今回の平昌オリンピックを見ていると、今までのスポーツの日韓戦にはなかったような光景を多く目にする機会があった。
スピードスケートの小平奈緒と李相花(イ・サンファ)の友情や、カーリングの藤沢五月とメガネ先輩のスポーツマンシップに溢れる試合など感動的なシーンが多く、話題になった。
それはまるでTWICEで日本人メンバーと韓国人メンバーが自然と話しているような姿と変わらない。
日本と韓国と言えば連日、お互い反日と嫌韓を探しあってお互いまるで嫌い合っているところばかり探しているが、実は大部分の人はほとんどそこは気にしていない。
とくに女性はお互い歴史問題はそこまで重視しておらず、可愛い物は素直に認めることが多いように思う。
日本の女子もまさにTWICEやチーズダッカルビのように可愛い物や美味しい物は、偏見も無くすぐに受け入れた。
逆に韓国の女子も日本旅行に良く行き、浴衣を着てコンビニやドンキホーテの商品に可愛い物があればよく買っているし本場日本でトンカツを食べることが憧れになっている。
文化が似ているからこそ、ちょっと違うものがおしゃれで可愛いと感じやすいのかもしれない。
逆に男だとお互いの伝統衣装を着ると、まるでその国の人になったかのような気がしてためらうが、女子は「可愛ければ何でもいい」という発想がある。
小平奈緒と李相花が健闘をたたえ合っていたのも、国は関係なく相手が同じ競技の選手で素晴らしい人ならば何の偏見も無く認め合うかだらろう。
女性は壮大な歴史問題や複雑な政治問題はそこまで重視せず、とにかく可愛い物や美味しい物は素直に評価する傾向があるのではないか。
今後この素直さというものは日韓関係を良くする鍵になっていくかもしれない。
「可愛い」と「美味しい」を何よりも大事にするのが日韓の女子であり、そこにはほとんど壁という物は見当たらない。
例えばSNSでハッシュタグで「韓国人になりたい」というタグがあるらしいが、これは決して日本人を辞めて韓国の民族主義者になりたいということを意味しているわけではない。
単にただ昔に欧米風のメイクに憧れたのと同じように「綺麗になりたい」ということほぼ同義で、これは着物を着る韓国人女性がただ可愛いから着ているだけなのと全く同じ理由に過ぎない。
日本人は韓国人のメイクが上手くファッションセンスがあるから尊敬しているだけなのだろう。
そして昔は韓国の女子が日本のファッション雑誌を輸入して研究していたのだ。
可愛い物はすんなり評価するし、凄い人は素直に認めるこの柔軟性は女子特有の物なのではないか。
「可愛い」と「キヨッタ(韓国語で可愛い)」の前には様々なことが関係なくなる不思議な魔力がある。
男子の場合例えばサッカーや野球の日韓戦はことごとく荒れてしまい、勝っても負けても毎回必ず後味が悪い。
しかし今回のカーリングやスピードスケートでで後味の悪さを感じた人はいるだろうか。
日本のカーリング女子チームは負けても相手を称えたし、逆に小平奈緒選手ははスピードスケートで金メダルを取ってもサンファを最大の好敵手としてリスペクトすることを辞めなかった。
日本の女の子で歴史問題を議論している人などほとんど見当たらない。
韓国が好きだからと言って安重根を賞賛している人はいないし、そもそも知りもしないだろう。
逆に韓国の女子も関心事はリップスティックの色であり、今や伊藤博文を知らない人も多い。
TWICEのメンバーも日常会話でそんなことは一切話さず、ガールズトークをしているはずだ。
しかし男性もよく考えてみれば向こうの掲示板で話しているような内容は、ほぼ日本人がこっちで書いているような事と本質は変わらない。
歴史というフィルターを取り払えば、そこには1人のごく普通の個人が存在することに気付く。
自分がOH MY GIRLやMOMOLAND可愛いと言ってるのは、韓国人たちがラブライブやアイドルマスターを可愛いと言ってることと本質は何も変わらない。
そしてピョンチャンオリンピック、おそらく世界で1番目と2番目に楽しんでいる日本人と韓国人だろう。
開幕前は不安視もされたが、なんだかんだで多くの人がオリンピックをエンジョイしている。これがスポーツの大会、そして文化の果たす本当の役割なのかもしれない。