ポケモンGOに金銀のポケモンが登場したという公式からのメールが最近来てて金銀アップデートがついに来たんだと思っていたし、ちょくちょく一部のポケモンGOまとめサイトみたいなものを見かけたりもする。
「まだやってる人いるんだな」と去年の夏にはやってた人間として思う。良く続いてるなというかもう半分惰性だろうなというか。もうやりこんでしまったから後に引き返せないんだと思う。この手のゲームは一度はまってデータがかなり成熟すると今までの努力を無駄にできないからついついやり続けてしまう。
自分もそうやってコツコツと積み重ねてきたオンラインゲームのアカウントがあるのでそのことは理解できるけど、ポケモンGOやってる人の中には半分惰性でそれを諦めきれないからやってるファンも多いに違いない。
そもそも金銀アップデートされたのに言う程盛り上がってないのももうほとんどの人が飽きたという証に近い。金銀アップデートが来れば離れたファンが一気に戻ってくるみたいな予想がされてたけど、正直もう戻ろうとは思わないのが本音。金銀来たからやろうとも思わないし、多分RSが来ても自分はやらないと思う。実際この金銀アップデートもそこまで盛り上がってないし、盛り上がってるのは今も続けてる人の内輪だけに近い。
金銀はエーフィ、アリアドス、ヌオーあたりが好きでゲットしたいといえばゲットしたいし、ゴルバットやイワーク育ててた人はこれでクロバットやハガネールにできるわけだからありがたいアップデートではあると思う。
それでももう自分はやろうと思わない。やっぱりもう今更やっても遅い感があるし、ブームが過ぎで冷静になってみんなポケモンGOが大して面白くないゲームだという事に気付いた。皆がやってたからコミュニティの一員感を求めたりコミュニケーションツールとしての役割を求めてやってただけで面白いからやってた人は少数派。その少数派が今も続けてるだけでポケモンGOはオワコン、金銀アップデートしてもファンは戻らない。これが現実。
今思えばブームだったときはすげぇどうでもいい議論してたよなぁ
・この流行の中でやらない奴は非リア
・ポケGOで男なのに女キャラを選ぶ奴は陰キャ
・スマホ持ってない奴は時代遅れ
・強いポケモンを使ってジムに勝つのは当たり前
今思えばほんとどうでもいいことで盛り上がってたし、もうリア充はこのゲームをやめたのだろうか。それともまだやってる奴は今も自分のことをリア充と思っているのだろうか。バカみたいなレッテル張りしてた人も消えて、もうそういう議論すら成り立たないぐらい誰もやらなくなった。
ネットってこういうくだらないレッテル張りで常に他人を自分より下に置こうとしてる人ばかりだというのをゲームでも改めて知った。因みに自分は男キャラ選んだけど、人が選ぶキャラクターにあそこまで熱心になって優越感感じられる精神構造が理解できなかった。
逆に自分と同じ性別選んでる奴は自己投影してるとかいう理論もあってどうでもいいことで争ってた。要するにそういうユーザーが多かったゲームでもある。他のユーザーにとにかくレッテル張りをしまくってたのがこのゲームの世界であり、そういうことにつかれたユーザーが離脱した。
そして更にポケモンGOはオワコンと言うと「まだ都会ではやってる人がいるから。田舎者乙」みたいな人が出てくるけど、このゲームはそういう地方を切り捨てたことがブーム終息の要因だったと思う。
もう今の時代東京だけ盛り上がっていればいいという時代ではなく、むしろ東京だけで盛り上がってるイベントはネットで馬鹿にされる傾向がある。たとえばハロウィンとかはネットで馬鹿にされまくってるし、地方でも意見を発信できるようになった現代において地方民の不満って軽視できなくなった。
地方民が白けてやめるとネットでもそれが主流意見になってしまって、ブームっぽくなくなる。ネットがない時代は東京だけのブームを全国ブームのように扱えたけど、今の時代地方でも本当に流行ってるようなものじゃないとブーム扱いされない時代になってる。だからポケモンGOもブームが終息したと言って差し支えない。
このブログでも実はポケモンGO関連でアクセスがある記事があったけど、今それが露骨にアクセスされなくなってる。もう調べてる人や、ポケモンGOをやってる人が減ったというリアルな実感が自分にはある。もうその記事は誰も見てないし検索してない。
ただ今になってあの夏が懐かしかったよなぁと思う。懐古上級者としては半年前の減少を懐かしむ。
一応ポケスポットとかでわざわざ立ち止まってスマホつけてたりしたし、スマホが古い物でインストールできなかった友人にポケモンGOのプレー画面ってこんなんだよってみせたり、そこでフシギダネが出てきたり当時言ってた場所の空き時間とかでポケGO起動してイーブイが出てきたらゲットするみたいなこともやってた。あの頃すげぇ懐かしいなぁ。
ただたいていコラッタ、キャタピー、マダツボミ、ポッポみたいなしょぼい物しか出てこない。
あとカビゴンは一回だけ遭遇したけど結局すぐ逃げられた。唯一のレアポケと言えば近くにミニリュウがいたことぐらい。
ただ結局このゲームは進化させようとかレベルアップさせようとしたら労力やお金がかかり過ぎるゲームでもあった。ミニリュウをハクリュウにするだけでも普通の人間にとっては厳しい。
ポケスポットが少ない地域では特に大変だし、苦労して育ててももっとガチでやってるジムリーダーに一瞬でやられるような事しかなかった。簡単なことから一気に難しいことをさせられるような構造で、ちょうどいい中間目標がなかった。ただ逆に言えば目標がないゲームということも画期的ではあった。
もう今どうなってるか知らないけど、ブームの時にもう少し早く改善できてたら延命できてたかもしれない。今さらアップデートやルールの追加をしても出遅れ感はある。
それと結局ゲームって家でできるからいいんだよなってことにも気づいた。がんばってレベル上げをしようという時に家じゃ何もできない。結構それってゲームとして退屈だよなと思ったし、逆に外に出てる時はわざわざゲームをしたくない。結局ゲームは家でやった方が良いし、外にいるときは外にいないとできないことをしてた方が楽しい。
更に言えばこのゲーム、ネットですぐに攻略情報が出回ってまったり自分のペースでやってるとおいて行かれた感があるということ。ネットのガチ勢が今の時代すぐなんでも攻略サイトで情報を整備する。これってゲームを快適にしたと同時に、面白さは減ってしまった要因でもある。凄い人はもうそこまで行っちゃってるんだなという感覚になるし、情報がすぐ解明されてワクワク感がない。そしてテンプレ的な攻略情報によって最適解が決まってしまう。いろんなやり方を模索する楽しさや自分のペースでやる楽しさがない。
前述の地方の盛り上がりの低下がネットの盛り上がりの低下につながるという事も含めて、このゲームはネットの影響を強く受けたゲームだった。総評するならばまさに良くも悪くもネット時代、スマホ時代のゲームであり、それゆえに社会現象にもなったしそれゆえにブームも過ぎ去った。実験的なゲームであり新しいゲーム文化の可能性と限界の両方を示した夏だったように思う。
ポケモンGOの結構面白かった本