elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

柴崎岳と真野恵里菜と熱愛発覚キター

バルセロナ戦の怪我以降離脱中の柴崎岳方面から思わぬ形でビッグニュースが入ってきた。

それは元ハロプロ真野恵里菜と真剣交際中だということ、そしてもうすでに結婚まで視野に入れているのではないかという話題だ。

 

柴崎岳、ハロオタやったんか・・・

正直自分はこの人を知らなかったけれども調べてみたら結構サッカー好きのメンバーらしく、最近の『にげ恥』や『とと姉ちゃん』など有名ドラマでも活躍していてアイドル出身でありながら女優としても地位を築いている人のようだ。

(某AKBとは大違いだな)

 

アイドル時代もソロデビューした曲がそれなりいい順位を取っていて真野恵里菜の格も決して柴崎岳に引けを取っていない。

 

ハロオタ「俺の恵里菜をサッカー選手にとられた・・・・」

サカオタ「畜生、俺の柴崎を元アイドルにとられた・・・・」

内田篤人ファンの鹿島サポ「うっちーに続き、岳もとられるなんて・・・」

俊さん「元アイドルと結婚する柴崎君、正解」

桐谷美玲青森山田の頃からファンだけど別に発狂してないよ。(以下コピペ略)」

 

一昔騒がれていた桐谷美玲との噂はなんだったのか。いろんなところで痩せたと言われてるけど更に最近痩せている。どうやらいろんなところで柴崎ショックが起きているようだ。

 

それにしてもこのスポニチ特有の記事のB級感面白い、「今後"姉さんアモール"パターンが増えるかもしれない」ってただの勝手な予想でしょ笑

イタリア語ではアモーレ、スペイン語ではアモールらしい。

個人的に桐谷美玲×柴崎岳の組み合わせは好きだっただけに、桐谷視点でもちょっと残念だ。桐谷のほうがちょうどいい年上感があったけど、真野恵里菜のほうを選んだようである。

サッカーだけではなくそっちの方でも重要局面の得点力があったとは・・・

www.sponichi.co.jp

 

ただサッカーに限らず里田まい田中将大でも嫁さんのほうが年上で選手を支えてくれてる印象がある。そう考えるとかなり良い組み合わせになりそうでピッチ上での活躍に反映されることが期待される。

ダルビッシュ有「申し訳ないが結婚相手の話を出すのはNG」

 

そしてやはり最近のサッカー選手は結婚するのが早い印象を受ける。

もしかしたら柴崎も代表のメンバーに影響されて本当にすぐ結婚するんじゃないだろうか。それぐらい日本サッカー界では結婚が流行っていて晩婚化の世の中と対極にある。

大迫勇也柿谷曜一朗もあっさり結婚して、宇佐美貴史本田圭佑宮市亮らもかなり早い段階から結婚しているし遠藤航井手口陽介も早い、そりゃ柴崎が結婚を前提にしていてもおかしくはない。

サッカーファンとしてはサッカー版里田まいみたいになってくれれば楽しみでもある。

 

この真野恵里菜の人のブログみると探せば"匂わせ投稿"ありそう、と普段ジャニーズ界隈を見ていると感覚が麻痺してくる。

ジャニオタならとっくに調べ上げて匂わせ発見していてもおかしくはないけどそこまで捜査力の高いファンはサッカー界にはいないのだろうか。

 

それにしても柴崎岳、常に自分の先を行く男である。

ついにリーガ・エスパニョーラで10番つける選手に上り詰めていち早く復帰が求められる。

しかし今のところ自分はFIFAマンチェスター・シティに所属しており、ロシアワールドカップ後はバルセロナに行く設定になっているので実質俺の勝ちである。ついでに脳内では福原遥と付き合ってるという設定もあるので彼女の格でも拙者の勝ちでござるな。

クラブの格でも実質脳内でバルサ所属だから勝ち!やったぜ(本当は何一つ勝てる要素が無い模様)

 

サッカーの話に戻るとちょっとこの負傷期間はもったいなかったなと、スペイン1部リーグが開幕してからの勢いは予想を超えていただけに尚更そう感じずにはいられない。

ただ元々最速出戻り記録更新と言われてたところから紆余曲折を経て無事スペインで年を越しそうで本人としてもかなり激動の年だったのではないだろうか。ほんとあのテネリフェ移籍当初のあの騒動はなんだったのだろうかと今では懐かしい。

練習参加しただけでも快挙と言われたところから良くここまで来たのは凄い。

やはり柴崎はただでは終わらない、私生活でも得点力を発揮しつつある今、次はピッチ上での躍動が待ち遠しい。

朗報:紅白出場決定 Hey! Say! JUMPの勢い半端無い

ここ最近のジャニーズ関連の話題で一番うれしいのはHey! Say! JUMPの紅白出場が決まったこと。

やっぱりこれが一番のビッグニュースで、今年10周年という事もあり勢いも凄く感じる。

Hey! Say! JUMPおめでとう!(Sexy Zoneファンからの祝電)

 

逆に今までなんで出場できてなかったのかというのもあるし、少なくとも今年に関して言えば間違いなくこの出場は妥当だと思う。

コンサートのチケットもかなり手に入りにくくなっていたりファンクラブの会員数も増えたり、音楽番組で見てもオーラ凄くなったと感じずにはいられない。

自分の場合普段から常日頃ジャンプをチェックしているわけではないけれども、音楽番組とかで見るとめっちゃかっこ良くなったなとグループとしてかなり確立された感を受ける。

(ところで「ジャンプをチェックしてる」と書くとジャニオタと、漫画雑誌ファンでは意味合いが違うのが面白い)

世間的な印象として「最近の若いジャニーズよくわからない」という空白期間がちょっとあったところに、今はHey! Say! JUMPがいると言えるぐらいに人気が浸透して遂に紅白出場まで来た感じはある。メンバーの9人覚えてることがもはや常識なレベルになっている勢いすらある。

メンバーが若すぎずちょうどいい年齢になったり、9人いると誰かしら自分の好みに合う男子がいるというのも今の若い女性にとって推しやすいのかもしれない。 

 

 

あとは伊野尾慧の覚醒。

わりとマジで最近の伊野尾効果デカいんじゃないかというぐらい伊野尾人気がかなり大きい印象がある。それまでHey! Say! JUMPと言えばジャニーズにそこまで興味ない人の話とかを聞くと客観的に見て山田涼介しか知らなかったり、知念侑李をちょっと知ってるぐらいの人が多かった。

 

ただそこに近年特に伊野尾慧がブレイクして面白いネタ要素が加わったことで一気に人気が上がったのではないだろうか。

伊野尾さんはほんとネタの宝庫といっても過言ではない。

最近ではMステでただ後ろに普通に座ってるだけでも面白いのはなぜだろうか笑

 

わりとジャニーズのグループ人気にこういう「ネタキャラ」は大事で、このメンバーはイジり気味に話してOKという人がいると会話が弾む。

ファンとしても伊野尾をネタにしても許される風潮があるというか、逆に伊野尾の方もちょっと変なことしてもファンに許されるという謎の暗黙の了解みたいなものが存在する。

新しくHey! Say! JUMPを好きになった人が、伊野尾慧というキャラで盛り上がれるというのは今までのジャンプになかったゆるい魅力でもある。

 

実際自分も伊野尾さんを若干ネタにする部分があったり、他のファンの方を見てもそういう雰囲気はあって、それが楽しそう文化になってたのは新しく入りやすい空気を作ってたと思う。

こういった伊野尾的なゆるい雰囲気は平成ジャンプの新しい魅力になって、日本全国でそんな伊野尾トークをする人が増えたのもジャンプ躍進の理由かもしれない。

 

ガチなファンしか語ってはいけない雰囲気があると堅苦しかったりもするし、新しいファンが適当に語っても前からファンな人がそれを優しくて見てくれる空気感は本当に大事だと思う。

 

もちろん伊野尾慧だけじゃなく有岡大貴もちょっとネタにしていい感があって、ファンにとって語りやすいグループになったというのが最近の勢いの秘密なのかもしれない。

山田涼介率いる従来の正統派アイドルのイメージに加えてワチャワチャ感のあるグループとしての魅力が加わった、もしくは更に磨きがかかったというのが近年の進化のような印象を受ける。

 

結論:ジャニーズのグループにネタキャラ大事

 

 

ところで今回の紅白歌合戦のジャニーズ組は5枠で、これが結構世間的に様々な議論を呼んでいる。("ジャニーズ枠"に関する批判はもはや年末恒例行事だけど)

 

そもそもまず最近の紅白は若者向けに視聴率を取りに来てるという印象を受ける。

出場歌手を見ても演歌歌手だいぶ減ったなと思うし、一昔前の「お爺ちゃんおばあちゃんが見てる伝統的な年越し歌番組」というイメージをNHKもかなり変えようとして来てる。

Hey! Say! JUMPに加えて欅坂46,乃木坂46,TWICE,SHISHAMO,リトグリ,E-girls,WANIMA,西野カナ,三代目JSB,この辺見るとかなり若い女性人気重視してるというのが如実に表れている。

 

孫や家族がいるとおじいちゃんばあちゃんは良いけど、最近問題になってる孤独な老人にとっては長年親しんできた年末の年越しスタイルもいよいよ居場所も無くなって寂しい思いをするかもしれない。

もう紅白すら自分に合わなくなって、仕方なくBSでやってる誰が見てるのかという静かな番組を見て年を越す高齢者が結構今年は多いと思う。

 

「演歌歌手が少なくなって寂しいです、横文字が増えて良くわかりません」みたいな番組への意見が毎年寄せられるらしいけど、多分それってポケモンの「サンムーンになって自転車やジムがなくなって寂しいです、ウルトラビーストよくわかりません」みたいな自分の意見と本質は同じなんだろうなと、みたいなことを昨日友人と話していた。

なおその友人はガキ使を見る模様

 

www.cyzowoman.com

 

そしてこのジャニーズ出場枠、これに関しては世間からの疑問視だけでなくジャニーズファン内部でもいろんな異論があるところが複雑な事情になっている。

内ゲバというか内紛みたいなことになっていて正直Sexy Zoneファンとしては肩身が狭い思いもあったりする。

でも意見としては確かに「なんでセクゾが、うちのグループのほうが頑張ってるでしょ」というのも理解できる。

 

一番良いのは一昨年以前のようにジュニアをもっとバックに着ける事なんじゃないかなと思う。Sexy Zone+ジャニーズjrのパフォーマンスは迫力があって個人的に年末の風物詩にすらなっているし、年末らしい華やかさはある。

去年は確か5周年という事もあって単体で出場していたけども、ジュニアと共存するのが折衷案としてはベストなんじゃないだろうか。聡マリがジュニアと同化さえしなければあのスタイルがベスト。ついでに言えばCDもセクバもっと出したほうが良い気はする。

 

SMAPがフタに Hey!Say!JUMPが紅白出場に10年かかったワケ (日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

 

意外なことにヤフコメ欄ではSexy Zone以上に批判されていたのがTOKIOだという事。

ワイセクゾ担、批判を回避できてホッと一安心する。

 

今年のジャニーズ出演組は5つになっている。

・嵐

・関ジャニ∞

・Hey! Say! JUMP

・TOKIO

・Sexy Zone

個人的な視点としても客観的な視点としても上3つは納得がいくけれども、TOKIOとSexy Zoneは結構疑問視されている。今年でTOKIOは24回、Sexy Zoneは5回、一回も出場していないグループのことを考えれば確かに不公平だと感じるファンがいてもおかしくはない。

 

ぶっちゃけどちらのファンでもない客観的な人に「TOKIOとSexy Zone、どっちが聖域か?」とアンケートをとったらどういう結果になるのかは興味ある。

 

TOKIOサイドの言い分:紅白が日本人皆が知っている歌手が出演する場だとすればTOKIOは知名度が高い。子供人気、男性人気も高いから家族で見る番組だと考えれば妥当。実際TOKIOが出演するとジャニーズ知らない子供たちも喜ぶ。

 

Sexy Zoneサイドの言い分:こちらはジャニーズJrもバックで出演するので多くのジュニアファンが見る。最近はSNSでの盛り上がりも大事なので欠かすことはできない。ジュニアファンは一瞬の映りも見逃さない精鋭である。

 

世間の知名度VSジャニオタの動員力という構図だろうか。

逆に言えばどちらも必要とも言えるし、実は出演したほうがいい事情は十分に存在する。

TOKIOは子供も喜ぶし、Sexy Zoneはオタも喜ぶ。

 

クリロナ「それで皆ハッピーじゃないか、なぜ批判するんだい?彼らは僕にタオルを振らせようとしないよ。それに皆カウコンだってあるよ。」

薮宏太「あのロナウドが言ってるんですよ!皆さんで年末を楽しみましょう。」

知念侑李「カモナ マイハ~ウス!」

中島健人「皆さんにセクシーハッピーニューイヤーが訪れますように」

サッカーにおける「ボランチ」とは何かという考察

日本サッカー界特有の用語ともなっている「ボランチ」というポジション名、もしくは役割については様々な議論がある。

この言葉に関しては「定義はできるけど定義してもあまり意味がない」と表現したほうが的確だろうか、あまり言葉の用法に関して厳格に定めるといろいろと不具合が生じるのでナンセンスだ。

個人のサッカー観でイメージも異なり、人によってはボランチと呼ばれる選手も別の考え方ではその選手はボランチではないという行き違いが発生する。

 

大体のイメージとしては「ヤット的な、実(げ)にヤット的な」、そんな印象をこの言葉に対して日本のサッカーファンは抱く。

 

そんな「ボランチ論」について非常に面白く読み応えのある記事を見つけた。

改めてサッカーというのはいろいろな語り草で語ることができるジャンルであり、ボランチという言葉一つでここまで考察して盛り上がれることに奥深さを感じた。

 

・現代サッカーはカンテとバカヨコのコンビが最適解になりつつありアスリート化の傾向がある。

・ピルロに代表される芸術貴族的レジスタはいよいよ居場所を失いつつある、もしくは労働力を同時に求められる。

・ゲームメイクは一人の選手に依存する時代ではなくなっている。

・ボランチの数はワントップのクオリティに依存する。

・現代サッカーは選手が即興で創造するというよりも監督がプログラミングする時代になっている。

・育成や時代の風潮が偶然となりコンバートによって有力な選手が誕生する。

などなど、非常にロジカルな談義となっており読みごたえがある。

こういう話をじっくり読んで思索するのもまた一つのサッカーの楽しみ方でもある。

 

サッカーという競技は将棋や囲碁、チェスのような論理的な話が好きな人にとっては抜群に面白いという意外な魅力もある。

考察や議論好きの人にとってはこれほど面白いコンテンツも無い、それほどにサッカーは世界中で語られている上に日本人のサッカーファンもマニアックな人が多い。

 

実際グアルディオラ、マルセロ・ビエルサ、ズネデク・ゼーマン、サン・パオリを見てもちょっとマニア的な変人ほど面白いサッカーを作り上げる監督になっている。こういう話が好きな人がもっとサッカーファンになってくれれば日本のサッカーもレベルが高まっていくのではないかとも思う。

 

ボランチ論だけでここまで語る人がいるサッカー文化は中々面白い、役割の変遷、歴史、未来像など議論は多岐にわたる。

今日日ここまでコアでマニアックな人がいるコンテンツというのはなかなか存在しない。こういったサッカー談義が日本中のいろんな場所で議論されるようになったとき、それはサッカーが根付いたと言えるのかもしれない。

 

実際既にサッカー界はかなりマニアックに議論する人が多い。

軍事オタクや数学オタク並に語る人がいるジャンルが実はサッカーという世界だ。

例えば軍事の世界では「戦車不要論」「戦艦不要論」などが議論される。戦車においても駆逐戦車や重戦車というカテゴリーは消え去り、海戦においては花形の戦艦が消え去った。

これはいわゆる10番のファンタジスタが減少したり、典型的なストライカーが絶滅危惧種になりつつあるという議論に重なる。昨今の選手のユーティリティ化に関しても、戦車や戦闘機のマルチロール化の部分と共通している。

 

常日頃進歩し続けるジャンル、そして世界に追い付こうとしているジャンルであるがゆえに真剣に議論する人も多いのがサッカーだ。

 

www.footballista.jp

 

その中でもボランチやピボーテ、レジスタ、守備的中盤、セントラルというポジションは最もサッカー観が現れる分野ではないだろうか。

実は自分もそんな"ボランチ"についてややうるさいタイプなのである。そもそもまず個人的には「ピボーテ」という言葉が好きなところから始めずにはいられない程こだわりがあるがここは広義の意味で通じやすいボランチで統一したい。

 

その個人のサッカー観が最も現れやすい話としてダブルボランチ、ドブレピボーテを組むならどの選手を選ぶかという問いがある。

自分は結構エレガンスとか優雅さ、美しさを求めてしまうタイプで、贅沢な話バルセロナからセルヒオ・ブスケツ、レアル・マドリードからルカ・モドリッチを選出してみたい。

ベタもベタだけどこの2人組んだらかなりヤバイでしょ、見てていて絶対面白いと想像するだけで楽しい。

 

そりゃ世界最高峰の選手だから当然ではあるけども、この組み合わせは見てみたい。

フィジカル的なタフさやハードワークよりも、守備的な選手にまでドリブルや足技のような魅せる要素を要求してしまう浪漫や嗜好が自分にはある。

 

また完全に自分の美学や趣味重視で行くならばマルコ・ヴェラッティとルカ・モドリッチのタッグが自分の好みに最も合う。両選手とも身長は高くない物のボランチは高さだけが全てではなく、共にハードワークをいとわない選手として最高の中盤を作り上げる姿を想像せずにはいられない。

基本的にボランチの選手はタッチ数が多くなる傾向にあるのでそこで魅せることは90分間見ていて飽きない重要な要素になる。

 

ただアンカーを置くタイプのスリーセンターだと素直にセルヒオ・ブスケツを置きたくない自分もいる。それをやったらただのバルサの真似でしかないので、この場合はカンテを置いてその代りインサイドハーフにかなり攻撃的な選手を起用してみたい。

例えばイスコのインサイドハーフ起用はかなり面白いのでチアゴ・アルカンタラと組み合わせても面白そうだ。

 

というのも2013年にU21-EUROがあってその時インサイドハーフ(インテリオール)でイスコとチアゴ・アルカンタラが組んでいたチームがものすごく面白かった思い出がある。

全部やってくれる選手を1人アンカーにおいて「インサイドハーフの2人好きにアイデアで気ままにやって」というサッカーも面白さ重視ならありだろう。

 

2人の守備的中盤という話ならば狡猾なカセミロとタフなラジャ・ナインゴラン、もしくはアルトゥロ・ビダルの組み合わせも中盤を制圧しそうで面白い。

イングランドファンならば全盛期のランパードとジェラードの組み合わせにもロマンを感じるだろう。セリエAやイタリア代表ファンにとってはこの記事でも触れられていたピルロとガットゥーゾの組み合わせに憧憬を抱くはずだ。

またレアル・マドリードサポーターに話を聞くと今もレドンドの支持率は高く、アーセナルサポーターならばヴィエラを懐かしく思うのではないだろうか。

 

労働者やアスリート系だけの組み合わせ、この記事の表現を使用するならばピルロやシャビのような「貴族系」、もしくは芸術系だけの組み合わせ、その複合型、そして万能型同士の組み合わせなど様々にバリエーションは存在する。

個人的には全盛期のシャビ・エルナンデスとアンドレア・ピルロだけで中盤の底を支えたら現代サッカーの速さや強度に負けてしまうのか、技術や知性で制圧するのかという光景も想像してみたくなる。

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そして日本サッカーにおけるボランチの現状に話を移してみたい。

正直に言えば日本のボランチ育成は「ガラパゴス化」している印象を受ける。

前述の記事でも触れられている通り日本のボランチで海外において通用した選手は少ない。

遠藤保仁、中村憲剛は極めて日本的なボランチ象の典型でありそれを極めた選手でもあり、長年代表やJリーグを支えたレジェンドだ。

 

中村憲剛が好きな選手がコロンビアの英雄バルデラマだと語っていたことを聞いたことがある、すべてのプレーをセンターサークル付近でほとんどインサイドキックだけで操ったファンタジスタとして現代でも世界中にファンが多い。

走行距離が1試合8kmだったとも聞く、現代ではメッシですらなかなか許されない運動量だ。そんなバルデラマ率いるコロンビア代表はアルゼンチン代表を5-0の大差で破ったことがあり未だに語り継がれている。

 

日本人の理想のボランチ象は実はピルロではなくバルデラマの時代に遡るのではないだろうか。もしくはジョゼップ・グアルディオラ、つまり技術と頭脳、駆け引きやポジショニングでゲームをコントロールするという理想像がある。

 

育成ではいわゆるトップ下として育てられた選手がボランチにコンバートされるケースが多かったこともあり、このような選手が長らく日本サッカーにおけるボランチの頂点、理想像、典型例とされてきた。

一方で"さわやか893"と言われることもある福西崇史は現代サッカーの基準を先取っている選手かもしれない。

戸田和幸、稲本潤一、中田英寿(ジーコ時代)、長谷部誠などもその典型例とはやや違う選手だ。

前方の選手から後方の選手へのコンバートで大成功した例で言えばまさに長谷部誠でありドリブラーからシャビ・アロンソを理想と掲げるボランチへと生まれ変わった。それどころかセンターバックさえこなすほどインテリジェンスに溢れた選手だ。

 

一方で柴崎岳についてはどうだろうか。

柴崎はスペインにおいてトップ下やインサイドハーフ的な前目のポジションで起用されることが多く、日本では守備的ミッドフィルダーとして通用した選手がより前目のポジションで使われるというケースだと言える。

逆に小林祐希はトップ下志望であるがオランダではボランチで起用されることが多い。柴崎岳と小林祐希は本人の適正と志望が欧州基準では全く逆になっている。

 

日本基準の物が世界基準には当てはまらないというケースは非常に多い。

フォワードの柳沢敦がセリエAではサイド起用されたり、本当はトップ下が適正だと言われたり最近では岡崎慎司がなぜかインサイドハーフで起用されたりしている。

 

人材が足りない事や、それで日本サッカーにおいては通用することやベストであること、更に育成段階における考え方の違い、そしてサッカーを見るサポーターやファンの価値観、それらが総合して「ガラパゴス的サッカー観」のようなものを形成しているのではないか。

世界基準とのズレやギャップはどの国にも存在する上に、それが良い特徴となっている場合も当然存在する。

それは今は世界から遅れているとされている日本サッカーの価値観も改良次第では新しい選手を生み出す可能性があるということを意味する。必ずしも日本的なボランチ像を否定するべきではないだろう。

アンドレア・ピルロもシャビ・エルナンデスもイングランドやドイツ、ブラジルで育っていたら大成していなかったかもしれない。

 

そういった日本的な価値観はもちろん持ち続け育て上げる必要があるということは大前提として、やはり間違っている部分も修正していく必要があるはずだ。

現在まで世界基準のボランチが登場していない日本サッカーにおいて「もしも」があるとするならばどのような選手を見てみたいだろうか。

 

自分の意見としては2つのパターンを見てみたい。

1:ボランチとして高度な育成を受けた本田圭佑

2:テクニックとインテリジェンスを兼ね備えた長友佑都

 

今でもザッケローニ時代のトップ下とボランチの中間のいわば2.5列目に近い位置だった本田圭佑の役割は突出していたと思っている。フィジカル的にタフでキープ力がある本田圭佑はポール・ポグバを彷彿とさせる。

本田の理想形はポグバとハメス・ロドリゲスかメスト・エジルをミックスさせたような選手だったのではないか、それが実現できていれば彼の目指す世界一のサッカー選手やレアル・マドリード入団も実現していたかもしれない。

少なくともフィジカルに関しては確実に全盛期の本田は世界基準にあった。

しかし本人の「俺がメッシやロナウドを目指してもええやん、だってボランチやりたくなんですから」という志望と、ロシアリーグ時代の怪我などの問題もありこのイフは実現することが無かった。

 

また長友佑都に関して自分は日本人的なフィジカルの最高峰だと考えていてそこに世界基準のサッカーに通用する可能性を見出している。

今のエンゴロ・カンテを見ていると新しいボランチ像や日本人の可能性も芽生えてくる。長友佑都のポジショニングとアイデアが的確で技術があればボランチに限らずどのポジションでも活躍できるのではないか。

 

アルゼンチン人やチリ人は決して世界的に様々なスポーツを席巻しているわけではない、しかしサッカー的なフィジカルに関して言えば彼らは抜群に優れている。長友もそういったフィジカル的素質があったためインテルで最古参の選手として活躍し続けているのではないか。

 

長友本人のベストポジションは間違いなくサイドバックだという事に疑念の余地はない。その一方で今の日本のどこかに存在する長友佑都のようなフィジカルの持ち主に別の育成を加えてみればまた違う選手になるのではないかという思いもある。

 

完全に都合のよい妄想でしかないのは承知の上でポグバのようになっていた本田圭佑とカンテのようになっていた長友佑都がいたら日本代表はこのダブルボランチで世界を席巻していたのではないか。

そしてこの2人の中盤に支えられれば全盛期香川真司のトップ下としてのワールドクラスな才能も完全に発揮できていたのではないか。

様々な哲学や育成論、理想像の違いがこの分野において飛び交う。

 

今世界ではこのポジションのトレンドが大きく変化しつつある。

バカヨコとカンテのアスリート型が台頭することはこの領域における新たな未来像なのか、それともまた新たなトレンドが生まれるのか。

「ボランチ」について改めて考え直すことが今の日本サッカー界に必要とされていることかもしれない。

防弾少年団、アメリカの音楽番組で喝采を受ける

防弾少年団の勢いはもはやこれまでの韓流の枠組みを超えて世界に飛躍しつつある。

K-POPのブームといえば今まではアジア圏内に限られていたが、これからはむしろ欧米や南米諸国にまでそのブームが波及する時代になって来ている。

元々BTS自体が、SNSというインターネットの情報発信力をフルに活用して人気になってきた背景があり、最近はyoutubeの舞台で更なる飛躍を遂げている。防弾少年団のMVの再生数はもはや億単位の領域に達している。

 

自分が更に衝撃を受けたのはアメリカのAMA(アメリカン・ミュージック・アワード)に防弾少年団が出演して「インターナショナル・スーパースター(世界的なスター)」と紹介された時だ。

 

これは日本の番組にK-POPアイドルが出演しているわけではなく、アメリカの番組に東洋人のHIPHOPグループが出演して喝采を浴びている光景だ。

音楽だけでなく世界の歴史が変わったということをこのとき感じた。

ついに東洋人が文化において世界をリードする時代が来たとも言えるし時代が大きく変わったことの象徴だとも言える。

BTSの『DNA』は世界でヒットし、彼らに熱狂しているのは従来のK-POPファンだけでなく白人、黒人、そして男性だ。

人種や性別を問わず彼らのパフォーマンスと曲の良さに心酔している、良い物は人種も国境も海も超えるということを証明したのが防弾少年団だと言えるのではないか。

 

www.youtube.com

 

世界にはまだ根深い差別や偏見の目線が存在する。

それは我々アジア人や東洋系の人々に対する西洋人の目線であり、100年前は人間として扱われていなかった現実がある。日本とタイを除いて全てのアジアの国が欧米列強に植民地支配をされて、黄色人種は完全に白人の下位に位置づけられていた時代がほんの100年前まで存在した。

 

そして厳密に言えばその差別や偏見は21世紀になった今も残っている。

特にスポーツを見る人はこの現実が良くわかる。

つい先日でもサッカー韓国代表の選手がコロンビア代表との試合でいわゆる「釣り目ポーズ」という侮辱を受け、その前に日本のダルビッシュ有がメジャーリーグで同じようなことをされた。

良識のある白人というのはこの行為が差別だと理解していて、こういうことをしないが未だに日本人サッカー選手の海外での経験を聞いていてもそういう話は多いようである。日本代表の長谷部誠もドイツで散々釣り目ポーズをされたと語っており、悪意が無いチームメイトも含めてこの問題は根深い。

 

仮に防弾少年団が好きな欧米のファンが、サッカー韓国代表選手に対して差別ジェスチャーをしたコロンビア代表選手を見たらどちらに味方するだろうか?

そう考えると防弾少年団が欧米でヒットするという事の意味合いは単なる音楽のブーム以上の意味があるとも言える。

防弾少年団

更に言えばこういった堅苦しい問題だけでなく、純粋に防弾少年団のパフォーマンスを見ていると凄いことに気付く。

自分は特に「FIRE」という曲が好きで、大きなアクションでジャンプをする振り付けにかっこよさを感じる。DNAにしてもBlood Sweat & Teersにしても本当にかっこよくレベルが高い。このクオリティは間違いなく高く、 サッカーのソン・フンミン同様に認めざるを得ない。

 

自分はジャニーズのファンでもあるので、本来はジャニーズに防弾少年団のように海外でヒットして欲しいという願いもある。むしろジャニーズに影響を受けた韓国のアイドルが、今ジャニーズに影響を与えつつある。

今のアイドル文化はアジア圏内に留まらず、アメリカやヨーロッパにまでたどり着くことができるという意味では夢が大きい。

東洋人がこれだけ出来るということを示しているので、これから更にアジアの音楽シーンが盛り上がって行っていく可能性はある。

K-POPだけではなく、アジアの文化が世界の最先端の文化になれる時代がいよいよ到来したというのはとても夢がある事なのではないだろうか。そう考えると防弾少年団が欧米の世界で評価されたというのは、まだこれからの始まりに過ぎないということを意味しているだろう。

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それでも心が折れなかった本田圭佑の凄さ

2014年に開催されたブラジルワールドカップの日本における主役、それが良くも悪くも本田圭佑であったことはサッカーファンに限らず多くの日本人にとって印象深い。

南アフリカワールドカップが終わってからのRoad to Brazilの4年間というのは今後も日本サッカー史において語り継がれるほどに濃密な期間だった。

 

現在のハリルJAPANから停滞感が漂っていることもあり、なおさら比較対象としてザックJAPANは引き合いに出されやすい。

個人的にもこの期間は本当に今以上にサッカー熱があり、右肩上がりの時代は今後も思い出補正を伴い甘美な時代として自分の心に存在している。

 

確かにザックJAPANは最後は崩壊し、無様に敗戦した。

しかしそれまでの過程には大きな意味があり、今もその時代を楽しい思い出として語る人は多い。

いわば2011年から2013年までの上り調子の時期というのは日本サッカー史においては短期間だったが「世界に本当に近づけるのではないか、日本が本当に強豪国になるのではないか」と信じることができた時期だった。

 

勝てば英雄、負ければ大悪人、だからこそワールドカップにはドラマがある。

そしてあの上り調子の期間は、かつての日本の歴史と重なる部分もある。ザックJAPAN時代にFIFAランク12位まで上り詰めた全盛期の勢いはよく「日本の最大領土」で見かける地図に似ている。

1942年と2012年、一瞬だからこそ華やかに美化される。時代は違えども違う形でその時は夢を見たのかもしれない。

 

いわゆる太平洋戦争において1941年12月の開戦当初から日本軍が連戦連勝だった時期は当時の国民としては、今では反戦主義者になっている人も熱狂して楽しんでいたことは歴史の記録として残っている。

現実的には1942年6月のミッドウェー海戦以降日本軍は劣勢に立たされ始めることになるが、国民の体感としては1944年の7月のサイパン陥落によって始まる本土空襲まで日本は勝っているという幻想に包まれていた。

 

「あの戦争は本当に悲惨だった」と語られるが実際民間人が本格的な攻撃に晒されるのは絶対国防圏が維持できなくなり本土空襲が始まった時期からの1年間に過ぎない。

1944年からの本土空襲が始まるまで多少物資が不足することはあっても、出征した軍人を除けば戦争は海の向こう出来事でしかなかった。

ドーリットル空襲のような一部の例外は存在するが、本当に身の危険に晒され敗戦を実感し始めるまでの期間は大本営発表もあり右肩上がりの上り調子という体感を抱いていた人が多かった。

 

1941年末から1944年末までの3年間は当時の日本人の国民感情では「神州不滅」であり日本は勝つものだと信じていた。本土空襲が始まって以降も本土決戦をすれば勝てるという風潮さえあったほどに日本人は自分たちが無敵だと信じていた。

 

ミッドウェー海戦以降不利になっても大本営発表によって実態は秘匿されており、体感としては「日本は行けるぞ」という感覚があったのではないだろうか。

そしてそれは今の考えでは不謹慎だが、同時の感情としてはある種の昂揚感があったはずだ。

 

これはまさにザックジャパンの初期の連戦連勝の時期に重なる。

どれだけ最後ブラジルで大敗北を喫するとわかっていても、未だにあの4年間は楽しかったという思い出が今も存在する。

人生において輝かしい未来を信じることができている時期ほど楽しい物は無い。

そしてそういった希望的観測は往々にして上手く行かないことが多い、それもまた人生だ。

 

初期の日本軍の連戦連勝の話を聞くと最後どれだけ悲惨なことになるとわかっていても、当時の感情に思いを馳せると楽しかったんだろうなという感覚を理解することはできる。

 

ザックジャパンの実質的初陣のアルゼンチン代表戦に勝った時はアメリカ軍のハワイにおける拠点、すなわち真珠湾の攻撃に成功したという報告に似ていたのではないだろうか。

実際その時にアルゼンチン代表は本気だったわけではないが当時としてはまさかアルゼンチンに勝つとは、という衝撃は大きかった。

真珠湾もアメリカの主力航空母艦は停泊しておらず完全に撃沈できなかった艦船も多く、更にはそもそも攻撃が予測されていたという見方もほぼ定説になっている。

ただ当時の感情としてはそこまで実態がわからないがゆえにアルゼンチンに勝ったという喜び、真珠湾を攻撃したという衝撃と同様に大きかった。

それほど自分自身あのメッシが率いる上にテベスもいたアルゼンチンを撃破したときは未来を感じた。

 

また当時世界最強の海軍だと言われていたイギリス海軍をマレー沖海戦で打ち破り、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスを撃沈しシンガポールを陥落させたという報を聞いたときの感覚は劇的な2011年のアジアカップ制覇に重なる。

あのアジアカップの劇的な優勝は全試合リアルタイムで見ていただけに今でも感動がある。更にその後なでしこジャパンが女子ワールドカップを制覇して、ロンドン五輪では関塚ジャパン躍進と続く。

 

選手個人としても香川真司がドルトムントで二連覇を果たしついにはマンチェスター・ユナイテッドに行き、宇佐美貴史や宮市亮がバイエルンやアーセナル、長友佑都はインテル、本田圭佑はACミランと立て続けにそれまで想像もしたことが無かったビッグクラブへの移籍が相次ぐ。

 

今だから冷静に判断できるもののこの時は本当に世界に手が届きそうな感覚があった。

日本がサッカーの列強に追い付くという浪漫は現実的な分析を上回る昂揚感をもたらした。ついに始まった、そんな感覚を抱かずにはいられなかった。

 

子供向けアニメでもイナズマイレブンが全盛期で公園を見ればちびっ子がサッカーをやっている、憧れのアスリートはサッカー選手が独占、子供用のユニフォームを着た子が街を歩いてる。

日本が徐々にサッカーの国になりつつある、強豪国になりつつある、今思えば幻想だったのかもしれないがそれを信じることができた。

本田圭佑

そしてこの空気作りに一役買ったのがまさに本田圭佑だ。

「優勝しか考えてない」

「強豪国全部食います」

「ビッグクラブを憧れだと思ってもらっては困る」

そんな発言を繰り返し本気で優勝を目指す強豪国のメンタリティを選手だけでなくサポーターにも醸成しようとしていた。

当時の自分はまさに本田圭佑の大ファンであり、ほぼインタビューには目を通し試合も見て怪我で離脱期間中も情報をチェックしていた。

 

代表の復帰すればまさに大車輪の活躍、アジア予選を圧倒的な実力で突破しオランダ、ベルギー、フランス、イタリアなどの強豪国にも通用するほどの日本代表チームを正真正銘のエースとして牽引した。

アルベルト・ザッケローニが就任して以降の無敗期間は「裏世界チャンピオン」となり、一時FIFAランク12位近くにまで上り詰めた。

 

今でも「本田圭佑に夢を見させてもらった」と語る人が多いことがその時の勢いを証明している。

見ていて楽しかった選手であることは間違いなく、本当にワールドカップで「最低でもベスト8」だとすら信じられていた。

 

しかし今思えばそれは山本五十六の言う「最初の半年や1年は暴れてみせますが、後はいけません」という物だった。

 

結果は説明不要だろう、日本は一勝もできずグループリーグ敗退その後日本サッカーの人気は凋落していくことになる。代表戦の視聴率は低迷しあの時代の盛り上がりは感じられない。アギーレジャパン時代の2015アジアカップで優勝できなかったこともその低迷に拍車をかけ、元代表監督ハリルホジッチの戦術スタイルはエンターテイメントとしての求心力を失っている。

 

本田圭佑はコロンビア戦後のインタビューで「優勝とまで言ってこれですから」と魂が抜けたように語っていた。あの発言を聞いたとき大袈裟かもしれないが自分はまるで玉音放送を聞いたときのような気分になった。

「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び・・・」

あのフレーズをリアルタイムで聞いた日本人の感覚が少しわかった気がするほどに本田圭佑の反省の弁は悲壮感を漂わせていた。

 

綺麗事で「あの日本の戦争は間違っていた、戦争は悪いことだ」とか「ザックジャパンの自分たちのサッカーはワールドカップに通用するものではなかった」と後出しで語っても、当時の当時の感覚ではそうなってしまうところに恐ろしさがある。

 

何を戦争にまで例えて大袈裟な、と思われるかもしれないが当時のザックジャパンの盛り上がりを経験した人ならばあの敗戦の時の空虚な感覚を覚えているのではないだろうか。

あの時の感覚はザッケローニと本田圭佑の4年間を見ていた人ならば複雑な感情があるはずだ。勝ってたらな、とどれほど思ったことか。

今も椎名林檎の『NIPPON』を聞くと失われた夢への儚い感覚が蘇る。

そしてSuperflyの『タマシイレボリューション』を聞いて南アフリカ時代にまで遡るまでがテンプレだ。

 

しかしこれはあくまで当事者ではないサポーターやファン目線でしかない。

本田圭佑本人が味わった絶望や空虚感というのはただ見ていただけの立場からは想像がつかないレベルにある。

人間誰しもが少なからず努力が報われなかったり、夢が叶わなかったり挫折したりすることがある。

自分自身もその経験はあり諦めたような感覚にもなっている。

 

ただよくよく考えてみると、「自分の努力ってそこまで達してないだろ」という思いもある。あの4年間の本田圭佑を自分はできる限り見ていただけに良くわかっている。

色んなものを犠牲にし失い、限界を超えて努力をし、圧倒的なプレッシャーや批判と戦い続けた4年間があんなにもたった3試合であっけなく終わってしまう感覚というのは自分の理解の範疇を超えている。

 

その経験と比較したとき自分の数年間はそこまで大したことではないと思えてくる。

つまり「本田は今の自分以上にもっと大きな絶望を当事者として味わっている」、そう言い聞かせることでまだ落ち込む段階ではないとも思うし改めて本田圭佑凄いな、と。

自分の絶望なんて本田に比べれば大したことないやんけ、みたいなことを思うと恥ずかしいけど勇気づけられる部分もある。

 

本田の失敗は未だに批判され続ける、それほどのリスクを取って今もその失敗の責任と戦い続けている。未だに本田許せないという人は多いし、そして本人としてもあれだけ努力して何もなしに終わったときの虚空は常人が経験する範囲を超えている。

それと比べればまだ自分は大したことないなと、これが伸びしろやなとくどいほど自問自答しているときがある。

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しかも試練は決してワールドカップ後も終わらず、やっとACミランでインザーギ時代とミハイロビッチ時代の一時報われかけたと思ったらその後失速するということを繰り返してきた。

それも本人だけが原因ではなくアジアカップがあったり、選手が離脱したり監督が変わったり、そういう理不尽に振り回されてきた。

セリエA時代の本田圭佑に対する批判は今思えばヒステリックでさえあった。あれほどの失敗と批判を耐えられる本田圭佑のメンタルはあまりにも強靭だ。

 

上手く行きかけたのに単なる一瞬の喜び終わる、そういうことを何度も繰り返してきてよく心折れないないと素直に尊敬せずにはいられない自分がいる。

本田半端ないって、めっちゃすぐ立ち直るもん、あんなん普通できへんやん。

 

ロシアワールドカップはどうなるのだろうか。

ここで最後一花咲かせるかもしれないし、当然ここでもまた終わる可能性だってある。チームは躍進しても自分はその中にはいないかもしれない。

 

それでも本人は「引退後の方が凄いことをする自信がある」とまだまだ懲りず、相変わらず"世界一諦めの悪い男"としてブレずにその信念を貫き続けている。

キューバ革命を成し遂げたフィデル・カストロの真の才能は絶対に負けを認めないところにあったと評されている。

何があってもどんなことがあっても、何度負けても何を言われても絶対に折れる事のない不屈の闘志、結局それを持つ人間が最後の最後は勝つのだろう。