elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

遊戯王のルール改正騒動について思う事

遊戯王界隈で非常に大きな騒動が起きている。

大幅なルール改正により今までのカードがほとんど無価値になり、全国のカードショップ店が買い取りを停止しているという状況だ。当然それまでの在庫としてあったカードも二束三文でしか売れなくなり廃業する店も今後出てくる。

この騒動で「カードショップ」という少年のロマンのようなものが今後日本の風景から消えていくかもしれない。

 

なぜならばどれだけ集めたカードでもルール改正、ただそれだけで全てが無駄になってしまうのだ。これは恐ろしい世界だ。世界恐慌ハイパーインフレに例える動きも出ている。第一次世界大戦の敗戦でそれまでのお札が全て無駄になり、札束を積み重ねて遊ぶドイツの子供の写真のように遊戯王カードを例える人もいればアフリカの子供たちに寄付することを遊戯王カードの使い道として提唱する人もいる。

実際アフリカへの寄付向けで遊戯王カードは以前から募集していたらしく、それが有力な使い道とされているほどだ。

 

しかも自分は遊戯王オタの友人がいて日ごろから何度か遊戯王の話を聞くことがあった。いわば経済ゲーム、マネーゲームのようなもので制限改訂が行われる前に安い値段でカードを購入すれば、制限改訂後高くなったときに得だったり、その時に高い金額で買わずに済んだりするらしくその制限改訂というのがいわば遊戯王ファンにとっては大きなイベントだったらしい。

そして今回大幅なルール改正により、今までのカードの多くが無価値になった。

余り遊戯王のルールを把握していないが簡単に言うと凄い難しいことをしないと今までのカードが1枚までしか出せなくなるみたいな話らしく今まで強かったデッキが本当に弱くなるようだ。

 

この少し前に最近の遊戯王大会で72組ぐらい参加者がいて71組が同じデッキを使っているという話を聞いて傍から見て「遊戯王末期だなぁ」と思っていた。

本当に自分が一切遊戯王カードを集めていない立場だから言える事だけどそれくらい大きなルール改正をしない限りこの現状を変えられないのではないかなとも思う。

更に遊戯王カードの世界は「好きだからそのカードを使う」という文化がポケモン以上に廃れてもはやキャラクターのかっこよさやかわいさで売れるカードはほとんどないらしい。とにかくカード性能重視で、本当にキャラグッズとして売れているのはブルーアイズ、ブラックマジシャン、ブラックマジシャンガールなど一部の初代の人気カードだけでそれ以外はとにかく性能。初心者から見ると凄くかっこよくレアそうにみえるカードも二束三文で買えたり、昔強くて小学生の時に憧れたカードも30円ほどで買えたりするのが現状だ。

つまりもはや遊戯王というのは性能至上主義、デュエル至上主義の世界になっている。

例えるならばお札をデザインで集める人は一部のマニアだけで大部分はそのお札の金銭的価値を重視する。千円札のデザインや野口英世の方が好きだからと言ってもやはり福沢諭吉の一万円札のほうがみんな好きだ。

 

それと一緒で恐らく遊戯王ファンにはどんなにかっこいいが弱いカードよりも、どんなにかっこ悪くても強いカードのほうが魅力的に映るしデュエル性能だけで値段がつく。

遊戯王経済というのは一部の初代のレアカードを除いてほとんどが性能で動いている。

あまりにもデュエルがガチ化し、高度になった結果人々はキャラクターグッズとしてカードをみなくなったのだ。そのためポケモンカードでキャラクターのレア性や人気で高値がついている状況をまだTCGとして未発達な段階だから生じる現象だと考える遊戯王ファンもいる。

という話を自分はその遊戯王オタの友人から聞いた。

つまりそういう背景があってこのルール改正のショックというのは今の遊戯王ファンたちにとって非常に大きくそしてショッキングな出来事なのだ。

 

そして自分が何よりも思ったことはカードは物質コンテンツのように見えて物質コンテンツでないという事。

そしてTCGというのは非常に危ういコンテンツであるという事。

例えばオンラインゲームやソシャゲなどはそのサービスが終了すれば課金した金額が全て無駄になる。それに対してカードは終了したとしてもカード自体は物質として残る、昔のカードもコレクショングッズとして生き続けるという言われ方をしてきた。

 

その言葉は確かに事実である。

しかし他の物質コンテンツとくらべてその価値の下落の幅は非常に大きく実質的にはオンラインゲームやソシャゲに近いほうの物質コンテンツなのだ。プラモデルや玩具などの物質コンテンツはそのサービスが終了したりアニメなどが放送を終了したりしたとしても依然としてそこに価値があり続ける。更に似たようなボードゲームでいえばチェスや将棋はルールが変わることも駒が変わることもなく安定している。仮にルールが変更されたとしてもそれは全プレーヤー共通だ。

その一方でTCGのカードはその価値が「ルール」という枠組みによって大幅に揺れ動くのだ。お札の価値を経済が決めるように、カードの価値はまさに制限改訂という経済によって決められる。

もちろん物質コンテンツであってもそういった影響を受けるが、通常の物質コンテンツがそういった影響が少ないことに対してカードゲームはその影響が非常に大きい。

いわばオンラインゲームやソシャゲのようなデータコンテンツとプラモデルや玩具のような物質コンテンツの中間に位置する存在がカードゲームなのだ。

そのカードゲームも勿論、物質コンテンツではあるのでいくらサービスが終了しても基本的には残り続ける。たとえばその友人は遊戯王以外でもデュエルマスターズをやっているがそのデュエルマスターズは最新の環境のものではなく、彼が好きだったころの環境のカードを集めている。

つまり最新の環境では通用しない現役を退いたカードを単にコレクション目的で集めているのだ。しかもそれらは安いので非常に集めやすい。

こういった楽しみ方ももちろんあることにはある。

デュエルをしなくても好きなカードだけを集めるというファンも多い。

その象徴がまさにブルーアイズホワイトドラゴン、ブラックマジシャン、ブラックマジシャンガールの人気であろう。

 

しかしその現象もやはり一部で、大部分の現役遊戯王ファンのほとんどがそういった経済的な最先端の環境を重視しそこでカードのやり取りをしている。

そこには非常に高度な経済が発達していた。

需要があるから値段が高くなる、需要がないから値段が安くなる。カードショップ、コナミ、ユーザー、この3つの関係がそのカード経済を成り立たせていた。そしてその大本であるコナミがたった一つルールを改正するだけですべてが崩壊し惨状になる。

この危うさ、脆さ、正直な話以前から遊戯王取引の実態の恐ろしさを聞いていた自分ですら更に驚いているし、何より遊戯王ユーザー本人たちが一番驚いているに違いない。

今まで何十万もかけて作ってきた最先端デッキがボロボロに崩れ去る。

多分そのことはむしろ今まで一生懸命やってきたユーザーが一番感じているかもしれない。自分の場合はっきりいって部外者だし遊戯王は中学校を最後に一切買ってないので他人事といえば他人事でしかないけど、友人のこともあるので非常にショッキングな話だと思わずにはいられない。

そういう遊戯王ユーザーというのを馬鹿にしているというわけではなく、むしろお金をかけてコレクションをするということは自分も好きなのでそうやってしっかり集めた物が企業の商売戦略のさじ加減でこんなにも左右されるという事に同情の念を抱かずにはいられない。

自分が遊戯王ファンだったら間違いなくキレてる。

カードゲーマーにとってカードというのはいわば積み重ねてきた資産のようなものでそれが企業の思惑で無茶苦茶になってしまう事は恐ろしい。そりゃいコンマイって言われますよ。

 

とはいっても自分もこの問題とは無縁ではない。

自分の場合データコンテンツのオンラインゲームをやっている。

World of Tanks通称WOTという戦車ゲームを3年ほどやっていて課金もしている。そのゲームもいつかはなくなる。自分はそのことから目を背けていつまでもあるかのようにどこか感じている部分がある。

そのときまさに今回のような事が起こる。しかも遊戯王はいくらカードの価値がなくなってもカード自体は残る。それに比べてオンラインゲームはもはやプレーできなくなるのだ。集めてきたものがなくなるということの恐ろしさを考えさせられるきっかけにはなった。そういう公式や運営の世界に翻弄されるコンテンツは恐ろしいし危うい、そう考えさせられた騒動だった。

 

ただそんなことをいったらそもそも永久に価値のあり続けるコンテンツの方が実際は少ないのかもしれない。アイドルだってスキャンダルが起きて本人が情熱を無くせばそれまでのグッズは何の意味も感じない物になるし実際それを燃やすファンというのも定期的に出てくる。声優ファンがグッズを燃やしていたり、壊したりする光景はよくネットで見かける。

更に言えば食べ物というコンテンツはもはや残らない、その時だけ。

残そうと思ったら写真にとってインスタに上げる事ぐらいしかできない。

でもその時美味しくて楽しければそれでいいという考え方だ。

スポーツ観戦や旅行といった物も基本的に残るのは楽しかったという思い出だけだ、むしろ永久に価値のあり続ける物質趣味のほうが稀なのではないだろうか。

だから何かを残そうとか価値を維持させ続けようと期待することがもしかしたらナンセンスなのかもしれない。「その時楽しければいいじゃん」と。実際自分もここ最近ほとんど食べ物や飲み物関連に使っている。お金が無くなって貧乏になると本当にエンゲル係数があがり即物的なものしか買わなくなるなと実感させられている。

 

でも自分はそれで満足していて物質を買うという事は食や生活費に困らないお金のある人の娯楽であって、そういう人たちが価値の持続性がどうとか考えるのもどうなのかなというのはある。使った時点でそれはもう出費であってその時楽しければいいという考え方もあり。遊戯王に何十万かけた人もその数年遊戯王で楽しませてもらったんだからそれはそれでいいんじゃないかなと思うし、紛れもなく遊戯王を楽しんだ時間があった。それはすごく大切な思い出。

一切何も残らない食べ物に比べればまだ残ってる物はあるし、食べ物ファンはその時楽しければいいと開き直ってやってるから「その時楽しかったならお金を出した価値があった」という考えももしかしたらありなのかもしれない。

さらに遊戯王カードは数年後意外なカードが価値が上がったりすることもある。下がることもあれば上がることもある、いわば株のようなものだ。どうなるかは誰にも予想できない。

 

このルール改定騒動が遊戯王ファン、そしてTCGファンにどういった影響をもたらすのかは当事者ではないのでわからない。

・いち早く新環境に対応していこうと努力する

・キャラクターグッズやコレクショングッズとして割りきる

・最先端環境を諦め懐古ゲーマーになる

TCG以外の趣味を見つける

・他のTCGに乗り換える

遊戯王はアニメと漫画だけを見るキャラファンになる

・むしろ今までの格差がなくなるチャンスととらえて新規層として新しく始める

おそらくそれぞれの道がこれから待っているだろう。

ただ間違いないことは遊戯王はまだ続いていくという事である。本当にサービスが終了して誰もやっていないカードゲームに比べればマシという考え方もできる。

これから遊戯王の世界がどうなっていくか、当事者ではない立場ではあるが見守っていきたい。その世界のファン文化がどうなるか、というのもコンテンツ考察としては非常に興味深い物がある。

誰も予想できない遊戯王の新環境が今始まろうとしている。