2014年に開催されたブラジルワールドカップの日本における主役、それが良くも悪くも本田圭佑であったことはサッカーファンに限らず多くの日本人にとって印象深い。
南アフリカワールドカップが終わってからのRoad to Brazilの4年間というのは今後も日本サッカー史において語り継がれるほどに濃密な期間だった。
現在のハリルJAPANから停滞感が漂っていることもあり、なおさら比較対象としてザックJAPANは引き合いに出されやすい。
個人的にもこの期間は本当に今以上にサッカー熱があり、右肩上がりの時代は今後も思い出補正を伴い甘美な時代として自分の心に存在している。
確かにザックJAPANは最後は崩壊し、無様に敗戦した。
しかしそれまでの過程には大きな意味があり、今もその時代を楽しい思い出として語る人は多い。
いわば2011年から2013年までの上り調子の時期というのは日本サッカー史においては短期間だったが「世界に本当に近づけるのではないか、日本が本当に強豪国になるのではないか」と信じることができた時期だった。
勝てば英雄、負ければ大悪人、だからこそワールドカップにはドラマがある。
そしてあの上り調子の期間は、かつての日本の歴史と重なる部分もある。ザックJAPAN時代にFIFAランク12位まで上り詰めた全盛期の勢いはよく「日本の最大領土」で見かける地図に似ている。
1942年と2012年、一瞬だからこそ華やかに美化される。時代は違えども違う形でその時は夢を見たのかもしれない。
いわゆる太平洋戦争において1941年12月の開戦当初から日本軍が連戦連勝だった時期は当時の国民としては、今では反戦主義者になっている人も熱狂して楽しんでいたことは歴史の記録として残っている。
現実的には1942年6月のミッドウェー海戦以降日本軍は劣勢に立たされ始めることになるが、国民の体感としては1944年の7月のサイパン陥落によって始まる本土空襲まで日本は勝っているという幻想に包まれていた。
「あの戦争は本当に悲惨だった」と語られるが実際民間人が本格的な攻撃に晒されるのは絶対国防圏が維持できなくなり本土空襲が始まった時期からの1年間に過ぎない。
1944年からの本土空襲が始まるまで多少物資が不足することはあっても、出征した軍人を除けば戦争は海の向こう出来事でしかなかった。
ドーリットル空襲のような一部の例外は存在するが、本当に身の危険に晒され敗戦を実感し始めるまでの期間は大本営発表もあり右肩上がりの上り調子という体感を抱いていた人が多かった。
1941年末から1944年末までの3年間は当時の日本人の国民感情では「神州不滅」であり日本は勝つものだと信じていた。本土空襲が始まって以降も本土決戦をすれば勝てるという風潮さえあったほどに日本人は自分たちが無敵だと信じていた。
ミッドウェー海戦以降不利になっても大本営発表によって実態は秘匿されており、体感としては「日本は行けるぞ」という感覚があったのではないだろうか。
そしてそれは今の考えでは不謹慎だが、同時の感情としてはある種の昂揚感があったはずだ。
これはまさにザックジャパンの初期の連戦連勝の時期に重なる。
どれだけ最後ブラジルで大敗北を喫するとわかっていても、未だにあの4年間は楽しかったという思い出が今も存在する。
人生において輝かしい未来を信じることができている時期ほど楽しい物は無い。
そしてそういった希望的観測は往々にして上手く行かないことが多い、それもまた人生だ。
初期の日本軍の連戦連勝の話を聞くと最後どれだけ悲惨なことになるとわかっていても、当時の感情に思いを馳せると楽しかったんだろうなという感覚を理解することはできる。
ザックジャパンの実質的初陣のアルゼンチン代表戦に勝った時はアメリカ軍のハワイにおける拠点、すなわち真珠湾の攻撃に成功したという報告に似ていたのではないだろうか。
実際その時にアルゼンチン代表は本気だったわけではないが当時としてはまさかアルゼンチンに勝つとは、という衝撃は大きかった。
真珠湾もアメリカの主力航空母艦は停泊しておらず完全に撃沈できなかった艦船も多く、更にはそもそも攻撃が予測されていたという見方もほぼ定説になっている。
ただ当時の感情としてはそこまで実態がわからないがゆえにアルゼンチンに勝ったという喜び、真珠湾を攻撃したという衝撃と同様に大きかった。
それほど自分自身あのメッシが率いる上にテベスもいたアルゼンチンを撃破したときは未来を感じた。
また当時世界最強の海軍だと言われていたイギリス海軍をマレー沖海戦で打ち破り、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈しシンガポールを陥落させたという報を聞いたときの感覚は劇的な2011年のアジアカップ制覇に重なる。
あのアジアカップの劇的な優勝は全試合リアルタイムで見ていただけに今でも感動がある。更にその後なでしこジャパンが女子ワールドカップを制覇して、ロンドン五輪では関塚ジャパン躍進と続く。
選手個人としても香川真司がドルトムントで二連覇を果たしついにはマンチェスター・ユナイテッドに行き、宇佐美貴史や宮市亮がバイエルンやアーセナル、長友佑都はインテル、本田圭佑はACミランと立て続けにそれまで想像もしたことが無かったビッグクラブへの移籍が相次ぐ。
今だから冷静に判断できるもののこの時は本当に世界に手が届きそうな感覚があった。
日本がサッカーの列強に追い付くという浪漫は現実的な分析を上回る昂揚感をもたらした。ついに始まった、そんな感覚を抱かずにはいられなかった。
子供向けアニメでもイナズマイレブンが全盛期で公園を見ればちびっ子がサッカーをやっている、憧れのアスリートはサッカー選手が独占、子供用のユニフォームを着た子が街を歩いてる。
日本が徐々にサッカーの国になりつつある、強豪国になりつつある、今思えば幻想だったのかもしれないがそれを信じることができた。
そしてこの空気作りに一役買ったのがまさに本田圭佑だ。
「優勝しか考えてない」
「強豪国全部食います」
「ビッグクラブを憧れだと思ってもらっては困る」
そんな発言を繰り返し本気で優勝を目指す強豪国のメンタリティを選手だけでなくサポーターにも醸成しようとしていた。
当時の自分はまさに本田圭佑の大ファンであり、ほぼインタビューには目を通し試合も見て怪我で離脱期間中も情報をチェックしていた。
代表の復帰すればまさに大車輪の活躍、アジア予選を圧倒的な実力で突破しオランダ、ベルギー、フランス、イタリアなどの強豪国にも通用するほどの日本代表チームを正真正銘のエースとして牽引した。
アルベルト・ザッケローニが就任して以降の無敗期間は「裏世界チャンピオン」となり、一時FIFAランク12位近くにまで上り詰めた。
今でも「本田圭佑に夢を見させてもらった」と語る人が多いことがその時の勢いを証明している。
見ていて楽しかった選手であることは間違いなく、本当にワールドカップで「最低でもベスト8」だとすら信じられていた。
しかし今思えばそれは山本五十六の言う「最初の半年や1年は暴れてみせますが、後はいけません」という物だった。
結果は説明不要だろう、日本は一勝もできずグループリーグ敗退その後日本サッカーの人気は凋落していくことになる。代表戦の視聴率は低迷しあの時代の盛り上がりは感じられない。アギーレジャパン時代の2015アジアカップで優勝できなかったこともその低迷に拍車をかけ、元代表監督ハリルホジッチの戦術スタイルはエンターテイメントとしての求心力を失っている。
本田圭佑はコロンビア戦後のインタビューで「優勝とまで言ってこれですから」と魂が抜けたように語っていた。あの発言を聞いたとき大袈裟かもしれないが自分はまるで玉音放送を聞いたときのような気分になった。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び・・・」
あのフレーズをリアルタイムで聞いた日本人の感覚が少しわかった気がするほどに本田圭佑の反省の弁は悲壮感を漂わせていた。
綺麗事で「あの日本の戦争は間違っていた、戦争は悪いことだ」とか「ザックジャパンの自分たちのサッカーはワールドカップに通用するものではなかった」と後出しで語っても、当時の当時の感覚ではそうなってしまうところに恐ろしさがある。
何を戦争にまで例えて大袈裟な、と思われるかもしれないが当時のザックジャパンの盛り上がりを経験した人ならばあの敗戦の時の空虚な感覚を覚えているのではないだろうか。
あの時の感覚はザッケローニと本田圭佑の4年間を見ていた人ならば複雑な感情があるはずだ。勝ってたらな、とどれほど思ったことか。
今も椎名林檎の『NIPPON』を聞くと失われた夢への儚い感覚が蘇る。
そしてSuperflyの『タマシイレボリューション』を聞いて南アフリカ時代にまで遡るまでがテンプレだ。
しかしこれはあくまで当事者ではないサポーターやファン目線でしかない。
本田圭佑本人が味わった絶望や空虚感というのはただ見ていただけの立場からは想像がつかないレベルにある。
人間誰しもが少なからず努力が報われなかったり、夢が叶わなかったり挫折したりすることがある。
自分自身もその経験はあり諦めたような感覚にもなっている。
ただよくよく考えてみると、「自分の努力ってそこまで達してないだろ」という思いもある。あの4年間の本田圭佑を自分はできる限り見ていただけに良くわかっている。
色んなものを犠牲にし失い、限界を超えて努力をし、圧倒的なプレッシャーや批判と戦い続けた4年間があんなにもたった3試合であっけなく終わってしまう感覚というのは自分の理解の範疇を超えている。
その経験と比較したとき自分の数年間はそこまで大したことではないと思えてくる。
つまり「本田は今の自分以上にもっと大きな絶望を当事者として味わっている」、そう言い聞かせることでまだ落ち込む段階ではないとも思うし改めて本田圭佑凄いな、と。
自分の絶望なんて本田に比べれば大したことないやんけ、みたいなことを思うと恥ずかしいけど勇気づけられる部分もある。
本田の失敗は未だに批判され続ける、それほどのリスクを取って今もその失敗の責任と戦い続けている。未だに本田許せないという人は多いし、そして本人としてもあれだけ努力して何もなしに終わったときの虚空は常人が経験する範囲を超えている。
それと比べればまだ自分は大したことないなと、これが伸びしろやなとくどいほど自問自答しているときがある。
しかも試練は決してワールドカップ後も終わらず、やっとACミランでインザーギ時代とミハイロビッチ時代の一時報われかけたと思ったらその後失速するということを繰り返してきた。
それも本人だけが原因ではなくアジアカップがあったり、選手が離脱したり監督が変わったり、そういう理不尽に振り回されてきた。
セリエA時代の本田圭佑に対する批判は今思えばヒステリックでさえあった。あれほどの失敗と批判を耐えられる本田圭佑のメンタルはあまりにも強靭だ。
上手く行きかけたのに単なる一瞬の喜び終わる、そういうことを何度も繰り返してきてよく心折れないないと素直に尊敬せずにはいられない自分がいる。
本田半端ないって、めっちゃすぐ立ち直るもん、あんなん普通できへんやん。
ロシアワールドカップはどうなるのだろうか。
ここで最後一花咲かせるかもしれないし、当然ここでもまた終わる可能性だってある。チームは躍進しても自分はその中にはいないかもしれない。
それでも本人は「引退後の方が凄いことをする自信がある」とまだまだ懲りず、相変わらず"世界一諦めの悪い男"としてブレずにその信念を貫き続けている。
キューバ革命を成し遂げたフィデル・カストロの真の才能は絶対に負けを認めないところにあったと評されている。
何があってもどんなことがあっても、何度負けても何を言われても絶対に折れる事のない不屈の闘志、結局それを持つ人間が最後の最後は勝つのだろう。