elken’s blog

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羽生結弦、「プリンスへの謝罪」というとんでもないナルシスト行為を行う

前々からとんでもないナルシストだとは思っていたけど、更に度肝を抜くナルシスト行為を羽生結弦は全世界が見ているステージで披露した。

その行為とは「天国のプリンスに謝罪する」という自分が悲劇の主人公だと心酔していなければならない所業である。

今回の羽生結弦が取った行動の大まかな流れ

自身のプログラムでプリンスの曲を使う→ミス連発で7位→プリンスさんごめんなさいと天を仰ぐ。

 

ちなみにその翌日がプリンスの命日であり、本人的には自身が尊敬する伝説的ミュージシャンの命日に哀悼の意を捧げる思いで彼の曲を採用しこのプログラムに挑んでいたのではないかと思われる。4月21日が命日だと知っている時点で前日にあえてプリンスの曲を採用するあたり完全にナルシストである。

しかしその思いは空回りしミス連発で7位に終わり自分の不甲斐なさを晒し、天国のプリンスに申し訳ないという思いがあり天を仰ぎ謝罪したのだろう。

羽生結弦

しかし自分はこういったナルシストが決して嫌いではない。むしろナルシストキャラマニアとしては羽生結弦が好きで「今の時代こういうナルシストも希少価値がある」と思っている立場である。全力でかっこいいことをやれる人というのはスポーツ選手、芸能人問わず好きである。

こういうポエマー的なナルシストには憧れるし今の時代本当にかっこいい事や本当に美しいことをやる人は減ってきている。今の日本でそう言ったスターやファンタジスタというのは絶滅危惧種になりある意味でありふれたもので妥協してささやかな幸せを見出そうというのが今の日本人の考え方になってきている。

 

そういう時代で羽生結弦は規格外の行動を行っているスターとして君臨している。実力はオリンピック金メダル級で、全力で自分に心酔し世の中にかっこいい姿を披露している。本来の実力に加えエンターテイメント性やアート性がある。芸術や表現をする者というのは少しばかり自分の実力に心酔していなければならない。羽生結弦フィギュアスケーターとして心の底から劇場の主人公や悲劇のヒーローを演じており、そういったスター性や美しさに多くのファンが魅了される。

こういった少女漫画のキャラクターでしかありえないような耽美な主人公が羽生結弦が人気な事の要因かもしれない。

そして個人的にもそういったナルシストキャラが好きで、多少厨二病が入っているぐらいが見ていて面白い。

 

そもそもフィギュアスケートという競技自体が全力でナルシストをやらなければ結果を出すことができない競技だ。普通の男子なら恥ずかしいような衣装や体の動きを何の疑念もなく「自分はかっこいい」と耽美な表情の世界に入れ込まなければ良いパフォーマンスはできずフィギュアスケートはこれくらいのナルシストじゃなきゃやれない。

 

この競技は自分の美しさに心酔してる選手ほど美しいパフォーマンスを引き出せる。少しでも自分がかっこ悪いのではないかという疑念が入るとそのかっこよさは出ない。日常とは違う非日常の美しい世界を演じようと思えば少しやり過ぎなぐらいに自分を出さなければならなく、そういった要素がオーラを左右する。

 

そしてそれはフィギュアスケートに限ったことではない。宝塚のような舞台や、ジャニーズやアイドルといった世界でも人々が現実では見れないような非日常の世界を再現することが求められる。

 

手越祐也が「ダンスのコツ」を問われた際に心掛けていることは「とにかく俺かっけぇんだぞ」というスタンスでダンスすることが大事だと語っている。また中島健人は同世代ナルシストとして心の底から自分のかっこよさに心酔しナルシスト行為を行っている。プライベートでいるときも24時間アイドルとしての振る舞いをして、そういった普段の行動がいざという時に出るとして1日中自分のすべてに拘っている。

 

人間のかっこよさや美しさを表現しようと思えばメンタルの部分から引き出す必要があるというのはよく言われることだ。自信が現れたときに人はかっこよくも美しくもなる。逆に卑屈で自分を押さえていれば魅力はなくなる。同じ容姿のレベルでも自信を持って自分の見た目や振る舞いに気を付けている人間と、卑屈になって自分を押さえている人間では見え方が違ってくる。

時にそれは勘違いや痛々しい人だと思われることがあるかもしれないが、「勘違いしてるな」とか「こいつは何をやっているんだ」と思われることを覚悟で全力でナルシストをやったときそのかっこよさは本物になる。羽生結弦手越祐也中島健人も何度も「こいつおかしいだろ」と批判されてきたに違いない。

 

しかしそこでは辞めてはナルシストの名が廃る。

真のナルシストというのは少しの批判でも揺るがず、堂々と自分を貫く。そういった姿が誰よりもかっこいい姿を作り出す。

今回の「プリンスへの謝罪」というのはまるでアニメや漫画でしか見れないような景色である。こういった発想を思いつくこと自体が心の底から自信を持って自分に心酔していなければできない。美しいパフォーマンスを考えたときに自信の無さは決定的なほころびを生み出す穴になる。その弱点を生じさせないためにも心の底からナルシストでなければならないのがプロの世界だ。

 

そういった意味で羽生結弦はある意味中島健人ですら驚くほどのナルシストである。「プリンスへの謝罪」という発想は中島健人のナルシストスタイルに匹敵、いやもしくはそのスタイルを凌駕する。この同世代ナルシスト対決、中島健人に強敵が現れたと言っても過言ではない。どちらも遠慮せずに自分に心酔しすべてを披露し全力を月してほしいと思う。

どちらが最後に頂点に立つか様子を見てみよう。

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