会いたくて震えてた頃の西野カナ→すき
トリセツでいろいろ要求し始めてきた頃の西野カナ→きらい
西野カナの曲ってあまり聞かないけどお店とか言ったら流れててちょっと聞くことがあるんだよね。どこでも流れてるよね笑
それ聞いて思うのが「年々西野さん低年齢化してない?」ということ。ファンには申し訳ないんだけども「前の西野カナってもっとかっこよくなかった?」って思うんだよね。西野カナ本人の年齢は上がってるのに曲調や歌詞は逆に子供っぽくなってきてる気がする。
会いたくて会いたくて震える→かっけぇ!
なんか彼氏のいいとこだけ歌ってる歌→なんやこれ・・・
会いたくて震えてる曲はほんと好き。女子じゃなくて野郎でもあれはカッコいいと思うよね。会いたくて会いたくてが元々代表曲的な感じだったけど、トリセツが流行って以降なおさらそっち方面の恋愛脳女子向けの曲が増えた気がする。
「彼氏できて幸せですー!毎日彼氏と充実してまーす!」とか「好きな人がいて大好き!つきあえたらいいなぁ・・・!」みたいな女子が聞くと多分あれすごいいい曲なんだろうね。充実してる時に聞くと凄く良い曲なのかもしれない
多分俺がひねくれ者だからいい曲に聞こえないのかな。
でもとにかく会いたくて震えてた頃の西野カナの方が好きだなぁって思う。
そしてあの人、見た目とのギャップでしゃべり方が結構可愛いよね。三重県方面の関西弁みたいなのが結構かわいい。この手のファッションの人あまり好きじゃないけど西野カナはなんかいいみたいな風に思う。
あとトリセツとか意外におじさんで好きになってる人多いよね。さんまとかねぇダーリン絶賛してたし実際にそういう人を見たこともある。さだまさしの関白宣言を絶賛してると思いきや実はトリセツのほうを評価してるおじさんとか意外にいるよね笑
トリセツおじさん意外と多い説
でも俺こうやって西野カナ理解できないみたいなこと言ってるけど、多分10年後の俺めっちゃ評価するんだろうなぁ。
なんでかといったら自分今になって大塚愛再評価してるもんね、今になって。時代遅れもいいとこですよ。
消防の頃の流行敵視してた頃のぼく「なにが大塚愛だよ」
メジャーなものにはまる楽しさに気付いた今の自分「さくらんぼいい曲だな・・・」
懐かしさもあいまってしみじみとプラネタリウムとか聞いたりする。あとユメクイいい曲だよね。当時の自分はプラネタリウムが盗作疑惑でたときに叩いてたけど、今もうそういうのどうでもよくて「いい曲だなぁ」ってしみじみに思う。ユメクイとかほんと良曲。
いわば元祖西野カナみたいなのが大塚愛で、今になってあえて自分は大塚愛を評価してる。さくらんぼとか馬鹿っぽいし、それこそまさにDarlingみたいな感じだけど今聞くといい曲だよね。
ジュニアだったころの自分はそういうの馬鹿にしてたけど、今しみじみいい曲だなぁって思う。メジャーな文化や流行に理解示すようになってきたかもしれない。今思ったけど「小学生の頃」を「ジュニアだった頃」って言うとジャニーズっぽくていいね、っていう非常にどうでもいい言葉遊び
西野カナは7,8年後どうなるのかな。浜崎あゆみとか大塚愛みたいに消えるのか、逆にaikoさんみたいに生き残るのか。しかもaikoさんも今になって評価してるんだよね。
生き残るために低年齢化路線で行くんだろうか。
10代女子だけに売り続ける路線ってのは間違ってないかもしれないよね。アンパンマンとかもガチの子供だけに特化した売り方をして何年も生き続けてる長寿コンテンツになってきてるけど10代という必ずどの時代もいる層に特化してCD売っていくというのは西野カナの戦略かもしれない。10代に流行ればそれが流行みたいにもなるしね。
別に西野サイドからすれば、俺みたいな人が理解できなくても何の問題もないんだよね。10代女子がCD買ってくれればいいわけであって、向こうも俺に理解されようと思って作ってるわけじゃないだろうしね。
西野カナ「ってかお前誰やねん」(三重風関西弁で)
とにかく大塚愛化しないように心掛けてる感はある印象
本人は実はガチの音楽をやりたいらしいんだよね。本当の音楽性はレゲェとかヒッポホップとか、洋楽とか本場の音楽が好きらしいんだけど多分それメインでやったらここまで売れてない無名ミュージシャンだったんだろうね。その初期の音楽性が反映されてたのが会いたくて会いたくてのような気がして、もう最近はそれすらなくなってJ-POP市場に特化した曲になってる印象。
大塚愛もそれまで書いてた曲が売れな売るためにさくらんぼ作ったって言ってたしね。
ミスチル好きの友人曰く「ミスチルは売れそうな音楽を毎回安定して作り続けてる、だから一部の音楽ファンからは叩かれてる。」あのMr.childrenですら実は売るための曲を作ってる。結局音楽は慈善事業でもないし平和運動でもないから売れることを考えなきゃ駄目な現実がある。
そして西野カナはアルバム曲とかカップリング曲とかでは英語多めだったりR&Bみたいな曲を出してるらしい。多分そっちが本当にやりたい曲で、売るための曲がシングル曲なのかもしれない。コアな西野カナファンは逆に「有名なシングル曲が本当の西野カナだと思わないでほしい、そのイメージがあるけどちゃんとした曲も歌ってる」とか思ってそう。
こんな感じで偉そうに音楽評論してるけど、そもそも自分が絶賛してる曲が嵐の「ユアマイソーソーいつもすぐそばにある♪」とかセクシーゾーンの「ハローハローメリクリスマス、今がいいチャンス~♪」っていうね。西野カナの曲のほうがまだレベル高い可能性ある。結局誰が歌ってるか重視で曲そのものを真面目に聞いてるわけじゃないし違いを理解してない。「バカ舌」とか「味覚音痴」って言葉があるけどバカ耳だし音楽音痴なのが自分。ゼンゼンゼンも叩いてるけど、俺あれをジャニーズが歌ってたら多分絶賛してるだろうね笑
こういう邦楽の現状を嘆く音楽ガチ勢みたいな人がいるけど、別にそれでいいと思うんだよね。音楽を真面目に聞いてる人って少数派だと思う。売れればいいしカジュアルでいいと思う。
音楽だけじゃなくて誰が歌ってるとか、どの映像作品に使われてるかとか、歌い継がれているかとかそれがデビュー曲だからとかいろんな背景も含めて音楽でありエンタメだと思うし音楽だけを抽出してその音楽性を高度に論じることがはたして本当に意味があることなのかなとも思う。
嵐の曲とかにわか音楽みたいに言われがちだけど、なんだかんだで凄い人たちが作ってるし歌詞も良かったりして何気ないときに勇気づけられることがある。Troublemakerとかワイルドアットハート結構勇気づけられるよね。
好きな人いて幸せですみたいな10代女子が西野カナ聞いて楽しくなって、俺がメジャーグループの嵐のメジャーな曲で勇気づけられて、売るために作られたミスチルの曲で長谷部誠とか友人が元気出ればそれでいいと思うんだよね。
そういう事もトータルで含めて音楽文化
ガラパゴス文化かもしれないけどそれで一国でそれだけの音楽市場が経済的に回ってればそれって普通に幸せな事なんじゃないかなと最近は思う。