東大を目指す現実は厳しいかもしれない
毎日勉強の日々だ
模試の成績が悪くて、志望校を落とそうと悩むときもあるだろうし
塾へ行ったり、深夜まで勉強したりで、ハードな日々が続く。
あれもやらないといけない、これもやらないといけない、全然勉強できてない、学力が足りないというプレッシャー
このままでは合格できないんじゃないかという不安や合格しなければ自分の人生が終わってしまうというプレッシャーを特に10代なら感じるだろう。
そういう日々は本当につらいと思う。
だけど俺からすれば、ある程度勉強ができて、もしかしたら東大に受かる可能性があること
そしてその時間的余裕や、東大に合格したいという野心があること自体がうらやましい。
そんなかっこいい夢を持てる、そして東大に入ったらこうしよう、というワクワク感を持てる
それは幸せなことだ
そのために頑張れることも幸せだ。
たとえ厳しくても、俺からすればその充実が羨ましい。
その葛藤の日々は誰もが味わえるわけじゃない、貴重なものだ。
その戦いの真っただ中にいることができるのは選ばれた人間だけだ。
東大目指しています、東大行くために頑張っています、と言えるも
東大本気で目指してる、受からないといけない、と思えるのも選ばれし人間だけ。
まずその厳しさや辛さ、葛藤があるという事は、それ自体が幸せな証拠。
・夢を見つけられている
・目指す時間的余裕がある
・絶望的なほど才能がないわけじゃなく一定以上の才能や能力がある
・そのために努力できる環境がある
そういうのがないとまずその厳しさ自体味わえない。
その場所に立つこと自体できない。
その厳しさを味わえるという事は、そういう条件がそろっているという事だ
まず夢を見つけられてる時点で幸せ。
サッカーイングランド代表のウェイン・ルーニーが言っていた
「目が覚めた時、今日もサッカーができるぞと思えるのはサイコーさ。」
そういった夢を持てていて、今日も明日もそれを追うことができる
それだけでまずは最高な幸せである。そしてもし夢がかなえばもっと大きな幸せが手に入る。
これほど充実した人生があるだろうか。