elken’s blog

ジャニーズとサッカーを中心にあらゆることを評論するブログ

W杯決勝のフランス代表がラスボスすぎた背景

サッカー観戦、スポーツ観戦どころかバトル物のアニメや漫画、ゲームでもこれを超えるラストはもう一生無いだろうなというレベルの最高傑作をアルゼンチン代表メッシとフランス代表エムバペには見せてもらった。

 

前半2:0の有利な状況を得たアルゼンチンが攻守ともに華麗で有機的な連動で個人の力と戦力で勝る世界選抜とも言える大正義フランス代表を圧倒

 

この1点目のPKを献上したのが、メッシがバルセロナで歴代級のパフォーマンスで頂上までたどり着きかけたシーズンに、極上のパスを外して敗退のきっかけとなったデンベレで、2点目美しいカウンターで決めたのがメッシ海賊団最高幹部で側近のディマリアというストーリー

 

しかし後半たった1分で突如沈黙していたエースの覚醒で2:2に追いつく。しかもフランスの2点目はメッシのロストからエムバペがスーパーゴールを叩き込む世代交代を印象づけるゴラッソで、メッシはまたしてもエムバペに負ける運命なのかと誰もが思った場面。

 

最初大したことないように思えたラスボスが覚醒するよくある展開。

 

エムバペはフランス代表の暗い紺色とゴールドのユニフォームがコードギアスの悪役感あるガウェインや蜃気楼っぽい上に、大正義フランス代表が作中で悪役の神聖ブリタニア帝国のごとくルルーシュ役のメッシの策略にやられ劣勢で痛快なとこに、身体能力最強のエムバペが枢木スザクのようにランスロットの超機動でめちゃくちゃ理不尽に暴れるウザさや怖さそのものだった。アニメだとよくあるが主人公に感情移入していると台無しというあのウザさそのものだ。

 

あっという間に個人が戦略のリズムを瓦解させるというラスボスの理不尽さ

 

延長戦3:3

1つ目のゴールはVAR判定でオンサイドかという判定にもつれ込みなおかつメッシが決勝弾という劇的な緊張感溢れる場面

 

もう1つのゴールは、勝ちが確定したかと思う状況で奈落に叩き落とす誤審PKゴールでフランスの悪役ヒール感が最高潮に上昇

これぞラスボス

 

最後はPK戦という心臓がいつ止まってもおかしくない緊張感 中、メッシ海賊団の守護隊長エミリアーノ・マルティネス、通称エミマルが危機を救う。

しかも延長後半終了間際にスーパーセーブをしたのもエミマル神だったというGKがもう一人の主人公となったサッカー漫画的には最高のバランス

 

エムバペがいくらなんでも3度目は外すだろという場面できっちり決めて、次のメッシがこれまでのように外すのかというところで主人公力を見せつけ勢いづいたアルゼンチン海賊団の勝利。

 

時代を締めくくる最高選手の最高レベルの活躍と新しい時代を担っていく新星のもう一つの最高レベルの活躍

 

メッシとエムバペ、両者得点王を競っているので、すべてのゴールがシーソーゲームでもあった。

 

結局、新時代の超新星エムバペは得点王ゴールデンブーツを獲得しこの時代の最後のレジェンドは大会最優秀ゴールデンボールを受け取り栄誉を分かち合うどちらにも見せ場がある仕上げ。

 

初戦36戦無敗からの負け、メキシコのオチョア、ポーランドレヴァンドフスキクロアチアモドリッチという尊重し合う良きライバルであり同時にメッシを苦しめてきた強敵、因縁のオランダ指揮官ファン・ハール、最強ラスボスで南米を煽りロナウドを信奉するフランスのエムバペ、登場人物から展開まで全てが出来すぎていた。

 

ここに2022カタールワールドカップは最高のフィナーレとして刻まれる。

中東で冬季開催が欧州シーズン中真っ只中なので怪我人が多いなど問題はあったが、晴れた試合が多い、選手にとって移動距離が短い、交代5枠で冷房が効いているので延長もハイテンションな戦いで戦術の交代がわかりやすい、時差的に欧洲もアジアも南米も見やすい、意外とメリットが多かったカタール

 

またエムバペが事前に「南米はずっと優勝できずヨーロッパのレベルではない」と煽っていたところがフラグになっていて、なおかつずっとライバルだったクリスティアーノ・ロナウドの信奉者でロナウドの敗退後、ロナウドSNSにGOAT(史上最高)の絵文字をコメントしているという背景もあった。

 

事実上、メッシvsクリロナの思いを継ぐ者エムバペというマッチメイクでもあった。

メッシvsロナウド論争自体もうメッシの完勝だが、決勝で負ければロナウド派は国際タイトルはコパ・アメリカとユーロで互角と留飲を下げられる場面だったわけである。

 

更にエムバペは23歳でワールドカップ2連覇でペレの後継者、バロンドールなど所詮ワールドカップも獲れない選手の自己満足用個人賞だと一生メッシは嘲笑されているところだった。エムバペという真の怪物がいない間に稼いだバロンドールなど無意味、直接対決で勝てずに終わった情けないメッシとなってしまうところだったわけだ。

 

しかも全ての得点に絡みあらゆるスタッツで最高レベルという圧倒的活躍で、派手な決勝までやって優勝

文句無しで史上最高となった。

 

ワールドカップ決勝というのは魔物が潜んでいて、勝てばストーリー的に美しい選手が尽く散ってきた歴史がある。

少年漫画だったら夢をぶち壊すようなことをワールドカップはいくらでもやってくる。

 

大昔は自国開催のブラジル代表がマラカナンの悲劇で大観衆の前で負け、マジック・マジャールという華麗で史上最強とも言われるハンガリーが西ドイツに負け、1974年は時計じかけのオレンジ軍団ヨハン・クライフがまたしても西ドイツの前に散った。

美しい方が勝つとは限らない。

その後もバッジョがPKをブラジルに外して、2006年のジダンがイタリアの挑発に翻弄され、前回大会はモドリッチがこの大正義フランスの前に散った。

 

今回も一番白けるパターンがフランス代表の戦力による優勝だったが、栄光を南米に取り戻しアルゼンチンが3つ目の星を飾った。

メッシのラストダンスで、スパイクを特注の金色にするという負けたらめちゃくちゃフラグになるという状況で初戦敗戦の絶体絶命から優勝

 

鬼滅の刃で言えば鬼殺隊や炭治郎がいいとこまでたどり着いたけど、鬼舞辻無惨に勝てませんでしたみたいなのバッドエンドが普通に起こりうる。

フィクションの場合は大体主人公が勝つのがわかっている。イロモノなバッドエンド作品でもない限り、子供が見るような作品は特に勝つのがわかり切っている。

でも現実のスポーツはそうじゃないゆえに緊張感がある。

 

アニメや漫画、ゲーム含めて最高のラストだったと思うのはそのためだ。

アニメでここまでの絶叫や緊張はしない。まして幼少期や学生時代であればまだそこまで没入するとしても、大人になるとできない。

 

自分も10代の学生時代はサッカーというより、そういうオタクコンテンツが最優先だったけどもいい年の大人になるとが特に男はスポーツ観戦が人生の数少ない生きがいになる笑

だから自分はバトル物を好きなタイプの男オタクでスポーツ観戦興味ない層はマジでもったいないことしてるなと。女だったらアイドルやアニメみたいなコンテンツで一生楽しめるのだが男はそれじゃ満足できなくなる。

 

サッカーに限らずスポーツはいろんな歴史=設定や選手=キャラが存在するのでオタク気質の人間には飽きがこない。

メジャースポーツはコンテンツ展開も生きている間は続くのでオワコンになることがない。サッカーなんて毎大会、毎年戦術のトレンドが進化していくので歴史を体験できている感もある。

これがアニメやアイドル、ゲームなど流行りのオタクコンテンツだとすぐトレンドが移り追求する深みがない。

 

女性オタクの場合純粋なバトルシーンというよりキャラクターのやり取りを楽しんでいるし本当の高揚感はアイドル的なキャーという歓声で得る。男性は女性ほどアイドルに興奮や高揚感を得られず、逆に純粋に戦っているバトルシーン自体を好きなのでやはりそれはスポーツになる。これは男女逆の特徴だ。

スポーツ観戦を素養や嗜みにしているオタク男性は多いが、アニメやアイドル好きの典型的なオタク女性はスポーツにさっぱり興味ないことがほとんどで求めるものが違う。

 

そしてアニメや漫画のバトルシーンは勢いでなんとかしているある種のデフォルメが施されているので、結局大人の男が真面目に戦いとして見るにはツッコミどころや粗がある。女性オタクはそういう戦闘をロジカルに考察しない雰囲気や感動、演出重視だが、男性オタクは戦闘面の内容をしっかり求める事が多い。

 

あとアニメ特有の厨二病的な雰囲気の幼さが恥ずかしくもなる。ある種、そういう幼稚なコンテンツがキツくなるのは自然なことだ。

スポーツは運のような理不尽なことも起きるが、それも含めて現実で起きていることなのでどっちにせよ凄いとなる。アニメのようにご都合主義感がなく現実は現実として受け売れるしかない。そのシビアさに人生のリアリティを投影し共感する。

 

このアルゼンチンvsフランスも最後までどっちに転ぶか分からず先が読めなかったしアルゼンチンが勝ったときの喜びはどんなアニメより感動した。本当に男が求めているのはこういう戦いだったと。

 

ガンダムSEED DESTINYキラ・ヤマトが無傷で勝つ、そんなことがない。

アニメで言えばずっと優勝できなかったサトシに近いだろう。メッシも同じ年齢、同じ時期にやっと優勝したし、サトシがXYで優勝できなかったみたいなことがずっと起きてきた。

ただそろそろここで引退させようという事情やさじ加減でで決まるアニメと、本当に年齢的に時間がなく負ければそれで終わりのスポーツ選手とでは喜びや緊張感が違う。ワンピースのルフィが海賊王になることはわかりきってるけど、メッシ海賊団はエムバペ海賊団に普通に潰されて終わる可能性は最後の最後まであった。

 

この試合でメッシが負けていたらしばらくサッカー見られないぐらい精神的ダメージを受けただろうが、そんな萎えることが起きるリスクも含めてやはりスポーツの魅力だ。リスクがあるから価値があり勝ったときも嬉しい。創作物の場合勝敗を操作できるし、いくらピンチが演出として何度も来ようが勝ちが決まっている。

 

そのサッカー選手がドラゴンボールをタトゥーにしたり、サトシの優勝を祝っているのでフィクションが劣るというわけではなく自分もどちらも楽しんでいるが現実のスポーツ観戦はバトル物としてこれ以上ないコンテンツなんだなというのを再確認した。

ワールドカップで日本代表が決勝行って優勝以外はもうこの感動は超えられないだろうなと。

 

アルゼンチンのマラドーナ時代の優勝が1986年だから、次自分の人生で本当に嬉しい優勝が訪れるのは36年後、いやあ遠い笑

自分もお爺ちゃん生活始まるし小柳ルミ子はもう生きてないだろう。だからこそスポーツ観戦とは歴史として語れる一生物のコンテンツなのだろう。