elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

花江夏樹の猫と松丸亮吾の猫は似てる

鬼滅の刃の主人公竈門炭治郎の中の人である花江夏樹の猫

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メンタリストDAIGOの弟であり東大松丸亮吾の猫

 

ネコ好きというか同じ猫好き男子飼い主として気づいたけどこういう茶トラ猫と共通点がある。

こういう茶トラ、自分は親戚に捨て猫を生まれたばかりの頃どうしても面倒見られないということで預かった経験があって、その後その親戚が無事新たな引取先を見つけてくれたという経験があり親心のようにこういう猫を見ると微笑ましい。

でも自分は茶トラ猫がそこまで好みではないので引き取らなかったし愛してくれる引き取り手が見つかってよかった。

そして自分の飼い猫はこういう白が入っているタイプで、家族で飼っていた歴代猫も同様に白猫だった。

自分はこういう白が入っている猫が好みで保護猫を選ぶときも白重視で選んだ。だから花江夏樹や松丸亮吾とはセンスが違うけど、猫を好きな気持ちはわかる。

猫を模様で決めるというのは意外と仲良く続く秘訣である。

 

見た目が好みであれば飼い主である我々がなんとか懐かせようと努力する。でも見た目が好みではないと「なんで懐かないんだ」と嫌いになってしまうリスクがある。無論、見た目は好みではないけど懐いてくれて好きになるケースはあるが山田涼介の「見た目が好みでないと中身を好きになろうと思わない」理論同様、見た目が好みでないと愛情ないし見た目が好きだから懐いてもらおうと飼い主は面倒な猫に努力する。

そして見た目が好みでない場合は相手から積極的に好きになってもらうとこちらも好きになり見た目が関係なくなるのがおそらく松丸亮吾と花江夏樹の愛猫だろう。いや、この自分が茶トラを好みでないだけで二人は一目惚れの可能性があるか笑

 

よってどんな猫でも愛せるという自信がない方は余程自分に懐いてくれるか、見た目のルックスで選ぶといいと思う。見た目が好きでどんなことがあっても懐かせられるまで頑張れるか、見た目は好みではないけど自分のことを好きでいてくれて大切にしたいと思えるか、本当に恋愛や結婚と同じなのが猫を飼うということだ。

セクシーなことを言わない無能な中島健人がいたとする

彼は果たしてモテるのだろうか、とふと疑問に思った。

 

見た目と声はケンティーそのものだがSexy Zone中島健人とは別人で、気の利いたセクシーな事は言えず、面白くもなく暗くて、運動神経が悪くケンティー特有のやたらキレがあるダンスもできないし、どんな女性にも優しくレディーとして尊重するような紳士な面もなく、教養ある映画好とは違って頭が悪くセンスも悪く、挙動がキモく自信感がなく他色々な能力が軽度発達障害並に低い。

 

少なくともそんな奴がいたら、中島健人好きの自分でもその偽ケンティーを好きにはならないだろう。

おそらくこの傾向は女性だと更に強いと想像する。

そもそもジャニオタのほとんどは実は内面やキャラクター性で好きになっているし、「見せ方」が上手いステージ上のキラキラしたアイドル姿にときめいている。藤ヶ谷太輔菊池風磨がこの典型例で、彼らは正統派イケメンではないがイケメンタイプのメンバーよりよほど人気があるわけだ。風磨なんて内面の魅力の一番といっても過言ではない。

 

ジャニオタは自分のことだから誰よりわかっているだろうけど、実はジャニオタって純粋な顔ファンは少数派でほとんどが最終的には内面やパフォーマンスで沼に落ちている。そういう中身がどれだけ好きかというのをジャニオタはめちゃくちゃ語る。

 

嵐がわかりやすい例で最初、花男でイケメンの松本潤からグループを知って他の四人を好きになってその功労者であるマツジュンが一番人気無いとなったこともある。BTSもテヒョン、ジン、ジョングク以外はそんなイケメンでも無いしSnow Manもラウールと目黒蓮ぐらいしか男前はいないがグループとしては屈指の人気だ。

 

前述の「偽ケンティー」は顔は良くても面白くない、運動ができない、気が利かない(ちな俺)の学生時代のモテない三拍子揃っているのでおそらく学生時代モテるタイミングが無いし、職場でも怒られ続けるだろう。

吉沢亮が中学時代はアホほどモテたが高校時代キャラ作りに失敗して非モテに転落した黒歴史があるように、女性はイケメンでもその状況の相対評価で見る。

というか中島健人自身があれだけイケメンなのに中学時代ハブられていた時期があるわけで。

よってケンティークラスの顔でもまず本人がモテないどころか6軍男子だった時期があるので、顔だけじゃ駄目というのは証明されている。その後、山田涼介を知りあのジャニーズに目覚めたとんでもないケンティーという化け物(褒め言葉)に育つわけだが笑

 

ところが女性だとこの例は成立しない。

もし偽ケンティーのように、色々と無能で発達障害っぽい広瀬すずがいたとしたら世のハイスペ男性から結婚の申込みが殺到するだろう。

馬鹿で要領が悪く社会性が無くどこかズレていて友達が少ない陰キャ広瀬すず、すまん最高や。

というか少女漫画にこの手のヒロインいくらでもいるだろ、と。

 

自分が年収2000万のハイスペ男だったらまずそれの福原遥版を嫁にして、専業主婦をいくらでもさせてあげたいし料理や家事すら外注でいいし子無し希望だから子育ての手間すらかけさせない。いわゆる「理解ある彼くん」になってめっちゃ大切にするだろう。

もちろん本物の福原遥が一番だが、全然その偽まいんちゃんでいい。

女は若くて可愛ければ良いしそういう女だと依存してくれそうだから、有能で気の強そうなブスなんかよりよっぽどそっちがいいと考えるのが男の本音だ。

 

いや、別に有能な女性は一人で生きていけそうで自分必要じゃないだろうし、と思っちゃうわけだ。近年の婚活情勢は高所得男性ほど女性にも同じ高収入を求めるようにはなってきているものの本当に自分が稼いでいく自信があれば嫁に楽や贅沢させてそれが男の甲斐性だと考えるわけだ。

自分が今のアラサーで2000万もあったら、同世代の1000万ぐらい稼ぐまあ美人でもブスでもない女性と結婚してパワー夫婦になる案もあるが別に女性の収入の助けを求めていない状況ということなので無能でも若くて可愛い子を奥さんにするだろう。何だったら高橋ジョージパターンで16歳の時にでも結婚したいぐらいだ。

まあちょっと美人で並に稼ぐという中間もいそうだが、この場合極端な例とする。

 

何が言いたいかというと男の偽ケンティーには救いがなく、女の偽まいんちゃんは絶対救いがあるから女性の人生は容姿ゲーだということ。

男の人生で容姿と能力の重要性は半々ぐらい、どちらかしか無いというのも厳しい。

逆に女性の場合、どちらかしか取れないという場合9対1ぐらいでルックス至上主義な面がある。結局、どれだけ無能でも美人でさえあれば理解ある彼くんが現れるからだ。というかおばさん世代の専業主婦はこのパターンが相当数いるだろう。当時は女性の社会進出が進んでいなかったという背景もあるだろうし、20代で専業主婦は美人か年の差婚が多いだろうと考える。

もし神が「能力とルックス、どちらかだけ今の自分から追加で強化してやろう」と言ってきたら男性は半々に分かれるが、女性はほとんどがルックス強化を選ぶだろう。

 

山田涼介さんの名言「女性の見た目が好みでないと中身を知ろうと思わない」

ジャニーズが女は見た目優先だとはっきり公言している。

人によってこれは容姿は妥協して年齢という場合もある。

それは女性だって清潔感という名の一次試験を敷いているので同じことだ。

全人類の女性「清潔感ない男性の中身を知ろうとは思わない」

絶対こう思ってるから山田涼介のあの発言に女性ががっかりするのは間違っている。当たり前のことを言っただけである。

 

厨二病のように幽遊白書の飛影などアニメキャラのイタいものまねをしていた中島健人少年が、ジャニーズという舞台では小栗旬なだぎ武のそのモノマネでジャニー喜多川に評価されセクゾとしてデビューするまで才能を開花させるのだから人の人生は場所次第だ。厨二病オタクでもイケメンでモノマネが上手いとジャニーズになれると証明した中島健人という男、陰キャの星ケンティー、かっけぇ...

 

帰宅部の星は粗品でこの二人が仲いいという納得がいく奇跡。

よくいわれるけどケンティーはイケメンでよかった、ジャニーズなれて良かったと誰よりも心配して奴は変人だと認めてるのが当の中島担だというね笑

そんなケンティーでも黒歴史があるし、そもそも本人の能力と努力でここまで上り詰めてぃた男だ。

 

これが無能な偽ケンティーだったらそうはいかないだろう。男の発達障害はただの残念なキモい要素となる。イケメンではないが米津玄師が広瀬すず吉岡里帆にキモがられたのを見てもわかる。米津玄師はASDなりに女性に対する距離感がおかしくても一生懸命アプローチしたのに公開処刑でネタにされたわけだ。これが発達障害の美人や並、あるいは陰キャっぽいけどそこまで悪くはない女性が同じことしたら男には胸キュンで、めちゃくちゃ可愛い個性になる。米津玄師はイケメンではないけど、イケメンがやったとしてもキモがられそうなぐらいヨネチャァン事件はキモかった。

あいみょんが同じことしたらそれをからかうだろうか、いやめちゃくちゃ萌えるし可愛いぐらいだ。ヨネチャンどうして😭

なお同じ陰キャのネット民が共感性羞恥心で嬉々としてネタにしている模様。

 

自分のオスの飼い猫がまさにそうなのだがめちゃくちゃ警戒心強いビビリで保護猫として引き取るときも人見知りということは理解して見た目で選んで、やっと2週間して自分には心を許してめちゃくちゃ懐いてくれている。

多分世の中の男は養える力さえあれば、こういうメス猫の人間verを彼女や嫁に欲しいと考えているのでそういう女性は男性と違って需要がある。

女性はそういう非社交的で弱そうな陰キャは好きでは無いだろうし友達いない男はヤバいというが、嫁や彼女に友達いなくてもいいと思う男は多い。

メンヘラに依存されたいという男の幻想あるよなぁと。逆に言えば弱い女性は強い女性と同等に救いがあるし、男の弱さは許されない。事実、ケンティーはあの顔でクラスの最下層6軍だった時代がある。自分が4軍や5軍だったのでケンティーの中学時代はそれ以下だったということになる。それを中島さん自身がネタにしてるとこが彼のいいとこだ。

 

女性のジャニーズ好きの方に考えてもらいたい。

中島健人に限らず見た目は自分の推しそっくりだが、前述の「偽ケンティー」のようにあらゆる面が残念で能力が低いという男がいて、自分が彼を専業主夫にできるバリキャリ女性だったら結婚するだろうか?

男性であれば橋本環奈や広瀬すず、好みの女性であれば誰でもよく自分は福原遥の無能版だとしても結婚するだろう。

逆に女性の場合、平野紫耀本人は天然も演技で実はめちゃくちゃ頭と要領がいいしスポーツ選手にもなれたレベルのフィジカルエリートだが、バク転もろくに出来ず音痴でダンスも恥ずかしがってやらない挙動不審な本当に馬鹿でダサい顔だけ平野紫耀がいたらいくら平野担でも、それほどイケメンではない深澤辰哉や佐久間大介らスノーマンのフツメンでええわとなるだろう。キンプリ担はスノ担を嫌っているがいざ自分の推しが顔以外無能なそっくりの別人と、スノのメンバー本人とだったら後者を選んでもおかしくない。

 

発達障害スレスレの平野紫耀がいたとして女性は現実通りに能力のあるフツメン系ジャニーズや男性芸人がいたら後者を選ぶと思うし、男性は発達障害スレスレの好みの女優やアイドルがいたとしても余裕で選ぶぐらい結局顔や若さを重視する。

時々女性が養っている男性のヒモはいるが、彼らの場合仕事はしないというだけで例えば夢追いバンドマンだったりと容姿以外にも魅力や能力がある。この場合そういった能力さえないほんとうに顔だけだとする。

別に猫って知能低いけど可愛いし、島崎遥香(イケメン俳優と無事結婚して動画で悠々自適に暮らしている)とかポンコツだったけど皆チヤホヤして自分も好きだった。

可愛くて自分のことを誰より好きで性行為に抵抗がない、この3条件さえ満たせればいくら能力がなくてもそれでいいというのが男の本音であり、究極自分に懐くメス猫が欲しいという考えだ。逆に女性はかっこいいのはもちろんだがしっかりとしたいざというときは飼い主(妻)を護るリーダーのようなオス犬的男性を求める。そういう犬もご主人さまである妻に甘えたところ見せると可愛いだろう。菅田将暉小松菜奈夫妻がこのパターンだろう。

 

まとめ:男はメス猫的女性を求め、女はオス犬的な男性を求める。

eスポーツの弱点であり利点はこれだ

「気持ち悪い」、これ以外に何かあるだろうか?笑

所詮ゲームなどマジになるのはやはり気持ち悪いし、この打ち込んだ期間や成し遂げたことなど普通は評価されない。

 

自分の場合FIFAというサッカーゲームをしているが、もしこれが本当のサッカーだったとすれば客観的に体力はつくし筋肉質になって健康的になり見栄えもよくなり90分も走れる体力と体育会でやれるコミュ力があればどんな肉体労働も始められのでプロになれずともメリットがある。大学サッカーレベルまでやっていれば就職も有利だし、今から趣味で始めるだけでも体力はつく。

 

ゲームにはそういったプロになれなかったときのメリットが乏しい。凄いと伝わるどころか分からない人にとってはただ気持ち悪いだけだし、別にSNSでも特にいいねが集まるわけでもないし陰キャ男性がただゲームしていても評価されるわけではない。

それどころか体力は落ちていくし、自分の場合Switchの携帯機版ライトなので寝転んでやっているだけで、暗い部屋でカタカタPCやってる姿などもおじさんになったとき思い出にはなりえない。

 

よくゲーム動画で評価されるみたいなのも本人の実況トーク力やルックス、喋り方や声、エンタメ力であったりとそもそもの人間の魅力やスペックが重要になってくるし人に面白く伝える能力とゲームのプレーはまた別だ。

特定のゲームだけ上手くなっても他のタイトルは素人レベルなので潰しが効かない。

ゲーム動画を投稿したら同じゲーム好きから評価されるというのは幻想で結局SNS上のいいねは人間関係でしか集まらんのですよ。結局そういうゲームのプレー以外の努力や手間が重要になってくるし大部分の人間はいいねもされずに再生数は伸びない。

 

ただこれらのことはそもそも順序が逆だ。eスポーツやゲーム動画で成功する人って典型的なゲーム廃人の社会不適合者ではなく、そもそも他のジャンルでも成功できる人間スペックの高い人というのがまず一つ。

 

次に現実のアクティブなスポーツをそもそもできないからゲームに逃げてきているわけで、ちゃんとしたスポーツをしておけばもっとよかったというのが成立しない。

FCバルセロナサッカー日本代表でゲーム内では活躍している自分も、現実ではそこらのフットサルサークルですら通用しない。まず走れない、走るための体力や気力がない。

寝転びながらスティックをカチャカチャするドリブルでは世界一になれるが、現実はそんな走るだけで疲れる。昔はちょっと草サッカー程度の練習はしていたがお酒を飲むようになって以降そういう気力はない。体がひたすら重い。

 

まず現実のサッカーなんてやる環境や相手がいないしわりとお金はかかるし、他人のスケジュールにも拘束される。

そもそも自分は運動部や体育会なノリが苦手で運動神経もよくないから中高帰宅部をやってきた人間なので、ある程度運動できて経験もある人達で形成されたコミュニティは合わないしよくネットのなんJを見て野球に興味持ったがネットで募集してる草野球は怖いし行ったら結構ガチな経験者の集まりで全然初心者歓迎じゃ無かったみたいな話はよくある。

そしてゲーム実況で声出しやVCということすら嫌な超がつく古典的なド陰キャである。自分はそういうのは酔ってるときじゃないと出来ないけど酔っていたらゲームができないしする気ではなくなる。酔うと普通に話だけダラダラしていたいしプレーのレベルや質も落ちる。

 

そのためにゆっくり実況もあるがそれを編集で作るのもわりと労力のいる手間でそれで再生されるとも限らない。FIFAは30秒のゴールシーンぐらいが現代には合っている。TikTokで音楽をつけるというやり方もあり、こちらは選曲次第ではいいねはあるが、ティックトック内でその時流行っている曲に左右される感はある。

 

結局そういうもろもろのプレゼン力や人間スペックがそもそも必要なのでそれができる人達って別にゲームじゃなくてもいいんすよ笑

そういやって応援や支援、人気を集められる人達はまずただの陰キャじゃなくて何かしらスキルがある優秀な陰キャだ。

 

これはよく「今はeスポーツ選手にも陽キャやイケメンはいる!」という擁護にも言える。

いるかもしれないが、まずあんたではないだろうしその陽キャイケメンは俺らみたいにゲームにすがらずとも他でバリバリやっていける人間っすよね、と。

 

他のジャンルでも成功できる人でもなければゲームなんて潰しが効かないし、リアルなスポーツのようにそれをするだけで副産物が得られるわけではないのがeスポーツであるという現実。

ただそもそもそういうスポーツができたらゲームなんてマジにならずスポーツやってるという笑

 

格ゲーの底辺ランカーみたいな奴らは現実のボクシングジムに行く気力や勇気が無い奴らなんすよ。それは自分がフットサルサークルやサッカースクールに入れないことと同じ。殴られたくないしスライディングで削られたくない、と。陰キャに優しくない人が多そうなとこは自動的に無し笑

そうやってボクシングジムでスパーリングするだけでも身体は締まり充実感も得られるが(適度な運動は幸福感をもたらす)、我々のような人種はゲームやってストレスだけを得ている。しかも年齢と共に衰えていく。

現実のサッカーだとド下手だろうがレベル低かろうがまずそこそこ走れるおっさんというだけでめっちゃ凄いし、格闘技で筋肉つけてるおっさんなんかも見栄えがいい。ちゃんと運動をしているというだけで婚活男性の上位に入るだろう、それくらい皆運動しない。

自分はサッカーゲームで見栄えが良くなったわけでも体力がついたわけでもない。というか運動なんかよりお酒を飲みたいから、二日酔い状態でもできるゲームをやっているだけだ。

 

格ゲーやってる奴で実際喧嘩強くなった奴がいるか?むしろずっと前かがみでゲームして猫背が進行して退化しているだろう笑

ゲームのコントローラーを扱うのにめちゃくちゃ握力が必要だとすれば腕だけ鍛えられた奇っ怪な体型が完成するんだろうかとも考える。

性格やコミュ力の面でもたぬかなが「170無い男には人権がない」とゲームの身内のノリで炎上したがゲームって体育会で学ぶようなコミュニケーションみたいなのは身につかないわけだ。だから身内のコミュニケーションだけで社会不適合者が育つ。

これがHey! Say! JUMPの山田涼介が知念侑李とVCしてFPSばっかしてるみたいな爽やかな奴ら同士の関係であれば良いがそれこそ「ゲーマーにもイケメンいるから」みたいなこちらの人間には虚しい話である。

 

そして大人になってからのゲームなんて幼少期のような思い出にはならないとよく言われることだ。

リアルで集まってやってたあの時代には戻れないんだよなぁ。

レートシステムやオンライン対戦が普及してローカルコミュニティでワイワイ自分がトップになれて強いと勘違いできるとか、各々のゲーセンごとに特色のある猛者がいるという時代でもなくすぐ攻略情報が普及する。

スポーツの場合個々人の身体能力があるので映像があるからと言って再現は簡単にはできない。無論ゲームもスーパープレーは簡単に真似はできないが模倣は現実のスポーツより容易といえる。

ポケモンなどはパターン覚えればすぐに真似できる典型だ。

自分はもう育成や対戦は辞めてストーリークリアだけで終えるようになった。個性あるパーティで競い合う時代でもないし、FPSも昔はネタ装備で戦うという動画多かったが今は有益な攻略情報優先だと相当昔からそうFPS動画を見ている古参ゲーマーの友人は語っていた。

 

趣味やこだわりで個人がやってる動画自体がそこまで伸びないし評価されないというのは自分自身も感じることではある。こういうプレー面白いなとゲーマー仲間で称え合う感じではないというか。何気ない個人の感じを見たいし投稿したいけどそういうのってあまり評価されないし表に出てこない。

かと言って人間関係や人付き合いでいいねを集めても「この人中身まともに見てなくて社交辞令で適当に押してるだけだろうなぁ」となってくる。

SNSのゲーム投稿って関係ない人は通りすがりで見てるだけでいいね押してくれず、関係ある人は内容見てなくて人付き合いでいいねを押し合ってるだけみたいなので、そういうのじゃないんだよなぁとあまり嬉しくない。

本当は純粋に見てる人にもっと評価されたいのだけど、そこまで集客するのは難しいという壁にほとんどの弱小投稿者はぶち当たる。

 

そしてプレゼンアピールや営業フォロー(その後返されたら外して自分だけフォロワー稼ぐクズが多い)のように結局プレー以外の努力が必要になるが、まあ競技の魅力や自分のプレーを広報することは競技を続ける上で現実でもマイナースポーツの選手は皆やっていることではある。しかも彼らはドーピング対策や身体づくりもしっかりとやっている。

そういう人たちはそもそも社会能力が高く競技に対する情熱も凄い人間としてのエネルギー量が凄まじい人たちだ。

 

よく「流行りや人気のゲームをすればいい」という意見もあるが、レベル関係なしに初見のプレーで面白くできる人ってそもそもエンタメ能力が高いとか、Vtuber若い女の子がやってみたみたいな希少性や需要があるスペックを持っている。

そしてゲームには適正があるので好きでこだわりがあって得意なものでなければ続かない、少なくとも自分は。具体例として自分はモンハン始める意欲はあったのだがやってみて3D酔いに悩まされ体質にあってないとギブアップした。二宮和也みたいにゲーム全般好きでどれもある程度得意というのは絶対才能だ。

そして好きでもないゲームをビジネスでやるともはやただの仕事だ。それを割り切れるのはそもそも要領がいい人間である。

自分が評価されやすいゲームで成功体験を積むというのもあるだろうが。まあ自分はいいねはそんな集まらないけど再生数はYouTubeで一桁や絵を描いてPixivで二桁なんてよりマシだからSNSFIFA動画やっていて、これが良くも悪くも到達点になっている。ここからもう1段階上げては行きたいところだが。

 

特におっさんになってくると他のゲームをする気が無くなるし、ただ動画で人気を得たいのであれば他に投稿するものを見つけたほうがいい。

ゲームのタイトルにこだわらず再生数優先であればそもそもゲーム自体にこだわらなくていい。

サッカーが好きでサッカーのプレー内容に拘りがあるから自分はそれをFIFAで再現したいわけで。逆にポケモンで表現したいことはもうなくなったし、身内で新作クリアしてあの場面が良かったと話をするだけでいい。

自分にしかないプレーができないゲームはやっててもそこまで面白くはないし、WOTという戦車ゲームもやっていたがまず金がかかりすぎる。自分はまずPC修理費用が無いというそれ以前の段階だ。

 

初見プレーでレベル関係なく需要あるのはまずやってるプレイヤーである投稿者が面白いとか人気集められるスペックがある人に限られる。そうでなければ専門性や競技レベルの高さを持っていなければならない。

そしていい年してくると新しいゲームはプレースキル向上という意味で厳しくなるため前者も後者も相当な努力を要する。自分はFPS系は始めた年齢が遅いのもあって才能の壁にぶつかり即引退した。格ゲーも同じでやれるゲームが限られる。

音ゲーはやったことがない。「このゲームは遅く始めても大丈夫」というのは、もうなんかゲームを好みで楽しむことより結果重視になってが本末転倒になっている。

 

数年前友人の家で何作かやったことないゲームをプレーをしたのだが、それらは身内と対面でやってるから面白く一戦したぐらいで満足で、もうあとは見てるだけかゲームすらせずお酒飲みながら雑談というこれがおっさんの現実だ。戦国無双なんかはエディットでお互いの武将をふざけて作ってる時が一番楽しくてその後一番簡単なモードでクリアするというこういうのが結局一番懐かしい思い出になる。そのとき他にはNARUTOのゲームでテマリというキャラを使ってオンラインで奇跡の1勝をしたときは今でも語り草だが、もう自分はそれで燃え尽きた笑。

 

年取るともはやそれぞれのゲーム体験談語るぐらいしか楽しみがなくなってくる。そいつがずっとやってたガンダムオンラインがついにサービス終了した、とかそんな話をラインでするぐらいだ。

 

荒野行動だのフォートナイトだのは若い子もやっているけど自分はスマホでやるゲーム全般ついていけない。そもそもFPSやるより自分はエアソフトガンが楽しいのでこっちはリアル寄りだ。自分はFPSはそこらの女子よりできないだろうけど、エアソフトガンはまあ使えるのでおそらく動画作るのであればエアガン動画でも作ったほうが再生数はあるだろう。

そもそも金と場所がないが。

 

どのゲームやってもプレーレベルに関係なく人気を集められる人か、専門ジャンルもって高いレベルで動画を作れる人で無ければ有象無象の投稿者になる。

そもそもeスポーツ選手の選手寿命自体短いわけで、いろんなゲームの選択肢があるのは若者だけ。25過ぎたら気力的にも経験的にもずっとやってきて好きなジャンルじゃなきゃ続きまへん続きまへん笑

いくら流行ってようがやらないやらない。

金かかる上にすぐ廃れるソシャゲはやってられないよ。

テコンダー朴の作者人権派義士みたいにキャラ的にアイマスだったのに急にウマ娘にハマりだして面白いとかだったらいいけども。

 

究極のところ自分はFIFAを将棋やチェス的に見ていてまずサッカーの追求というもっと大きなテーマがあるその中の一部であり、一生続けられるジャンルだと考えている。自分で表現したいプレーが無いゲームは目的がはっきりしないから再生数、人気、評価がなきゃ皆続けなくなってしまう。だったら最初からこだわりがあるものだけやるべき。

投稿しなくても続けられて自分だけで録画した自分のプレーみてニヤニヤできるぐらいの愛がないと駄目だねほんと。おじさんができるゲームはそうやって少なくなっていく。

 

もちろん子どもの頃やったことなかったけど大人になって買えるようになってやってみたゲームにハマるみたいなこともあるだろうが。ファイナルファンタジーとテイルズは一切やったことないのでそういうのをやってみてもいいんだろうけど、今までやってこなかったというのはやはりそれほど興味がなく刺さらないのだ。

 

自分は鬼滅の刃ドハマリしてスイッチも持ってるけど別にそれで鬼滅のゲームやろうとも思わないしなぁ笑

スイッチ買ったときは色々やろうと思ってたけど結局FIFAしかやってない。この前ダイパリメイクをやっとクリアして、一応バイオレットもやるが。

ゲームやって有意義なのはそれこそポケモンみたいにそのキャラ好きになって絵を創作するとかで、これはスポーツやって体力つくみたいな「何かが残る趣味」で昔は自分もやっていたが今はそこまで情熱はない。

 

なんだろうなぁ自分は現実のサッカー選手にははまるけど、もうキャラクターものにそんな興味は無いのだろうしこれが大人になれば普通のことだ。そもそも幼稚なキャラクター趣味にずっとハマってる大人は嗜好が幼い。いや鬼滅の刃にハマって今もコードギアスガンダムSEEDの再放送を楽しみにしている立場で言うことではないが。それで言えばギアスのソシャゲもCMやってるけど特にやる気にはならない。

こう言っては何だが歴史上人物や実在のアスリートの方が余程面白い。映像の世紀バタフライエフェクトやアナザーストーリーズ見ながら酒を飲んでる方がワクワクするという。メッシやクリロナも毎日何かあって話題が尽きない。結局リアルの偉人やアスリートは創作キャラ以上にキャラが濃いんだよなあ笑

 

まとまりのない話になったが、そろそろ締めると「eスポーツやゲームの弱点と利点」というタイトルの意味で言えば自分のFIFAを例にすると基本、身体能力やコミュ力の向上に繋がったというメリットはないどころか下がっている。

更に一昔前にリア充パーティゲームとしてワイワイ集まってウイイレをしていたような青春が得られたわけでもないしSNSでいいねが増えてよかったということも無い。ただ再生数がちょっとはあって、誰も見てないよりはやりがいはある。

 

そしてそもそもリアルでアクティブにスポーツをする気力も体力もスペックもないから、まずゲームをやっている。

自分がこれまで決めてきたゴールのプレーには満足の行くものもあるし、現実のサッカー観戦でゲームで気づくようになって意識するようになったこともあるので役立っていなくはない。それに自分はINTP型の内向型なので自分が突き詰められる本当に究極のプレーができればそれでいいわけだ。

それで再生数や評価があるのが理想ではあるけれども無きゃないで自己満でいい。

 

ゲームの利点は自分の反射神経や動体視力に左右されるプレー能力は衰えるが、筋力や走力などは元々必要ないので衰えないしトレーニングせずとも得られる。これが現実のスポーツと違いメリットだ。

自分の場合それはサッカーゲームだが、FPSでもリアルにサバゲーをすると重い銃を持って走り続けるのはキツイだろう。サバゲーですら太った女性が激痩せして美人になるほどだ。そのサバゲーで痩せた女性は凄くメリットを得ているが、逆に言えばゲームはそんなキツイことをしなくていいのもメリット。

 

自分は少食だし酒飲みたいから現実のサッカーのためにフィジカルトレーニングするのは諦めたわけでね。飲酒は筋トレや走る競技と相性悪い。自分は草サッカーの経験でなでしこジャパンより飛ばないシュートだとわかっているのでゲームだと脱日本人級のミドルシュート打てて楽しいよ笑

幼少期から足の遅いしリフティングできないし、運動部のノリ苦手だし全てがサッカーに合ってないけどゲームでは自分のセンスを発揮できてパスでもドリブルでもスキルゲームの上位に入るほどだ。ゲーム以外をしようにもゲームしか無理で、もう年齢的にもなおのこと若者にはついていけない。

だから自分はFIFAは人とはやらないし自分一人で妄想するのが気質に合っている。時々有吉ジャパンのワイワイ感を見るだけで良くて自分が人とやりたいとはそもそも思っていない。

前述のように自分は人とゲームをするよりそれぞれのゲーム体験談を語り合うのが楽しいタイプだからだ。

ゲームにそこまでメリットは無いけど結局ゲームでしか生きられない陰の者ということである。

性的な魅力がある女性=生物学的な強メスである

逆に性的な魅力に乏しい女性は社会的にはいくら強者女性であっても生物学的には弱者女性、弱メスとなる傾向がある。

そして男性の生物学的な強弱は大体社会的な強さと一致すると言える。

 

具体例を言えばまさに吉田沙保里ゆりやんレトリィバァで、彼女らはアスリートやコメディアンとしては優勝経験のある間違いなく優秀な強者だが生物学的には弱者女性となる。

女性の場合、なるべく優秀な男性の遺伝子を勝ち取った方が勝ちというゲーム性なので、いくら本人が優秀でもメスとしての性的魅力がなくていいオスの遺伝子をゲットできず途絶えてしまえば生物学的には負けなんすよ。

 

ひろゆきがいいそうなこと「性的な魅力がある女性はその分、多くの男性が競い合うので最終的に一番優秀なオスが勝ち残りやすく結婚や恋愛などでいい待遇を受けやすくなるので強者女性です。逆に性的な魅力に乏しい女性は妥協したオスしかやってこないのでどうしても弱い立場になりがちなんすよ笑(カメラ目線でドヤ顔)だから僕は女性の生存戦略としてよく美容や整形、ダイエットにこだわって性的魅力を磨くことは間違っていないと思うんだよなぁ」

 

「究極、自立して社会的地位も高いけどモテない婚期逃したおばさんなんかより、可愛いだけでハイスペ男性と結婚して専業主婦と言う名の名誉ニートやってるみたいな若くてきれいな女性の方が生活水準高いなんてことざらにあるんで笑」

 

そもそも女性の場合、美しいという遺伝子を引き継いで継承するというだけで生物学的な役目は果たしているし、美しければどこかのタイミングで未来において強者の遺伝子を得られる確率は高まるので美人以外に取り柄がないなんて女性はそれこそが一番の取り柄と言ってもいい。

 

そもそも女性自体が内心、有能なブスより無能な美人に憧れてどちらかしか選べないのであれば十中八九後者を選ぶ生き物である。

男性の場合ブサメンのお笑い芸人やスポーツ選手も超一流であれば憧れるし、藤井聡太のように冴えない陰キャっぽい見た目でも実力があればオーラもあってなりたいと憧れる。

反面、女性は究極のところ可愛いけど無能で箸以外は自分で持たないようなお嬢様やお姫様になれるんだったらそれでいいと考える。

男が能力で活躍することに同性としての憧れを抱くのであれば、女は美貌で大切にされることに憧憬の重きを置くわけである。

 

そして実際その判断は間違っていない。無能な美人と有能なブスであれば女性の場合、子孫を残しやすいのは圧倒的に前者だしなんだったら楽でいい生活もしやすい。これは結局世の中男性社会で、男性が能力のある女性を求めていないという背景もあるだろう。

能力はあるが愛されない女性は身長高い女性と同じで、男性には愛されづらいし、かと言って自分より格下の男性に下方婚するということは考えられない。そして社会ではガラスの天井に阻まれるので、程々の能力で美人なくらいが幸福度は高い。東大女子よりMARCHぐらいが一番モテるわけだ。

 

そもそも人間という生き物がそうプログラムされているのである。生物学的には女性の役割は子供を生み育てること、優秀な強者の遺伝子を手に入れ宿し継承することなのだ。これは自分の優生学的な思想というわけではなく、生物の仕組みがほとんどの動物はそうなっているというだけだ。

そういう意味で女性は美しく健康的で若いという時点で上位に入る強者だし、社会的能力の高さは必ずしも生物学的な強さ=性的な魅力とは繋がらない。

 

男の場合イケメンというだけで無能なのにモテて専業主夫にまでなっているケースはレアで、生物としての人間がそういったオスを求めておらず自然とどの社会も男には子育て以外の社会的役割を求めるようになっている。

まあ南国で男は怠けて働かず女が働いてるなんて事はあるが、それはまずそういった女性を配偶者にしえる時点で強者だ。

 

ちなみに日本は男性の収入に対する女性の依存率が世界でも上位なので、離婚したいが経済的に自立できないので離婚できない女性がとても多い国になっている。社会的強さが無いが生物学的な強さで結婚できた女性がそれだけ多いということを意味する。

 

究極のところ美人でそれ以外は取り柄がないみたいな女性でも男受けファッションをして、男性を楽しませられる会話ができて下ネタ耐性あって、性行為好きでいろんな要求に答えられる女性は、高学歴だがモテないし性に対して警戒心や拒否反応を拗らせている女性より幸福度も収入も高い勝ち組な強メスになれるわけだ。

オアシスの光浦靖子がまさに後者で50過ぎてなぜ私は結婚と出産ができなかったのかと拗らせたコラムを書いている。

生物学的な魅力に乏しい女性は一生この呪いから逃れられない宿命が遺伝子にプログラムされている。

 

だから性的に見られるというのは女性の才能なのである。

綺麗な猫が可愛くて撫でたいから人間にうまく取り入って大事にされて、野良猫や他の生き物より恵まれた環境で楽に長生きしているが女性の美しさや若さはそれと同じなのだ。

可愛い猫と可愛い女性はそうやって生き残ってきたわけだ。

ブスや年増のおばさんだって猫を可愛がってペットにしている人はいるだろうが、それと同じように男は美人や若い子をチヤホヤ大事にするようにこれまたプログラミングされている、そういう本能なのだ。

 

無論可愛い女性や猫も性被害や虐待に合うこともあるのでメリットばかりでは無い。ただ圧倒的に優遇されやすい有利な形質であることは間違いない以上、性的に見られる女性はもうそれは強者であり羞恥心や自己嫌悪感を抱くべきことではないのだ。

性的に見られる事を気持ち悪いと思う場合もあるだろうが、女性が性的に見られなければ生物学的な弱者である。

 

男性、オスは性的な魅力でメスの遺伝子が健康的で能力が高いかを判別している。

例えば女子陸上の動画だけなぜか男子より人気だが彼女らは性的魅力と身体能力が高いとオスの遺伝子が判断しているからそれだけ人気なわけだ。

健康的で美しく身体能力が高いメスは間違いなく優秀だ、異論は無いだろう。

 

以前数人の女性インフルエンサーの特集をやっていたが、その中のひとりが「金持ち男は健康的な女性を好むのでジムに行くと勝ち組男と出会いがある」と語っていた。

これは弱者男性が弱っていたり弱そうだったりするメスを求めるが、自身のある優秀な強者男性は健康的で強いメスの遺伝子を求めるという競争原理である。

だから派手な格好をすると弱オス寄ってこなくていい、みたいにいう女性もいるわけだ笑

 

そういう意味で、性的な魅力を磨くことは女性の人生の質に直結するしそれこそが女性の本分であり一番の役目である。

ひろゆきっぽく言うのであれば「性的な魅力が高い女性は勝ち組になりやすいです」というわけである。

男性も無論、オスとして性的魅力がある男性は低所得や低学歴でも、オスとしての魅力が無い弱そうな高学歴校所得のブサメンやチー牛なんかよりいい女を抱けるなんてことはあるが、女性の場合、性的な魅力が人生を左右する要素で占める割合が男のそれより遥かに大きい。

男の場合、何かで有能であればそれが性的魅力に繋がることもあるが、女の場合性的な魅力が無ければ他でどんな活躍をしても無駄という残酷な現実があるのは最初に例に上げたお二方が証明している。例えば竈門炭治郎の声優で有名な花江夏樹は見た目は圧倒的に冴えない弱そうな陰キャだが炭治郎声という今男性声優でもっとも人気がある強者である、これが社会的能力が性的魅力に繋がるという男性の一例だ。花江好きの女性ファンはいくらでもいるだろう。

 

女性ということ自体が性的な魅力なわけであるがそれは最低限の穴モテ需要に過ぎない。

例えば吉田沙保里の遺伝子が継承されないことはもったいないとよく言われるが、「美人であればどこかで将来優秀な遺伝子を得られる」と前述したように前者の遺伝子が途絶えたところで後者の遺伝子がどこかで継承することになる。美人の孫がその代で強者男性と結ばれることだってあり得るので、とりあえず美しいというのはいつか可能性がある。アスリートと結婚したアイドルなどまさに自分の代で優秀な遺伝子を得た好例である。

坂本勇人にけつなあな確定された女はそれをしようとして失敗したが女性の場合上昇婚は男性のそれよりは簡単だ。

 

ゆえに能力が高い女性より美しい女性の遺伝子がトータルで見れば有利ということになる。はっきり言ってしまえば女性の場合、自分が美しければ遺伝的に高い能力も収入も男任せでいいわけだ。だって一番の役目を美しく健康という時点で果たしているわけだから。そのために女性は日々男には無い生理と戦ってくれているわけだ。ブスやおばさんだとその努力も意味をなさないというだけで。

美人や若い子が優遇されるのは生物学的な必然なわけだ。

 

Sexy Zoneの曲に『男 never give up』という曲があって「若さは武器だから」という歌詞があるが曲名と違ってそれは女こそ武器である。

例えばそこらのなんの取り柄もない普通の男子大学生や男子高校生が若いというだけでおっさんの嵐メンバーよりモテるなんて事は無いが、アラフォーの美人女優よりそこらの女子大生を選ぶ男なんていくらでもいる。

 

もし自分が性別逆転してアラサーの女性だったら生物学的には性的魅力のあるそこらのイケメン大学生より、若さでは負けてるけど能力や社会的地位は抜群の相葉雅紀おじさんと結婚したいと思うだろうが、今の自分の男性の立場だったら深田恭子よりちょいブサなそこらの10代JDを余裕で選ぶし別に美人でさえなくていい。

 

このように男の若さは能力あって評価されるが女の若さは能力にさえ勝るまさに武器である。それもこれも若い女性は遺伝子的に健康だからであり=性的な魅力だからだ。若さ=美しさ=健康さ=性的魅力だ。全部、自分の遺伝子を有利に継承しようとする生物の本能に成り立っている。だから美人や若い女性が優遇されることにブスや年増の女性は文句を行ってはいけないし、弱者男性は嫉妬してはいけないのだ。そういうプログラムなんだ。

 

「有能なブスやおばさんの遺伝子は損失しても若い美人がどこかで有能な遺伝子を取り戻すし、有能な男性の遺伝子はだいたい継承されるから問題ない」

これを著名人が言ったら物凄くバッシングされる失言だけど、事実女子アスリートなんかを見てもこれは証明されている。

吉田沙保里の遺伝子が継承されずとも、ハゲの岡崎慎司やブサメンの鎌田大地には美人の嫁がいるわけだ、それで優秀なアスリートの遺伝子は継承されるし学問でも同じこと。将棋のハゲでブサの渡辺明にさえ嫁はいるわけだ。

 

女の遺伝子は優秀でも醜ければ途絶えて継承されないが、男は醜くても優秀であれば遺伝子を残せるという事実がある以上「性的魅力が高い女性は強者女性で、そうでない女性は弱メスである」という理論は間違っていない。

無論男女どちらも無能ブスである場合は女性が穴需要がある以上、淘汰されず子孫を残しやすい。

 

実際、東大生の父親は高学歴で優秀なことが多く、祖父もまた同様なのでその時代ごとに美人を嫁に出来て世代が渡るごとに洗練され今は性格も顔も頭もコミュ力もいい到底敵わないようなスーパーコーディネーターのような遺伝子強者の東大生も多くなって、昔ほど典型的なガリ勉東大生は少なくなっているという話がある。それこそ松丸亮吾だろう笑

兄が炎上系メンタリストということ以外はパーフェクトな遺伝子をもらっている。

 

男で優秀な遺伝子が継承されないケースには3つある。

1.中田英寿のように女性に興味がない。

 

2.ジャニーズ事務所のように状況が結婚させてくれない。

 

3.中居正広坂本勇人のように独身の気軽さを満喫したいため結婚意欲がない(これは女性の場合でも天海祐希のように当てはまるし、女性の場合年齢のタイムリミットという問題も男性以上に付随する)

 

そう考えると美人の遺伝子というのは遺伝の継承における潤滑油や輸送船のような役割かもしれない。

女性の場合、20代後半から結婚ラッシュが始まるが美人であれば高確率で子孫を、それも優秀な遺伝子を残しやすいので前述のように有能だが不細工な女性の遺伝子が途絶えても人類全体の遺伝子保存では問題ない。

 

それどころか有能ブスは結婚や子育てを美人に任せてせずに社会の役に立ってもらったほうが寿退社されるよりありがたいとも言える。

世の中には美人は結婚して辞めるのでブスを採用する会社もあるようだ。

逆に美人を採用すると日本人は社内恋愛婚が多いので男性社員が辞めなくなる効果もあるという特集を見たこともある。

社会は残酷なものだ、優秀なブスは子持ち家庭の為に働いて納税して、美人は悠々自適に控除され専業主婦をやっていたりする。事実上独身税が取られているわけだ。

アスリートの嫁は決して楽ではないが美人で若い頃に出会いがあって運良く結婚できたなんて話、それこそメッシのアントネッラ婦人なんかがそうだ。

 

日本のアスリートだと平愛梨がや里田まいが料理もして出来た嫁だと言われているが、アントネッラはセレブな生活して全部そういうのは家政婦頼みで料理の写真なんかを上げているなんてことはない。海外アスリートの妻はそんなことをしない。彼女らは子供生むことが最大の貢献である。

メッシには三人子供がいるが将来バルセロナのユースに入るだろうし、ファンからすればメッシの子供を生んでくれてありがとうと感謝しかない。

そしてそういった子持ち様の為に有能独身女性は働くのだ(男性は結婚しようがしまいがそもそも働く)

 
 
 
 
 
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そして我々スポーツファンが選手の子供を育ててくれてありがとうという感謝は小さな規模では世界中で起きている。

昔、「子どもの頃から真面目で親に迷惑をかけずに自立して働いてる独身の姉と、若い頃はずっと反抗期や遊びで親に迷惑をかけてきた不真面目な妹が結婚して孫の顔を見せてその姉より今では妹が両親に感謝されて、姉は妹みたいに結婚もしないで親孝行になってないと扱われてモヤモヤする」という漫画を読んだことがある。

これはまさに美人の嫁と、結婚できない有能ブスで感謝されるのは、悲しいかな前者になってしまうわけだ。これが独身でキラキラ充実してる現代の新しい女性像であればよいが、弱者女性であれば弱者男性と同類どころか同性の同じような仲間が少ない分男性より孤独感があるだろうし自尊心は下がらざるを得ない。

 

女性が結婚したいのにできない理由はシンプルに性的な魅力に乏しい弱メスという以外にありえないからだ。

性的に魅力が高ければ女性は絶対結婚できる。

意欲があるにも関わらず結婚できない女性は、女性としての性的魅力が乏しいからにすぎない。高望みして結婚できないというのは、もっと美人でスタイルがよくて愛嬌あって若いなど性的魅力が高ければその願いは叶うわけである。男が結婚できないのは能力が低い、性的魅力が低い、コミュ力が無いなど複合的だが女は理由が一つしかない。コミュ力も社会的能力も無くても女性はつがいになれる。よって性的魅力が低い時点で女性は生物学的な弱者女性だと確定する。天海祐希は他人と同棲が絶対できないから結婚する気無いだけで、性的魅力はとても高い部類だ。決して彼女に共感して自己投影している弱者女性ではない。

 

男の場合、性的魅力が高ければそれだけで結婚できるわけではなく社会的能力が低ければ難しい。無論、専業主夫が存在する以上例外はあるが。

逆に女性は社会的能力が皆無だが性的魅力だけで結婚して専業にまでなっている人はいくらでもいる。そもそも男の場合、社会的能力がが性的魅力にもつながるからだ。女性の場合ここは一致しない。元々性的魅力がある女性が社会的能力で更に魅力的になるというだけだ。

極端な話、社会的能力だけで結婚している男性はそれこそ将棋の渡辺明のように存在するが女性の場合不可能である。究極のところ男性の生殖機を勃たせられないし要求に応えられない女性は結婚できない。逆に生殖機を勃たせられる女性はどんな釣り合わないスペックでもそれだけで結婚できる場合がある。男は勃ってしまった生殖機に逆らえないのである。つまり陰経をどれだけ強く、多く勃たさせられるかという能力こそ女性の強さである。

生物学的な強者女性=男性を勃起させられる女性。オスはそうやってメスに翻弄されるプログラムが施されている。

 

逆にそれができなければ社会的には強者でも生物的には弱者女性で、社会的強さは女性の性的魅力にさほど影響を与えない。

女子アスリート最高峰レジェンドの吉田沙保里が、例えばサッカー日本代表南野拓実と付き合ってるとか、お笑いで男性芸人を抑えて優勝したゆりやんレトリィバァがお笑い好きのSixTONESジェシーと付き合ってるみたいな組み合わせは男女逆だったらわりとある。

 

それこそ今話題の源田壮亮の奥さんは元乃木坂46衛藤美彩のようだが、そこまで旦那はイケメンには見えないし、イケメンでもないしチビな霜降り明星せいやと付き合いたい若手アイドルなんていくらでもいるだろう。

板野友美の旦那も野球選手だが、頑張ってスポーツで出世して憧れのアイドルと結婚なんてのは男だとよくあるし吉田沙保里級のレジェンドが男子アスリートで増田貴久が元女性アイドルだったら憧れのまっすーと結婚できていただろう。

ゆりやんジェシー、さおるんとまっすー、性別が逆だったら余裕でワンチャンあるが、現実ではノーチャンスということだ。

 

つまり「女性は男性より性的な魅力が生物学的な強さを決する要因と成りやすい」という真理がある以上、性的に見られる女性は強者女性であり性的魅力を磨くことは強メスに近づくことを意味する。

そして配偶者やパートナーを得やすいのは男性より女性だが、社会的能力で相手の質を上げやすいのは男性だと言える。

 

女性は性的魅力が低ければ能力や実績に対してパートナーの質が見合っていないということがよくあるが、男性は能力や実績によってルックスに対して相応以上の配偶者を得ている場合が往々にしてある。もっと簡単に言えば性的魅力が低いブスな女性アスリートや女芸人は独身なことが多いが、逆だと美人嫁がいたりモテたりすることは当たり前だ。女性の場合、生まれ持った性的な魅力の無さの前では社会的能力が焼け石に水な面はあるというわけだ。

これは男性は異性を可愛いかどうかという絶対評価で判断し、女性は異性をその場や時代の状況という相対評価で判断することに起因するのではないかと考える。

 

ただ前述のように能力の高い女性の遺伝子が途絶えても、美人が能力の高い男性の遺伝子を継承するわけで人類という生物全体として、その有能な女性の能力に対して相応の配偶者が得られないという苦悩は問題にはならない。それは人類という生き物の女性は能力より性的魅力の高さを求められているという証左にほかならない。

いくら能力があっても結局のところオスである男性が交尾をしたいと思わなければ新たな生命は誕生しないので、オスを誘惑する性的な魅力というのはこれは種の保存に取って必要なことでありどの生物もやっていることだ。長期的な人類の存続という意味では、優秀な女性より性的に魅力的な女性が種の保存に重要な役割を果たしているとも言える。意志があればほぼ美人は結婚して子孫を残すチャンスを得られるが、有能なブスはそうとは限らないからだ。

 

そして女性の性的な魅力が世の中から消えれば男性は性衝動を持たなくなり絶滅する。女性の性的な魅力は人類という存在を支えている守護神のようなものである。美人の遺伝子は必ず存在してもらわなければ種の存続は危うくなるため、種の繁栄やという意味で重要な意味を持っているわけだ。

 

まとめ:人類は女性の性的な魅力と男性の性衝動によって繁栄してきた。

女子が考える理想の性を感じない女性:天海祐希、冨永愛

男性が実際に性を感じない女性:ゆりやんレトリィバァ3時のヒロインかなで、和田アキ子阿佐ヶ谷姉妹吉田沙保里、ぼる塾アンリと田辺さん

 

youtu.be

フワちゃんを乗せたタクシー運転手「僕ら男からすればなんとかレトリィバァみたいな女性は太ろうが痩せようがどうでもいいですねん」

これはめちゃくちゃわかる笑

 

女が考える「生理的に無理」の男版が「性を感じない」であって、実際女性から見ても好きではあってもそこまでなりたくないラインナップだろう。

 

女性は自分の女性性が気持ち悪く感じる時期があるものだけど、本当に性を男が感じない女になりたかったらどうぞゆりやんレトリィバァを目指してくれと笑

性を感じない女性ってゆりやんやぞ、本当になりたいんかと。

自分の身体がメスであることが気持ち悪い、と性を感じない女性に憧れる女性の殆どが天海祐希タイプではなく後者型だろう。女の考えるぽっちゃり体型と男が考えるぽっちゃりの違いと同じだ。

 

冨永愛さんはそもそも母親だし割と男的にはありな部類なんだよなぁ。

 

そもそもそのタクシー運転手は「フワちゃんは痩せはったらもっといいのに」と語っているようにフワちゃん、男子のノリでふざけてるけど色気や女子らしい可愛さもあるから「フワが女になるとこみたい派」と自分だけといるときもあんな感じであってほしい派がいる。自分は後者だけど時々前者も見たいフワデレ派でもある。

 

今の時代、見るハラだとか新しいハラスメントが出来ているけど性的に男が見ないというのはガチで女性として魅力がない女性ということだ。そういう路線を目指すのであれば反対はしないけど性的に女として見られていることはそこまで自己嫌悪感を抱かなくていいのではないかと思うわけだ。性的目線で見られている女性の方、それをどうか誇りに思ってください笑

 

好きな人にだけそう見られてもいいけど、それ以外の男に見られたくないというのは成立しない。他の男が性的に見ないということは好きな男も性的に見ないということである。

 

歴史の偉大な画家達、皆女性を性的に見て裸婦像を書き残してきたのである。性的な魅力=美しさである。

男だって結局オスとしての生物学的魅力なわけで女も同様ということ。女にメス性がなかったらもうそれは異性として見られない生理的に無理な存在というだけである。