つい最近チャルハノールを獲得し約55億円でユベントスからボヌッチを呼び寄せることに成功したACミランだが、次はアルゼンチン代表ルカス・ビリアを射止めるというミッションを実現させることができたようだ。
今回のルカス・ビリアは「知ってる選手が来た」というレベルで中堅どころでは結構有名な選手になる。
更にレオナルド・ボヌッチに関しては世界のセンターバックの十傑に入ると言っても過言ではないほどの名選手を、長年後塵を拝してきたユベントスから獲得したというのだからチャイナマネー恐るべしと思わずにはいられない。
まさかユベンティーノもこれまで軽んじてきたACミランに彼らが誇る"BBC"の終わりを告げられるとは思ってもいなかっただろう、そしてそれ以上にミラニスタがこの補強に驚いている。
正直なところチャイナマネーがここまで強力なパワーをもたらすとは思っていなかった。同じミラノにあるインテルナツィオナーレ・ミラノがアジア系の資本に買収されながらも劇的に変わることが無い姿を見ていただけに、ACミランが今更中国資本に変わったところで大きな変化はないだろうと考えていた。
しかしまさかここまで大盤振る舞いで積極的な補強を実現してくれるとは思っていなかったため大きな衝撃を受けている。現代サッカーの世界では国際基準として健全経営を求める動きが強く、ファイナンシャルフェアプレー(FFP)制度が導入されて以降は私財をチーム経営に使うことが難しくなっていた。
これまでACミランがその栄華を誇っていられたのはかつてイタリアの首相を務めたこともあるメディア王ことシルヴィオ・ベルルスコーニのポケットマネーを経営に使うことができていたからだと言われている。
このFFPによってもっとも弱体化された名門がACミランであり、チアゴ・シウバとズラタン・イブラヒモビッチの退団以降は下降の一途を辿っていた。
そしてユベントス所属のディバラが「ここ数年間のミラニスタは文句を言っているだけ」と苦言を呈するほどに、ACミランのサポーターは我慢を強いられ心が荒んでいた。
そこに救世主の光がさしたのがまさに中国資本による買収である。順調に進まない部分もあったが最終的にはそのミッションは完了し現在に至るのだが、それ以来ACミランはまるでこれまでのことが嘘であったかのようにかつての勢いを取り戻しつつある。
この調子でいけば諦めかけていたスクデット獲得、すなわちセリエA優勝、更にはUEFAチャンピオンズリーグ出場、そしてビッグイヤーの獲得も実現できるかもしれない。
指をくわえながら各国のビッグクラブや金満クラブを惨めに、時として嫉妬にも似た感情で見つめていたミラニスタについに逆襲の時がやってきた。
ACミランというクラブは本来こういったクラブでなければならない。
"グランデ・ミラン"の復活の時がいよいよ訪れようとしている。
かつてベルルスコーニこういった。
「イタリアといえばマフィア、ピザ、そしてACミラン」
ACミランというクラブは本来ならば一国の象徴ともいえるクラブであり、国際的に獲得したタイトルや歴史の格で言えばスペインのレアル・マドリードと双璧を成す存在でもある。
このあまりにも惨めな数年間についに終止符が打たれるかもしれない。
チャンピオンズリーグにすら出場できず、セリエAの優勝争いは蚊帳の外、かつては下に見ていたクラブが国際的な名声を謳歌する。
隣のインテルと仲良く傷をなめ合いユベントスにもローマにも頭が上がらずナポリにも見下される。
仮にこの復活劇を果たすことができスクデットを獲得した暁には、彼らはこう言うかもしれない。
「中国人の金で勝って楽しいか?」
そしたらミラニスタはこう返答するだろう。
「最高の気分さ」
世の中金を出す人間が正義、そこに人種も国籍も関係ない。拝金主義だと罵られようともお金を出す人間を自分の神だと崇めたい。
マンチェスター・シティの熱狂的なサポーターとして知られるノエル・ギャラガーが「ユナイテッドの連中やサポーターが給油をするたびにシティが強くなる、もう惨めな底辺には戻りたくないね」と言ったように、今ミラニスタは中国資本を歓迎している。
そもそも現代サッカーはもはや財力がものをいう世界になっている。
外資が参入したクラブの躍進、MLSや中国スーパーリーグの台頭、ワールドカップの巨大化。今や数え切れぬほどの札束が舞うのがサッカーの世界でもある。
もはや綺麗事など言っていられる段階ではない。
金の力を借りないクラブはこの競争の時代に置いてけぼりにされるだけである、そのことをこの数年間ACミランは嫌という程味わった。
泥を食べて暮らすような惨めな底辺の数年間を味わったミラニスタは今、カネのありがたみと力を味わおうとしている。
しかし日本人として唯一弁明しなければならないことがある。
もしこのチャイナマネーによる復活劇を成し遂げた後、決してACミランの10番を務めた本田圭佑という男の存在を無かった事にしてほしくはないということだ。
本田は間違いなくこのACミランというイタリアの名門の歴史の一部であり、時として"暗黒期の象徴"として語られる時がやってくるかもしれない。
それでもこの3年半の本田圭佑の挑戦を見ていた人ならば、彼がやれるだけのことを懸命にやりロッソネロに尽くそうとしていたことを知っている。
財政的に厳しい時代に、持てる戦力で懸命に闘おうとしていた時代の象徴として本田圭佑は語られるべきだろう。新時代のサッカー環境に中々適応することができず組織改革が遅々として進まなかった時代に、一人の選手として懸命に何かを変えようとしていた日本人がいたことを語り継がなければならないはずだ。
「今のACミランを変えられるのはイタリアのしがらみを知らないよそ者で常識知らずの人間だけ」と果敢に挑んだ本田圭佑の行いは誰もができる事ではない。
それが上手く行かなかったとしても、その失敗を経験できる状況に達することすら常人にはできない。
ミランのレジェンドであるカカにフリーキック争いを挑んで主張することも、普通の日本人ではできない。
かつてイタリアの至宝ロベルト・バッジョはこう語った。
「PKを失敗できるのは蹴る勇気を持った者だけだ」
本田圭佑という人間に贈る言葉があるとするならば、最高の賛辞としてバッジョのフレーズが最も似合う。
中国資本によって強化された今後のミランと、新しいFFP制度になかなか適応することができなかった時代を同列に比較することはフェアではない。
この数年間のACミランにおいて本当に輝きを見せることができた選手など皆無に近い。
組織として根本的に問題があり一人の選手が何かを出来る状況ではなかった。
期待された新加入の選手が現れては消え、クラブのレジェンドであるカカも全盛期の力を発揮することができず去ることになった。
あの環境で結果を出すことができた選手はメガクラブに所属する選手にもそう多くは存在しないだろう。ワールドクラスの選手の中でもごく一部の選手しかあの時のACミランでは才能を証明することができなかったはずだ。
難しい時期の中で、腐らずに今できることをやろうとしていた本田圭佑の行動は後世において評価されるかもしれない。
ACミランの歴史というコンテクストにおいてケイスケ・ホンダという選手がどういった意味合いで語られるのか、それにはもうしばらく時間を要しそうだ。
そしてこの赤と黒のチームはその新しい歴史の一歩を今踏み出そうとしている。
過去に敬意を、そして未来に希望を。
ACミランというクラブに輝かしい歴史のページがまた刻まれることを期待したい。