今季のリーガ優勝を占う大一番で迎えたクラシコ、ここで勝ちきればバルセロナの優勝は手の届く範囲にあった。
一方レアル・マドリードとしてはここを逃せばリーグタイトルから完全に遠ざかる重要な試合、結果として大勝で終え再び覇権はエルブランコに戻ることとなった。
現在勝ち点差1でレアル・マドリードが首位であり、再びスペインの覇者を巡る争いは過酷度を増している。
トドメを刺せる絶好の機会に仕留めそこねたバルサの失態は数カ月後に後悔するのか否か。
喉元の寸前にまで迫ったところ、サンチャゴ・ベルナベウで壮絶な抵抗を受けバルサは撤退した。
引き分けのドローどころか、勝ち点で争っている相手に最も与えてはいけない実質6ポイントを与えてしまった計算だ。
得られるはずだったのに失った3点と、相手に取らせてしまった3失点で、リーグ戦の攻防戦の直接対決の意味は大きい。
この意味合いを理解していたのはレアル・マドリードであり、バルセロナは全く理解していなかった。
かつてはバルサの庭だと言われたベルナベウで、白い巨人は意地を見せてきた。凄まじい迫力に対し、ポゼッションだけは維持するバルサはもはや無力だった。
点を何が何でも取ろうとする迫力が違っていた。
バルセロニスタとは本来、最も攻撃的であり華麗なスタイルを好むが、今回のクラシコにおいてはマドリディスタこそがそのメンタリティを兼ね備えていた。
クロースのスルーパスは近年稀に見る意表を突いたチャンスメイクであり、それが出された瞬間自分は感嘆していたが、その余韻も味わいきれない内にヴィニシウスに先制点を奪われていた。
感動する暇さえ与えてくれないパスこそ思考である。
これは感動する場面だなと気づくだけまだ分かっているのだと信じたいが、それからが一瞬だった。
その直前、ビダルを交代で変えたところで、いつもいいことにはならないとわかっているはずなのにその采配が行われていたことも背景にある。
重要な試合でビダルを下げたときにいい結果が出た試しがない。正直その時点から悪い予感はしていた。
新入りのフォワードが絶好の決定機を外し、直後にその失点シーンがやってきた。
ただそれ以上に、嘆きたいのはここ最近確実に衰えつつあるメッシだ。
これまでのメッシは、まさしく神でありどんなにキツい局面でも祈られる救世主であり、奇跡を起こしてくれる可能性があった。
とにかくどんなピンチでも神頼みのようにメッシに渡れば何かしてくれる、そういう期待があった。
ただここ数年のメッシにそれは感じない。
まるで神の憑依が解けたように、ここ最近のメッシはサッカーの上手い人類の一人だ。
CLのアウェイでチームを救ったり、リーグのライバル相手に決定的なゴールを決めたりという光景は過去の回想でしかない。
果たして彼が本当に歴史上最高の選手なのだろうかという疑問に、この数年バルセロニスタは苛まれている。
この度のクラシコで、マリアーノに決められ敗戦が確定した後のこの表情はもはや見飽きた。
毎回のように無表情で突っ立っているだけか、下を向いているだけである。
ロナウドがCL3連覇を始める年齢で、この態度だ。
多少鬱陶しく暑苦しくてもチームを鼓舞する異様な負けず嫌いと、なぜお前らはこうも無能なのかと役立たずを軽蔑した目線で見るリーダーがいたら人はどちらについていくだろうか。たとえ後者が嫉妬しきれない程の美しい才能を持っていたとしても、人は前者の為に見を粉にする。
天才は常人の気持ちがわからない、というありきたりな話を体現しているのがメッシだ。
一昔前はむしろクリロナがエゴイストで傲慢で雑魚相手にしか点が取れず、チームメイトのおかげだったが、ここ最近はメッシがそうなりつつある。
もうメッシが活躍したという話はリーグの中下位相手の話ばかりで、かつてのように強敵相手にハットトリックやゴラッソを決めて逆転するような神話の領域にはいない。
逆にロナウドは完全に省エネし効率化を図り、強豪狩りに集中しきり結果を出している。
これまでのメッシが歴史上最高の存在であることは多くのサッカー関係者が認めているが、ここ最近のメッシに関してはレジェンドの内の一人という表現に抑えることが相応しい。バルサフロントのこれまでの補強失敗のように外部の要因はいくらでも存在する事も事実だが、持っている選手というのは何かを味方にする。
悲劇のヒーローという系譜はこれまでのロナウドを修飾する言葉であったが、このままではメッシの枕詞になりかねないだろう。