リオネル・メッシさん、もうワールドカップ優勝するしか後がなくなる
世界最高のサッカー選手はリオネル・メッシだ、いやサッカーの歴史上最高の選手であり神に匹敵する。
そう言われたのは一昨日までである。
そう、クリスティアーノ・ロナウドが前人未到のUEFAチャンピオンズリーグ2連覇と5年連続得点王のタイトルを獲得する前日までがメッシの栄光の日々だった。
これまでいくらクリスティアーノ・ロナウドが記録を打ち立てても「プレーの質ではメッシに劣る」「所詮ただ点を取るだけのアスリート」「サッカーを理解している人ならば比べようとも思わない」と一蹴されていたが、数字上の記録もその分野において突き抜ければもはや質さえも凌駕することが示された。
ポルトガルの英雄クリスティアーノ・ロナウドはもはや彼の母国の歴史においてヴァスコ・ダ・ガマに匹敵する存在だろう。彼は歴史の教科書に載るレベルの存在であり銅像はすでにいくつも建造されている。
マデイラ諸島から成り上がったこの世界屈指のストライカーはサッカーの歴史さえ変えた。これまで国際タイトルに恵まれなかったポルトガルを率いてユーロを制覇し、前人未到のCL2連覇という金字塔を打ち立てたCR7はサッカー界に留まらないアイコンである。マイケル・ジョーダンと並びそのスポーツ以外でも世界的な知名度を持つアスリートとなった。もう今季のバロンドールはロナウドで確定だろう、バルセロニスタですら白旗を上げざるを得ない状態になっている。
一方ライバルのリオネル・メッシはどうだろうか。
間違いなくそのプレーの質は歴代最高だと言って問題がないが、アルゼンチン代表では北京五輪以来タイトルがなくフル代表年代のコパ・アメリカやワールドカップでは決勝に進出しつつも寸前のところで栄光を逃している。
またバルセロナ以外で活躍したことがないため永久に「バルセロナだけの選手」と揶揄される可能性があるのも事実だ。
この部分に関してスペインのレアル・マドリードだけでなく、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドで活躍したことのあるC.ロナウドとは決定的に異なる。
それでもやはりサッカーを見ている者にとってそのプレーの質の違いは明らかだった。リオネル・メッシはペレ、マラドーナ、ディ・ステファノ、ヨハン・クライフと比類する存在だがクリスティアーノ・ロナウドのライバルはリオネル・メッシでしかない、ロナウドサイドが一方的にメッシを敵視しているだけでありメッシのライバルは歴史上の選手だという意見が一般的な見解であった。
しかし今その立場は入れ替わろうとしている。
クリスティアーノ・ロナウドはあらゆるチームで自身の実力を示し、紛れもなく結果を出している。フル代表でも優勝しチームでは二連覇を成し遂げた。
メッシのほうが実は擬似的な存在であり、本当に実力を持ちチームに栄光をもたらすことができるのはロナウドである、そういった意見に説得力が現れ始めている。
これまでメッシがサッカーの歴史上最高の選手だという意見が出るたびに、W杯を制したペレやマラドーナには敵わないと言われてきたが今では「CL二連覇を成し遂げたロナウドには敵わない」という意見も上がるようになっている。
CL二連覇は大会史上初の事であり、ワールドカップ優勝にさえ匹敵するであろう。むしろワールドカップ以上にレベルの高いUEFAチャンピオンズリーグを制覇したことはそれ以上の価値を持つかもしれない。
シャビ・エルナンデスは「サッカーを知っている者ならば比べるべくもない事は明らかだ」とメッシとロナウドの論争についてコメントしているが、果たしてその言い分がいつまで通用するかはわからない。
30年後のサッカー界においてメッシは完全に過去の選手になっており、クリスティアーノ・ロナウドのほうが語られているかもしれない。
これまでメッシを賞賛しロナウドを批判する物は無条件にメッシのほうがこれからの歴史において語られるであろうこと盲信していたきらいがある。
まるでレオ・メッシが神であるかのように心の底から崇拝し、何ら疑問を持ってこなかった。今でも自分自身メッシの方が優れていると考えているがそれは「専門的な見地ならば」という条件付きの意見である。
かつてはマラドーナがその最大の壁だと考えられていたが、今ではクリスティアーノ・ロナウドもライバルとなった。もう「ロナウドは比較対象ではない」という意見は通用しなくなるだろう。いよいよメッシVSロナウドの議論は本格化し始めた。どれだけのメッシ信者であってもロナウドがライバルだという事を本当に認めなければならなくなった。
そしてそのロナウドを超えるタイトルはワールドカップである。
サッカー界最高の栄誉であり、唯一ロナウドが獲得していないビッグタイトルだ。
アルゼンチンを率いるメッシがこのタイトルを獲得すれば再び誰もがメッシを世界最高の選手だと認めるだろう。しかしそのタイトルを逃せば永遠とワールドカップを獲得できなかった選手として扱われるだろう。
「ワールドカップを獲得しなかった最高の選手は存在する。ベッケンバウアーのことをヨハン・クライフより偉大な選手だと語る人はいない。」
そういった意見もサッカーの歴史においては語られる。
西ドイツのベッケンバウアーやゲルト・ミュラーのことをヨハン・クライフと同義に語る人はいないだろう。真の創造者は歴史において語り継がれる。
クリスティアーノ・ロナウドがミュラーならば、メッシはクライフである。
数十年後のサッカー界がどのような価値観を持っているかはわからないが、願わくばメッシの方が評価される時代であってほしい。本当の創造者が認められなければならず、ただゴールと勝利を重ねた人間だけが歴史上最高だと考えられることがあってはならない。
「本質」が何か理解する人間がいなくなったとき世界は迷走の淵へと陥るだろう。
しかし現在その危険な時代へと突入しようとしている。
ただゴールを重ねただけのクリスティアーノ・ロナウドという人間が新しい概念を創造するリオネル・メッシと同列に語られる時代がいよいよ訪れようとしている。
どれだけ真の理解者達が本質が重要だと説いたところで人々は実績を重視する。
むしろこの世界において本質や真実というものが真に評価されたことがあっただろうか。常に世界は力が支配し、強い者が勝ってきた。素晴らしい物も分かりやすいパッケージがなければ理解されない。
ヨハン・クライフが今も存命していたならばどのような発言をするのだろうか。
「美しく勝利せよ」と語るクライフと「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」と語るベッケンバウアー、理想主義対勝利至上主義、その時代が今数十年の時を経て繰り返されようとしている。
真に決着がつくのは次のワールドカップだろう。
CL2連覇を成し遂げたロナウドはおそらくバロンドールを獲得し、メッシの獲得数に並ぶ。非常に遺憾なことだがサッカーの世界では必ずしも正しい者が勝つとは限らない。
しかしこの結果を受けたメッシは2014年の時の悔しさをもう一度取り戻すはずだ。あの時の悔しさ、そして今回の悔しさが本物ならばきっと2018年のワールドカップで奇跡を見せてくれるだろう。
リオネル・メッシは選ばれた者だ。