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elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

なぜ日本人はチビでも世界一になれるサッカーを評価しないのか

日本人は紛れもなく世界基準でみればチビであり、チビであることは日本人にとって近代以降民族的なコンプレックスである。背の高い外国人を見たら日本人はコンプレックスを刺激される。これはもはや民族的な本能である。

 

それゆえに世界の大きな外国人相手に小さな日本人が勝つ、そういう姿をオリンピックなどを見て日本人はこの光景に感動する。

 

1:そもそも日本人はチビが好き。

ジャニーズを見てもそう。大きな弁慶に勝つ牛若丸が好き。

パワフルなマッチョより、華麗にひらりひらりと戦う少年なのである。ゲームだってパワーキャラよりスピードキャラ零戦だって徹底的に軽くしてスピードの近距離勝負で強かったことが日本人の美学を刺激している。

 

そういう意味でメッシやマラドーナが歴史上最高の選手だと言われるサッカーは日本人に向いてるんじゃないかと自分は思っている。向いてるという言葉は語弊があるけども世界的メジャースポーツの中では向いてる部類なのがサッカー。

ある意味日本人にとって幸運だったかもしれない、世界で一番人気のスポーツがサッカーだったことは。仮にバスケが世界一のスポーツだったら絶望しか感じないし一生日本人がバスケで世界一になることはないんだなと思って過ごさなければならない。

 

しかしサッカーでは169cmのメッシがバロンドールを獲りまくって世界最高の選手だと言われている。他にもイニエスタ、シャビなどの小柄なテクニシャンが多い。

もちろんサッカーをよく知っていればただ彼らが小さいだけで日本人にもすぐできるなんてことは思わない。しかしながら身長を10cm伸ばすことは絶対的に無理。怪しい手術をしなければ不可能。その一方で現状の身長でも世界一になっている選手がいるというのは希望になる。物理的に無理なことをやっているわけではない。日本人に慎重延ばせと言ったら移民連れてくるしかないし何十年のかかるし日本人の原形をとどめてない。

しかしサッカーは世界の強豪国を見てもかなりの割合で日本人の平均身長と変わらない選手が多い。

もちろん身長だけじゃないのは百も承知だけど、身長10cm伸ばすことに比べたらよっぽど実現の可能性はある。判断力、技術を磨くことは身長を物理的に伸ばすことよりも実現の可能性が高い。

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2:チビでも通用するサッカー

そういう意味で170cmでも世界トップクラスのアスリートになれるサッカーはまだ希望が持てる。絶望はさせられない。

かといってチビがめちゃくちゃ有利でもないのがサッカーのよさ。チビが有利なだけのスポーツで勝っても「チビの日本人だから勝った」と言われる。チビが有利な事と、チビでもできることには大きな違いがある。

体操や競馬のようにチビの方が有利なのは燃えない。サッカーの場合特定の身長が有利とかはなくてあらゆる身長の人間にチャンスがある。身長も国籍も人種も階級も問わない、それがサッカー。チビでも技術や頭を使えばでかい奴に勝てる、これがいい。

でかい奴ばかりなのも、チビばかりなのもスポーツとしてバランスが偏ってる。そういう意味でサッカーはバランスが取れててフィジカルエリートにもフィジカルに恵まれてない人間にも可能性がある。

 

正直自分はでかい選手ばかりのスポーツもチビ選手ばかりのスポーツもあまり面白いとは思わない。身長で物事が決まってる感が好きではない。自分がチビだからでかい人ばかりのスポーツが好きじゃないとか、自分がでかいからチビばかりのスポーツが好きじゃないとかそういう考えじゃなくて単に身長で決まってしまってる感にスポーツとしての競争を感じない。

でかい奴しか戦えないでかい奴しかお呼びじゃない競技って日本人が見てても虚しいだけだし、通用してるでかい選手がいたとしてもその選手は日本では普通じゃない身長なのであまり親近感がわかない。

逆にチビばかりのスポーツもこれチビにとって唯一の希望の競技なんだなぁ感が出てきてちょっと虚しい物がある。そういうニッチ産業みたいなスポーツで日本人が活躍しても正直ちょっと虚しい。

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3:世界の選手の大型化が進んできてる

結局チビだけのスポーツはメジャースポーツになりきれず、かといってでかい選手が有利なスポーツは見てて虚しいし親近感がわかない。

172cmの人間がバスケを見ても別世界過ぎて情がわかない、見ててひたすら情けない。180の人間ですらバスケの世界ではチビなんだと思うと何の夢も希望も無くなる。未来永劫日本人には無理だとその時点で情なんてわいてこない。でかい人間があっさり一試合で何十点もも決めるスポーツ、そこに感動はないというのが正直な自分の感想。結局身長で決まってるじゃん感がどうしても出てしまう。

 

一方サッカーじゃ170前後世界トップレベルで活躍してる選手がめちゃくちゃ多い。何を何と言おうが、日本は175cm以下が大半なんだから大多数の日本人にとってはそっちのほうに親近感を抱く。というかイタリア人やスペイン人、メキシコ人とかもだいたいこの身長ぐらいで世界的にもこれが普通。

かといって長身に居場所がないわけじゃないから高身長の人にも見てて親近感を感じるシーンが多い。クリロナとかイブラとかでかいしロナウドバロンドールも取ってる。

いろんな身長の人間に応援できる魅力がある。

どの身長であっても才能次第では活躍できる。

身長も国籍も人種も出身階級も問わない、サッカーが上手ければどんな奴でも活躍できる。サッカーの素晴らしさはそこにある。特定の地域や特定の身長だけに偏ったスポーツに自分は燃えない。

 

そもそも身長で決まる要素が大きいスポーツは、本来なら階級に分けるべき。

ボクシングが体重で階級に分けてるんだから本来ならばバスケやバレーは身長で分けるべき。バレーは確かネットの高さを男女で分けていたけど、それするんだったらそもそも同じ性別内でも身長で分けたほうがいい。でかい選手以外お呼びではない、チビはマニアックなポジションしか役割がない、それってちょっと虚しい。

いろんな身長の人間がまじりあって平等であるしそういうスポーツのほうが参加人口多くてフェア、当然競争も高度になってくる。

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4:その国の平均身長にフィジカルエリートは集まる

フィジカルエリートや高い運動神経能力を持った人はその国の平均身長帯に一番多いと言われている。当然母体数が多いのでそこに優秀な人材が集まりやすい。

海外の事情はともかく、日本に一番多い170cm前後の人間が主力として活躍できる唯一無二のメジャースポーツはサッカー。

そういう意味で人材が集まりやすい平均身長主体のスポーツは参加人口も高く競争のレベルが高い。バスケは競技人口が多くても実質トップレベル参入を許されてるのは一定の限られた身長の人たちだけ。運動センスに秀でた170cmより、運動神経そのものは普通の190cmが重要視されるスポーツはやはり不自然ではないだろうか。

とにかく日本人にそんな身長の高い人は限られていて、いたとしても運動神経そのものは微妙。そういった競技で世界に対抗しようとしても資源が少ないのだからいずれジリ貧になる。ただでさえ少子化で子供が減っているご時世に更に高身長じゃなきゃダメなスポーツの先行きなど想像するに難くないであろう。

 

やはり論理的に日本人がどのスポーツで戦うべきかと考えたとき平均身長帯が主力になれるスポーツで戦うべき。人的資源の少ないジャンルで戦い続けてもいずれ衰退する。

世界のスポーツは年々大型化が進んでいる。

その国の平均身長前後=人口が一番多い

アメリカが10人身体能力の高い長身をそろえられるときに日本はやっと1人の身体能力の高い長身をそろえられる。

物量、資源が違う。まさに太平洋戦争であり勝つ見込みがない。

身長が才能となってしまうような負けるとわかっている戦いをすべきじゃない。

日本が100の石油をやっと確保する時にアメリカは1万の石油を軽々と手に入れる。それが太平洋戦争だった。バスケやバレーはまさにそれ。

でもサッカーではスペインやアルゼンチンとは物量が同等、むしろそれ以上かもしれない。そういう状況ならばちゃんと上手く資源を使えば勝てる。フェアなスポーツなのがサッカー。

 

これは戦いの勝つための論理的な話。そういうと少し引いてしまう人もいるし「スポーツってそういうことじゃないよね」という綺麗ごとを言う人もいるかもしれない。うわべの建前であって本当はやはりみんな勝ちたい。勝てないことの言い訳として綺麗ごとを使う。結局そうやって争いから目を背けてきたから日本人はメジャースポーツで結果を出せずマイナースポーツやニッチ産業スポーツに取り組んで自己満足するしかない。

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大体戦いとか戦争とかそんなこというなって平和的な人はそもそもスポーツ観戦や争いごとに向いてないじゃないだろうか。

攻撃的なメンタリティを持ってないと世界には勝てない。日本人は大人しすぎるし身長などのフィジカル面以前に、攻撃的メンタリティが足りない。スポーツはいわばカジュアルで死者も出さない現代の代理戦争。人間って結局攻撃的な遺伝子もったホモ・サピエンスだからいくら綺麗事いおうが争いごと大好き。

言ってみれば現在のスポーツ大会なんて全部「手軽に見れるやれる戦争」「エンターテイメント化した戦争=スポーツ」

スポーツでみんな闘争本能を満たせてるから戦争をしない。わりとマジでプロスポーツ観戦の環境が整ったから世界大戦って起きてない説ある。スポーツが楽しいのは争うからであって馴れ合ってるから面白いわけじゃない。

 

だから日本というのがスポーツという戦争をするにあって、少しでも資源の多い有利な戦場で戦うべきだと自分は主張したい。

逆にマイナースポーツは勝っても意味がない相手、占領しても重要度の低い土地にすぎない。そこで勝ったところでこれもまた虚しい物がある。マイナースポーツに意味がないとまでは言わないけども日本人はあまりにもマイナースポーツを過大評価しすぎている。スポーツの競技内容や競争の厳しさなど本質に興味がなく勝った負けたのうわべにしか興味がない。

マイナー競技に意味がないわけではないけどあまりにも日本人はマイナー競技を持て囃し過ぎてきた。メディアがその選手を凄いとか世界の○○と言えば本当にその選手が凄いと鵜呑みにして信じてきた。実際は誰も知らない選手を神様のように崇めてきた。

 

5:メジャースポーツであり身長が関係ないサッカー

勝つ価値や意味が非常に大きくてなおかつ資源の面でも不利じゃない、それはサッカーしかない。日本は21世紀になったのだから全力でサッカーの国になるべき。そろそろスポーツにおける文明開化をするべき時期に来たのではないか。

今少しずつサッカーという文明が日本に入ってきているが依然として日本はスポーツにおける文明開化以前の文化が支配している。旧態依然とした鎖国スポーツ文化が日本を支配している。欧州、南米、アフリカ、そしてついに北米やアジアでもサッカーは勢力を拡大してきている。このビッグウェーブに乗り遅れれば世界のサッカーの盛り上がりの蚊帳の外のいる寂しい国になるだろう。

しかもそのサッカーは高身長以外お呼びではない絶望的なスポーツではない。日本人に多い身長でも戦える、これほどの幸運があるだろうか。

 

日本人は常にコンプレックスから立ち上がり、世界に対抗してきた。日本人にとってコンプレックスは武器なのである。劣等感を感じて強い勢力に追い付こうとしているときが日本人は一番伸びる。

今サッカーにおいて欧米や南米にコンプレックスを感じて追い付こうとしている姿は明治維新や戦後の経済成長の姿に重なる。

 

世界最大の人気スポーツで、チビでも通じる。

それはやはりサッカーしかない。

 

全盛期のバルセロナ

 

ビジャ(170) メッシ(169)   サンチェス(169)   

     イニエスタ(170)  チャビ(170)

          ブスケツ(185)

アビダル(186) ピケ(193) プジョル(178)   アウヴェス(172)         

          バルデス(183)

 

見ての通り180cm越えの選手より170cm前後の選手が圧倒的に多い。前線のほとんどが日本人の平均身長と変わらずディフェンスラインも絶望的に高い選手はいない。2m行く選手なんてだれ一人いないし高身長の選手も日本人でも頑張ればそろえられるレベルの常識的な範囲内の高身長が揃ってる。

それでバルセロナやスペイン代表世界の頂点を極められた。

素早さ、テクニック、敏捷性、頭脳、集中力、連携、創造性が大事でありシャビが言っていたように絶対的にフィジカルが必要というわけではない。

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しかもサッカーにおけるフィジカルは鍛えれば手に入る。全盛期の長友佑都体幹とスタミナはワールドクラスだった。しかし身長は実質165cmほどしかない。

170cmが180cmになることは不可能でも、170cmがフィジカルの強い170cmになることは可能。

この事実にどれだけの日本人が救われるだろうか。他スポーツで190cmになれず夢を諦める少年がいる一方で、165cmでも頑張れば日本代表にまでなれると夢を諦めず追い続ける少年がいる。

 

身長が足りないせいで泣く少年を見たくない。日本全国にそういう少年が多くいるはずだ。日本人の平均身長でも可能性が残されておりなおかつ世界最大のメジャースポーツ。そしてその事実を日本人はもっと評価するべきなのではないだろうか。