elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

脱ブラックを目指したはずの鹿児島城西、体罰と飲酒の温床だったwww

以前自分が、甲子園にもこういった先進的な野球部が現れて日本の部活文化やブラック労働文化も改善されていくのではないかと期待を込めて取り上げたこともある鹿児島城西野球部

 

しかし実態は飲酒で部員も監督も謹慎、コーチによる体罰も去年発覚とその実態は理想とはかけ離れたものだった。

明るく楽しく野球をして丸刈りもしなくていいと得意気にインタビューに応じていたが、実際はそうではなかった。

 

ちなみに自分はお酒が好きで飲酒に関しては寛容であり、選挙権を18にするのであればお酒を飲める年齢も18にすべきだとは思っている。別に自分が二十歳になってから飲んだ真面目な人間だからといって、高校生の飲酒に対して目くじらを立てているわけではない。論じたいのはもっと大きな問題だ。

 

まず正直もう部活動改革だとか言われているが、構造的に日本の部活動はブラックを脱しきれないようになっている。

旧日本軍や大日本帝国憲法の構造からして欠陥だったことと同じだ。そして日本軍は敗北したわけではなく、戦後の企業文化や部活文化として亡霊のように生き残った。

 

部活動という制度や文化自体を廃止しなければどうにもならない根深い問題だ。

部活動だけなら勝手にすればよいのだが、こういった部活由来の文化が社会に与える影響も計り知れないため非常に複雑なわけである。

 

また女子の部活動のいじめなども体験談を見ていると実態が酷かったり実際そういった経験がある方の意見を聞いたこともある。男子に限ったことではない。

 

これは部活というより日本社会の問題だ。確かにイギリスでも未だにラグビーだと新入部員が洗礼を受けるという文化はある。そういった儀式があるわけだ。ただ、それはラグビーというある種の内輪文化やラガーマンという戦士や上流階級としての差別化を図るための物でもある。サッカーは実際ベッカムの時代に大きく改善された。

 

日本の場合野球がそれにあたり、もはやブラックを排除しようとすること自体ナンセンスで野暮なことなのかもしれない。

野球というのはブラック万歳で、そういった排他的な独自のやり方こそ正義なのか。

 

ただダルビッシュ有が先日のテレビ番組での林修との対談で語っていたのは「誰が今野球をやりたがる、今の自分だったらやろうと思わない」ということだった。

 

ここで一つ、斬新な提案をしたい。

まず野球は別に競技人口を増やす必要はなく、世界に対抗するメリットもないということである。

正直に行って、古き良き日本の野球文化からするとダルビッシュの存在は邪魔だ。余計なことは言わんでよろしい、それがいわゆる老害サイドの考えである。

 

そもそも野球という競技はサッカーやバスケと異なり国内完結で十分に興行が成り立つ相撲や将棋型のコンテンツだ。

ここの前提をはっきりさせておくべきで、野球のレベルアップやグローバル化にはさほど意味が無い。

 

サッカーは問答無用世界の弱肉競争に晒されるため、否が応でも世界基準になろうとしなければならない。独自のことをしているとFIFAから勧告を受け除名され国際大会から締め出されるからだ。

 

実際高校サッカー選手権でも、外国籍の選手が今後禁止になり、こういった日本のアマチュア大会でも国際的な基準を厳守する方向にある。もちろんサッカーもUEFAなどの組織は腐敗しており、高校サッカーでも不祥事は多いのでサッカーがクリーンだと言いたいわけではない。ただ努力はしている。

 

逆に究極のところ野球は相撲と同じで、いくらでもブラックなことやってそれが特色であってもいい。

相撲は競技人口が激減してから数十年経っているが、興行としては今が再度黄金期を迎えている。

むしろ競技をする人材は貴重で、「見る専門の競技」として特化し成功した。自分はいずれ野球もそうなっていくと考えている。

 

この場合何が問題かというと、競技のレベルは下がる可能性があるということ。

まずサッカーの世界でも人工の少ない国が強いことも多いのでそう単純な話ではないのだが、一般論としてやはり競技人口はレベルの維持に重要な要素だ。

 

ただそもそも相撲や将棋と同じく野球は世界を目指す必要がない。むしろメジャーになんていかず、ずっと優秀な人材がプロ野球に留まっていたほうが野球は更に盛り上がる。田中将大楽天に復帰したインパクトは実際大きい。

同じ楽天ヴィッセル神戸におけるイニエスタ効果以上の物を自国の選手で実現できるのが野球というコンテンツである。

 

今後野球は誰もがプレーする大衆的なスポーツから、少数精鋭のエリートスポーツになっていくだろう、そしてそれでいい。

空き地で野球をするという昭和の原風景はなくなって寂しいかもしれないが、令和の時代には必要ではないし不可能だ。

 

野球はそもそもメジャーリーグ挑戦までに時間をかけてフリーエージェントにならなければならないし、自由な交渉や球団選択も許されていない。

こういった「保護貿易」はサッカーの世界では確実にFIFAが禁止にするが、幸運なことに野球の制度がNPBを有利にしている。

 

野球はそういった意味で歪な構造になっているのだが、その歪さも野球だと考える。

非日常の世界というか特殊な業界を外から楽しむというのが、昭和の芸能界とも重なる。それが本来求められる興行の姿だとも言える。

 

正直日本の野球が世界で勝てなかろうが日本の野球人気とは関係ないし、WBCのような大会が野球の普及に貢献しているわけでもない。それどころか野球が海外に普及してメジャースポーツ化すると確実に日本は相対的に弱くなるので、日本の野球人気はむしろ下がる。そして絶対的にも弱くなる。将棋と同じく日本や一部の国だけの競技にしておいたほうが有利だ。

 

これはイギリス生まれで、FIFAという協会はフランスが作ったサッカーと、アメリカ独自のベースボールとの特性の違いだ。

日本の野球はそういったアメリカのモンロー主義的な孤立というか大きなガラパゴス的なスタンスを踏襲している。アメリカ人は自国だけの大会でも「ワールドシリーズ」と勝手に名乗る、だから日本野球も自分たちだけの世界があればいい。

サッカーとは考え方が真逆だ。

 

野球ファンの間にも野球をサッカーのようにグローバルなものにして、WBCFIFAワールドカップのような世界的な大会にしたいと考える人々がいる。ダルビッシュ有がその典型だろう。

 

ただ、野球はジャニーズ的というか良くも悪くも日本的な内輪の文化を目指すべきだと考える。

ジャニーズは別にKPOPのようにならなくても、それが国内で盛り上がって内需が活性化すれば良いと言う発想もある。日本の経済発展は実は輸出というよりも、内需の購買力が人口バランスの良い時代に活気を持っていたからだ。

 

例えばジャニーズも多少ブラックな部分というか厳しい縦社会が見え隠れして、それはそれで規律ある文化として魅力的に見えることもある。

ちやほやされて生きてきたであろうとある女性アイドルの若手メンバーが大御所芸能人に席を譲らないと炎上したが、ジャニーズだとあれは絶対にあり得ない。

 

野球も上下関係は鬼のように厳しく、一般人には不可能な軍隊社会的なところや奔放さに魅力を感じる。

よって、野球部がクリーンになりすぎると「厳しい縦社会をくぐり抜けてきた精鋭感」がなくなってしまうこともある。

 

こう言っては身も蓋もないが、結局日本人は心の底ではブラックが大好きで求めているのだ。真冬に箱根駅伝を見たり真夏に甲子園を見るのも、若者が苦労する姿に美を感じているからだ。この国では効率とかよりもとにかく苦労という美徳が優先される、それが日本人の本性だ。なるべく楽したいというのはラテン人の発想で、日本人のものではない。

欧米に追いつかなければならないという近代化の過程でそれはさらに過酷なものとなった。

 

実際のところ、体育会系の部活でこんなに理不尽なことで苦労したという話は面白く、それが尊敬の念に繋がることもある。世界基準では本当はそんな間違ったことをしていたり自慢気に語ることはむしろ恥ずかしいことだが、それが日本だ。

 

野球部が楽しんでホワイトに部活していたら甲子園の風情というものもなくなる。特に中高年以上の方はその姿を愛する。

そういうところ、つまり日本人の気質も含めて根深い問題なのだ。

 

また社会はブラックなのだから、部活でブラックを経験しておくと言うのは重要だ。先進国の発想は「学校からホワイトにしなければ社会もホワイトにならない」だが、繰り返すがここは日本だ。結局の所誰もが自衛のことしか考えていないので、日本社会というのは外圧でしか改革できない。サッカーはFIFAという国連よりも機能している圧倒的な国際組織によって、そういった外圧が強いのでなんとかなっているが、陸上にしてもバスケにしても世界基準を全然守っていないのが日本の部活である。要するにそういう国なのだ。

 

ただブラックを乗り越えた人達がいいものを作っていたり、面白い人たちだったりもするのも事実。

ブラックが好きだし、ブラックが合ってるとも言える。実際そういう遺伝子が残ってきた。

理不尽な上下関係をなくしたら次の世代が規律を失うという例も多い。

 

鹿児島城西は実際のところ、見た目だけホワイトで内情は体罰があった。だからこそのストレスや反抗心による飲酒なのか。それが常態だったのか、それともそのコーチが処分されたあとに規律が乱れたのか。

圧政に対するストレスで校内暴力が多かったのが昭和で、北風と太陽のようにコンプライアンスが進むと基本は学生も大人しくなる。

そういったところまでは不明だが、いずれにせよ体罰はあった。体罰があるということはそれが学生同士の上下関係にも伝播する。

 

この問題まとめるのであればブラックかどうかは賛否があるとして、鹿児島城西が悪質なことはこうしてメディアに対してホワイトをアピールしていたことに尽きる。

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