日本のネットで昔から使われる古典的なフレーズに「サッカーは貧困国のスポーツ」というものがある。果たしてこれは事実だろうか。
主にこういった理論は野球ファンによって使われるが彼らはいざ「WBCが世界で盛り上がっている!」という時にプエルトリコ、ニカラグア、ベネズエラ、キューバ、ドミニカ共和国といった後進開発途上の国々を「野球が国技の国」だとして有り難がる。
ところでWBCだがアメリカでは一桁低視聴率、韓国では時差がないゴールデンタイムの日韓戦が11%止まり、日本で今年最高視聴率を記録したイタリア戦が当のイタリアでは全くの無関心に終わり実質先進国と言える国では日本と台湾とアメリカの一部の野球ファン内での盛り上がりに留まった。まあ韓国の自国嫌悪主義者や日本信者達が自国韓国の野球叩きとして大谷翔平を使った盛況は感じられたが。
まずサッカーは「貧困層も中流層も富裕層も見るし、やる多様な階層や人種から成り立つステータスを問わない競技」であり、サッカーが途上国で人気だからといって先進国でも人気があるし、では野球が特別富裕層の競技というわけでもないどころか野球強豪国はサッカーと同じく半数が途上国である。
現在サッカーでトレンドとなっている国は急激にFIFAランクを伸ばしているカナダ、そしてマンチェスターシティ所属のハーランドとアーセナル所属のウーデゴールがいるノルウェーだ。一人あたりのGDPで言えば日本より遥かに裕福な国である。
ノルウェーは北欧でありながら産油国でもあるチート国家なので一人あたりのGDPで言えばトップ5に入る。G7トップクラスの先進国ドイツでのサッカーはまさに国民体育であり、イギリスでも王室はじめ有名人のサポーターは多い。サッカー好きのセレブは特にロンドンが本拠地のアーセナルを好きな傾向がある。
更に富裕層ほどかつての競馬のようにサッカークラブを保有することがステータスであり利益度外視で娯楽として多額が投じられている。
カタールワールドカップではマクロン大統領がフランス代表の決勝戦に訪れたしG7の場ではサッカーの話題が度々上がる。今やサッカーは教養やステータスという時代だ。スペインではレアルマドリードに代表されるようにロイヤルを意味するレアルが冠されたクラブチームが多数あり、日本でも大会の名前自体が皇族お墨付きの天皇杯であり皇族も度々観戦に訪れている。
また日本でサッカー観戦をしようとすると基本有料配信がデフォで、地上波やBS中継だけを見ている野球ファンよりは余程課金しているだろう。無論、野球も本当に全試合を追うのであれば有料登録が必要になるが。
プロ野球の場合、試合数が多いので地元の球場で観戦するだけでも良いがJリーグの場合アウェー観戦とホーム観戦が交互なので遠征費がそこそこ必要とされ、ユニフォームも海外サッカーより支援を込めて割高設定なお金の掛かる趣味である。
実際、自分はJリーグ観戦に行ったことがあるがユニフォーム着用率は高い。
サッカーの場合「サポーター」という文化のためクラウドファンディングやファンクラブなど積極的に課金する傾向があるのでJリーグ好きはそこそこの金持ちである。
海外サッカーも熱心になると現地観戦をするようになるので物価が日本より遥かに高いヨーロッパ旅行、そしてチケット代もいる。このチケット代はプレミアリーグの場合高すぎて現地サポーターが訪れられなくなり観光客の物になったり、人気クラブであればダフ屋の闇チケットといった手段が横行したりしているほど割高だ。
野球は地上波放送だけでファンだと名乗れるが、サッカーはそうもいかない。基本料金はサッカーの方が高いのである。
最もそれが参入障壁の高さ、誤用ではあるが敷居の高さにもなっているのだが。
決して「貧困層しか見ないスポーツ」では無いどころかそこそこお金がかかるジャンルだ。地上波放送しか見ず現地観戦にも行かないタイプのお茶の間野球ファンがサッカーは貧困層のスポーツだという事ほど無知なコメディは無い。
そもそもサッカーをやるにしても道具が必要ないと言われつつスパイクは消耗が早く、習い事としてサッカースクールは強気の値段でお金がかかるし、当の野球もサッカーと同じく後進国では木の棒とペットボトルの蓋で遊ぶ子ども達からメジャーリーガーが育っている。
貧困層から這い上がるストーリーこそスポーツの魅力であり、貧困層を蔑むということはスポーツの魅力を否定している。野球はサッカーを貧乏だと言える立場でないどころか同じ立場であるし、富裕層の競技がお好みであればフィギュアスケートでも応援していればいい。
例えば野球の大スターである大谷翔平は決して裕福な家庭育ちではないし、サッカーの三笘薫はかなりのエリート育ちである。前述のように天皇杯は皇族のお墨付きであり英国王室から優勝トロフィーの銀盃が贈られた程だ。
野球が日本で真に国民的国技だった時代は「巨人大鵬卵焼き」、王長嶋時代の戦後間もない貧しい頃であり貧乏人のスポーツという言葉は野球という競技の歴史、そして自らのスターである大谷翔平に唾を吐いている行為に他ならない。
もっとも自分はサッカーのそういった途上国や貧困層、労働者階級の文化的な粗雑なところを好んでおり貧困は決して悪いことでは無いどころか魅力でさえある。黎明期の戦前の大正野球や昭和野球に対する浪漫、憧憬もそういった貧困から来るはずだ。
これから「サッカーは貧困層のスポーツだ」とネットで書いている人を見かけたら、自らが愛する野球のことすら無知でリスペクトしておらず、「サッカーは道具が必要ないので途上国で人気で労働者階級の文化」という典型的な昔の知識でアップデートできていないおじさんなんだな程度の認識でいいだろう。
ワールドカップで余程鬱憤が溜まってた野球ファンが「サッカーは途上国や貧乏人のスポーツ!」と言ってるけどサッカーは正確には貧富、人種関係ないどの層もやる競技。三笘薫は上級国民で大谷翔平こそ貧困家庭だぞ。韓国でもアメリカでもWBC視聴率は低い。いつニカラグア、ベネズエラが先進国になった https://t.co/oQnfaM86gi
— エルケンティキタカ (@Elkenty11) 2023年3月24日