさせられて、更に成長期に長時間通学して寝不足で頭脳を鈍らせるぐらいであれば、家で勉強をしたほうがいいかもしれない。

学校が嫌いで勉強の嫌いになるというパターンがどれほど多いことか。自宅であれば宇宙工学や、第二外国語、プログラミングなど義務教育で学ばないことの可能だ。今では海外の大学の授業が動画で簡単に見られる時代だ。

 

苦手な教科の時に得意なこと学べば専門家クラスの知識がつくこともあるので、それをしない日本ではそういう飛び抜けた天才は生まれにくい。

頭が柔軟なうちに一部の教科だけは上の内容というのが難しく、こういうのは難関校の私立限定だ。例えば語学得意な場合、古文漢文の時寝ているぐらいであれば大学レベルの英語をやるとかスペイン語を始めてみるみたいな柔軟性がない。それもこれも結局は公務員試験や共通の大学試験で必要になるからだ。

 

多様なことを学ぶという意味ではバイト禁止の高校も問題だ。高校生といえば月5000円のお小遣いですら結構貰ってるなと感じるくらいなので、時給800円で放課後2時間レベルでも3日やればその額を稼げるため大人とは喜びが違う。

金にならないキツイ部活動より時給が発生すると思えばよほどいいし、今は部活よりホワイトな所が多い。

生活費がただであるため一人暮らしのフリーターが時給2000円稼ぐような感覚だ、だから高校生は大人よりやる気がある。

そうやって稼いだお金で色んなものを買うのも人生経験で仕事に生きてくる。

推薦に役立つほどの部活出なければ薄給でも働く喜びを知っていた方がいいし、もうこんなバイトしたくないから勉強もっとしようとも思えるわけだ。高校生バイトがよく集まる場所であれば部活以上の青春だろう。給料でシフトが空いてる日に遊びにも行ける。

 

自分は高校の頃バイト可能で選択肢も多かったらもっと働く喜びを知って、エアガンやプラモもっと買って、そういうメーカーや店に入ってたかもなぁとは思う。

自転車やバイクのパーツとか高いけど、高校生がバイトで一生懸命ためて卒業後は自転車屋で働くとか立派だ。

 

「普通の学校生活で得る人間関係や青春が大事」といっても、学校が嫌という段階で、もうそこでは得られる見込みがないと本人は思っているのだから、他にやりたいことがある状態かもしれない。

むしろ学校に拘束されている方が社会に触れる時間もない。

 

高校受験でも大学受験でもとにかく今は受験に集中して次の環境に行きたいと言うのであれば、スマホがある時代、教育水準が低い学校よりはよほどマシだ。強制的に一定のリズムで過ごさせられるので習慣は身につくが、自分にあってない場合もある。ただ大学受験はともかく、高校受験は内申点もあるので不登校で自宅学習して難関高校に受かるというのが可能かはわからない。

 

普通の学校生活を大人はやたら強調するけど、正直そんなものより、やりたくもない無駄な学校のイベントから開放されて勉強や本当に好きな趣味、バイトに使ってる方がいい青春だという子もいるわけだ。ブラック校則のせいで青春を楽しめないこともあり、これは教育水準が低いところほど厳しい。

 

高校はまだしも中学はよほど教育熱心で裕福で都会の家庭でもなければ教育水準を選べない。

大学受験を決める高校の質は中学時代が決めるわけで、ここが義務教育になっているというのは色々と問題がある。公立中学という日本の闇はもっと議論されるべきだろう。自分のところはまだ特段おかしな学校というわけではなかったが、ニュースなど見ていると特に田舎は闇深い中学校多いんだなと感じる。

中学受験のための塾代を見たことがあるが、よほど両親が教育に理解あって裕福でなければ出せない額だったのでこういうところで社会階層は決まっていくのだと感じた。

 

子供は生まれた環境を選べない以上、せめて自分で工夫する自由は確保されていなければならない。それを大人が、ろくな大人にならないと決めつけるのもどうか。そりゃ確かに義務教育で様々な知識や社会の縮図に触れることがいい事もあるが、それで駄目になる子もいる。まだそれ以外の代替手段が整備されていない日本では尚早かもしれないがいずれ必要な議論だ。

 

ただ、とにかく義務教育を受けさせないということに対するこれだけ強い日本社会のアレルギー反応を見ると相当厳しい道のりだろうなぁとは思う。それが日本だから仕方がないと言っても子供は選べないので、大人と違い嫌だから出ていくわけには行かない。

 

こうして日本の教育が生み出すブラック人材は再生産されていくんだろうなぁと。以前はこういうのはお偉いさんが悪いと思っていたが結局国民自体がそういう体質で、実際先の大戦だって熱狂的に支持したのは国民だし心の底ではブラックを望んでる、だからこういったアレルギー反応や停滞は続くだろうなぁと。

FIFAのパスミスを無くし隊

現実のサッカーであれゲームであれ永遠の課題とも言えるのがパスミスだ。

正直シュートミスよりも無くしたいのがパスミスだ。シュートミスはまぁ時の運もあるし、キーパーが凄いという仕方ないときがある。また、シュートまで行っていること自体がよくやっているし、大抵プレーが止まるのでピンチになりにくい。打ったというある種の心地よさもある。

 

ただ、くだらないパスミスは本当にイライラするというか、自分が嫌になるしメンタルがやられてなおかつカウンター食らってそのまま失点や、無限ポゼッションやコーナーキックの守備地獄が始まることが多い。何気ないただの横パス通っていればというのをミスる。

 

非常にもったいないプレーで、なおかつ勝敗を左右する危険なミスだ。上手くない自分が全て悪い。上手くないからミスってイライラする。そしてミスが増える悪循環に陥り「ミス脳」になってしまう。そうならないためには自分の技術に対する自信と忍耐力が大事だ。

キングカズはドーハの悲劇の翌日すぐグラウンドに来て「もっと上手くなんねぇとな」と言った。

 

例えばFIFAでは通っていれば半分の確率で入るような決定的ラストパスのミスが10あれば5点は入ってる計算になる。そのもう一つ前のパスミスも含めれば相当なチャンスを失ってる。また大抵の被カウンターはパスミスか不用意なドリブルやキープのミスからだ。

パスミスを5少なくすれば1失点少なくなるかもしれない。

高いところでのミスで得点機会を失い、失点すれば実質2点の重みだ。

 

不思議なものでシュートを外したシーンは印象にあるが、ラストパスが通らなかったシーンは覚えていない。大事なのはラストパスだが、そこに気づかずシュートが悪かったとばかりサッカーゲームの時は考える。だが、サッカーゲームはパスするのもシュートするのも自分という個人競技だ。

 

パスミスを少なくすればそもそも守備もしなくて済むし、攻撃のチャンスも増える。理論上完全に最後までミスらなければ1点入る。

 

試合中メンタルが乱れるとそれは一番パスに現れる。急にパスミスが増えだすし、現実の試合でもうまく行ってないチームはとにかくパスミス地獄だ。

 

パスは一球入魂の思いで出さなければならない。

野球用語で言えば送球

野球は送球が守備で、サッカーは攻撃に使われる違いはあるが基礎を成す技術だ。

youtu.be

ということで、自分はもう一度徹底的に自分のパススキルを見つめ直すことにした。

以前FIFAのスキルモードにあるグランドパスをやり込んでいた時、19500点が限界だった。

見てもらえばシンプルな練習なのだが、これが単純ゆえに結構難しい。

どのジャンルの基礎的なことが一番難しくだから職人という言葉もある。若林がバスケゲームは現実のシュートより難しいと言っていたけれども、ゲームも同じだ。

 

自分はこのミニゲームで「2万の壁」をずっと超えられずにいて、調子悪いときはパスミスの連打で、1万に乗らないこともある。

 

ワンタッチだと得点が高くていい。おそらく速さも大事で、速ければいいというわけでもない。ボレーでも得点が高い傾向にある。

そしてこの度2万の壁を超えればいいと思っていたけど、まさか24000点台に乗せて世界ランクインすることに成功した。しかも結構上位。最後のが入っていればトップテン狙えたのは惜しいがこれは奇跡

 

22000台入ればトップ100狙えて、1位と2位がイタリア人とチリ人でこの二人だけ3万台という化け物。

1位のイタリア人、もしかしてピルロ説ある?笑

Switch版とはいえ、イタリア人、フランス人、ドイツ人、イギリス人が結構多い印象だ。

全弾命中パーフェクト達成でもしてないと3万は無理だ。更に世界ランク上位入ってもまだB判定という鬼仕様

 

他のスキルチャレンジはA判定が割と簡単だが、このパス練習はA判定が異様に難しい。22000超えがA判定のラインだと思っていたけどおそらく26000じゃないだろうか。

A達成の時点で自動的に世界ランク入りするという鬼難易度

 

ただ左スティックとAボタンを押すだけのシンプルな操作だが、簡単に見えて驚くほど入らない。FPSのエイムと違い反射神経もそこまで必要ないが、それなのに難しい。

 

FIFAは本当にこういった地道な訓練が大事。本当にうまいかそうでないかは基礎技術に出る。

 

そもそもサッカーやゲームをどう上手くなるかなんてテンプレ的な答えはないわけで、自分で考えて工夫するしかない。

こういう蹴り方やフォームが良いとは教科書で解説されてるけどトッププレイヤーはだいたいおかしな蹴り方してる。でもそれを他人が真似てもうまく行かない。

 

どうやって上手くなったかと質問したい人がいたとしても、練習したからとしか言いようがないのが球技だ。

ケイスケ・ホンダもプロフェッショナルの流儀で「スペシャルな練習はしてない。こんな地道なことしかやってないですよ」と語っていた。ほんと魔法はない。強いて言えばこれはアシストを使っていると身につかないスキルなので、日頃からマニュアル操作を使ってパスの奥深さを追求することだろうか。正直自分はFIFAでマニュアルを使わないのはもったいないと思っている。

 

基礎練習はいくらやっても満たされることはないし十分なんてない。

全盛期の無敵艦隊スペイン代表はシンプルなインサイドキックが全ポジション抜群にうまかった。

 

ここに視野や判断速度も重要になってくるし、いくら精度が高くてもいい場所が見えてなかったら意味がない。

ワンテンポ遅いと取られる、いいアイデアも早く考えて無かったら意味がない。実行に移す前に取られてしまう。

 

ドリブルだってコーンドリブルだけ速くても意味がない。相手の重心の逆を見極めるとかどのスペースを利用するかが大事だ。

コーンドリブルはコースが決まっているがDFがいると今のは切り込むのではなく縦に行くべきだったという判断が加わる。DFの布陣や味方の位置も完全に同じ状況はないので読みや間接視野が大事だ。

 

ただ基礎技術が高いとその判断の選択肢が増えたり、判断の実効性が高まるのは事実だ。

風間八宏時代のフロンターレはパスとトラップばかり練習していて、そこから強くなっていった。中村憲剛のただトラップとパスをする動画の再生数は凄い。中村憲剛遠藤保仁のインタビュー読みまくって、プレー集も見まくったもんね、たかがFIFAのためにさ笑

f:id:elken:20210426213110j:plain


実際のサッカーに近づけたいと思ってFIFAをしているので、本物の選手はとても参考になる。

自分が今回このスキルゲームで使ったのはフレンキー・デ・ヨングだ。デ・ヨングをもっと上手く使って本物っぽくプレーしたいというモチベーションもある。

 

特に自分の場合バルセロナをメインで使うので、パスが哲学の基礎を成しているからにはパスを極めないわけには行かない。

ツータッチよりもワンタッチというクライフの教え。

自分のやりたいサッカーは決してペップバルサ時代のようなポゼッションではない。

 

ただ激しく守備をし続けるデュエルは疲れる。優雅にパスを回している方が楽だ。それはそれで頭を使うがやってて楽しい、それがバルセロニスタのDNAだ。中々取れない守備ほどキツイものはない。

このパスミスさえなければわざわざコーナーの守備を何回もやらなくていい。終盤や延長戦でスタミナの差にもなる。

個人技や速攻で強行しようとしてミスしているときは一度冷静に遅攻をすると安定したり取れることもある。

 

これまでパスはそれほど得意ではなかったがこれからはやっと苦手ではないと言える。バルサでプレーする以上パスは必須スキルだ。

それこそシャビやクロースのような冷静沈着な精密機械にはなれないし、自分のキャラではない。本職はウィングでもっと感性でプレーするタイプだから、中央でゲームメイクはそれほど得意ではない。馬鹿げたミスもするけど、ファンタジー溢れるプレーもするというムラがある意味自分の個性というか笑

そういうキャラでありたいので、ネイマールみたいな良くも悪くも不完全な人間味も好きなわけだ。

 

これでパスミスが無くなるわけではなくここからがスタート。

記録にこだわるというより安定して2万台を出すことが大事

次はびっくりするぐらい調子落として1万に満たないなんてよくある。

あれから2万以上はちょくちょく出せるようになってきたので、我ながら上手くなったと実感が嬉しい。24000台をもう一度出したので次はいよいよA判定狙いだ。一度で満足したら意味がなくこれを普通にしないと駄目だ。

 

そう考えると現実のサッカーでパス成功率90%記録してるような選手は化け物だよね。俯瞰視点でなくてそれだから凄まじい。

elken.hatenablog.com

バルサ対ビジャレアル戦でふざけたロスタイム発動w

クラシコのときは全然アディショナル取らなかったのに、ビジャレアル戦ではたっぷり取る。

まさかふざロスをラ・リーガでも見るとは。

もう露骨すぎてやっぱ腐敗してんなこのリーグと思うのだが、残念ながらバルサが勝ちきりましたー笑

f:id:elken:20210426152534p:plain



バルセロナはそういった謎の力にも屈せず、逆境と戦っているときほど強い。どうしてもバルサを優勝させたくないのだろうが無駄な試みだ。

ちなみにレッドで退場した選手は後に判定は妥当だったと語っている。

更に笑えるのがアトレティコビルバオに負けているということ。

 

国王杯では勝たせてくれて、アトレティコはくじいてくれる。

ビルバオ様、あなたは一体

 

そしてクラシコの勝利をすぐドブに捨てたマドリーとかいう真正のアホ

 

スーパーリーグも面白そうだと思ったけど、やっぱ普段のリーグ戦はこうやって中位や下位のクラブに嫌がらせ食らうところが面白さでもある。クラシコ勝利でイキってたらベティスとヘタフェ相手に連続で引き分けたお笑い球団レアル・マドリー(笑)

 

ついでにトッテナムの無冠も見られるという最高の夜だった。

ハリー・ケイン君、バルセロナに来ないかい?

 

それにしても前節メッシがハットトリック犠牲にしてまでPK譲ったグリーズマンが2得点というのを見ると、PK蹴らせるのって効果あるんだなと。ケチャドバするし、恩に答えようとモチベーション上げてくれる。チームの雰囲気も良くなる。そして勝ち点として倍で返ってくる。

 

ところでCL出場権に挑戦中の「アイツ」が唯一譲ったのは、自分の通算ゴール記録をPKではなくフィールドゴールにしたかった時だけという・・・

CL行けなかったら逃げるのかね。あれ、チームが火事のときは助けるんじゃ無かったのか笑

まさか逃げないよなぁ

 

ただ今季のリーガ、三つ巴と見せかけて実は理論上セビージャ優勝の可能性もなくはないということ。バルサ、レアル、アトレティコで争ってると思っていたらセビージャが優勝していた、何を言ってるか以下略状態になったら最高に笑えるオチではある。正直存在すら気づかなかった。序盤セビージャが1位というのは時々あるけどここまで優勝争いについてきてるのは珍しい。

 

次のグラナダ戦、今度は自分たちがドブに勝点を捨てることだってあり得る。他人の過ちを戒めにして、ラストスパート気を抜かずに戦うしかない。レアルはもうCL集中だろうしアトレティコは今回の終了間際の失点で心が折れてそうだから、激闘制したバルサが一番メンタル的には強くなっている状態なので有利ではある。優勝するときのオーラが今はある。

ビスカバルサ

ソン・フンミンさん、今季も無冠確定 feat.カラバオカップ

韓国サッカーファン「明日早朝のソン・フンミンの様子」

 

カラバオカップ準優勝のメダルを首にかけた無冠民選手(29)が優勝カップを横を通り過ぎている様子である。

f:id:elken:20210426023928p:plain

 

m.dcinside.com

 

ガチでこの予言どおりになってて草

スパーズとソン・フンミンの無冠力を垣間見たね笑

正直解任したばかりのモウリーニョだったら勝ってそうなのが笑えるポイント

 

ちなみに画像はチャンピオンズリーグの準優勝のものを雑コラでカラバオカップにしたというもの

 

内容的にもソン・フンミンがしっかりエムチャンミンだったので韓国ネットユーザーはネタにしまくるだろうなぁ笑

バギー団(朴智星信者の集団)がやっぱりウソップと鶏小屋は無冠だと煽りまくるだろう。

f:id:elken:20210426024026j:plain

 

^무^

この顔文字ほんと好きすぎる。

무はハングルでそのまま「厶(無)」を意味する。

^꿈^も使われる。

꿈はクムと読んで夢だ。

 

プレミア優勝 無

得点王 夢

というノリでソン・フンミンは韓国のネットでネタにされまくっている。

 

今季からスパーズサポをやっているので優勝して欲しい気持ちと、無冠貫いて欲しい気持ちで複雑だったが今季も^무^

そういうところがもはや愛おしくもある。

 

それにしてもカラバオカップって最近名前聞くようになったと思ったら数年ごとにスポンサー新しくしてるのかと最近気づいた。新設の大会ではなく伝統あるカップ戦だ。トッテナムとソン両者にとって無冠脱出のチャンスだったが、これからも無冠継続。笑えるのは一番煽っているのがグーナーであるということ。もはやそんなことしか楽しみがないまさに犬小屋VS鶏小屋のノースロンドンダービーという地獄だ笑