elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

サッカーとかいう日本人に向いてるのかよくわからない競技

自分はつくづく考える。

「サッカーって日本人に向いてるの?合ってるの?この先やってて希望あるの?」と

 

もちろん意味があるからとか結果が出るからとかではなく好きでやるから「道」であるというのが日本の伝統的な価値観だろう。

 

これは日本でサッカーに携わっている人々、もちろん自分のような末端のファンも含めて永遠の課題だ。

 

まずサッカーとは珍しく身長がほとんど関係ないスポーツだ。

チビも普通もノッポも全員居場所がある貴重な競技である。サッカーではこれと言って絶対的に有利な身長というものがない。どの身長の男性でもある程度自分の身長と似ているサイズの名選手を見つけられるので共感しやすいわけだ。例えば自分であればどうしても170cm前半ぐらいの選手に感情移入する。特別どの身長が有利ということはなくそれぞれにメリットがあるわけだ。

 

地上でも、自分の顔より下の範囲でも、それより上の空中でもボールを扱う特性上、大まかに3段階に別れるしそれがだいたい同じ頻度である。

このロー、ミドル、ハイで行われる平等な球技というのはサッカーゆえの特色だ。あらゆる人種、国籍、身長を問わない、だから夢がある。

 

例えばウィンタースポーツは北半球に限られ更に裕福な家庭でなければ続けられない。日本でさえ北国に限定される。欧州起源の貴族階級のスポーツも日本は先進国だから楽しめるものの、やはりこれも家計の影響を受ける。スポーツ自体もともと貴族の余暇として生まれた贅沢な概念なのだ。

 

対象的に貧困から成り上がる競技として、ボクシングとバスケットボールがある。

ただ前者は裾野が狭く、今では習い事として誰でもチャンスがあるわけではない。個人的には好きなのだが、格闘技全般の特性上どうしても階級に保護されている感が否めないのだ。格闘技こそフィジカルの現実を突きつけてくる。強い奴の前では素直に逃げるしかない。

 

では階級制を排除したらどうなるか。バスケを見れば残酷な答えが出る。180cmがホビット扱いの世界でどこに共感すればいい?

自分は190超えてるから全然そんなこと気にしないという方、残念ながらその身長だと日本人はトロいだけでなんの希望も無い。

 

野球はといえばこれは難しいのだが、まずマイナースポーツだ。1960年代のようにアメリカ=世界だと信じていた時代では良かったかもしれないが21世紀においてはどうしてもその現実が見えてしまう。WBCがワールドカップのような大会に育つ可能性は野球宗主国アメリカの性格上ありえないので、どうしても日本としての夢を感じることが難しい。

また、結局のところアメスポらしく恵体スポーツなのでおおよそ180cm以上が適正だ。

データを重視したりターン制で一対一の間を重視したりと日本人好みの要素はあるのだが、香川真司や長友佑都のような普通の日本人体型の選手がトップレベルで活躍するかといえば不可能だろう。

その限界を打ち破るはずだった大谷翔平は、アジア人としてはあまりにオーバースペックで結局その身体能力に体が耐えられなかった。

 

では、「ONE TEAM」として旋風を巻き起こしたラグビーはどうだろう。正直に言えばヨーロッパで伝統的にサッカーと対立関係にあるので、やや辛辣な意見になる。

確かに日本人はそもそも相撲が好きなので体格の大きい男同士がぶつかり合う姿を好むし、それが日本人対外国人である場合更に愛国心や共感意識を掻き立てられる。

更に南米にありがちな欺くような技が有効なサッカーと違い、嘘偽りなく「正々堂々」と戦うラグビーは日本人の美徳に合致するし、昭和の時代はサッカー以上の人気だった

 

ただラグビーというのは全世界的に「フィジカルエリート」という選民意識ゆえの排他的な体育系社会であり、貴族意識に近いものがある。相撲もラグビーも結局のところ、日本人自体が自分のフィジカルが弱小であるというコンプレックスを重々承知しているからこそ、そのフィジカルで外国人に勝つことにエクスタシーを覚えるわけだ。

多民族グローバル時代に向かっていき、手を取り合って、そしてそこには美しい大和魂があれば誰でも日本人だというのは聞こえがいい。もちろん自分も、日本で育ったり暮らしたりして日本代表を選ぶ選手達を否定したいわけではない。

 

というより、日本代表として海外にルーツがある選手が活躍するのはむしろサッカーが先だ。ラモス瑠偉やサントス、闘莉王、李、ハーフナー、酒井高徳だけではない。それどころか戦前のベルリンオリンピックには当時日本統治下にあった朝鮮出身の選手もいた。その時代は朝鮮が強く、彼らと共存していたのだ。

 

朝鮮と言えば、韓国のソン・フンミンの活躍は散々苦しんできたアジア人にとっては希望の光だ。

アジア選手があれだけ身体能力でも技術でも圧倒する姿は感動的だ。日本人選手でも遠藤航がブンデスリーガでデュエル勝率1位を記録している。

 

中島翔哉が親善試合とはいえコロンビア相手に遊ぶようにプレーし相手を激昂させて削られたこともあったし、香川真司のプレーは今見れば本当に技術やアイデアで圧倒していたことがわかる。酒井宏樹はネイマールの股抜きを阻止し、冨安はセリエAでディフェンダーとして上位の数値を出している。

このように局地的には通用しそうな片鱗を見せているのが日本人だ。

 

ラグビーはここから世界に立ち向かうところでコロナになりブームが終った。正直に行って少子化時代でフィジカルエリートが必須である競技は成り立たない。サッカーとは育成分野で積み重ねてきたインフラが違いすぎるため、子供がラグビーをやろうと思えば物理的に不可能な上に、まず危険で親がやらせたがらない。本質的には相撲と同じで、自分が安全なところから強靭な肉体の持ち主を見たいというのが特色なのだが、日本文化に特化した神事である相撲と異なりラグビーはそこそこメジャースポーツなのでそれではやっていけない。

 

外国人選手も日本国内のリーグでプレーすれば選手になれるが、これから日本経済成長が鈍化し、世界のラグビー人気は上がる状態でどれだけ名選手を留まらせられるだろうか。

 

そういう事情を鑑みれば、長友や香川のような典型的な日本人的特性で活躍する選手が現代で現れたサッカーは「他のメジャー競技よりは」という条件であれば日本人に向いていると考える。

 

体操は内村航平がレジェンド級の成績を残したし昭和の時代から日本は強豪国だが、じゃあ日常であなたは体操見てますかと。

フィギュアスケートの羽生結弦は美しい、自分も好きだ。プルシェンコの全盛期を知っているだけに日本人がここまでたどり着いたことを誇りに思う。でも、スポーツファンのメイン層である男性は大きくは認めないのが現実だ。

 

別に日本人はサッカーに興味をなくしたわけではなく、希望を感じられないからやや熱量が落ちただけだ。

証拠に、日本以上に流行に社会が敏感な韓国もサッカー人気はつい最近まで下火だったがソン・フンミンの登場で一気に回復した。

 

日本人に向いている競技として陸上がある。陸上のアジア記録はわりと日本が多い。韓国はフィジカル強いというイメージがあるが、直に身体能力が現れるジャンルでは日本が圧倒している。

 

そしてテニスでは錦織圭が4大会では優勝していないもの一時は世界ランク4位というところまで上り詰めたし、井上尚弥はボクシングの世界ランクでトップ3に入った。

 

これは海外のスポーツジャーナリストも指摘しているが日本人は個人競技に秀でているところがある。

集団主義の日本人が個人競技が得意で、逆に団体スポーツが苦手というジレンマだ。

 

これこそがまさに最大のジレンマである。

日本人は集団行動を徹底されているがゆえに、それぞれが自主性を持ったときの集団行動を最も苦手とする傾向がある。

日本人は職人の国で手先が器用で技術立国だと言われるが、ではサッカーで日本製品のような精密機械のようなパサーが登場しただろうか。

シャビ、ピルロ、クロース、彼らのような専門的技術に執念を燃やすような選手はむしろ日本から出てきそうなものだが未だかつてワールドクラスのパサーは現れたことがない。

なぜノーベル賞受賞者を21世紀ではアメリカやドイツに並んで最も生み出している日本が、未だサッカーを攻略できないのか。スポーツ全体で見れば、日本が非常に多様で充実している。サッカーの場合、積極的に海外の指導者を招集したり、世界基準のライセンスや規則に合わせなければならないため流動性もある。

日本的ブラック要素は比較的とはいえ軽いはずだ。

 

それなのになぜ・・・

何が駄目なのか。

本当にわからない。

世界はもっと本気だから、という単純な結論はわかりきっている。

いや、サッカーなどただの遊びだ、こんなこと真面目に考えなくていい。というより真面目すぎてもだめだ。もっと頭を柔軟にする必要がある。

別にたかがサッカーなんて国家の発展にとっては不必要だが、ルールが馬鹿でもわかる「たま蹴り」みたいな遊びさえ上手くできないのもそれはそれでかっこ悪い。単純で馬鹿だからこそ色々な深みがある。

 

ナチュラルに頭いいやつほど役に立たなそうなしょうもない謎解きとかに一生懸命になる。そこから着想を得る。サッカーの監督とかそういう奇人が多い、頭の良さだけでもうまく行かないから面白いからだ。

サッカーの本質はくだらない遊び、だからこそ日本より幸福度高い国の連中に「日本人って頭いいのにこんな単純なゲームもわからないの?」と言われてる様は悔しい。

だからこそこんな不可解な競技で、遊び心や学問、芸術では世界屈指の日本人が謎に挑み制覇する姿を見たいのである。

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