elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

クリスティアーノ・ロナウド、遂にメッシにバロンドールで並び立つ

現代のサッカーファンは今とんでもない時代に生きているのかもしれない。

世の中のあらゆるジャンルにおいて「人材が小粒化してきている」と言われるが、サッカーにおいてその言葉は当てはまらない。

例えば歴史上の人物において戦国時代や第二次世界大戦中はキャラの濃い武将や政治家が数多く存在したが、今の時代に歴史の教科書に残るレベルの巨頭は存在せず過去に比べて色あせて見える。

エンターテイメントに関しても音楽史を変えるような革新的なアーティストは現れていないし世の中が大きく動く激動の様相は無い。

 

しかしサッカーに関しては間違いなく歴史上最高の存在が同時期に二人存在している。

リオネル・メッシ、そしてクリスティアーノ・ロナウドだ。

世界最優秀選手が10年に渡り二人の選手によってのみ独占されているというのはまさに異常事態であり、今後二度と訪れる事のない、そして過去にも前例がないような事だ。

メッシとロナウドの凄さはその活躍期間の長さにある。

 

実質的にバロンドールはメッシとロナウドを除いた3位の選手が"人類最高"の称号を付与されていると見たほうが的確であり、2人のどちらが上かというのはもはや議論の領域を超えたレベルにある。

クリスティアーノ・ロナウドが初めてFIFA最優秀選手賞を獲得した2008年以降の3位の選手を調べてみるとその時々のサッカーの歴史がわかりやすく反映されていることに気付く。

 

2008年:フェルナンド・トーレス

2009年:シャビ・エルナンデス

2010年:アンドレス・イニエスタ(この時はロナウドが3位以内に入れていないため2位)

2011年:シャビ・エルナンデス

2012年:アンドレス・イニエスタ

2013年:フランク・リベリー

2014年:マヌエル・ノイアー

2015年:ネイマール

2016年:グリーズマン

2017年:ネイマール

宇宙人を例外とした実質的な「人類No1選手」でいえばシャビとイニエスタが2回ずつ、そして今回ネイマールが2回目の登場ということになる。

ちゃっかりトーレス師匠が2008年に3位に入っているのは面白い一方で、当時トーレスは本当に凄かった上にEURO2008の活躍も反映されてこの順位にいるのかもしれない。一応ウイイレの表紙になったことがある男、それがフェルナンド・トーレスという存在だ。

ノイアーが受賞できなかったときはもう今後ゴールキーパーがバロンドールを受賞することは無いと言われていたけども、時代が悪いというかメッシとロナウドがあまりにも異次元過ぎることでいろんな選手が犠牲になってもいる。

スナイデルが受賞するべきだったとはよく議論されることで、シャビかイニエスタが受賞できなかったことでスペインは半世紀ぶりのバロンドール選手輩出を実現する機会を失ったという意見もある。

 

しかしこの10年、メッシとロナウドが独占していることに異論を唱える者はそれほど多くないだろう。納得せざるを得ないほどにこの2人が凄すぎる、それ以外に言いようがない。

 

個人的に凄いと思っているのは「クリスティアーノ・ロナウドの逆襲」で、一時メッシ4回受賞でロナウドが2008年の1回だった時期は圧倒的な差があるように思えた。あの時は完全にメッシのファンとしては油断していてロナウドは比較対象から脱落したとさえ思っていた。

そこから鬼神のごとくライバル心をむき出しにしてついには5回で追いついたロナウドのトップへの執着心は鬼気迫るものがある。

「ラッキーナンバーの7回まで受賞したい」とまだ満足する様子も無く向上心と野心を維持し続けていることも世界トップの選手の条件だと感じさせられる。

 

今回受賞した最大の理由はやはりUEFAチャンピオンズリーグの2連覇に貢献したことだろう。今の所得点数が今季に入ってから激減しているものの、昨シーズンの活躍は紛れもなく凄まじかったのは事実だ。

ボックスストライカーの側面が強くなってからのロナウドは「ただ点を取っているだけ」では説明がつかない程に、その分野を極めることに成功した。ペナルティエリア内での正確さやチャンスのシーンに入る動き、そして何よりもゴールへの執着心は尋常ではない。

 

2人の共通点として面白いのがメッシにしてもロナウドにしても元々ストライカーが本職ではない選手が得点を重視した役割をする方向にコンバートされたことで、その得点センスを開花させたところではないだろうか。

メッシはユース時代はいわゆるトップ下であったり、ウィンガーからスタートしていてロナウドもマンチェスター・ユナイテッド時代は足技を披露するサイドの選手としての要素が強かった。

それでいえばファン・ペルシーやレヴァンドフスキもストライカー一本で極めてきたような生粋のゴールハンターではなかった。意外とゴールゲッターとして育っているわけではない選手のほうが、上手ければ良いストライカーにもなれるのかもしれない。

ストライカーを育てようと思うと良いセンターフォワードに育つわけでもなければ、急に謎の得点センスを開花させる選手もいるのは育成の難しさ、サッカーの不可思議さを表している。

 

テクニックのある選手は得点をすることも上手いどころか、むしろゴールするほうが簡単なんじゃないかとすら思わせられる時がある。

彼らのレベルは想像もつかないがロナウドやメッシからすればむしろゴールだけやらせてもらう事の方がよほど容易いという感覚すら抱いでいるのではないか。

 

サッカーはパスや守備のほうが実は難しい説があるほどに、得点というのはまた独特な分野でもある。ゴールが簡単だと表現すると意味合いが違ってくるかもしれないが他の事は苦手なのになぜかゴールだけは獲れたり、逆に他の技術やセンスは芸術的なレベルにあるのにゴールだけはできなかったりする選手もいる。

 

個人的にはもちろんリオネル・メッシ推しで「レオがロナウドとやってることは同列ではない」「ロナウドなんてただのウィンガーもどきの擬似的なゴール荒稼ぎ屋」と確信しているがバロンドールという結果は明確に並んでいることも事実だ。

 

小柳ルミ子「ロナウドの得点力は味方のおかげ」

シャビ・エルナンデス「サッカーを知る者なら比べるべくもないことをわかっている」

リネカー「俺のやってたことが無意味に思えるほど別格」

 

クリスティアーノ・ロナウドの比較対象はあくまでメッシであり、歴史上最高の選手だという意見は皆無に近い。

一方でメッシがペレやマラドーナ、ディ・ステファノ、ヨハン・クライフ以上だと語る人々は世界中に存在する。

 

ただ同時に「人間としてはロナウドのほうが面白い」と思う自分もいる。

良くも悪くもメッシは人間としては普通過ぎてつまらないのは事実で、凄く良い人でもなければ逆にそこまで悪童でもないし、更に言えば面白くもないただアルゼンチン人であり等身大の存在でもある。

ジョークを言ったり味方批判をしたり、ちょっと面白い部分や悪い部分もあるがどうも普通の人間の範囲内でやってる通常の事のように感じる。

メッシの性格は人間誰しもが持つ普通の裏表の範疇にすぎない。

イブラヒモビッチやバロテッリのように飛びぬけてヤバイわけでもなければ、スアレスのようにピッチ上で突拍子もなく噛みついたりネイマールのように過度に感情的になったりするわけでもない。

かといってイニエスタやラームのような人格的に規範となるような存在でもない。

サッカーがなければアルゼンチンの商店でバイトしてそうな感じの普通のリオネル・メッシさんでしかなかっただろう。

 

ただメッシにしてもイニエスタにしても、サッカーがなければただの普通の人だったんだろうなという人が世界的な有名人になれるところにこの競技の面白さがある。

「なんでこんな普通の人がここまでサッカーうまいんだろう」という不思議さはある。

それぐらいピッチ上でボールを扱わせればありえないことをやってのける、それがメッシだ。

 

例えば日本人選手でも香川真司とか「その辺の浪人生に見える」とか、斎藤学も「サッカー部じゃなくて卓球部っぽい」とか言われる人がその辺のイカついサッカー部のキャプテンよりよっぽど上手くて日本代表レベルにもあるというのはこの競技の不思議さを表しているように思う。

 

ハンドというルールがあって足でボールを扱うというわけのわからないルールがあるがゆえに他の競技は苦手なのにサッカーだけなぜかトップレベルで上手い人が出てくる。

 

クリスティアーノ・ロナウドや本田圭佑は他の競技でも活躍できた可能性はあるけども、メッシや香川真司が他の競技で活躍している姿は想像がつかない。

そしてサッカーという特殊な競技における「才能」ではメッシや香川のほうが肉体的に優れたフィジカルを持つ選手よりも優れている。

ボールがどう動くか、ボールをどう扱えばいいか、それを彼らなりの天性のセンスで判断してるという言葉でしかもはや説明がつかない領域にある。

 

バロンドールやFIFA最優秀選手賞、それどころかワールドカップやチャンピオンズリーグでさえ一つの指標に過ぎないのがサッカーだ。

考えれば考えるほどわからなくなる、そしてもはや考えない方がサッカーを理解できるのではないかという感覚に陥りつつもやはり考えるのが楽しいとも感じる。

今回のクリスティアーノ・ロナウドの5度目の受賞、そしてリオネル・メッシにその数で並んだことには様々な意見が存在するだろう。

それもまたサッカーだ、きっとこの議論は100年後のサッカーファンも話しているに違いない。