先日の歴史的な大敗を目の当たりにして一つの時代の完全なる終焉を感じた。
数年前のポゼッションの死に始まり、そこから延命し続けてきたバルセロナ王朝の終わりをまざまざと見せつけられた。
もう間違いなく崩壊であり、カタストロフィーだ。
バイエルンは10年後のサッカーをしていた、バルセロナは10年前の戦い方をしていた。今後、10年はバイエルンのやり方がスタンダードとなるだろう。
ただ自分はクレであることを辞めるつもりはない、バルセロニスタで有り続けるだろう。
欧州や南米には「嫁は変えられても愛するクラブは変えられない」という意味合いの言葉がある。
明確にそういった表現があるというよりも、しばしば口にされる言葉でそういう価値観が根付いている。
正直に言って自分は流行に興味があり熱心に追いかけるタイプではなく、協調性の無い人間である。
その時々で人気のクラブに移るグローリーハンターではない。
自分にとって最初に好きになったクラブ、スポーツチームであるバルサはもはや宗教のようなものであり、簡単に改宗というわけには行かないのだ。
自分の地元は最近までJリーグのチームも無かったしJ1にいまだ上がったこともない。幼い頃には存在していなかったため、地元メディアで取り上げられるようのなったのもこの数年の話だ。
だからどうしてもバルセロナの方が自分にとって歴史が長く、サッカー以前からもスペインという国に見せられていた(厳密にカタルーニャがスペインと違う存在だと知るようになったのはバルサに興味を抱いてからではあるものの)
また単に地元だからという魅力やシンパシーに限らず、そのチームの戦い方、美学、哲学、体質、文化のような物もまた「入信」のきっかけになり得る。
FCバルセロナは非常に独特な存在であり、他に似たようなチームは存在しないため代替品を見つけることができない。
新たな移住先など存在しないのだ。
何がそこまで魅力的なのか、今一度情熱を失いつつあるクレ同志のためにも再確認してみたい。
バルサと同意義の言葉、それはエンターテイメントである。
バルサのアイデンティティは唯一無二であること、その為には極端に触れなければならない。
安定という言葉もいらない。
継続してただ勝つだけならレアル・マドリードやバイエルン、ユベントスのような国営クラブでも応援していればいい。
彼らのように優遇されたクラブと違い、バルセロナというチームは弾圧の中で自分達の民族性や地域意識を失わないために哲学を構築する必要があった。
負けてもいいからとにかくマドリーと同じ戦いだけはするな、それだけは負けること以上に屈辱だという認識が共有されてきた。
民族同化政策の中で自分達を失わないために、奪われた国の代わりに居場所を求め、クラブ以上の存在になった。
その歴史はカタルーニャ人でなくても共感できるストーリーを持つ。
これまでのチャンピオンズリーグでの敗戦で「せめて普通の負け方ができないのか」という意見があった。
いや、それは違う。
バルサは成功するときは誰よりも上手くやり、失敗するときは考えられないような失敗をするから面白い。
どちらともトップでなければならないのだ。
アーセナルファンが「2-8という数字はどうしても反応してしまう」と言っていたが、バルサはもっと大舞台でやってみせた。
ネタでも1位を取ったわけだ。
どうだ、みたことか。
これが真のエンターテイメントだ。
美しさも面白さもアーセナルは中途半端、もっと極端にやれと(急にとばっちりで叩かれるアーセナル)
そしてペップバルサやクライフのドリームチーム、MSNトリオと間違いなくサッカー史の議論でトップ候補に挙げられるチームやユニットを輩出する。
例えばレアル・マドリードの3連覇やデ・シマ達成、銀河系ギャラクティコ、古くはハゲワシ軍団キンタデルブイトレなどにしても何かしら曰く付きだ。
独裁政権時代に権力と癒着していただの、民主化以降もUEFAとはズブズブだったの、そしてCLを制覇していてもリーグは落としていたりと何かしらケチがつく。
戦術においても革新的なことがあるというより、監督のカリスマ性や運、勝者のメンタリティ、政治力、ブランドによって優秀な選手を集めただけという批判がつきまとう。
もちろんそういった「マドリディスモ」に惹かれる人がいることは否定しない。
ガンダムの地球連邦とジオン公国のような話であって、ジオンのようなただ単なる厨ニ病カルト国家より、連邦の正義ヅラしておきながら悪いことはやってしっかり勝つ成熟した老獪なスタイルが好きという人もいる。
彼らは自分たちが悪だとわかっていながら圧倒的な権力で革命を弾圧することに快感を覚える。バイエルンも同じだ。巨人と同じく、大企業、大正義、巨大な組織というエリートの葛藤もまた対極の魅力だろう。
ソ連も崩壊したし、チェ・ゲバラも凶弾に倒れた。結局大権力が勝つのも現実だ。
ただそれでも不利な黒のキングで白のキングに挑むチェスのような面白さもある。
キューバ革命における最初の襲撃でフィデル・カストロは大敗北を喫したが、その時彼はこの革命は勝てると言った。
用意周到に準備してきた虎の子を失ったにも関わらず。
チェ・ゲバラ「彼の最も秀でた特質は決して負けを認めないことである」
革命に大敗北は付き物だ。結局その言葉通りフィデルは勝利し、今日までキューバは一度もアメリカに侵略されていない。
バルセロナとエスパニョールの違いは、戦前からその革命精神である。
今のバルサはもっと革命で政権を手にした勢力が腐敗するという典型的なパターンに陥っているのかもしれない。
これからバイエルンのようなオーソドックスを突き詰めただけのテンプレ厨好みのチームが独裁を敷くことに対して、もう一度反逆する意志を取り戻さなければならないだろう。
そもそもバルサというのはこの10数年が特異的な黄金期であっただけで、本来はやはり極端を揺れ動くクラブだ。
お家騒動や内紛といったカオスもまたお家芸だ。
同じような安定した長期政権が続くのではなく、良くも悪くもラテンの気質で感情を揺さぶる。
何があるかわからないから面白いし先が読めない。
そのスタイル上、失点はある程度覚悟であるように、クラブの失態や暗黒期さえも覚悟しなければならない。
ただ、バルサは決して弱さや笑いだけがあるチームとは異なり、必ず世界最高峰に辿り着く歴史を繰り返してきた。その希望があるから応援し続けられるのである。
バルサが王者になるときは3冠達成のように内容でも結果でも問答無用で圧倒しているときだけだ。メレンゲ集団と異なりリーグはグダグダだったなどのような後味の悪さがない。
勝てば細かいことはどうでもいいというのもまた大正義意識であり、それがマドリディスモたる所以であり強さの秘訣なので尊重していないわけではない。
ただしバルサにそれは無理だし、逆に政治団体のマドリーにもバルサのような哲学の追求は不可能なのだ。
バルサは政治組織ではなく革命組織である。
浪漫とか理想とか、そういう青い厨二病みたいな情熱を求めているから面白い。
そして強いときは本当に圧倒的に強い、まさに厨二病学に合うクラブがバルサだ。
マドリー、バイヤン、ユーベが大正義3兄弟だとしたら、バルサ、リバプール、インテルのだめぽ3兄弟でやっぱり通じるものがある。
常に王者であることを後者は求めていないし、逆に言えば前者は常にそれを求められるプレッシャーもある。
どちらが好きかというのは見事に性格が分かれるだろう。
前者は前者どうして気が合うだろうし、後者は後者は同士で気が合う気がする。欧州の強豪で南米っぽいのは後者であるように思う実際バルサとインテルは特に南米のレジェンド選手が多い。
全員ヨーロッパ人のBBCトリオと全員南米人のMSNトリオはまさに分かりやすい典型例だ。リバプールは南米ではないがイングランドの下町精神があるし、インテルは元々外国人枠を巡ってミランから分離した歴史がある、当然南米とも関わりが深い。
そういった良くも悪くも両極端な、人間性の魅力、インスピレーションやアイデア、を大事にするところ、エンターテイメントを求め良い時代も悪い時代も経験するところ、この激動と競争こそフットボールの醍醐味だ。
サルバドール・ダリやガウディのようにあの街は芸術を愛している。
カタルーニャにまた日は昇るだろう。