時系列的には山本彩の卒業発表が最初で、その直後前田敦子の結婚が公になったという認識でいいのだろうか。
横山由依の投稿を見ると、さや姉卒業の感慨に浸っているときに急に前田敦子の結婚が来て戸惑っているという印象を受ける。
QBK風に言うと「急にマエアツの結婚が来たので」という感じで、若干さや姉卒業が持っていかれた感がある。
ただ自分的に言うと、さや姉卒業のほうが衝撃というか大きくて、これからNMB48どうなっていくのかなということを考えていきたい。
例えばSKE48で松井玲奈が卒業したときは、年齢の離れた松井珠理奈がいたり他にもキャラの濃いメンバーが何人かいてグループとしての連帯が保たれた。ファンの忠誠心も高く、なんだかんだでSKE48は戦い続ける余力があった。
しかしNMB48の場合山本彩の後を担っていくような主力メンバーは傍から見れば不在であるかのように思える。かつてNMB48にも有力なメンバーは複数人存在したが、皆もう卒業してしまっている。
さや姉としてはもう数年前から卒業の二文字を考えていたはずだが、そういった状況を見て男気残留ならぬ「姉御肌残留」的なことをしていた。
その言葉は「若いメンバーにこれからを作ってほしい、私がこのタイミングで卒業したほうが起爆剤になる」という彼女の言葉にも現れているように思う。
ここ数年間自分がいればもっと新世代のメンバーが育ってくるのではないかと思っていたところ、むしろ自分がいることで頼られてしまっている感があったのではないか。
確かに山本彩の場合、女性からの人気が非常に高く文字通り「さや姉」として頼れるリーダーだったことは間違いない。しかしあまりにも優秀すぎて、本当の意味で「絶対的エース」だった。
前田敦子が絶対的エースだといわれながらも、実は神7だけでなく他の選抜メンバーまでも強力なパーソナリティを兼ね備えていたのとは違う。
余り女性に使われる言葉ではないが、大黒柱のような存在だったさや姉の卒業はその意味で今後のグループの命運を左右しかねない。
SKE48には松井珠理奈がいて、HKT48には宮脇咲良がいて、NG48には荻野由佳がいることに対して、NMB48に誰がいるかと言われればさや姉以降、アイコンとなる存在が見つからない。白間美瑠と矢倉楓子がその後のツートップを担うかもしれないと言われたが、やはりいつでもさや姉の大きな背中がそこにはあった。
その一方でAKB48という原点である存在も、NMB同様象徴となるメンバーがいない。
先日の総選挙も世間的な注目度を集めておらず、それは前田敦子の存在感の大きさが今になって語られることと無縁ではない。
またこういった問題を乃木坂46や欅坂46も抱えているらしく、白石が卒業した後どうするのかとか平手不在の時にワンマングループであることが浮き彫りになったなどと危惧されている。
ここから分かるのが、同じ秋元系列のグループであってもタイプの違いがあるという事だ。
初期AKB48と近いのが乃木坂46で、これはつまり「新ジャンルのグループには黎明期(れいめいき)だからこそ個性の強いメンバーが集まる」というタイプだ。大企業になる前のほうが黎明期ゆえに魅力的な人材が集まり、大企業になってからだと画一的に優秀な人材しかやってこなくなる。
これは明治時代の日本陸軍には規格外の人材が集まり、その後官僚型組織に変貌していったことと基本的な構造は共通している。
ブランドが確立されてから憧れてなるような人の中から中々規格外の人材は生まれにくいし、出る杭を打たれる傾向があり組織は最終的に弱体化する。
NMB48はその意味で明治維新のように黎明期を支えた人材が既に去っており、ついに象徴とも言える山本彩が今回卒業を発表したという状況に近い。
SKE48は松井玲奈が存在するが、この場合はその黎明期のメンバーがまだこれからも続けられるという状況だ。
そしてNGT48や欅坂46の場合、組織そのものが新しいのでこの黎明期問題とはまだ無縁だ。逆に言えばこれからどれだけ昇って行けるかということが問われている。
ここから見えてくるのは「人材育成は組織の持続において最も重要」ということなのではないか。
そのグループや組織がどうなるかわかりもしないときに、勇気をもって入っていくような人というのはやはり何かが違う。逆にその分野が確立されてから憧れて入っていくような人はやはり前者に追い付くことが難しい。
これは前述の日本陸軍が官僚組織になってから転落していったということや、ユーチューバーという言葉がかっこいい響きをもって内容のある職業として定着する以前に、よく分からずもやっていたヒカキンがやっぱり凄いということとも似ている。
ただいつまでも黎明期の人材に頼ることはできず、だからこそ育成が重要になってくる。
それをわかっていたのはやはり指原莉乃で、残せるのは結局人だという事を感覚的に理解していた。人材という意味ではHKT48が後発グループの中では一歩リードしているように思う。
山本彩と指原莉乃の違いはそこで、これはどちらが優秀かというよりもタイプの違いだ。
つまり山本彩は本人が完全なる天才でありカリスマであった。本人が全てを出来てしまうがゆえに、あまり後発の人材を育てる必要が無かった。むしろ私の背中を見習って技を盗みなさいと言うタイプだったのではないか。
逆に指原莉乃は落ちこぼれから始まっているので、落ちこぼれがどうするかというノウハウをわりと自分の中で理論化しており、それを自分以外の人間に伝えることに長けていた。
自分で全てができる天才と、周りを育てなければどうにもならない凡才との違いが底にはある。
山本彩の場合特別なカリスマ性があるので、後発のメンバーは自然とついてくる。しかし指原莉乃のようなタイプだと、後輩からの信頼を得られなければリーダーにはなれない。
もちろん山本彩は努力家であるし、指原莉乃に才能が無いと言っているわけではなく、あくまでタイプとしての違いだ。
トップの天才が凄すぎたNMB48と、育成に熱心な人間がトップにいるHKT48の違いを分析してみるとこうして組織運営に必要な物が見えてくる。
また組織自体に魅力と活気があり、黎明期にある場合かつてのAKB48や乃木坂46のように人材は集まる。
しかしそうではないフェーズに入った時、天才型か育成型かの違いが問われる。
スポーツでいえば凄い選手がいた時代は強豪国だったが、その選手がいなくなり弱小国になったというのが前者で、地道な育成が上手く行ったチームは長期に渡り強豪で居続けるということとも似ている。
その意味で「天才なき後のNMB48」というチームがどういった命運を辿るかというのは興味深い。絶対的なチームリーダーが去った後、残ったメンバーがこれまでとは一線を画すような時代を作っていけば先代を越えられるだろう。
しかし往々にしてこういった才能は黎明期の人材にしか備わっていない。
だからこそ難しいのだ、沈みゆく船から逃げ出すかその船を懸命に修復しより強固なものとして航海を続けるのか。
人類というのはそういうことを何度も繰り返してきた。
これは人間という生き物が形成する集団の持つ宿命なのかもしれない。