本田圭佑が新たに移籍したメキシコリーグのパチューカとの契約は1年間であり、この条件を受け入れてくれるクラブがなかなか見つからなかったというのが内実のようだ。
メキシコの地でサッカー選手としてより高みを目指していくのではないかと予想していただけに、単年契約というのは少し拍子抜け感がある。
そしてその契約が切れる1年後というのがまさに来年に迫る2018ロシアワールドカップということになる。もしかしたら本田圭佑は日本代表における先人の中田英寿のように引退するのではないか、そんな予感さえしてくる。
個人的にはあと数年はサッカー選手の本田圭佑としてピッチ上で躍動する本田を見たい。
しかしもしかしたらロシアW杯の結果次第では「引退」という選択をするかもしれない。
仮に日本代表が2006年のドイツワールドカップでベスト8に進むといった良い成績を出していれば中田英寿は引退していなかったのだろうか。それとも勝敗にかかわらず引退するつもりでいたのだろうか。
事前の計画も、結果次第では心変わりして「まだサッカーをすることは楽しい」としてあと数年プレーしていたかもしれない。本田圭佑と日本代表で共闘するという姿も二人のファンならば一度は思い描くことだろう。
中田英寿の引退はある意味においては美しいと言える。
非常に印象的でありまるで映画のワンシーンの様でもあった。中田英寿はアーティスト気質でもあり時としてそれがセルフプロデュースの演出だと揶揄されることもあるが、日本サッカーの歴史における象徴的な出来事として語られ続けていることは間違いない。
「ヒデの大の字ポーズ」というのは芸能人も何気ないトークに使うほど浸透している。
そんな中田英寿に憧れ日本代表にまで上り詰め、セリエAにも移籍を果たした本田圭佑は今キャリアの節目を迎えようとしている。
中田と本田はこれまでも良く比較されてきた存在であり、釜本邦茂、三浦知良らに続く系譜の後継者であるとも言われている。
キャラクターや個性の強い選手として「サッカー選手」として以外の側面でも役割を果たしてきた。
特に現在の本田圭佑はサッカー以外の面においても非常に情熱的に活動しておりスポーツをする時間以外の使い方も重要だと説いている。
「スポーツ選手は付き合う人が偏っている」とも発言しており、引退後のビジネスに向けた準備を既に行っている。
そうなれば来年の2018年ワールドカップの後に大きな決断をするかもしれない。
「もう伸びしろが無いと思ったらその時は辞めたほうがいいと、ブラジルワールドカップの後にオカ(岡崎慎司)と話した」と中山雅史との対談では語っていたが、その発言の真意はどこにあるのだろうか。
一人の本田圭佑ファンとしては複雑な心境がある。
サッカー選手としての本田圭佑を好きになった一方で、一人の人間としての面白さにも魅せられている自分がいる。
例えボールを蹴らなくなったとしても引退後の本田圭佑の活動に自分は注目し続けていくだろう。
かつての中田英寿ファンが今も彼の活動を追いかけているように。
そして中田自身の活動はむしろ引退後に多様性を増している。
どんなスポーツ選手もいずれ選手として引退する時が来る。
「スポーツ選手」ではない一人の人間になったときどのような価値があるのか。
そんな中田英寿の現在の姿を見て、本田はいずれ訪れる自分の姿を重ねているかもしれない。どのような形で引退することがベストなのか、引退の仕方もその後の活動に大きく影響してくるということまで考えているのではないだろうか。
その一方でまだ本田圭佑には引退してほしくないという思いもある。
現役の本田圭佑を見られる時間があと1年しか残されていないというのは一抹の寂寥感を覚えさせる。もしかしたら本田圭佑がボールを蹴る姿はこのパチューカの1年、そしてロシアワールドカップが終わるまでの日本代表での1年が最後なのではないか。
考えたくはないがその覚悟もしておく必要があるかもしれない。サッカーをする本田圭佑の姿はいつまでも永遠に見ることができるものではない、そしてそれはスポーツ選手全員に言える事でもある。
本田がサッカー選手の最高の到達点としてFIFAワールドカップを見据えていることは想像に難くない。ロシアワールドカップ後に次のワールドカップを目指すというのはあまり現実的な選択ではないだろう。その目標を失ったとき、サッカー選手として活動を続けるか次の新しい活動を早いうちに始めるかの2つが天秤にかけられる。
「ドンナルンマより引退後はビッグになるビジョンがある」とつい最近もACミラン時代の同僚と比較し語っていたが、その活動の為にもベストな引退の仕方を想像しているように思える。
中田英寿はあの引退によってカリスマを維持することができた。ジョゼ・モウリーニョと対談を果たすことができる日本サッカー関係者は中田しかいないだろう。
かつての本田圭佑のエピソードにガンバ大阪のユース昇格が果たせなかったという物がある。
しかしこれには続きがあり、仮にユース昇格を果たせたとしてもそれを蹴って高校に進学するつもりだったと語っている。
「ユースに受かったのにそれを蹴って高校サッカーに行く」ということをしようとしてたらそれができなかったのが本田圭佑の最初の挫折でもある。本田という人間はそういった象徴的なことに拘るタイプであり、そのことはこれまでの言動を見ていても明らかだろう。
そう考えたときに本田圭佑は"最もかっこいい引退の仕方"としてワールドカップで結果を出したのに惜しまれつつ引退して日本サッカー界における伝説的選手になろうとしているのではないか。
引退後の方が大きなことをするビジョンがあると語る本田圭佑は来年どのような決断を下すだろうか、そして日本代表としてもワールドカップでどのような結末を迎えるだろうか。1年後の7月全ては明らかになる。