elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

海外サッカーが意識高いコンテンツになりすぎていないか

海外サッカーというのは自分は紛れもなく日本人が見るべきコンテンツだと思っている。

それは日本のサッカーファン、サッカーをやっている人にとってもものすごく参考になる世界レベルのプレーだから。リーガエスパニョーラのプレーを毎日見ているスペイン人とサッカーが碌に報道してもらえない日本の環境で過ごす日本人。そのサッカー観のレベルというのは違ってくる部分があるようにも思う。

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1:海外サッカーにはサッカー以外の海外情報もある

そしてそれだけではなくサッカーにそこまで興味がない人たちでもなんとなく有名選手は知ってるとか何試合かだけは見たことがあるかとかいうぐらいには普及したほうがいいなぁと思う。

なぜならサッカーを見ることで結構国際感覚が身につくんだよね。サッカーというのは世界共通の人気コンテンツだし様々な国の人が出ていてさまざまな外国の事情も分かる。リアルな海外の情報が海外サッカーにはある。日本というのは国際ニュースの取り扱いがかなり小さかったり、世界で有名な人を全然知らなかったりする人が多い。日本の文化が一国でこれほどにまで盛り上がってるのは良い事であると同時に、海外のことをあまりにも知ら無すぎるのではないかという思いもある。

別にそこまで海外情勢の専門家のように詳しくなくてもサッカーを見てる程度のカジュアルな情報でも全然いいと思うんだよね。外国人と話すときサッカーがマジで便利なコンテンツだと自分は気づいた。スペイン人と話すときは、イニエスタの話だけで盛り上がれる、こういう世界共通コンテンツなのがサッカー。ネイマールジャスティン・ビーバーと写真とって仲良くしてるみたいな芸能エンタメ情報でもいいし、ドイツ代表をみることでドイツの移民の多さが実態としても伝わってくる。ユーロやワールドカップを見ることで国名を覚えたり、たまに放送される南米の試合を見て南米の雰囲気を理解したり。真面目に勉強するというよりも娯楽目的で見ているサッカーからリアルな海外情報を知るスタイルってすごく日本人のためになるんじゃないかなとも思う。

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2:海外サッカーの視聴は敷居が高い

しかしながら実際海外サッカーを見ようと思ったら簡単には見られない。有料契約をして、その試合時間に起きて、更に録画もして・・・となるとお金と時間が無けりゃできない趣味。そういう視聴環境を兼ね備えている人は日本人の何%だろうか。これに加えてサッカーをまともに語ろうと思えば雑誌や専門番組の視聴、専門サイトでの勉強なども必要になってくる。

 

見てる人と見てない人の差が歴然

見てる人はもうどんどん見る。でも100試合見てるような人間が101試合目を見てもその1試合の感動や影響ってそんなに多くないんだよね。

それよりも今までレアル・マドリードバルセロナの試合を一試合も見たことがないという人が、初めての一試合を見れる環境作りの方が大事。

特に子供とか。

大人になって一人暮らししてからやっと見れるコンテンツにしちゃいけない。

もっと楽に見れる環境づくりを進めていかなければならないのではないか。有料放送で見るという文化がない日本ではもっと別の報道をしていかない限り普及しない。いくら本田がACミランにいたとしてもそれを実際に見てる人はほとんどいなくてたいていはスポーツニュースでちらっと流れるだけ。それも日本じゃサッカーの扱い小さいしね。。。

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3:もっといろんな層の人が見るべき

見てる人はレアル・マドリードバルセロナの試合を100試合以上見ているが、実際は90分の試合を見たことがないという人が多数派。

地上波で見ようと思ったらクラブワールドカップでしかチャンスがない。

うぃー系の人たちとか、子供とか、なんとか女子とかインスタ大好きですみたいな人たちももっと見てほしいなぁとは思う。サッカーの強豪国はいろんな人がサッカーを見てる。一部のマニアだけがやたらとみているという偏った現象がサッカーでは起きてしまっている。

今の時代海外サッカーを見てる人は、意識高いサッカー部、サッカーサークル、フットサルを日常的にプレーしてる人とか、やたら戦術議論や選手の名前や海外系情報に詳しいマニア層が大半。

層が非常に偏りすぎている。

子供の憧れとしてもっと普遍的に存在していてもいい。

海外だったらサッカー選手というのがもっとアニメキャラクターとか芸能人とかそういう憧れと同じぐらいに普及している。日本文化のいい部分ではあるのだけれども、あまりにも芸能やアニメコンテンツ、ソシャゲなどが発達しすぎている。そしてサッカーが日常的な娯楽としては埋もれてしまい、また他にも人気スポーツが多く細分化している。欧州や南米ではサッカー選手はそういうのをもっと上回る特別な存在としてヒーローになっているそうだ。だからメッシやロナウドネイマール、ポグバに子供たちは物凄く憧れる。本田圭佑への憧れを含めてもまだ日本の子供たちのサッカー選手への憧れは欧州や南米の子供たちのサッカー選手の憧れの強さには及ばないのが現実だ。

それはなんでかと言ったらやっぱりサッカー選手の露出が少ない事。特に海外サッカーの露出や報道は数少ない。日本人選手が出ていなければほとんど報道されない。

日本の子供たちは日本人が出ていなくても海外サッカーをかっこいいと思うはずだし参考にしたりするはず。日本人ではないメッシが他のスポーツのアスリートと並んで日本でも人気になる。日本人にしか興味を持たないというような子供たちは案外少ない。

だからもっと海外サッカーを報道してもいいように思う。

炎の体育会TVとかでたまにメッシが出てきたりするけど、その時だけなんだよね。もっと海外サッカーを子供たちが何気なく好きなアニメとか好きなバラエティを見るような感じで普通に海外サッカーを見る文化になってくれれば日本のサッカーのレベルも更に上がっていくんじゃないだろうかとも思う。

炎の体育会TVじゃなかなかメッシの真の凄さは伝わってこない。

海外ももちろんコメディ番組とか多いんだろうけど日本はそういうバラエティ番組があまりにも多すぎる。欧州南米の子供たちが毎週末はサッカー選手というヒーローを当たり前に文化として楽しみにしているときに、日本の子供たちはどうでもいいようなバラエティ番組を見ている。

Jリーグが盛り上がれがもちろんそれは一番だけどもそれもまだ週末の文化としてはそれほど普及していない。

とにかく触れる機会がなく、敷居が高いのが現状

意識も高ければ敷居も高い

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4:日本人は今の時代ガチで凄いものを求めていない

本当は敷居が低い手段で見ることも可能。

例えばyoutubeでも海外サッカーは見れるけども今の日本の子供たちはその時間でユーチューバーを見てる。

ユーチューブはめちゃくちゃサッカー動画があるのにもかかわらず。探せばいくらでもすごいものが見れる便利な時代なのに、皆凄い動画を見ようとせず親近感やくだらなさを求める。

もう今時ガチでクオリティの高いものを見ましょうという考えがまず意識高いのかもしれない。

散々上で「素晴らしい海外サッカーを見るべきだ」と言ってきたけどもそれって意識高いんだよね。俺は意識高い発言をしまくってる人でしかないんだろうね

自分の考えを否定するというか、もうこのご時世こういう考え方って受け入れられないんだろうなとは思ってる。真面目に何を言ってるんだと。本田気取りかと。だからそれ以外の方法でどう普及していくか。

「素晴らしい物やクオリティの高いものがこんなにもありますよ!」というスタンスじゃ今の時代日本人は見なくなってきてるんだよね。

 

ゆるいもの、しょぼいもの、くだらないもの、身近なもの

今の日本の文化、日本人の嗜好というものはそういう方向性に向かってきている。

すごいスターがいなくなったと自分より上の世代は言うけども、年々その傾向は高まってきている。言ってる世代も上の世代に似たような事を言われている。

ゆるいもの→ゆるキャラ、芸能人のゆるいトーク

しょぼいもの、くだらないもの→ヒカキンみたいなユーチューバー系動画のしょうもないトークやくだらない遊び

身近なもの→AKBに多いその辺にいそうな女の子感。自分でも彼氏になれそう感

 

リーガエスパニョーラクラシコとかプレミアリーグマンチェスターダービーやらUEFAチャンピオンズリーグの決勝とか、そんなものよりよっぽどヒカキンの動画の方が見られてるという現実。特に子供たちには。

サッカーにおいて無限の可能性を秘めた子供たちが世界最高レベルのサッカーを見ずに、俺みたいなサッカーを遅く初めて10代でもないような人間が世界最高レベルのプレーを見ても正直仕方ない部分はある。どう頑張ってもプロになれない俺みたいな奴が見る機会で、もっと可能性にあふれた子供たちが見るべきだと思うんだよね。

見ても意味ないわけじゃないけども、俺みたいな奴ばっかが見ててもただ単なる娯楽でしかない。それがサッカーではあるんだけども、本当に参考にすべき子供たちが見る機会が少ないのはもったいない。俺みたいなんが見るより子供が見る方がよっぽどためになるけども、現実は俺みたいな層の人ばかりが見てる。

とにかく今の時代、クオリティの高い凄いものを求めてる人ってほとんどマニア層で、実際はみんな意識の低いしょぼいもので満足してるんだよね。

アニメとかだって壮大なスケールで近未来の戦争を描いたガンダムとかよりもアホみたいな日常アニメの方が流行る。もうみんなそんなすごいものを見るのに疲れてるんだよね。本当に凄いものに憧れなくなった時代。

ユーチューブとかでも調べれば本当は有名人のガチでクオリティの高い物もいっぱい見ることができる。海外の凄いアーティストの映像も見れるし、まさにメッシやロナウドの凄い動画や過去の試合、最新の試合のハイライト動画も見ることができる。

でもそんなガチで凄い物より今の子供たちはユーチューブのくだらないものを見るんだよね。とはいえ自分もフラッシュ動画を見てたし子供の頃ってそういう馬鹿馬鹿しいものが好きだったりするんだよなぁ。

自分だって「日本人はクオリティの高いものを求めなくなった~」と言っておきながらこういう個人ブログで素人感のある文章をリアルタイムで今書いてたり、過去記事でも「ネットのイラストはプロレベルの物より手作り感のある中二っぽい絵の方が面白い!」みたいなこと書いてるしね。自分もそうやってしょぼいものを求めてる側なんだよなぁと思ったり。

elken.hatenablog.com

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だからそういうご時世に「世界最強リーグリーガエスパニョーラで世界最高のプレーを見よう!」「バルセロナレアル・マドリードを見て日本サッカーのレベルを上げよう!」みたいにったところで皆興味を示さないし時代錯誤のアプローチなんだよなと思う。ましてお金払わないと普通は見れないしなぁ、しかも深夜だし。

そういうクオリティの凄いものや大正義感、大規模な盛り上がりを世の中が求めなくなったことって寂しくもあるよね。ユーチューブ動画みたいなものが流行り先に何が待ってる?多分何の凄い物が残らないんだよね。でもそうやって「文化史に残る凄いものが誕生しない!」みたいに言ってることがもうすでに意識高いんだろうね。

今の時代どれだけ意識低くできるか。

凄い車を持とうとか!凄い映画を見よう!とか、海外旅行をしよう!凄いスターをみんなで応援しよう!とかそういうのはある意味大艦巨砲主義のような冗長で無駄なだけのものになってきたのが現代。コンテンツの規模も何もかもがコンパクト化の時代。

手軽感、親近感、その辺にある感の方が重視され大正義感を望まなくなったし、追わなくなった。何でもなんでも細分化、コンパクト化、小規模化、親近感重視の時代。だから最近の世の中がしょぼくなったとかスターがいなくなったとか華やかじゃなくなったというのはある意味事実だけど、別にそれを皆もう求めてもいないんだろうね。

 

多分親が子供のために有料放送契約して海外サッカー見せてますという家庭も、既に意識高いサッカー家庭。本当はそういう家庭が増えて録画してゴールデンタイムにご飯食べながらサッカー談義をしつつサッカーを見るみたいなスタイルのほうが日本サッカーのためにはいいと思う。

しょうもないテレビ番組見るよりは録画の試合でも見たほうがいいと思う。

でもそのしょうもないバラティ番組ですら敷居が高いコンテンツになってきてるのが現代。テレビ離れという言葉があるようにテレビで放送してることがすでにもうめんどいことになってきてる。

そんな時代に有料放送で世界最高レベルの試合を見よう!ってやっぱすげぇ意識高いよね・・・そりゃ皆見ないよ。

 

「良いものだけどお金がかかるから見ない」という時代から「そもそもいいものに興味がないという時代」になってきてる。しょぼいものブームの時代。こういうコンテンツ理論とか当時の文化を考察してる系の記事は後の時代だと重宝されるけど、多分この考察ですらすでに敷居高い意識高い行為なんだよね。

そういう考察より皆まとめサイトのくだらない会話を見たがるんだから。と言いながら自分もサッカー系ではまとめサイトを見まくっているというダブスタ

個人サイトでめちゃくちゃガチで文章書いてもまとめサイトのほうが人気がある時代。

その運営してる人は何一つ自分では文章を書いていない。何も生み出していない。でもまとめサイト管理人の方が評価される。とか言いながら別に自分もそんな上等な文章は書いてないけどもね笑

これもさっきのクオリティ低い理論だけども、自分は絶対に凄い文章力があるわけでもないし、頭がいいわけでもなく教養やセンスがあるわけでもない。西田幾多郎みたいな難解な高度な文章も書けないし、三島由紀夫のような教養やセンスもないので美しい文章が書けない。文学の道を志したこともあったけどそういう才能とセンスは自分にはない。かといってサッカーをガチで考察している人のようなことも書けない。世の中めちゃくちゃサッカーの試合を詳しく見て凄い知識で語って、ガチで凄い専門家みたいな人もいる。でも自分はそんなことはできない。

そういうときに自分が何ができるかと言ったら「クオリティ低いしょぼい文章」なんだよね。ハメス・ロドリゲスをいじってネタにするとか、本田圭佑に突っ込みを入れたりとか、シャビさん風に語るとかそういうくだらない事なんだよ。

でもガチな試合分析とかよりこういうくだらないものを求めてる人もネットにはいたりする。サッカーというスポーツ、エンタメの楽しみ方は人それぞれで多様性があるから面白い。そういうクオリティが低いなりにできることはないかみたいな時代に世の中がなってきてるし、自分もその1人といえばその1人になる。

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5:意識高い人の中では異様にガチ化が起きている

そうやって意識高いものや敷居高いものが避けられてにわかが参入しなくなってしまったらその中じゃ意識高いエリートしか残らない。そうなるともうこれは異様にマニアックな世界になってハイレベルなものしか求められなくなってコア化、ガチ化まっしぐら。そうなるとますます敷居が高くなり参入しづらくなる。

ゲームとかはどこもそうなってる。どのゲームも上級者やガチってる層の天下

そういう意味じゃ海外サッカーは本当にそういう傾向がある。日本人関係ないようなリーグやチームでもこれだけのファンがいるスポーツってサッカーしかないけど、逆にそれ故にマニアック化しすぎている。好きな人は好きだけども興味がなければ縁がない遠いコンテンツ。

サッカー自体は好きという人が多いけども、海外サッカーまでガチで見てるとなると途端に数が少なくなる。

求められる知識水準が高すぎる。少しの間違えやミスでもにわか扱いされ、にわかは語るなと言われる。サッカー文化というのは多くの人が語ることによって醸成されていくもにもかかわらず語る人は少ない。皆それを避けて結局間違ってもその日限りでIDの変わる匿名掲示板やまとめサイトに行き着く。

もっと個人ブログで持論を語りまくる人増えてもいいと思うけどね。

そうやって多くの個人個人にサッカー哲学がある国の方が豊かなサッカー文化を持っているように思う。ブログはいわば個人がネットで発信している雑誌のようなものだと自分は考えている。

 

それはともかく実際土田のイエニスタ発言とか未だに叩かれるしね。さすがにイエニスタはにわかすぎると思うけど笑。ただ自分もトルコのたまにELとかCLに出てくるペジクタシュというクラブを、ペクジュタシュみたいな感じで言い間違えてたことがある。確かトルコリーグも2強だか3強だかのリーグで通の人はそういう事情も普通に知ってるんだろうね。数少ない残った人は本当のガチ勢しか自分のサイトやブログでサッカーを語れない。だから本当は「にわか」という言葉をサッカーのためには自粛したほうがいいんだよね。

少しでも知らないところを見つけたら指摘してやろうとか、それ知らなかったら俺より劣ってるとか、そういう知識ひけらかしたがり気質の人が増えすぎているように思う。こういうガチ化コンテンツはそういう人の割合が増えがち。

もっと楽に語れるコンテンツにしたいよね。海外サッカーは面白いんだから皆もっと積極的に語ろうぜ。ただのファンまでプロや専門家みたいな意識の高さを目指そうとしすぎている。自分もその一人ではあるのが皮肉だけども。

リーガエスパニョーラだったらバルサ、マドリー、アトレティは選手全員いえて当たり前。ビジャレアル、セビージャ、アスレティック・ビルバオバレンシアもスタメンとフォーメーションはだいたいは言えなきゃいけない。弱小チームでも「乾来る前からエイバルの選手はちょくちょく知ってた」「ベティスとかも3,4人は言えてた方がいいよね」というレベル。(ベニャとルベン・カストロがいたシーズン好きっすわ~みたいな)

でも自分は正直ほとんど3強の試合しか見てない。たまにセビージャVSビルバオみたいなチーム同士だったら見るぐらいで。こういう意識低いスタイルがすぐ馬鹿にされちゃうのが、まさにガチ化現象。でもこの意識低いスタイルですら世間から見れば意識高いスタイルなんだよね。ゲームもその世界では下手な部類でも一般人からすればすごく上手いレベル。本当に下手な人はそもそも参入できないぐらいにガチ化してる。

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6:海外サッカーを神聖視しすぎない報道が求められる

海外サッカーの魅力は雲の上感とか海の向こうのすごい異世界感にもあるとおもう。日常とは違う非日常の感覚。それが近いものになり過ぎるとありがたみはなくなるよね。

それ故に日本人選手が自分の好きなクラブに移籍して来ることに反対という人もいる。自分自身はあの憧れの崇拝しているバルセロナに日本人選手が移籍したら大喜びだけどね。ついに日本人もバルサのレベルになったな!と素直に喜ぶ。

 

それはともかくそういう意識の高い高尚なコンテンツだから海外サッカーには魅力がある。それと同時に意識が高すぎるのもやはり問題なのはここまで述べたとおりだ。

海外サッカーが人気になればより視聴環境が日本でも整い、日本サッカーのレベルも上がり、リアル生活でもサッカートークができる仲間を見つけやすくなる。

そういう面も含めて自分はもう少し海外サッカーの普及を考えるべきだと思っている。

思えば日本のサッカーメディアはあまりにも海外サッカー、いやサッカーそのものを神聖で高尚で崇高なものとして報道しすぎていたように思う。結局そういうのでかっこいいと思う層は限られている。何か気取った人ばかりが多いのも現実だし、この自分も気取っているように人には見えているはずだ。

自分自身はさっきのハメス・ロドリゲスいじりみたいな感じで、カジュアルなコンテンツとしても面白いと思ってるし楽しんでいる。こういう意識低い芸能ネタみたいなスタンスもありだと思うんだよね。お笑い界よりよっぽど面白いネタ要素がある。

今の日本はそういう馬鹿っぽい物やしょぼい物の方が受ける時代なんだから、そういうノリをもう少し解禁していくべきではないのかなと思う。本場スペインやイタリアでもそういう選手いじりとか選手をネタにしたような報道が多い。真にサッカーが根付いてる国ってサッカーを高級品のようなものではなく大衆品にしているんだよね。

ユーチューバーとかより、サッカー選手の芸能ネタが流行る方がいい世の中じゃない。

例えばもっと副音声実況に有名芸能人をよんでみるのはどうだろうか。

何もガチ層向けのコア解説ばかりがいいわけじゃなくて好きな芸能人のゆるい実況のほうが90分間楽しくサッカーを見れたりするんだよね。何回かそういう副音声実況を見たことがあるけどそれはすごく楽しかった。

崇高なものとしてガチ実況解説をするのも面白いけども、そういう解説ばかりに頼っていては自分の見方も養われないと思うし、ガチなサッカーファンほど自分の見方や分析を持ってるからそういうちゃんとした解説って実は必要としてないことが多い。

だからなんか暇せずに見れる程度のゆるい実況とかのほうがいいと思うんだよね。

そういうのでいろいろな芸能人を呼んでいけば、その芸能人のファンもサッカーファンになる可能性がある。

今まで90分間サッカーの試合を見たことがない人も、その実況目的で初めて90分間サッカーの試合を見てサッカーの面白さに気付くかもしれない。

でも日本のサッカーファンはガチ化してるからそういうにわかっぽい行為をやめろって言うんだよね。専門家以外がサッカー番組に出てくるなと。サッカーを神聖視しして、クオリティの高いものとして重視したがる。そしてそれがコア化、先鋭化の原因

新しい風を入れようとしない。

サッカーに真面目なものを求めすぎてしまっていてちょっとでも芸能人が来ることにアレルギー反応を起こす。

こういう閉鎖的な姿勢があるかぎり、ユーチューバーの動画の方がクラシコマンチェスターダービーよりも人気という異常事態が続いていくように思う。

意識低いスタイル、ゆるいスタイルを取り入れていくのが今の時代の流れではないだろうか。