FIFAにおける真のシュートのコツ
このたび私、世界ランカーになりました。
パチパチパチパチ〜!(セルフ拍手)
嘘ではありませんよ
自分はゲームの世界で本当に世界のオンラインランキングに載りました。
今回ガチで世界ランクに載ったゲームは世界で最も売れている人気ゲームの一つである、EAのFIFAというサッカーを題材にしたスポーツゲームだ。
このFIFAというゲームには、いわゆるミニゲームのようなモードとして「スキルゲーム」という機能が存在する。このスキルゲームというのは、サッカーに必要な能力をそれぞれ重点的に強化するためにある。
例えばシュート、ドリブル、パス、ディフェンス、セーブという大体受験で言う5教科のようなものだ。
更にその主要教科も細部に別れていて、シュートだと単純にゴールを狙うモードから様々な壁を超えて打ったり、相手ディフェンスを避けて打つようなモードまでいろいろと実践に即している。
このモードはというとどんなにうまい人でも自分の技術を見直すために一人トレーニングとして使うことが多い。
いわゆる「自主連」というわけだ。
このスキルモードはワンセット数十秒から多くて数分となっていて気軽に楽しめる。勝敗というよりも自分のスコア更新を楽しむモードである。
例えば現実のサッカーで言うバー当てのようなもので、本田圭佑が日が暮れるまでプロフェッショナルの流儀で披露していたシーンが有名だ。結局のところプロも地味な練習をしているわけだ。
この機能、何が面白いかといえばオンラインに繋げば自分の立ち位置がわかるということである。全世界中のユーザー上位100人が掲載される仕組みとなっており、そのスキルゲームごとに競うことができる。
そして自分はついにそのランキングに載ったわけである。
正確に言えば守備部門では自分は数ヶ月前に上位に入っている。そしてその記録は未だ上位から陥落していない。
ただどうしてもディフェンスはニッチなジャンルであり、シュートという一番のメインのジャンルでランク入りしたいと自分は練習していた。というのも、自分のシュートが酷すぎて改めて練習が必要だと感じたからだ。あまりにも簡単な場面で外しすぎて我ながら呆れて地獄の自主練合宿敢行中である。
結論から言うと、100位内にギリギリ滑り込むどころか、かなり上位に入った。
自分でも「これゴール当たりすぎだろ、ランク確実に決まったな」と確信したレベルだった。
ただ前述のようにシュート練習と言っても普通のシュート、応用のシュート、フリーキック、ペナルティキックと4種類あり、更にそれぞれ「ブロンズ、シルバー、ゴールド、チャレンジ」と細分化している。
つまりシュート練習だけで計16種類ある。
自分が今回世界ランク入りしたのはこの中のたった一つだ。
またFIFAといってもNintendo Switch版で、プレステ版やPC版に比べれば人口は少ない。わざわざこのスキルゲームを熱心にプレーしている人ばかりではないし、更にそれぞれ別れている。シュートは得意だからパスの練習しかしないという人もいるし、そもそもオンラインにつないでない人もいる。
ただ、それでも「世界と戦っている感」のようなものはある。
スイッチ版のFIFAの国籍分別をランキングからみてみると意外な統計が取れて面白い。
まず意外とSwitch版FIFAを外国人はプレーしている。
Switch版FIFAはレガシー版といって実は最新作からいくつかの機能を削除した前作のようなものなのだが、自分のように携帯機でできるメリットを重視したり、単純にニンテンドースイッチを持っているからという理由で選ぶユーザーも一定数存在する。そのため当然ながらオンライン機能も利用できる
様々なランキングを調べた自分の体感上、確かに日本人は多い。ただそれ以上に一番多いのはなんとフランス人だ。
日本人VSフランス人で覇権争いをしているといっても過言ではない。
まあ自分も含めて日本人が多いのは想定内として、フランス人がおそらく最大勢力だというくらい上位の常連だ。
そして次にイタリア人が多い。
カルチョは廃れていなかった!やっぱイタリア人はサッカー大好きで安心した笑
そして次のティアー帯にドイツ人、イギリス人、スペイン人が来て、その後アメリカ人、メキシコ人、そして韓国人がチラホラいるというイメージだ。
チュニジア、チリ、モロッコ、ポーランド、スイスなども見かけるのでワールドワイドだ。逆に南米とアフリカは殆ど見かけないのでスイッチ普及率のデータとしても面白い。
フランス人の皆さん、というかヨーロッパの皆さん、日本製ゲーム機であるニンテンドーSwitchご購入ありがとうございまーす🤗
自分としても本場ヨーロッパ、そして世界のの連中と競いあえて、「サッカーしてる感」あって嬉しいわ、ほんとに笑
やっぱこうして国旗見えるのはわかりやすくて楽しい。
同じ日本人ユーザーも、ハンドルネーム面白くて楽しませてもらっている。
Switch版の日本人FIFAプレイヤー、愉快な方が多いね笑
「自分、あのモードに乗ってる〜なんですよ」なんて話で盛り上がったら楽しそうだ。実際かなり多くの日本人がランクインしているにも関わらず、ネットで公言している人は少ない。
ちなみに自分はシュートとディフェンス載っている二冠王だし、そもそもパスでもネットにつないでなかった時代の記録だと実質ランクインの数値を叩き出している(=それ以降その自己ベストを更新できていないだけ笑)
まあとにかく、自分は現役で世界ランカーですよ。
そこらのヨーロッパの奴を抑えて、日本人に限ってで言えば(一部の能力で)一桁の実力だ。
これまで自分はあまりにも惨めに外しすぎてシュート苦手だとふさぎ込んで自身をなくしていたけど、この通り世界上位のストライカーですから、残念!(ギター侍)
これから自分のことを呼ぶときはできれば頭文字に「ワールドクラス」と敬称をつけて欲しいものですよ、ほんまに。フランス人やらスペイン人やら、ドイツ人やらを超えて日本人としての意地を世界に発信していると。
一応バルサ所属で何度も日本代表を救ってきた国民的英雄という設定だ笑
「俺シュート上手いし才能あるし世界ランカーだし」という自身を手に入れた無双状態に自分はいる。
自信ないから外すんですよ。言いたいのはここ。
やってみればわかる、どれだけ人間は基礎的なミスに弱いかと。
それを超越して打倒するのはメンタルであり、習慣なんですね。
しかし、記録のみに目が眩んではいけない。
例えば普段は外し過ぎだがハットトリックを数試合に一度する爆発力のある派手なストライカーと、毎試合ほとんど一点は地味に取るフォワードがいたとする。
実際チームに利益をもたらすのは後者だ。
こういう練習だけで最高スコアを叩き出すことだけを目標にしていてはいけない。
どちらかというと毎回B判定を確実に出すことの方が重要だ。
自分の中で及第点を設定する。そしてしっかりそのスコアでも喜んで楽しむ。
A判定や更に超えて記録に残るスコアを出してもそれがまぐれだと意味がない。
またそういうスコアというのは滅多に出ないので、やってて成長を感じられずがっかりすることが多い。
こういうとき考えることはしっかりB判定を出せているかということだ。
実戦で必要なのはゴラッソを決めることではない。
プロの選手に限らず自分自身の試合を見ても、簡単なゴールを外していることが多いし、得点王のゴールシーンを見ると地味なゴールでミスせずに稼いでいる。
今の自分以上のスペシャルなゴールの奇跡にかけるより、今持っている実力を毎度安定して出し切ること。
そしてその繰り返しが確実になってから、次のレベルが見えてくる。
人間は一気に成長しない。
最高記録の更新は一度外に置いておく。
大事なことは安定していて毎度毎度絶対にほどよい成績以上を出すこと。
そうするとゴールは増え自信がついて、次のレベルのゴールも決められるようになる。ゴールは密接にメンタルと関係している。純粋な技術だけではたどり着けない領域がある。
実戦で最高記録の点数なんて役に立たない。
自分は世界ランカーだとたかがスキルゲームでイキっているが、本当はそうじゃない。偶然出た絶好調の記録であって、もう少し点数低くてもそれを毎回下回らないことの方が大事だ。
最高記録が出ないときの練習はつまらないし、人間どうしても記録更新が一番嬉しい。
でも、自分のベターな記録を3連続で安定して出した、というのもまた記録なんですよ。
そこに達成を見いだせるか、そしてその無限の繰り返しの先にだけブレイクスルーという境地がある。
そう思ってますねぇ
ニャブリとかいう唐突に現れた化け物ウィンガー
バイエルンが見事、欧州チャンピオンズリーグで決勝進出を決めたが、その立役者は最近まで無名のウィンガーだった。
まずは右サイドからスピードに乗ったテクニカルなカットインで切り込み、左足で1点目、しかもなんと右利きである。
次に中央で持ち込んで基点となりサイドにはたき、折返しをレヴァンドフスキが決めかねたこぼれ玉を押し込み2点目
完全に新スターの登場だ。
正直ニャブリを認識してたサッカーファン、どれだけいるだろうか。
自分が初めて知ったのはトッテナム戦での活躍で、あの試合から今季ヨーロッパの舞台で有名になったばかりの選手という認識だ。
実際にこれまでのキャリアは順風満帆ではなく、アーセナル時代にレンタルでウェストブロミッチに在籍していた期間は散々でパットせず。
そこからブンデスリーガをたらい回しで、なんとホッフェンハイム時代はセカンドチームにいた時期もあるらしい。これがたった2,3年前だ。
正直自分はどこの出身かさえも知らなかった。
父親がコートジボワール人で、母親がドイツ人、青年期までは陸上の選手というキャリアも考えていたらしい。
数少ない情報によると、アーセナルのユース時代をファン・ペルシーが知っており「当時は若い選手でとても速く、ドリブルも出来て、視野も広く、周りを見ている選手」だと評している。
現在25歳の選手なので、ポテンシャルからすればここまで駆け上がるのに時間を要したと言えるかもしれない。
むしろこの才能を発掘したバイエルン・ミュンヘンの凄さに驚く。
ロッベンの後継者をこうも簡単に見つけてしまった。
本来あのカットインでのシュートはメッシがしなければならなかったはずなのに。
また3点目のレヴァンドフスキも終始、細かい動きを繰り返し、収まりの安定感が素晴らしかった。
バルセロナの試合を見ていた身として、9番がこれだけ頼りになり献身的である姿は羨ましかった。見てたかスアレス、これが現代のストライカーの姿だ。どうせ見てもいないだろうが。
そしてとにかくチームとしてミスがない。あれほどパスが繋がるチームは久しぶりに見た。こんなものまでバイエルンボールになってしまうのかという保持力が時代の先を行っている。
特にワンタッチやワンツーの練習は、高い強度で繰り返していた成果だなと感じた。練習からして実戦以上のレベルでやっているのだろう。
バルセロニスタとしては悔しいが正直見事と言うしかない。
このチーム相手にネイマールがどれだけ対抗できるか。
間違いなくサッカーのレベルは次に段階に到達している。
「最近のアニメは努力と修行要素が少ない」←これ
おそらくなろう小説原作や日常アニメを見てそう判断してるのかもしれないし、それどころかもはやvtuber見てれば癒やされて楽しいというのが今のオタクである。
鬼滅の刃ってどうなんだろう、一度も見たことないけど努力要素あるんだろうか。
大正時代に呼吸使って鬼退治してするぐらいの認識なのだが、熱い展開とかが受けてるから幅広い世代に受けたのではないか。まあ知らんけど。
これまた見たことはないけどハイキューは努力根性で小さい奴がリベロで覚醒するとは聞いたことがある。
スポ根だと、自分はガルパンぐらいしか記憶にない哀しきモンスターなのだがあれ修行シーンあったかと言われると自身がない。ローランド曰くラブライブは弱小校が皆で努力して優勝していくみたいな話らしい。
修行シーンで自分が思いついたのガンダムSEED DESTINYでシン・アスカがフリーダム撃墜するためにレイと作戦練ってた所は印象に合う。
ただ、結局勝ったは良いものの再戦ラストマッチで最強キラさんに叩き潰されて再教育されるだけの話なので、あんま努力が報われた感は無いんだよなぁ。
ドラゴンボールとかワンピース、ナルトはあるんだろうか。
スポーツ漫画だとわりと多くありそうな気はするけど、サッカーファンなのに自分はほとんどサッカー漫画を読まない。
キャプ翼は日向君が矯正ギプスとかで修行してた様なはするけど、結局まだセリエ3部にいるぐらいしか知らないし、翼君天才だしなぁ。
そもそも何でこんなことを考えているかというと、世間一般の人はそういう熱い青春漫画やドラマとかを見て自分の部活とかの練習のやる気をもらうんだろうなとふと思ったからだ。
ローランドがチームとして全国を目指すラブライブに共感するんだよとかも言ってたけど、所詮帰宅部の自分にはわからんわけですよ笑
まあハイキューは腐女子が主体だったんだろうけど、身内が見てたので普通に少年アニメとして部活的な青春や共感を求めて見てる層もいたはずだ。
そうか、そうやって皆、スポーツで努力するシーンを学んで部活の原動力にする時代があるんだなと。
はいはい、どうせそういうのがわからない帰宅部ですよと。
そうやってひねくれてるからデスノートだのコードギアスだの、厨二病的なダークヒーローとか言い出すからあかんのよワシは・・・
かと言って別に努力シーンが嫌いなわけではなく、今までで一番共感したのはドラゴン桜のドラマ版だ。今何かと話題の山Pの若かりし頃の作品だ。
落ちこぼれが東大目指して仲間達と協力するストーリーは熱かった。
なお、ドラマリアルタイム時に憧れて受けた高校受験は失敗、高校の時の大学受験では原作が普通科あるあるで教室に置いてあったから読んで、それもまた失敗と。
※ドラゴン桜が悪いわけじゃなくて、自分の努力不足が悪い
そして最近、とある英語の検定を受けてこれもまた失敗
複数教科を勉強するのも自分に合わないし、今更大学受験はいろいろ予算がない。だからせめて得意教科の英語だけは、と考えてこのざまですよ。
酷いもんよ笑
だからこそ今そのリベンジのためにいろいろ努力して日々勉強中だ。
数年前に自動車免許とって以来特に達成感がないので、形だけでもと今英検の一級を目指している。同時にTOEICの進行中というか、共通する部分もあるのでやっている。
そしてついでにという訳ではないが、自分が唯一プレーしているゲームであるFIFAシリーズをもっと上手くなりたいと思いこちらも練習している最中だ。
目標は、難易度最高設定な上にCPU設定を操作し相手を強化した上での優勝を成し遂げるというもの。今のところ、強すぎて練習試合で時々勝てればいいぐらいだ。
難易度下げてサクサク優勝しても楽しくないので、自分が所属しているバルサでチャンピオンズリーグを穫ると。
なぜこれが関係するのかというと、例えばスマホでは英語のリスニングをイヤホンで聞きながら、手元のSwitchではゲームの練習をするということが可能だからだ。
また、サッカーゲームやったことがある人なら常識だと思うけど、短いミニゲームでの基礎練習というモードもありそれをワンセットして、次単語帳を読んで暗記、そしてミニゲーム再開という無限のサイクルを繰り返すと長時間続けられる。
人間って集中力が切れるのでこれがちょうどいい。
よく勉強してるときにゲームするなと言われるけど、逆でゲームのついでに勉強すれば続くわけだ。
ゲームも種類によっては音声聞かなくてもいいようなゲームってあるわけで、ゲームの音声はオフにして聞き流して勉強動画とか聞けば効率がいい。
逆にゲームがダルいパターンもある。
キツイ練習しなきゃ勝てないゲームの場合、「勉強もやっているからこれは人生の無駄ではない」と動画や音声ついでにやれば乗り越えられる。
この2つは凄く相性がいい。
FIFAのシュート練習なんて無限の反復練習で、プロもやっているし、ガチのサッカー選手もやっている。
レヴァンドフスキを育てたユースチームに日本のテレビ局が取材に行ったら、普通のシュート練習ばかりやっていたとか、最近だと先日のCLでスターリングが簡単なシュートをミスして負けてしまった。
数をこなせばいいという訳ではないけど、やっぱり基礎はいざという重要なときに出る。
自分は特にシュートが駄目で外してしまい負けることが多いので、そうやってシュート練習を地道に繰り返して自己ベスト更新に取り組んでいる。シュートを改善しない限り上にはいけない。
長くなったが、そういうこともあり今自分は「修行」というテーマを考えている。
世間一般の方々はどういう作品を見て刺激を得ているのかと気になったわけだ。
普通の人間がしてきた感動に自分は欠けているのではないか、大事なことにやっと気づくのかと。キラキラした青春モノの作品に触れて精神を浄化するべきだと。
ただ、ここからが自分の第二の持論よ。
まだ続くんかーい
いやいや、自分がそんな素直な結論で終わる善良な奴なわけねぇだろ(カイジ遠藤風)
まずいい年して、アニメや漫画のようなフィクションを見ているような時点で駄目だ。
強豪部の奴はそもそもそんな漫画読む時間ねぇから笑
最近、那須さんという元Jリーガーの動画でプロの高校時代の壮絶なエピソードなどを聞いているのだが「そんな悠長な暇ねぇわ」というのが真のトップの世界だ。
内田篤人なんてラウール知らないぐらいに現役時代プロの試合すら見ていなかったと言うし、強豪部の方の経験談とかでも「サッカー雑誌買ってる奴は二軍で、一軍は我慢してスパイク代などに実用的なことに当てている」と見たこともある。
もう感動とかじゃないんだよな、あのレベルになると精神がヤバい状態なので安い感動してる場合じゃない。
安い感動してる暇で現実と向き合ってキツイ練習してろ、準備しろというのがリアルな競争だ。
そんな感動に頼らなくても黙々とやる奴が勝てるし生き残るんだなと。
まあ自分にそういうメンタルの強さはないし、安い感動で数時間ぐらいモチベーションを得てその日は何もしないから受験に落ちてきた過去もあるわけで。
そしてそもそも創作物は感動しないと売れないからご都合主義なんだよな。
ある意味、才能や努力、根性が足りない弱者に寄り添う救済策なので本当の現実は書いていない。
それこそなろうじゃないけど、駄目なやつのための勇気付けみたいな一面があることは否定できない。もちろん自分はその駄目な人間に分類されるけどね。
自分が最近になって思うのは「史実のほうが面白い」ということだ。
最初、努力の刺激をもらうために何かいい作品でも見つけようかと思ったけど、それって現実のスポーツ選手や歴史上人物を見たほうが面白いよなと。
そういう意味でやっぱ自分にとってはどのサッカー漫画より、例えば本田圭佑の人生が面白いんだよな。将棋とかも羽生善治という物語が面白いし、今ではラノベ超えてる藤井聡太のニュースが、一番面白くリアルタイムで連載されているようなものだ。ネタバレが一切ないというか笑
例えばフィクションだったら、本田のベルギー戦のフリーキックは入っているだろう。夢に描いたミラン時代なんてもっと上手く描けているはずで、作中だとツイッター芸人になってないですよ。
現実は不完全でキレイじゃないし余計な物も多い。
「こうも残酷で酷いんだな現実って」という無茶苦茶さが学べるのがサッカーの面白さでもある。というか全ての競技に言えることではある。
現実の本田はフリーキックで成り上がった人間が最後フリーキック入らないで終った。でも、その後不格好ではあるかもしれないし批判されてるけどけど、次の舞台に進んでいくというの現状のリアルなストーリーはなんか「ノンフィクション」っぽいんだよ。
逆転人生とかプロジェクトX、マネーの虎みたいにヒューマンドラマみたいな側面があって大人にはそっちが響くみたいな。
それと俳優や女優が演じる物語より、その人たちの人生そのものの方がよっぽど映画だなとか思わせられる。
歴史上人物とかもはや中年超えてから本番みたいなところあるし、創作物でもやなせたかしがアンパンマンを世に出したのは晩年だ。
今、前述のように英語の勉強についでにいろいろな歴史上人物や出来事を英語の記事で勉強しているけど、もうアニメ見てる暇ないなというくらい学ぶことが多い。
それこそケイスケホンダ絶賛のキングダムで始皇帝の物語を壮大だと見た気になるよりも、前世紀に繰り広げられた毛沢東とか周恩来を自分で研究する方がよほどスケール感あるよなと。題材的に漫画化されにくいから逆に面白いという。
大河ドラマとかも一緒、ああいうのって結局世間受けしやすい配慮したものしか作らないんだよな。いろいろ大人の事情で題材にできない人物が多すぎる。面白さは絶対に歴代級になってもおかしくないけど、いろいろ事情があるので難しい人物が多い。
完全フィクションは売れるものや人気になるものしか作られないし、歴史物は利権が絡む。
今話題の半沢直樹の倍返しドラマも、同じ時間帯にやってたナベツネのドキュメントに比べるとそこらの銀行とガチモンのフィクサーは違うみたいな意見があったしアニメや漫画だからとかいうよりも、創作物には仕方ないジレンマがある。
ストーリーとしてキレイじゃないし、あるいは世に出せない、そういうのばかり。
文学ですら過激なものは映像化されない。
そして創作をする上で言えることだけど、史実や現実から反映した要素があるもの程面白い。手塚治虫なんて日本にほとんど現代的なカルチャーがない時代に作り出しているし、参考にしたとしても欧米のSFなどだ。
自分はアニメや漫画は好きだけど、そればっかり見てても面白い作品が作れるかといえば、参考にしてる作品自体がつまらないとどうしようもない。
現実とか史実、実体験(歴史は他者の経験のアーカイブス)というのは極上の素材、参考、刺激である。そういうところからかつてのクリエイターは想像していたから今がある。そして現代は似たようなもの同士で参考にしているから、ハプスブルク家のような近親交配のような状態になっているのかもしれない。
あまりにも脱線しすぎた。
タイトルに戻ると、努力や修行を描かないのも良くないし、かといって都合よく報われるだけというのも面白くない。
多分実際のところ名作のスポーツ漫画を読むより、甲子園に出ている強豪校のベンチで応援だけしてる奴の話とかの方がよっぽどリアルで面白いんだろうなと。
試合に出たいのは山々でキツイ練習もしまくってきたのに、他の学校に行かず応援することを選んだ、そいつにもすげぇストーリーがあると思うのよ。自分の受験生や帰宅部時代の話よりよっぽど面白いエピソードも多いだろう。
スポーツ漫画はそういう奴を主人公にしないし、ガンダムとかも量産機であっさり撃墜される奴の人生なんて描かないのよ。
でも現実はそういうベンチ応援員の経験を聞くことができるし、名も無き二等兵の手記とかが戦地で見つかることもある。
そういうところに大切なものがあるようなように思うし、学ぶべきところがあるんじゃないかなと。主人公のような劇的なストーリーは無いから地道に進むしかない。
狂騒と混乱、混沌、それもまたバルセロナ
先日の歴史的な大敗を目の当たりにして一つの時代の完全なる終焉を感じた。
数年前のポゼッションの死に始まり、そこから延命し続けてきたバルセロナ王朝の終わりをまざまざと見せつけられた。
もう間違いなく崩壊であり、カタストロフィーだ。
バイエルンは10年後のサッカーをしていた、バルセロナは10年前の戦い方をしていた。今後、10年はバイエルンのやり方がスタンダードとなるだろう。
ただ自分はクレであることを辞めるつもりはない、バルセロニスタで有り続けるだろう。
欧州や南米には「嫁は変えられても愛するクラブは変えられない」という意味合いの言葉がある。
明確にそういった表現があるというよりも、しばしば口にされる言葉でそういう価値観が根付いている。
正直に言って自分は流行に興味があり熱心に追いかけるタイプではなく、協調性の無い人間である。
その時々で人気のクラブに移るグローリーハンターではない。
自分にとって最初に好きになったクラブ、スポーツチームであるバルサはもはや宗教のようなものであり、簡単に改宗というわけには行かないのだ。
自分の地元は最近までJリーグのチームも無かったしJ1にいまだ上がったこともない。幼い頃には存在していなかったため、地元メディアで取り上げられるようのなったのもこの数年の話だ。
だからどうしてもバルセロナの方が自分にとって歴史が長く、サッカー以前からもスペインという国に見せられていた(厳密にカタルーニャがスペインと違う存在だと知るようになったのはバルサに興味を抱いてからではあるものの)
また単に地元だからという魅力やシンパシーに限らず、そのチームの戦い方、美学、哲学、体質、文化のような物もまた「入信」のきっかけになり得る。
FCバルセロナは非常に独特な存在であり、他に似たようなチームは存在しないため代替品を見つけることができない。
新たな移住先など存在しないのだ。
何がそこまで魅力的なのか、今一度情熱を失いつつあるクレ同志のためにも再確認してみたい。
バルサと同意義の言葉、それはエンターテイメントである。
バルサのアイデンティティは唯一無二であること、その為には極端に触れなければならない。
安定という言葉もいらない。
継続してただ勝つだけならレアル・マドリードやバイエルン、ユベントスのような国営クラブでも応援していればいい。
彼らのように優遇されたクラブと違い、バルセロナというチームは弾圧の中で自分達の民族性や地域意識を失わないために哲学を構築する必要があった。
負けてもいいからとにかくマドリーと同じ戦いだけはするな、それだけは負けること以上に屈辱だという認識が共有されてきた。
民族同化政策の中で自分達を失わないために、奪われた国の代わりに居場所を求め、クラブ以上の存在になった。
その歴史はカタルーニャ人でなくても共感できるストーリーを持つ。
これまでのチャンピオンズリーグでの敗戦で「せめて普通の負け方ができないのか」という意見があった。
いや、それは違う。
バルサは成功するときは誰よりも上手くやり、失敗するときは考えられないような失敗をするから面白い。
どちらともトップでなければならないのだ。
アーセナルファンが「2-8という数字はどうしても反応してしまう」と言っていたが、バルサはもっと大舞台でやってみせた。
ネタでも1位を取ったわけだ。
どうだ、みたことか。
これが真のエンターテイメントだ。
美しさも面白さもアーセナルは中途半端、もっと極端にやれと(急にとばっちりで叩かれるアーセナル)
そしてペップバルサやクライフのドリームチーム、MSNトリオと間違いなくサッカー史の議論でトップ候補に挙げられるチームやユニットを輩出する。
例えばレアル・マドリードの3連覇やデ・シマ達成、銀河系ギャラクティコ、古くはハゲワシ軍団キンタデルブイトレなどにしても何かしら曰く付きだ。
独裁政権時代に権力と癒着していただの、民主化以降もUEFAとはズブズブだったの、そしてCLを制覇していてもリーグは落としていたりと何かしらケチがつく。
戦術においても革新的なことがあるというより、監督のカリスマ性や運、勝者のメンタリティ、政治力、ブランドによって優秀な選手を集めただけという批判がつきまとう。
もちろんそういった「マドリディスモ」に惹かれる人がいることは否定しない。
ガンダムの地球連邦とジオン公国のような話であって、ジオンのようなただ単なる厨ニ病カルト国家より、連邦の正義ヅラしておきながら悪いことはやってしっかり勝つ成熟した老獪なスタイルが好きという人もいる。
彼らは自分たちが悪だとわかっていながら圧倒的な権力で革命を弾圧することに快感を覚える。バイエルンも同じだ。巨人と同じく、大企業、大正義、巨大な組織というエリートの葛藤もまた対極の魅力だろう。
ソ連も崩壊したし、チェ・ゲバラも凶弾に倒れた。結局大権力が勝つのも現実だ。
ただそれでも不利な黒のキングで白のキングに挑むチェスのような面白さもある。
キューバ革命における最初の襲撃でフィデル・カストロは大敗北を喫したが、その時彼はこの革命は勝てると言った。
用意周到に準備してきた虎の子を失ったにも関わらず。
チェ・ゲバラ「彼の最も秀でた特質は決して負けを認めないことである」
革命に大敗北は付き物だ。結局その言葉通りフィデルは勝利し、今日までキューバは一度もアメリカに侵略されていない。
バルセロナとエスパニョールの違いは、戦前からその革命精神である。
今のバルサはもっと革命で政権を手にした勢力が腐敗するという典型的なパターンに陥っているのかもしれない。
これからバイエルンのようなオーソドックスを突き詰めただけのテンプレ厨好みのチームが独裁を敷くことに対して、もう一度反逆する意志を取り戻さなければならないだろう。
そもそもバルサというのはこの10数年が特異的な黄金期であっただけで、本来はやはり極端を揺れ動くクラブだ。
お家騒動や内紛といったカオスもまたお家芸だ。
同じような安定した長期政権が続くのではなく、良くも悪くもラテンの気質で感情を揺さぶる。
何があるかわからないから面白いし先が読めない。
そのスタイル上、失点はある程度覚悟であるように、クラブの失態や暗黒期さえも覚悟しなければならない。
ただ、バルサは決して弱さや笑いだけがあるチームとは異なり、必ず世界最高峰に辿り着く歴史を繰り返してきた。その希望があるから応援し続けられるのである。
バルサが王者になるときは3冠達成のように内容でも結果でも問答無用で圧倒しているときだけだ。メレンゲ集団と異なりリーグはグダグダだったなどのような後味の悪さがない。
勝てば細かいことはどうでもいいというのもまた大正義意識であり、それがマドリディスモたる所以であり強さの秘訣なので尊重していないわけではない。
ただしバルサにそれは無理だし、逆に政治団体のマドリーにもバルサのような哲学の追求は不可能なのだ。
バルサは政治組織ではなく革命組織である。
浪漫とか理想とか、そういう青い厨二病みたいな情熱を求めているから面白い。
そして強いときは本当に圧倒的に強い、まさに厨二病学に合うクラブがバルサだ。
マドリー、バイヤン、ユーベが大正義3兄弟だとしたら、バルサ、リバプール、インテルのだめぽ3兄弟でやっぱり通じるものがある。
常に王者であることを後者は求めていないし、逆に言えば前者は常にそれを求められるプレッシャーもある。
どちらが好きかというのは見事に性格が分かれるだろう。
前者は前者どうして気が合うだろうし、後者は後者は同士で気が合う気がする。欧州の強豪で南米っぽいのは後者であるように思う実際バルサとインテルは特に南米のレジェンド選手が多い。
全員ヨーロッパ人のBBCトリオと全員南米人のMSNトリオはまさに分かりやすい典型例だ。リバプールは南米ではないがイングランドの下町精神があるし、インテルは元々外国人枠を巡ってミランから分離した歴史がある、当然南米とも関わりが深い。
そういった良くも悪くも両極端な、人間性の魅力、インスピレーションやアイデア、を大事にするところ、エンターテイメントを求め良い時代も悪い時代も経験するところ、この激動と競争こそフットボールの醍醐味だ。
サルバドール・ダリやガウディのようにあの街は芸術を愛している。
カタルーニャにまた日は昇るだろう。
FCバルセロナさん、心肺停止状態で発見される
8-2とかもはや伝説だろこれ、世紀の一戦を目撃してしまった。
2試合合計スコアではなく1試合でこの数字である。
なんと決勝トーナメント、ノックアウトステージでの8失点はCLの歴史上初とのことでチャンピオンズリーグ版ミネイロンの悲劇がここに誕生してしまった。
もう前半で4点取られてぐらいからはこれブラジルVSドイツの再現あるんじゃないかと見ていたが、まさかそれを上回ることになるとは。
畜生クロースがどっかのタイミングでまた煽りそうだ。
28とか82という数字には要注意だ。
野球における33-4並の数字になってしまった。
やっぱりバルサは野球に例えると阪神やったんや・・・
もうしばらくの間8と2の組み合わせには耐えられそうにない。
まずこの試合、パスミス地獄、そして高齢化地獄だった。
もう今のバルサは豆腐メンタルでちょっとでも上手く行かないと瓦解してしまう。パスミスの嵐から、しょうもない失点をして強度の高い相手に崩されてしまう。
駄目なやつのFIFAを見てるときにそっくりというか、完全に自分がゲームで大量失点して負けるパターンそのもので親近感すら湧いた。
前回の記事で書いたことが悪い意味で的中しまくり、バルセロナはロンドンにある都市だったのかと錯覚しそうだ。
ドイツ軍の電撃戦に蹂躙された哀しきカタルーニャよ。
スペイン内戦時のゲルニカ空爆レベルの大惨事だ。
笑えるのが流石にコウチーニョから得点されることはないだろと思っていたら見事に2点決められてハットトリックされかけたというところである。
もう悔しいというよりも呆れて笑いしか出てこない。
開始3分で決められて、コーナーキック地獄に晒されてブスケツが汗ダクダクだった姿を見て、もうこのチーム90分持たないだろうなという気がしてはいたが、まさかここまでとまでは信じられない。
完全に時代遅れのサッカーだ。
シニア軍団が技術も体力もメンタルも全て劣っていた。シルバーセロナと改名すべきだはないだろうか。
それとメッシはすぐに諦めすぎ。
毎年のように頼りない姿を見てたけれど案の定
もうメッシ様とか言ってる小柳ルミ子姉さんくらいしか信じてないってというくらい、最近のメッシは信用がない。(ルミ子はセティエンをCL再開前に更迭すべきだと言っていたので見る目はある)
この表情また今年もだ。
ほんと、鏡で練習でもしてるのか?と言いたいぐらい毎度毎度の風物詩である。
プジョルのような強いメンタリティを持った選手が誰一人としていない。贅沢は言わない、せめてマスチェラーノくらいの選手が居てくれればと思ってもいない。
ネイマールのように流れとは無関係に打開する選手もいない。かろうじてスアレスが今日はやる気あったけれど、そのギャンブルも一度きりだった。
それにしても本当に、かつて世界最高のパスサッカーを披露していたチームとは思えない。ここまでバルサのパスが稚拙になるなんて信じられない。
セメドとセルジロベルトの連携ミスから2失点目が生まれたが、あの中盤でのミスを全盛期のシャビとイニエスタ、アウベスがするとは思えない。
キケ・セティエンはポゼッションの哲学を持っていると思っていたけど、選手の思いつきや個人の能力やセンス任せのパスワークでしかなく、組織として完成度の高い部分は見当たらなかった。
わけのわからないパスミスの連打はちゃんと戦術を浸透させていないという証明だ。
個人の選手が勘でやっているので、ちゃんとシステムを構築しているチームに圧倒される。中途半端に全盛期の栄光にすがっている選手が自分達はパスも上手いしテクニックがあると思っているが、研究され尽くしてどのチームの選手もパスが上手くなっている。もうかつてのようなアドバンテージは無いのに。
現状、焦土と化したこの状況から復興する姿を想像することは難しい。
もう一度バルサは哲学を見直し原点に立ち返るべきだが腐敗した体制はもうしばらく続く。
正直に言って心は折れかけている。シャビ先生の帰還まで情熱を取り戻すことも難しいだろう。