ゲームをしてて思うのが初心者の頃の方がワクワクしたよなぁという事。
初心者の頃の方が今よりも情熱があって楽しかった。
1つ1つのクリアがとにかく楽しくて仕方がなかった。
あらゆることが新鮮に見えた。ワクワクしてとにかく次の場所へ行くことにワクワクした。終盤やクリア後の景色はどんなものだろうかとひたすら想像をめぐらせながら毎日のプレーが楽しかった。しかしクリアすればあまりやらなくなってしまう、最初の頃は楽しかったの思いながらも今起動するわけじゃない。
確かに今はいろいろ武器をそろえアイテムをそろえ強くなったが、最初の頃のワクワク感にはどこ敵わないという事はよくありがちな現象だ。
成長すれば、上手くなれば面白くなるのかと言ったらそうじゃない。
むしろ初期の方が熱心に1日中やってた、そういうゲームは多い。
いつの間にかその頃の情熱を無くし毎日が作業にようになっていく。まるで惰性のように義務のように、習慣のようにログインしプレーして最低限の報酬を得て終わり。興味やるだけのことはとりあえずやった、しかし心の底では別に楽しめていない。
そういうゲームは多い。そしていつしか情熱を無くしそもそもそのログインすらしなくなり実質的に稼働していないアカウントだけが残る。
よく何もないころの方が楽しかったと昔を懐かしむおじいちゃんおばあちゃんがいる。それと同じでゲームの世界でも何もないころの方が楽しかった。序盤の街でなにもアイテムを持っていない頃や、凄いアイテムが欲しいと思ってた頃の方が楽しい。
懸命に少ない武器やアイテムでやりくりしていた頃の方が楽しかった、その頃の方が情熱があったと思うようになる。
なぜだろう、なぜ人はゲームに情熱を無くしていくのだろう。
あれほど求めていたはずの場所にたどり着いたのに何かが物足りない。
結局人間というのはどこかに向かって行って上り調子の時が楽しい。きっとその昔を懐古するおじいちゃんおばあちゃんも日本がこれから先進国になって裕福になっていく時代が楽しかったに違いない。その熱量や社会の雰囲気がワクワクした。
人間そうやって上に行く時や輝かしい未来を思い描いているときが楽しい。
苦労してたどり着いた今の現実は確かに素晴らしいが、最初の頃に思い描いた甘美な創造には敵わない。あまりにもその想像が素晴らしすぎるのだ。
そもそもゲームを初めて最初の頃の方が楽しかったというならまだマシである。最近では買うまでがゲームという人も多い。更に上級者になると発売決定までがゲーム。買うまでや発売が決定するまでにそのゲームを思い描いている頃が一番楽しい。
そこにやはり勝てないのだ。
目の前には期待を下回る現実しかない、頑張って手に入れてもあとはもうやることが無くなって衰退していくだけ。惰性で続ける日々だけが待っている。
そんなものにいつか人間というのは飽きていくのかもしれない。
懐古やノスタルジーといえばそれまでだが、懐古程美しいコンテンツもないのかもしれない。自由に創造したその世界の美しさに現実は勝てない。
初心者の頃には夢があった。確かに何もないけど夢はある。自由に夢を思い描けるのは何も知らないからだ。何かを知ってしまえばむしろ想像の幅は狭まる。そのゲームがよくわかっていない頃の方が壮大なものを描けた。
本当にガチでそのシリーズをやった最初の頃はもっと大きな未来が待っていると思っていた、だからその想像が今になって楽しかったと思うのだ。これが初心者の頃の方が楽しかったことのメカニズムなのかもしれない。また初心者の頃は一つ一つの達成が初めてでありその達成感は非常に大きい。
一回しかないそのワクワク、それは貴重な時期だ。
そしてそれはそもそも人生においても言えるのかもしれない。
誰しもが思い描いていた未来にたどり着けるわけではない。そういった思い描いた未来の大きさと現実のギャップが悲しくなる時がある。
昔は良かった、初心者の頃は楽しかった。
それはあの頃に思い描いた夢の大きさから来る心理なのかもしれない。