1:考察系ブログや個人ブログはオワコンなのか
どうでもいいことを考察するのがオタクやブロガーだった。
今の時代特定のジャンルしか考察してる人がいないというか変なことを考察してる人前に比べ検索で見かけなくなった。
語る人が減ったわけじゃないけど個人ブログで熱心に語って考察してる人は減ったように思う。もうブログがそういうツールじゃなくなってるのかもしれないし他にちょうどいいツールができたのかもしれない。
語ってても検索に特化したビジネス記事とかまとめサイトとかの方が上に来てしまう。個人のリアルな感じで考察してる感がなくなってきている。
よく言われることだけどもネットが整備されすぎてしまったのかもしれない。
2:語りたい人は人が多く集まる場所に集まるようになった
確かに今でもマニアックな内容で語る人は多くいる。でもそういう人ってたいてい掲示板とかまとめサイトのコメント欄みたいなところに集まってる。昔はそういうことを語ってる人は個人ブログみたいなのでもっと語っていた。
恐らく人が集まってるところでしか話したくない心理がそうさせている。
議題で盛り上がってるスレとかコメント欄では皆冗舌に長文で話す。
それは凄く面白い内容の時がある。 このコメントは面白いなぁというのが多い。
人間の心理としてやはり誰かが話しているから自分も話したくなるしコメント欄は議題をくれるのでそこに参加したくなる。そういう議論は確かに見ていて楽しいし中にはかなり鋭い意見がある。
こういう人たちがもっと個人ブログをやれば絶対面白いし、この意見を書いてる人が本格的にブログやれば面白そうだなぁと思うのにあまり皆個人ブログで熱心に考察しない。それが何かもったいなく感じる。その意見をしっかりブログ記事にやったら凄いものが完成しそうなのになんとなく人が集まってるコメント欄でちょっとだけ語る。
3:まとめサイトコメント欄には面白い人が大勢いる
例えば自分はサッカーのまとめサイトをみるけどコメント欄に熱心に語る人が多くいるんだよね。そういう人たちが真面目なサッカー考察サイトを作って年中理論を書きまくれば絶対いいものになると思う。最初は誰も見てないかもしれないけどそれが積み重なると多くの人が見るようになるしそれが日本サッカー発展のためにもなる。
もっともっとそういうサッカーブログとか考察ブログが増えていけばいいけどもまとめサイトでちょっと語るだけで済ませてしまうのが惜しい
あとはツイッターにしたりとか。144文字の気軽さと反応の集めやすさ、交流の楽しさもあいまって今何かを語る人はツイッターに集まっている。昔だったら個人でブログをやって考察していたり持論を語っている層がツイッターに集まっている側面はあると思う。
もはやそういうアカウントすら持たずSNSも自分のサイトもやらずネットでは最低限の通販アカウントしか持ってない人とかも多いはず。そういう人は匿名掲示板やまとめサイトのコメント欄の時だけ書き込むことが多い。こういう人たちって考察すれば面白いのに結局コメントをちょっとかいて終わり。個人ブログで100%の力を出し切れば相当ボリュームある物が書けるぐらいの知識がある人が、まとめサイトのコメント欄で10%ぐらいの知識しか出していないのはかなりもったいない事のように思う。
勿論そういう人たちの中にはブログを持ってる人もいるだろうけど。
こういうまとめサイトやスレの問題って賞味期限があることだと思う。
いくらいいことを言ってもその意見そのものは結局検索では人目に付きづらい事。何十人もの主張が集められてるから目立つが同時に1人1人の意見はそれまで重要視されていない。人が多く見てるからその時は人目に付きやすいけど結局埋もれていく。消費型コンテンツになっている。
自分の主張をしっかりまとめてブログやサイトで1つの記事にした方が主張が残るという意味ではいいと思う。
ブログというシステムはいくらでも長いこと書けるから長く語りたがる人にとっては最良のコンテンツ。そしてそういうのをじっくり読みたいという人も世の中にはやっぱり多くいる。
4:今の時代はカジュアルさとコミュニケーションが大事
でも現状やっぱり流行ってるのは活況とした場所の一言二言書くスタイル。
みんななんとなくそのとき活況としてワイワイとしてるところにコメント残して一体感を味わいたい。
こういう場所は人と会話してる感じになれるというのは大きい。
個人ブログは基本的に孤独との戦い。
あまり通りすがりの人からコメントがあるわけじゃないしいつも見てる人もそんなコメントしないで見てるだけというスタイルが多い。自分も正直人のブログみてもコメントしようと思わないしね笑。ブログって基本コメントしにくいシステムなんだよね。
誰かがコメントしてる時はさらにコメントしやすいけどいきなりコメントがないところに書きこんでいいのかな?みたいな雰囲気もある。そういう意味で活況とした場所は参加がしやすい。参加型コンテンツや誰かとやるコンテンツが今の時代受ける。
反応の来やすさとか気軽に書ける感とか一体感においてはまとめサイトコメ欄や掲示板、SNSの方が今の時代人気を集めやすい。結局長々とブログを必死に書くよりもツイッターで適当なことを書いてリツイートされることのほうが嬉しい時代になったんだよね。自分もツイッターしてた時はそうだった。今はブログで一人長文で語ることの面白さに気付いているけども慣れないうちは一人で語ってる気になってしまい続かない時期もあった。そういう意味じゃまとめサイトコメ欄とかSNSというのは現代人にとってつかず離れずのちょうどいい「居場所」なんだろうね。
そういう居場所感は現代のネットにおいて大事でブログでも実際の所交流重視でやっている人もいる。
はてなブログでもはてなスターという制度があってツイッターやフェイスブックにおけるいいね!のようなもの。自分はそういう人間関係すら億劫になって廃止したけどやはり人間関係があるとやる気とか嬉しさはあがる。
ただネットって検索で見てる人が多いからあまりそういう「ネットのいつもの人間関係」ばかり意識しすぎるとSNS依存症みたいになってしまう。いつも見てる人ばかり意識していてもその人だっていつ見なくなるかわからない。人間関係は楽しい物であると同時に鎖にもなる。それよりは人間関係を気にせず一生懸命書いたほうがいいしいつも見てる人も多分そういう物の方が面白いと思うんだよね。
5:今時のネットで一人でやることは受けないし楽しくない
SNS全盛期の時代、ネットはどこでもかしこでもコミュニティが大事である。
カジュアル、コミュニティ、コミュニケーション、この3Cがネットコンテンツに置いては重要。そういう中で一人マジになって語ってる個人ブログはオワコンになりつつある、というよりもやっていて楽しくないと考える人が多くなった。結局ブログというのはガチでやろうとすると難しいことが多くて敷居が高い部分もある。実際やってて思うけど間違いなく時間が必要。そんなすぐに何かが変わるわけではない。その時間の大部分を一人で過ごさないといけないというのは現代のネット3C時代において難しいこと。
反応依存症とか誰かと一緒にいたいということもあいまって現代では個人ブログで一人語ることは時代遅れのスタイルになりつつある。ブログがオワコンだとか言われるのもそういう理由。
でも自分はやっぱり一人じっくり見てるとか検索で見てる人とかをもっと重要視したいし、ネットで一時的に誰かと仲良くしたり一体感を味わうよりもなんとなく誰かが見ていればいいとか反応はないけど見てる人は多いとかそういうことの方が気軽で楽しくなってきた。
ブログやネット投稿をやり始めのころは「反応」「交流」「一体感」を求めていたけど、今はそういう事よりも自分のこの記事が多くの人に見てもらう事の方が大事。1人の反応よりも、10人がじっくり見てくれてる方がありがたいしその10人は反応はしないけども今後もまたじっくり見てくれるかもしれない。一時的な反応はうれしいはうれしいけどそればかり求めていては良いものは書けない。あとは反応とかいつも見てる人を意識しすぎると書きたいことを書けなくなったりとか。
6:コミュニケーションに勝る快楽はない
今の時代流行るコンテンツはほとんどがコミュニケーションツールになる物になっている。何度も書くけどもマニアックなことを個人的に考察して自分の考えを大量に書いてる人は少なくなった印象。
個人のコアでガチな意見よりも大人数の意見を気楽に読めるまとめブログのようなものの方が今日日流行るし需要がある。それを読んでいるとまるで自分もその会話の中にいるようで一体感がある。
みんな個人ブログやらなくなってその代りにまとめブログやってコメントを集めるかそのコメントに参加するかという時代。コミュニケーションをみんな求めるようになった。コミュニケーションに勝る快楽はない。ゲームとかもそうだよね、どんなにいいゲームでも一人でやってるとつまらないし駄作ゲームでも誰かとやってると楽しい。どんなにいい料理も誰かと食べるファストフードに敵わない。
もう今皆コミュニケーションや誰かを求めてる時代なんだよね。そういう意味じゃ反応が気にくいブログはぼっちスタイル
コミュニケーションというコンテンツがあらゆるコンテンツに勝る時代。
ツイッターですら全盛期に比べて落ちて究極延々と身内で話すLINEのほうが主流になっている。結局皆確実に反応が返ってくる身内との会話の方が楽しい時代に戻った。実際自分もスカイプのチャット機能で中学以来の友人と適当に話すのが日課だしね。個人ブログで長々と書いても無反応だけど身内コミュニケーションツールだったら一行でも反応が来るんだよね。そりゃ皆後者のほうが楽しくなるよね。
そういう時代にあえて反応を求めないこともありと主張したい。なんでもコミュニケーション重視の世の中になりすぎていないかと。そんなにコミュニケーションが大事かと。反応が来にくいことも利点で反応がないからむしろ気軽に長々と書ける。自分は最近ブログにそういう考え方を持つようになっている。誰かが静かにじっくり読んでいてくれればうれしいし、誰かの考え方のヒントになってるとか時間つぶしになってるってことが凄くうれしい事。なんか自分がだらだら語る感じで、どこかの名も知らない誰かがダラダラ読んでくれるのが一番楽しい。
ネットのほとんどがコミュニケーション目的のものになって皆反応ばかり気にして反応を懇願する。そんな光景は客観的に見ていて楽しいものではない。
個人ブログでも固定ファンからコメントを集めているブログは存在するけど、たいていの場合他のユーザーと社交辞令のようにコメントし合ってるだけ。コメントしてくれたからお返しでコメントするというのを長期間続けている。
本当に通りすがりのアカウントを持っていないユーザーがいつもコメントをしている個人ブログって数%もないと思う。ほとんどのブログが誰の書き込みもない状態。
今まで見てきた限りではそんな感じ。読んでる方としては反応しにくい、逆に反応されにくいことがメリット。
真面目な言論コンテンツとしてブログは生き残っていく。
いつも誰かとカジュアルに話してるだけじゃつまらない。時にはマジに語りたくなる時がある。そういう時の物としてブログは生き残っていくだろう。
7:ガチで語る場所としてブログを持つ
何もブログだけでやる必要はないんだよね。他にいろいろツールを持っていてその複数の中の1つとしてブログを持つというスタイルが今後主流になるのではないか。ツイッターだけとかじゃなくて、いろいろなメディアを自分が持つことが大事。
例えば自分は今では削除しているがツイッターを持っていたし、現状ではこのブログともう1つピクシブというイラストサイトのアカウントを持っている。
ガチ身内と語る時はLINEやスカイプ、絵で何かを発信したい時はピクシブ、ガチに語りたい時はブログ。コミュニケーションはツールとしても他で持っておき、反応意識せずに一人で長々だらだらやるツールとしてブログもまぁ持っておくと。そして絵が描きたい時はピクシブ
要は使い分け。普段はリアル会話やLINE,SNS,BBSもやりつつ持論を語る場としてブログも持っておく。そういう感じで個人ブログという場もあったほうがいい。
やっぱりカジュアルな会話ばかりだと飽きるから無限に語れるブログというのはちゃんと語りたい時にあるとすごく便利。それが個人ブログ復権とかなんでもコミュニケーション偏重な風潮の是正にもなる。ブログがあまりにも難しいものというイメージをもつよりも何か数多くある自分のメディアの1つとしてカジュアルに持つというのが今後のトレンドになるかもしれない。SNS登場前はブログが一番簡単なツールだったけどもそれがさらに簡素化してツイッターになった。そうなった今では逆にブログをちょっとガチな場所として使うという考えが必要かもしれない。
本格的なものを書き上げたいって時はやっぱりブログがいいししっかりと残る。
8:ブログのライバルは動画か?
でもそもそも今そんな時代ではないのかもしれない。
しっかりとした凄いものというよりもいろいろなものがカジュアルに手頃にという時代ではある。そして本格的に作るならば動画という時代になってきている。それでもやはりこういうテキストメディアはなんだかんだで残ると自分は思う。動画で1時間語った動画は多分誰も見ないし実際に動画として使用されるのはほんのわずかな部分だけ。けれども1時間懸命に書けば書くだけブログ記事は良い記事になる。長ければ長い分だけいいというのは書く側としてはむしろ気が楽。1時間語っても無駄になる部分が多いし1時間も見ると結局疲れる。なんだかんだで動画って疲れるから文章の方がいいという時代に戻るのではないか。
動画は数分で見る、文章ではがっつり見るという時代になるかもしれない
文章というコンテンツはまだまだ可能性がある。そういう意味で自分はブログという物をまだオワコンだとは思っていない。