脱ブラックを目指したはずの鹿児島城西、体罰と飲酒の温床だったwww
以前自分が、甲子園にもこういった先進的な野球部が現れて日本の部活文化やブラック労働文化も改善されていくのではないかと期待を込めて取り上げたこともある鹿児島城西野球部
しかし実態は飲酒で部員も監督も謹慎、コーチによる体罰も去年発覚とその実態は理想とはかけ離れたものだった。
明るく楽しく野球をして丸刈りもしなくていいと得意気にインタビューに応じていたが、実際はそうではなかった。
ちなみに自分はお酒が好きで飲酒に関しては寛容であり、選挙権を18にするのであればお酒を飲める年齢も18にすべきだとは思っている。別に自分が二十歳になってから飲んだ真面目な人間だからといって、高校生の飲酒に対して目くじらを立てているわけではない。論じたいのはもっと大きな問題だ。
まず正直もう部活動改革だとか言われているが、構造的に日本の部活動はブラックを脱しきれないようになっている。
旧日本軍や大日本帝国が憲法の構造からして欠陥だったことと同じだ。そして日本軍は敗北したわけではなく、戦後の企業文化や部活文化として亡霊のように生き残った。
部活動という制度や文化自体を廃止しなければどうにもならない根深い問題だ。
部活動だけなら勝手にすればよいのだが、こういった部活由来の文化が社会に与える影響も計り知れないため非常に複雑なわけである。
また女子の部活動のいじめなども体験談を見ていると実態が酷かったり実際そういった経験がある方の意見を聞いたこともある。男子に限ったことではない。
これは部活というより日本社会の問題だ。確かにイギリスでも未だにラグビーだと新入部員が洗礼を受けるという文化はある。そういった儀式があるわけだ。ただ、それはラグビーというある種の内輪文化やラガーマンという戦士や上流階級としての差別化を図るための物でもある。サッカーは実際ベッカムの時代に大きく改善された。
日本の場合野球がそれにあたり、もはやブラックを排除しようとすること自体ナンセンスで野暮なことなのかもしれない。
野球というのはブラック万歳で、そういった排他的な独自のやり方こそ正義なのか。
ただダルビッシュ有が先日のテレビ番組での林修との対談で語っていたのは「誰が今野球をやりたがる、今の自分だったらやろうと思わない」ということだった。
ここで一つ、斬新な提案をしたい。
まず野球は別に競技人口を増やす必要はなく、世界に対抗するメリットもないということである。
正直に行って、古き良き日本の野球文化からするとダルビッシュの存在は邪魔だ。余計なことは言わんでよろしい、それがいわゆる老害サイドの考えである。
そもそも野球という競技はサッカーやバスケと異なり国内完結で十分に興行が成り立つ相撲や将棋型のコンテンツだ。
ここの前提をはっきりさせておくべきで、野球のレベルアップやグローバル化にはさほど意味が無い。
サッカーは問答無用世界の弱肉競争に晒されるため、否が応でも世界基準になろうとしなければならない。独自のことをしているとFIFAから勧告を受け除名され国際大会から締め出されるからだ。
実際高校サッカー選手権でも、外国籍の選手が今後禁止になり、こういった日本のアマチュア大会でも国際的な基準を厳守する方向にある。もちろんサッカーもUEFAなどの組織は腐敗しており、高校サッカーでも不祥事は多いのでサッカーがクリーンだと言いたいわけではない。ただ努力はしている。
逆に究極のところ野球は相撲と同じで、いくらでもブラックなことやってそれが特色であってもいい。
相撲は競技人口が激減してから数十年経っているが、興行としては今が再度黄金期を迎えている。
むしろ競技をする人材は貴重で、「見る専門の競技」として特化し成功した。自分はいずれ野球もそうなっていくと考えている。
この場合何が問題かというと、競技のレベルは下がる可能性があるということ。
まずサッカーの世界でも人工の少ない国が強いことも多いのでそう単純な話ではないのだが、一般論としてやはり競技人口はレベルの維持に重要な要素だ。
ただそもそも相撲や将棋と同じく野球は世界を目指す必要がない。むしろメジャーになんていかず、ずっと優秀な人材がプロ野球に留まっていたほうが野球は更に盛り上がる。田中将大が楽天に復帰したインパクトは実際大きい。
同じ楽天のヴィッセル神戸におけるイニエスタ効果以上の物を自国の選手で実現できるのが野球というコンテンツである。
今後野球は誰もがプレーする大衆的なスポーツから、少数精鋭のエリートスポーツになっていくだろう、そしてそれでいい。
空き地で野球をするという昭和の原風景はなくなって寂しいかもしれないが、令和の時代には必要ではないし不可能だ。
野球はそもそもメジャーリーグ挑戦までに時間をかけてフリーエージェントにならなければならないし、自由な交渉や球団選択も許されていない。
こういった「保護貿易」はサッカーの世界では確実にFIFAが禁止にするが、幸運なことに野球の制度がNPBを有利にしている。
野球はそういった意味で歪な構造になっているのだが、その歪さも野球だと考える。
非日常の世界というか特殊な業界を外から楽しむというのが、昭和の芸能界とも重なる。それが本来求められる興行の姿だとも言える。
正直日本の野球が世界で勝てなかろうが日本の野球人気とは関係ないし、WBCのような大会が野球の普及に貢献しているわけでもない。それどころか野球が海外に普及してメジャースポーツ化すると確実に日本は相対的に弱くなるので、日本の野球人気はむしろ下がる。そして絶対的にも弱くなる。将棋と同じく日本や一部の国だけの競技にしておいたほうが有利だ。
これはイギリス生まれで、FIFAという協会はフランスが作ったサッカーと、アメリカ独自のベースボールとの特性の違いだ。
日本の野球はそういったアメリカのモンロー主義的な孤立というか大きなガラパゴス的なスタンスを踏襲している。アメリカ人は自国だけの大会でも「ワールドシリーズ」と勝手に名乗る、だから日本野球も自分たちだけの世界があればいい。
サッカーとは考え方が真逆だ。
野球ファンの間にも野球をサッカーのようにグローバルなものにして、WBCをFIFAワールドカップのような世界的な大会にしたいと考える人々がいる。ダルビッシュ有がその典型だろう。
ただ、野球はジャニーズ的というか良くも悪くも日本的な内輪の文化を目指すべきだと考える。
ジャニーズは別にKPOPのようにならなくても、それが国内で盛り上がって内需が活性化すれば良いと言う発想もある。日本の経済発展は実は輸出というよりも、内需の購買力が人口バランスの良い時代に活気を持っていたからだ。
例えばジャニーズも多少ブラックな部分というか厳しい縦社会が見え隠れして、それはそれで規律ある文化として魅力的に見えることもある。
ちやほやされて生きてきたであろうとある女性アイドルの若手メンバーが大御所芸能人に席を譲らないと炎上したが、ジャニーズだとあれは絶対にあり得ない。
野球も上下関係は鬼のように厳しく、一般人には不可能な軍隊社会的なところや奔放さに魅力を感じる。
よって、野球部がクリーンになりすぎると「厳しい縦社会をくぐり抜けてきた精鋭感」がなくなってしまうこともある。
こう言っては身も蓋もないが、結局日本人は心の底ではブラックが大好きで求めているのだ。真冬に箱根駅伝を見たり真夏に甲子園を見るのも、若者が苦労する姿に美を感じているからだ。この国では効率とかよりもとにかく苦労という美徳が優先される、それが日本人の本性だ。なるべく楽したいというのはラテン人の発想で、日本人のものではない。
欧米に追いつかなければならないという近代化の過程でそれはさらに過酷なものとなった。
実際のところ、体育会系の部活でこんなに理不尽なことで苦労したという話は面白く、それが尊敬の念に繋がることもある。世界基準では本当はそんな間違ったことをしていたり自慢気に語ることはむしろ恥ずかしいことだが、それが日本だ。
野球部が楽しんでホワイトに部活していたら甲子園の風情というものもなくなる。特に中高年以上の方はその姿を愛する。
そういうところ、つまり日本人の気質も含めて根深い問題なのだ。
また社会はブラックなのだから、部活でブラックを経験しておくと言うのは重要だ。先進国の発想は「学校からホワイトにしなければ社会もホワイトにならない」だが、繰り返すがここは日本だ。結局の所誰もが自衛のことしか考えていないので、日本社会というのは外圧でしか改革できない。サッカーはFIFAという国連よりも機能している圧倒的な国際組織によって、そういった外圧が強いのでなんとかなっているが、陸上にしてもバスケにしても世界基準を全然守っていないのが日本の部活である。要するにそういう国なのだ。
ただブラックを乗り越えた人達がいいものを作っていたり、面白い人たちだったりもするのも事実。
ブラックが好きだし、ブラックが合ってるとも言える。実際そういう遺伝子が残ってきた。
理不尽な上下関係をなくしたら次の世代が規律を失うという例も多い。
鹿児島城西は実際のところ、見た目だけホワイトで内情は体罰があった。だからこそのストレスや反抗心による飲酒なのか。それが常態だったのか、それともそのコーチが処分されたあとに規律が乱れたのか。
圧政に対するストレスで校内暴力が多かったのが昭和で、北風と太陽のようにコンプライアンスが進むと基本は学生も大人しくなる。
そういったところまでは不明だが、いずれにせよ体罰はあった。体罰があるということはそれが学生同士の上下関係にも伝播する。
この問題まとめるのであればブラックかどうかは賛否があるとして、鹿児島城西が悪質なことはこうしてメディアに対してホワイトをアピールしていたことに尽きる。
自分が会話等で嵐メンバーを呼ぶときのこだわり
大野智→大野さん
櫻井翔→櫻井
相葉雅紀→相葉さん
二宮和也→ニノ
松本潤→MJ
嵐番組とか見てて思うけど、個人的に大野と相葉にあえてさん付けする嵐の身内の感覚が好きで憧れがあるので、それで真似することがある
世間的には相葉雅紀は呼び捨てか「相葉くん」のイメージだけど、自分は相葉さんで呼びたい。なんか相葉くんは恥ずかしい笑
逆に櫻井翔はあえて呼び捨てで呼びたい。大体THE夜会ナレの影響
それと自分が嵐で一番櫻井が好きというのもある。
ただファンが上田竜也みたいに「櫻井兄貴」はおこがましい。それは兄貴会メンのみの特権
あと「サクショウ」も慶応幼稚舎時代の級友のみの特権だと勝手に思っているのでそれはやらない。
かといって「櫻井くん」だと恥ずかしいのでやっぱり「櫻井」がしっくりくるというこだわり
というかむしろ櫻井翔が嵐メンバーに使う呼称のイメージを真似してるまである(櫻井は相葉くん呼びもの時もあるけど)
松潤はマツジュンかMJ呼びが多いイメージ
ニノはニノが多い。むしろ二宮だけは誰も二宮とか二宮くん、カズくんとはそんな公では言わない不思議
あと他Gだけど個人的に菊池風磨が中島健人のことをずっと中島呼び(逆も名字)なのも好き
そして佐藤勝利が「健人くん」の時が多いのも萌える笑
松島とマリウスが健人くんは印象がそこまで無い、でも風磨には「風磨くん、ふまくん」が多い違いも面白い
ちなみに自分は菊池風磨のことはよく風磨と書く。なんかファンとして呼びやすさがそれぞれあるというか。逆に健人とは呼べない。個人的にケンティーは絶対ケンティー。そして一番中立なのはフルネームか名字で書くことで、他Gの時はそうする。
フワちゃんが言ってたけど、「芸能人を呼び捨てにするのはさん付けだと芸能人気取りみたいだから」というのはわかる。一般人は芸能人を呼び捨てにするのが適切な距離感というか。
確かにお笑いファンが「ダウンタウンさん」とか芸人の一員気取りみたいだしね笑
でも自分の好きなジャンルだと例えばサッカーはあえて「本田さん」とか「長友さん」みたいな言い方をするときはあるんだよなぁ。これは多分そのジャンルの番組等を見すぎて本人たちの使い方が移るパターンだと思う。別にその世界の目指してるわけでもねぇのに笑
あと自分の性別にもよる。
ジャニーズで特に思うけど女性ファンが使いがちな呼び名とか、男が使うと恥ずかしいみたいな。
ジャニーズでは当たり前の「くん」付けは男ファンは結構恥ずかしいと思う。
それこそ有吉が「櫻井くん」、上田晋也が「亀梨くん」と呼ぶくらいの年齢差とかだったら違和感はないけど。
これは逆もありそう(女性が、男性が女性アイドル等に使うあだ名呼びにくいみたいな)
おそらくこれは女性も男性も自分と同性に対するリスペクトもあるんだろうなと思う。
女性アイドルでいえば自分は指原莉乃は指原かサッシーで、莉乃ちゃんとさしこはちょっと抵抗ある(ちなみに指原はいい事書いてる率が高いからエゴサするとき莉乃ちゃんで調べるらしい)
これは自分のその芸能人に対する感情の距離感もあるかもしれない。自分は指原は芸人やタレント的に好きなので、異性として好きな感じのある莉乃ちゃんはキツイ笑
でも本当に思い入れがあるというかファンだからこその「指原」なんだよ、櫻井とかもそう。
本当に好きだとなんか自分の中では名字だけでも違和感がないみたいな感覚ってきっと誰しもあると思うんだよね。
それと特にスポーツである「悪意のない範囲での親しみある蔑称」みたいなのはものすごく好き。
本田圭佑はケイスケホンダor本さん、林修はお囃子orお林で呼びたい。
ケンティーが「林先生」、ハライチ澤部が「修(おさむ)」呼びも初耳学の身内ネタとして個人的に気に入っている
柏木由紀とか「ゆきりん」のりんのせいで無数になんとかりんがという蔑称があるのは同情する笑
あだ名問題は日本語と言語構造の似てる韓国では事情が似ていて意味がわかると感覚が似てるなと思う。英語だとあまり共感しきれないが、韓国語はサッカーとアイドルだと特にどっちもわかるので共感しやすい。
ちなみに櫻井翔の韓国での呼び方は「ショークン、バンビ、翔子、キャスターサン、ケイオーボーイ、次男、2番目、ショギルドン」らしい。
他はすべて意味がわかるがショギルドン(쇼길동)は韓国の有名な童話のキャラクター由来らしく、韓国にいつの間にか入国していつの間にか消えてる神出鬼没なところからつけられたとのこと。
これは逆に日本のKポペンが現地のあだ名をマスターするパターンとも似ている。JYパークの餅ゴリのように日本語化したパターンもあるのは面白い。
韓国サッカーで言えば個人的にはパク・チソンのバギーと、クリロナのジョッニンは語源を知ると面白くて狂おしいほど気に入っている。日本ではサッカー知らない女性がクリロナを可愛いキャラクターだと勘違いして調べたらごつい兄ちゃんが出てきて驚いたみたいなエピソードは笑った。
海外サッカーで日本人選手がつけられるあだ名は何というかシンプルすぎたり、無駄に悪意あったり、よく知らず適当に日本のイメージでつけてたりと滑稽なことが多い。その点文化が近い韓国はよくわかっていると思うことが多い。
ちなみに韓国で日本人にあだ名がつけられるとき「さん、君、ちゃん」はよく使われる。君とちゃんは韓国語にもそのままあるのだ。ただ韓国語だとグンに音が近いので日本語発音にするためにクン、ックンと区別して書かれたり、オルチャンのチャンのように日本語とは意味や使い所が違う。さんは日本にしかない表現なのでSangというスペルで書かれることが普通だ。
サマ(様)も時々使われることがある。
そして漢字文化圏だからこそ可能なこととして例えば相葉を韓国語読みで「サンヨプ」と呼ぶみたいなこともあるようだ。ディスコスター様はソロ曲から来ているというのも詳しい。イケメンを意味するジョンチャルをジュンチャルにして松潤のことを意味するなども、工夫が感じられてわかると面白い。さすが日本の次に嵐を愛する国笑
とにかくファンの愛称にしても、メンバー間の呼び方にしても、自分内での呼び方にしてもこういう違いは楽しい。
桜咲くColorが似合う季節ですね
個人的に冬がもうすぐ終わりそうな時に聞きたい春歌はベタなところでいうと松任谷由実の「春よ、来い」で、もう一つある。
それはSexy Zoneの「桜咲くColor」だ
あらゆるアーティストの春歌でも、トップクラスに好きな曲だ。
この曲は自分がセクゾを本格的に好きになり始めた時期に流れていたという思い出補正もあるのだけれど、とにかく曲調がいい。
少年倶楽部時代にど派手な衣装で歌っていたのも好きで、あの豪華な貴族の布団みたいな衣装はかっこいい
花が萌ゆる季節というか、恋が萌ゆる季節というか、そんな世界観の曲だ。
「春色の街角 君を見つけた」という歌詞も美しいというかリズミカルで春の訪れを感じさせる。
中島健人がかっこよく歌ってるシーンが本当にいいんですよ。この曲はケンティーのイメージで、めちゃめちゃ似合う。
もちろん他のメンバーもかっこいいけど、この曲はケンティーでしょ笑
ソロ曲でなくても他のメンバーにもそれぞれ似合う曲あるし、だからこそのこの曲は中島健人の印象が強い。
「なんか君とならずっと笑っていれそうだね」に続くリズムも明るくていい
そもそもピンクは男が似合うので、自分はあまり女性がピンクなのはそこまで好きじゃない。やっぱピンクは男でしょ笑
桜咲くColorはそういう意味でジャニーズのフレッシュさがあっていい。
アニメキャラとかでも明るいピンクの女子は全然好きにならないけど、ピンク系の男キャラはかっこいい。
そういう意味で、この曲は男がピンクの衣装とかで春のイメージで歌っていて爽やかで春の訪れに対するワクワク感がよく歌われている。
この曲聞くと、もう冬も終わりだなっていう高揚感というかルンルン感みたいなのが自然と湧いてくる。ジュニアの定番曲にもなりつつあるしもっと聞く機会が増えてほしい曲だ。
おかん「上田君はやっぱり金髪立て髪よ!」
先日、年末年始ということで母とお酒を飲む機会がありジャニーズ関連の番組や映像を見ていた。
自分は結構母とジャニーズの話で盛り上がるというか、ジャニーズが親子間の共通項となっているのでわりとジャニーズの存在はありがたい。
ちなみに、自分がジャニーズを好きになったのは決して母の影響ではないどころかむしろ自分が影響を与えている側ですらある笑
予備知識として母は村上信五担で、自分は中島健人担という組み合わせだ。
そんな若作りおばさんである母と機会があれば大体ジャニーズの話をするというのが定番で、ごくせん2再放送も年末年始見たときはかなりハマってヤンクミに影響されていた。ごくせん2リアタイ当時、液晶テレビはまだ地デジ以降前で完全に普及しておらず録画機能も無かった時代だったのでちゃんと親子で見たのは初めてだった。自分以上に当時見てなかった母が絶賛していたのでそれは嬉しかった。
それ以前から母は大の亀梨和也好きで、佐藤健も好きということもあり、もう50超えのおばさんなのにイケメン大好きとばかり言っている。だいぶ昔の作品だが持ってる少女漫画の数もヤバイ
宝塚も好きでそこは影響されて趣味が合う。ただ刀剣乱舞とワンオクは理解できない笑
正直、ワンオクに関してはおかん趣味だけは若いなと(見た目はBBAもいいとこ)
そんなおかん、KAT-TUNは結構お気に入りだ。というより、ジャニーズで一番おかんと趣味が合うのがKAT-TUNだ。
母:関ジャニ∞
自分:Sexy Zone
であり、更におかんはジャンプ以降あまりメンバーがわかっていないし、逆に自分は関ジャニがそこまでわからない。
よってちょうどKAT-TUNは趣味が合うのである。
これで長い前置きが終わったのだけれど、うちのおかんはほんとやばいね笑
自分は常々「キャラ濃いジャニオタおもろい」と思っているけど、おかんもそのキャラ濃い一人というか「おばさん大人しくして」とは思う
特に亀梨和也と上田竜也がお気に入りらしく「この二人は離さないわ」などと意味不明なことを言い、「目の前にいたら抱きつく、突進するで!」と何言ってるかわからない。
自分は「手越とかサービスいいからサインは事務所の規定で断っても握手はしてくれたらしいよ」と行ったのだが、「いや、私はこう(抱きつくジェスチャー)」とハイテンションおばさん
これ、おばさんだからまだギリ許されるけど親父が若い女性アイドルに似たようなこと言ってたらヤバイで?と笑
うちの親父も結構自分が子供の頃下ネタ発言はしてたけど、落ち着いて今では昭和の名女優が綺麗だとかAKB流行ってた頃に大島優子綺麗だ、ぐらいしか言ってなかった。
多分「こじはる(小嶋陽菜)の尻なでたいわ〜」みたいなことを娘の前で言う変態オヤジはあの頃結構いたと思うし、今そういうおっさん層は乃木坂46あたりが好きだろう。
多分、自分のおかんはそれのおばさんVerだと思う。Real Faceの映像見せたら「この舌打ちがたまらんねん、悪っぽいのセクシーよねぇ」と語り尽くす。
そんなおかんと意見が別れたことが2つある。
これは前者が自分で後者が母だ。
次に上田竜也は中性的な時代か、金髪立髪時代か、だ。
まずおかんは自分が知識基礎解説しているぐらいなのでそこまで詳しくはなく、80年代に普通にマッチや光GENJIを見ていた世代だ。
なので、KAT-TUNもそこまでは詳しくない。
ドンピシャ世代の自分のほうがここは詳しい。
そんなおかん的にはやっぱり最近のワイルド路線の立髪上田の方が「やっぱりこのイメージやわ、この子はこの髪型が一番似合う」らしい。
逆に、いや、上田はもっと長い時代のほうが絶対かっこいいって!というのが自分
いや、上田はあの中性的な時代が似合うよなぁ?笑
栗っぽい時代というか、女子みたいな時代。
衝撃受けたよね、女子の髪型でここまで似合いつつ男らしさもある上田竜也に。本当に憧れだった。自分がKAT-TUNなら上田ポジションに憧れると思ってた。当時の尖ったギャル男とか襟足やたら長いスタイルとか、ああいうのってブサメンでも雰囲気イケメンにはなれるけど、女子要素ある中性スタイルは真の超絶イケメンのみに許される髪型
髪結ぶとか顔が整っててこそ許される。当時は高校生になれば自動的にイケメンになれるもんだと思っていた青い思いを描いていた。
今、改めて当時のKAT-TUNの映像見ると上田綺麗すぎてビビる。それでいて、当時から喧嘩で赤西と殴り合うくらいの武闘派
しかも今は職質されるくらいの悪人じみたルックスなのに、超絶真面目で熱血という。空気読めないほどに暑苦しい体育会系である
ただ、やはり世間的に上田竜也が知られ始めたのは複数人脱退メンバーが出てからスポットライトが当たり始めた、いわば手越祐也と同じパターンであり、母も認識し始めたのはごく最近だ。
とはいえ、上田竜也の路線としてはこれが正解だと思う。年齢もあるしこういうワイルドな方が似合うし同性受けも良い。
自分は圧倒的に栗時代の方が好きなのだが、おかんは「この子は絶対この髪型や」と言って譲らない。
金髪立て髪になって世間に定着してからもう長いし、そもそもジュニア時代も派手な髪型だし本人も今のスタイルが気に入っていいる。
上田竜也が中性的なスタイルだった時代って実は結構短いのだ。更に現在の年齢を考えるといくらジャニーズトップクラスのイケメンとはいえ無理がある。
目立たないけど実は知る人ぞ知るイケメンというのは、ジャニーズでは結構損な役回りだ。本人も望まないだろう。
ちなみに同じく気づかれにくいけどかっこいいという意味では、スタイルがいいのは田口淳之介
田口は昔の映像見ると、今のKPOPっぽいところもあって時代が早すぎた才能だと思う。
昔の上田はむしろジャニーズなんて興味ないとか言ってる今の2.5次元とか好きそうな層に合ってるし、田口はKPOPやったらめっちゃ映えそうなルックスがある。そして中丸雄一は今の「普通の男性」に安心感を求める風潮とも合致している。この3人が完全に引き立て役で、赤西、亀梨、田中聖が推されていたというのはまさに時代だ。今だったら逆に当時は目立たなかった3人が評価されるだろう。
それが2000年代という時代だった。逆に全盛期の赤西が現代に登場しても当時ほどカリスマとして世を席巻しないだろう。
才能と時代の相性というのはたった10年でこれほど違うのかとKAT-TUNを見ていて思う。
実際、今の自分(もうすぐ28)よりちょっと上の世代ってもっと派手だったし、そのちょっと上の世代は今の若い子や、時に自分たちの世代を見て「真面目だな」という。そしてちょうどその自分たちの頃が、校則とか厳しくなり始めて2000年代前半までのギャル文化やギャル男文化が衰退していく頃だ。西野カナぐらいにギリギリ残っていたという感じで、オタク文化が伸びて市民権を得る時代の走りだった。
モー娘。のど派手な髪染めまくりの時代からAKBで黒髪が再評価されて、NMBの絶滅黒髪少女になっていく時代だ。実際その頃って、本当にアダルト関連のもので黒髪の女優を見つけるのが難しかった時代だったんだよ、と思春期の頃の謎の苦労を語る。
しかし、その後その黒髪史上時代の反動もありKPOPで更に派手な路線が認められ、オタクのコスプレだと思われていたアニメ的な色も現代では許容されている。
自分が派手なファッションにするかはともかく、芸能界などを見ている分には派手であって欲しいなとは思う。そういう意味で、KAT-TUNは今見て結構見ごたえがあり、かといって90年代のような古さもない。余裕で現代的なかっこよさがある。
そう思うとKAT-TUNってまさに浪漫そのものだったよなと思う。不謹慎な例えだというのは承知の上で、今見ても洗練されてるという意味ではナチスドイツで、瞬間最大風速の凄さでも似てる。長らく破られなかったデビュー曲ミリオンの記録もKAT-TUNだ。
ナチスドイツが世界大戦で勝ってたら、くらいありえない話で、よく調べれば当時から崩壊する要素はあった。でも勝っていれば、上手くやっていれば、と大きな夢を語りたくなるのがロマンといえばロマンだよなぁと
祝:この度、一条聖也氏のスピンオフ作品決定
霜降りチューブの過去動画を漁っていたら、せいやがカイジ登場人物のモノマネをしている回があって盛大に爆笑した。
なんせ、自分もまだ霜降りにわかなもので過去にカイジコーナーまでラジオでやっていた程だとは知らなかった。
この内容は「カイジで一番好きなキャラを決める」というもの。
それでしばらく自分の好きなカイジ登場人物を考えていたのだが、まず素直に伊藤カイジが一番好きで個人的に身内限定で恐ろしく再現度の低いモノマネをしていた時期もある。
そしてその次に好きなのは沼での激闘を演じた一条聖也(いちじょうせいや)だ。
安藤がクズなのはわかる。
そして綱渡りでチケット渡した唯一聖人のおっさんとか、何気に佐原も好き。
個人的ベスト3は一条、カイジ、佐原の順だ。
なので、班長と利根川のスピンオフ外伝が出ても評判の割に興味を持てなかったのだが、もはや「三番煎じ」の一条の話は興味が持てる。
作中でカイジに次ぐ頭のキレや執念があり、実際ラスボスのような立ち位置だった。もちろん原作は続いているが、主人公のライバルとして一条ほどかっこいい存在はいない。普通にクズで残虐なのだが、いい味を出していてこういうクズキャラさえも憎めないのがカイジのいいところだ。
何なら安藤もムカつくのだが共感はできる。
自分はカイジを見ていた時期が数年前なので正直そこまで詳しく語れる程ではない、ただ一条はとても気に入っていた。
原作者の福本からアイデアを聞いて、それを完成させるという構図なのだろうが、とにかく一条の過去やその後が知りたい。それだけでも見応えがある。
そもそも人生上手く行ってないやつの共感を集めて売れる漫画を作る、そいつが一番のクズで大元だろうが・・・
まあでも、なろうやオンラインサロンよりはよっぽど響く。
生活感のあるリアリティ番組というか。
とにかく悪役としてはかなりかっこいいキャラで「カイジと共闘したら熱い」とも言われていた一条の登板は熱い。
実は大きな世界ではただの雑魚に過ぎなかったで終わるのか、復活して強敵となるのか、そもそも未登場で終わるのか。とにかく「行方不明」で長らく過ぎていた一条聖也が再び登場するだけでファンとしては捗る。
全国の一条オタ達よ、今こそ同窓会の時だ