こんなことやって何になるんだろうなという努力は多い。すべての努力に結果がかならずついて来たら人生は楽だがそうはいかない。意味の無い努力や無駄な努力、報われない努力は星の数ほどある。
サッカーの世界はまさにその極致と言ってもいい存在だ。
サッカー自体プレー中に無駄に見えるようなことが多い。数多くの無駄や結果に結びつかない努力、成功しない試みをサッカーは試合中に何度も試す。何度も何度も結果が出なくてもひたすらがむしゃらにやり続ける。
簡単にいなされる相手に懸命にプレスをかけるのも努力だしボールが来ない状態でも走り出すのも努力。そういった一見すると無駄に終わる努力も、それが伏線になっていつか結果に結びつくことがある。
そういった無駄な努力の必要性をサッカーは教えてくれる。
正確には無駄な努力などない、無駄に見える努力だろう。
そしてそれは人生も同じだ。
なんでこんなことをやってるんだろうなとか、こんなもの誰も見てないだろうなとか、評価されないだろうなとか、結果には一切結びつかないだろうなとか、そういう徒労のような努力は数え上げればきりがない。
でも文句を言わず腐らずそれをやり通すことはどこかで絶対為になる。
サッカーの試合でもあの無駄走りやプレスがあったからこのゴールが生まれたというシーンは多い。さっきサボっていればこの努力はなかった、ここに走りこんでいなかったらこのごっつぁんゴールはなかった、そういうことは多い。
そういう姿を見るとそういう無駄に見える努力も大切なんだと思えてくる。
無駄に見えることが多いサッカーは人生と共通している。
人生も無駄なことが多い、結果が出ない事や報われない事が多い。
それでもやり続ける。上手く行くことの方が少ない。でもトライする、その先にゴールがあるし成功がある。それがひょっとしたら駄目な努力になってしまうこともある。でもそれもやってみなければわからない。
それが無駄だと分かっただけでも無駄じゃなかったという考え方も可能だ。
ひたむきに腐らず努力する。結果が出なくても嘆かない、今は耐える時間帯だと自分に言い聞かす。そういう事がどれだけ重要かという事をサッカーは教えてくれる。
一切結果に結びつかない努力もやる必要がある。それが評価されないし認められないこともある、恥ずかしい結果になることもある。でもその恥ずかしいことや無駄なことを積み重ねないと結果には結びつかない。積み木を積み上げる作業をやめてはいけない。
その先に栄光や成功があるかもしれないし、もしかしたら待っているのは失敗かもしれない。でもめげずにやる、腐らずにやる。
こんなことをやっても結果には結びつかない、これを誰も認めてくれない、見向きもしてくれない、そんな負の感情が湧いてくるときもある。なんでこんなにうまくいかないんだと。
そういう時は懸命に無駄走りをしたり、スライディングにいったり、ボールが来ないであろうと気もつめたりするサッカー選手の姿を考える。
そうすると今の自分の姿もどこか意味があるように思えてくる。ボールが来なくても走り出す、それを繰り返していればいつかボールが来る。そしてそれがゴールに結びつくこともある。100回やって1回しか効果が無いような事でもその1回のために99回トライするメンタリテイが大事になってくる。
サッカーというのはそんなことばかり。
ひたすらたった一瞬のゴールのために膨大な努力を積み重ねる。そのほとんどが失敗に終わるし結果に結びつかない。ゴールのためにいろいろトライするがほとんどがボールロストやパスミスに終わるのがサッカーだ。でもやり続ける、上手く行くことの方が少ないと割り切って何度もやり続ける。その先にようやく手に入れられるのがゴールなのだから。