elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

自分が居酒屋より家飲みが良いいくつかの理由

最近、居酒屋を見ても確かに入りたいとは思うのだがそこまでの必要性を感じなくもなっている。

 

まず第一にだいぶ自分で肴、酒のアテを用意する目利き、センス、知識、技術がついてきたというのがある。なので自分でスーパーでツマミとお酒を買ってきた帰路で居酒屋を見ると「ここにいる人たちこれより美味しくないものを高い値段で食べているんだろうな」と思うようになってしまった、というか思うようにしている。

今この記事を書きながら味わっている貴重なミンククジラのお造りと炙り塩サバ焼きは合計で一札ちょっとで足りるし、定番の芋焼酎より数百円高い焼き芋焼酎も定価で飲める。これが居酒屋だとお通し代と店頭価格で優に合計倍以上はするだろう。

自分は数時間ゆっくり飲むため刺身は本日用意したこれくらい量があってほしいいのだが、居酒屋だと一皿の量が少数で数皿頼むことになり当然値段も上がる。あと店頭は一切れが大きすぎて、自分はこのようにちびちび食べるのに適したサイズに切りたい。

 

もちろん居酒屋というのは酒場だけあって「場」を楽しむものであるし、自分も過去には通っていた。可能であれば今も行きたい。

 

ただ居酒屋にはこのような難点がある

・店主ガチャ、客ガチャ要素がデカい

・お酒が割高

・トイレが面倒、衛生上の問題

・お通し代という席代がもったいない

・行き帰りが面倒

・金銭感覚がバグる

 

お通し代は1店目であれば小腹も空いているので払うことは苦ではない。席代やメニューを選びつつ、品を頼んで来るまでの繋ぎとして全然払う価値はある。お店のおもてなしや工夫、こだわりも感じられる。

 

ただ、自分はお酒をちょっとしか頼まない金払いの渋い客やお酒に弱い体質の客と違い、ケチらずお酒は売上に貢献しようとがっつり頼むので、お通し代でわざわざ取らないで欲しいし、もっとその店の他のメニューも楽しむためにお通しで腹を満たしたくないという事情もある。

特に2軒目以降は先程のお店で食べたのもあるのでお通しはそんな要らない。それこそ、場合によってはお通し頼んだ品を残して食品ロスになってしまう。

 

正直、お通し代を払うぐらいであれば胃を休める時間とおすすめの刺身を一皿、そして良いお酒をサクッと頼みたい。

「お酒と料理はちゃんといくつか多めに頼むのでお通しはカットしてほしい」と他の客がいる状況で中々言いにくいし、お通しが来た時はいいですねと言うぐらいがその後のコミュニケーションも円滑になる。

 

なぜならばお通しを嫌がる客は店側からしても嫌な客に見えてしまいサービスの質も落ちるし距離感も生まれるので、泣き寝入り的にこっちが忖度で食べないといけないシステムなのだ。そして結局のところ、お腹が序盤で満たされて他のメニューもお酒も頼まなくなり客足が遠のくと言うわけだ。「お通しカット」を気持ちよく受け入れてくれる居酒屋があればこちらも気分良く高めのお酒やメニューを頼むのだが。。。

お通しではなく、ボトルを入れるとかメニューで1番高いお酒を入れればお通し無しでいけるみたいな仕組みがあればどれだけありがたいことか。

 

とはいえ自分にとっては2軒目でも誰かにとっては1軒目だ。

そしてお通しはお店側も余った食材を使うことが多いのでどうしてもお店を経営していく以上は仕方が無い。ただこの悪しき、しかし必要な文化のせいで若者の居酒屋離れが進んでいることも事実ではある。

 

そしてその後は結局のところそこまで深酔いできず家に帰って飲み直しをしたくなるもので、深夜に開いているコンビニに寄ってまた割高に買ってしまう。

これは家にお酒やツマミを常備していればいいのだが、どうしても飲んで酔っているときのテンションがあり立ち寄りがちだ。

 

このあとシャワーを浴びる手間もこれまた面倒。居酒屋はどうしてもこじんまりした個人店で少数のトイレを多人数で使う上にそこまで綺麗なトイレを完備している個人店は多くない。

しかもトイレが清潔でないところほど名店だったり雰囲気が良く賑わっていたりする。

 

家飲みだと風呂に入ってから「さあ飲むぞ」とがっつり飲んで満足すれば、歯を磨き、二日酔い予防の水を多めに飲むだけでそのままベットに直行できる。こういった行き来の時間を考えれば皿洗いなど料理の手間は意外と短く感じるし、衛生管理も自分でできるというメリットがある。

 

しかも居酒屋はこのあと金銭感覚がバグりバーに行こうとなってしまう。

無駄にアクティブになるので行ったことがない入りにくそうなスナックなんかに突撃して、そこがまた結構面白い。店側も酔っ払いに慣れているし、こちらも饒舌になっている。楽しいことは間違いない。ただ、その分お金は使う。

未だに当時訪れたバーが懐かしいし一人飲みしているときより余程思い出にはなっている。

それがまさにプライスレスな「場所代」だ。

 

ここに異性が絡むともっと額が大きくなる。

自分はキャバクラは行かないけども外国人パブだけは行ったことがある。東南アジアと中国だった。と言ってもカラオケが設備されている程度の普通のスナックだ。ただ本当にセット料金が高くて、1時間コースぐらいで何杯か締めに飲んで出るぐらいだ。女性の場合いわゆる「ホス狂い女子」が明日カノみたいに出てくるのもわかる。

 

自分の考え方は、日本人女性で水商売できるぐらいのルックスはあるという一応先進国育ちでイージーモードなのに女性という性を利用して高給を手っ取り早く稼ごうとしている連中には一銭も払いたくないので、せめて出稼ぎで必死に異国で働いている途上国出身の女性に外国の話でも聞けるし英語でも使えば英会話教室にもなるのでとそちらにお金を落としたいという考え。

もちろん自分は客という立場を利用してハラスメントをしようと思っているわけではない。

 

ただ、そもそも女性と話すためだけにお金を使うこと自体がコスパ悪いという考えでもある。女性というだけでそんな話すことに価値があるとも思えないし、バーの男性マスターや居酒屋のおっさん店長の方が余程濃い話ができて面白い。

何だったら女性の話し相手であれば運良くカウンター席で隣だったらその女性と話せば結構盛り上がる。無論、一人で楽しみたそうな女性に深追いするのはご法度な迷惑行為だ。

 

あとそもそも店主が女性ということが多い。ほとんどおばちゃんだけれども、このおばちゃんとの話が面白い笑。客もおばちゃん。これは男が年下女性に優しいのと同じで、おばちゃんは世代が下の男に母性本能もあってか結構優しい。何だったら若いうちはおっちゃんさえ酒場で優しい。とはいえ自分もそういう年では無くなったが。

 

こういうお酒の席では昔の世代に通じる話を素養としてわかっていると円滑にコミュニケーションが進む。ジャニーズだと少年隊や光GENJISMAPあたりは知識としてわかっているだけでおばさんとの話の種となる。

カウンターで対面している席はそれぐらい軽い雑談ができると雰囲気が良くなる。美容院での世間話ぐらいだと思えばいい。時々自分1人や隅にいるお爺ちゃんぐらいしか客がいなくなる時があり、こういう沈黙は気まずいので雑談があると「酒場」として楽しくなる。客もまた「場を作る」という能動的なことが必要というか、そうしたい人が行く。

お互い気まずそうなのは酒も飯も客の気分も不味くなる。これは配信と同じ原理。ただの無課金ROM専ユーザーはネットでも現実の居酒屋でも歓迎されないので、せめて課金をするか場を盛り上げるかという、客もどちらかの提供が必要

 

ただやっぱ思うのは話題として世代的にこちら側が上の世代に合わせなければならないことが多いということ。自分はゆとり世代なので、主に居酒屋に通う世代の子ども世代かそれよりもっとしたで孫ほど年は離れていないぐらい世代に当たる。

当然、そういうおじさんおばさんはこちらの話題がわからない。もちろん居酒屋で会う人たちはほぼ皆いい人というぐらい素晴らしい。ただ、本当に話したいトピック、議題では話せない。

大抵、どうしても特にプライベートの概念がない昭和世代は悪気もなく仕事、恋人や家族の有無、どこに住んでいるのかというのが遠慮なく話の入り口になる。

自分はそういうときあえて自分から話したりすると会話が円滑になるのだが、現代に合わないなとも思う。それぐらいしか初対面の話題は無いし、ちょっと話せば、あるいはちょっと聞けば会話は弾むのだが。

でも猫を飼ってるとかサッカー見てるとか、このお酒好きとかそういう肩書にとらわれないフラットな話を自分はしたいのだが中々難しい。かと言って知的な話題も普遍性が無い。最初はとっつきやすい話題から入って、後々深く話すというプロセスが求められる。

 

「客ガチャ」という意味では喫煙もだ。一応飲食店では全面禁煙になったはずだけど、居酒屋は余裕でタバコ解放区だ。

いや、自分はにおいがついてもいい安い服を着て行っているしはじめにこちらに吸うと断ってくれれば「どうぞどうぞ」と言うのだが、何の気も使わなそうだとちょっと嫌にはなる。とはいえ喫煙が当たり前の場所に行っている以上こちらの自己責任ではあるし楽しくお酒を飲んでいると気にはならないが、隣の人が気を使ってくれるとこちらも仲良く話せる。それが普通のマナーになってくれると非喫煙者もいきやすくもなるが、喫煙者が訪れにくくなるのも諸刃の刃。

 

実際のとこり居酒屋にお金を落とすのはお酒をしっかり飲む喫煙者なわけだし、ちょっとしかお酒を頼まないクリーンな客ばかりになると居酒屋という経営形態も存続が難しくなっていく。

 

そもそも若者の可処分所得が少なくなっている上に自宅で楽しめる娯楽も増えているという事情があるというのもあり、居酒屋離れという徐々に寿命が近づいてきているとも言える。

 

太田和彦吉田類の居酒屋番組を見ていると客の爺さん婆さんが数十年開店当初から通っているなど当時の若者が今も訪れておみせとの絆を繋いでいる。本当はこういう日本の文化遺産も我々次の世代が繋いで行きたいところもあるのだが中々非合理的なことも多い。

それゆえに昔ながらの姿が保存されているとも言えるが。

 

「店ガチャ」なんて表現をしたけども、本当はちゃんとこのご時世で続いているお店はほぼ当たりしか入っていない。

500円でやっているソシャゲではない現実のガチャガチャは大抵そこそこの商品が出てくる。それと同じで現実の個人居酒屋はまあどこも当たりだ。それを楽しむのも酒場の突撃訪問であってネットの口コミなんてない時代はそれで栄えていたのだろう。

自分は居酒屋に行かなくなったとは言いつつも、外れてもいいぐらいガチャを引く予算があればどんどん引いていくべきだとは思っている。