elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

亀梨和也心の声「しくった、亀と山P続行で行くべきだった・・・」

今日本で一番話しかけるなオーラ出してピリピリしてそうな芸能人って亀梨だろうなぁと思う。

もう何度目だよというぐらいにメンバーに翻弄されてきて流石に世間から同情の声も上がっている。

多分今楽屋の亀梨に連絡しにいくスタッフ関係者ガチでビビってそうで、ごくせんでギラギラしてた頃の鋭い表情の亀梨が復活しているのではないか。

 

言うまでもなく田口淳之介がやらかした事で世間を騒がせている。おのずとこういう時KAT-TUNの名前が出され亀梨和也が矢面に立ってきた。

亀梨「教えてくれ山P、俺はあと何回KAT-TUNの名で苦しめばいい?」

山下「もうYOUが脱退しちゃいなyo」

赤西「同情するぜ」

 

別に小山や手越が何しようがノーダメージの山下智久と違ってこういう時KAT-TUNという事で何かと言われる亀梨はかわいそうでもある。

厚切ジェイソン「これが日本式連帯責任?WHY JAPANESE PEOPLE?」

 

今回の騒動、昔からKAT-TUNを知ってる人にとってはここまで田口が注目されてることにちょっと不思議な違和感を覚えるのではないだろうか。

わりと今回、田口淳之介を知らない人も単に祭りの面白さで盛り上がっている印象で、もう芸能人の不祥事で騒ぐことが日本に残された娯楽になっているようにさえ思えてくる。

 

多分大麻の使用に本気で怒っている人は少数で、何となく社会の規範を破ったことが許せない人と、単にピエール瀧からの流れで不謹慎ネタを楽しみたい人が盛り上がっているように思える。

この件に関して本当に憤りを感じている人はおそらくハイフンの方だろう。せっかく充電期間を終えて活動してきた矢先だ。

いや、むしろ呆れという感情に近いかもしれない。

 

「ジャニーズ史上最低の辞め方」をしたのが田口と言っても過言ではなく、辞めた後も古巣に砂をかけているのだから擁護のしようがない。

これまで様々なジャニーズメンバーが退所を選んだり、選ばざるを得なかったりしてきたが近年ここまで酷い去り際は記憶がない。

4人体制になってから事務所にも優遇され厚遇を受けていたにも関わらず、ファンにとっては待ち望んでいた晴れ舞台の音楽番組で裏切るかのように脱退宣言、そして今回の事態という流れだ。

直接誰かを傷つけた訳ではないが、結果として間接的に多くのファンを傷つけてしまった。

 

元はといえば相手の女優にも問題があり、ジュニア時代の2001年からの付き合いなので判断もままならない時期から芸能界の負の部分に染められてきたとも言える。

でも最初女優側が「大麻は自分だけの所持品」と庇うために主張したのに対して、田口は共有してると話し心中するような道を選んだ。

報道での笑顔を見るに、最後まで付き添った満足感すら見えた。

 

最近「作品に罪はない」という議論がされるようになってきているけれども、個人的な思いとしてはKAT-TUN時代の映像まで否定されるのやりすぎだとも感じる。

リーガルハイはこれかどうなるのか。

「草の者が草をやっていた」とか「リーガルハイではなくイリーガルにハイになっていた」とか言われているので、ちょっと笑ってしまった。

 

自分があの時代のKAT-TUNに対して思い入れがあるという補正ではあるが、こういう自粛に意味はあるのかとも考える。

例えばバブル時代の象徴とも言える光GENJIだって薬物問題でいろいろあり映像が自粛されることはあったけれど、昔の芸能界ってそんなもんだろという視点があってもいいかもしれない。芸能界が世の中とは違う独自の世界ではなくなったのは事実だ。

ただ芸能人も社会人だと言えばそうだが、「社会人だから」というという絶対服従の言葉は乱用されるべきではない。

 

今は社会が極度に「健全化」を求めて息苦しくなっているというか、ブラック校則化しているようにさえ映る。

端から見ればおかしな校則も、そこにいる当事者から見れば破る奴はけしからんとなってしまう。

それと同じように日本社会の「掟」というのは外から見れば理不尽で変わらないものがいくつかある。

例えば今回のように大麻で今の時代ここまで騒ぐ事は先進国としては時代遅れではあるし、奇妙な光景だろう。

 

自分は大麻やタバコはやらないがお酒は飲むし、これだけのストレス社会なのだから、お酒が飲めない人でも楽しめるように大麻が嗜好品として存在してもいいと思う。

「お酒を飲めない人は陰い、お酒はこんなにも楽しいものだ」と普段明るく語ってる日本人が他の嗜好品になると急に恐ろしいことのように社会全体で血相を変える。

 

一見すると「ここ日本だから」「嫌なら出ていけ」という主張は正論に聞こえるがこの絶対の言葉で議論がストップしてしまう風潮というのは、結果として変化が起きにくく支配するには容易い社会に繋がってしまう。

治安や風紀という言葉を盾に、悪い意味で正義感に満ちた人が聖戦を行うようになっている。

いろいろ変えないといけないことが山積して停滞している時代に、今回のパラノイア的な状況が起きている。

 

特に田口について知っているわけでもないし、大麻がどうこうよりもただ芸能人のゴシップネタが面白いうというだけで集まれば何か楽しいし一人じゃないように思えるというだけの一時の祭りだ。誰も本質に興味はないし、ただ誰かが怒られてれば自分は間違ってないと安心できる。

 

元々芸能界というのは身近には存在しない特別な存在や風変わりな存在を求める場所だったが、今は身近な親近感が大事で、芸能界にすら逸脱した人間を許容できなくなっている。

特にジャニーズなんて変人上等で、めちゃくちゃな浮世離れした奴が面白いし憧れられる世界を売りにしてきた。

長生きするタレントは好感度が命でちょっと間違うだけでレールを外れたも同然扱いだ。

 

亀梨だって今は好青年扱いされているけれど、グループの分裂の要因の一人だと言えなくもない。まあKAT-TUN自体かつての状態で存続してても社会が求めなくなっていったかもしれない。

 

変に社会が真面目になっていて、その真面目さというのもいい意味ではない方の真面目さだ。不健全なことをしないことが唯一の個性で、学校の先生に一度も怒られたことがないみたいな人ほどこういう心理に陥りやすい。

 

ちょっと前に松本人志が「今はちょっと人通りが少ないときに横断歩道を無視するだけで社会全体から袋叩きで避難される」という趣旨のことを語っていたが、案の定この話題に「それは駄目だろ」という書き込みがいくつもあった。

今はこういう正義マンがどこからともなく駆け寄ってくる時代だ。

 

衰退する社会で楽しみがなく、単に面白いから騒いでるだけなのか、規範を維持することにしか自尊心の拠り所がなくなっているのか。

景気がよくて未来も明るかった時代に面白いから盛り上がることとも質が違うし、古き良き日本人の美徳や正義感とも質が違う。

現代型の不謹慎さと正義感の二つが、現代日本で集団心理を産み出しているのではないか。

 

もちろん今回の田口の件は残念だと思う。特に自分はかつてKAT-TUN時代の田口淳之介をかっこいいと尊敬していた立場でもあるので。

ただベッキー以降に顕著になったこの風潮も疑問に思う。

 

現代は娯楽の多様化の時代と言われるが、実はこういった不謹慎狩りがその大部分を占めているのではないか。

例えばアイドルだって対立煽りというか嫌いなメンバーの嫌な部分を探すことが目的になっているケースが多いし、好きなはずのことでストレスを抱えている人も多い。

自分と自分に似た仲間以外の誰かが怒られること、それを眺めること、それが日本社会という学級における楽しみになってる気がしてならない。